母なる地球 : 皆さんの人生の中の受け取る流れ
http://twinkle-star999.blog.so-net.ne.jp/2014-01-27-1
わたしが最後に話した時、皆さんを不安定にして分裂を引き起こすことができる2つの種類の影響について議論しました。
ひとつは怖れ、そしてもうひとつが支配、操作する望みです。
もしも皆さんが今、太陽神経叢の中心に目を向けるなら、これは自我の座であり、こうしたすべての影響力と流れの間で深く考え、この時空と物質の姿の世界の中で行動を起こす必要がある皆さんの部分であることを、皆さんは思い描くことができます。
わたしは自我を何か悪いものとして理解しません。
わたしはそれを、ひとつの必要性、すべての異なるエネルギーの流れを安定させて入手することを目的とした、この世界の中で必要になる当然の事として、理解します。
それで皆さんは、この地上の環境の中のここで、皆さん自身を表現することができます。
それは、皆さんが与え、受け取ることを可能にします。
今、自我にとって大雑把に2つの陥穽があり、皆さんの太陽神経叢の中に集中しています。
自我は、それ自体を過度に小さくなり得るか、あるいは過度に大きくなり得るか、そのどちらかです。
もしも自我がそれ自体を過度に小さくすると、自我はエネルギー的に皆さんの太陽神経叢に引きこもり、怖れ、不安、そして懸念を持つひとつの緊張状態の自我自身に気付きます。
自我は絶えず、それは“できない”、それは不十分だ、あなたは別のものが必要だ、あなたは無力だ、と考えます。
もしも皆さんがその種の自我を認めるなら、皆さん自身の内部に目を向けて、確認してください。
魂の力、内面の子供の情緒的な促し、外部世界からの圧力といった皆さんが人生の中で遭遇する主要な影響力の只中で、皆さんが頻繁に、あらゆる物事が皆さんに手が負えないという感覚を持つかどうか、確認してください。
皆さんの自我が怖れを呼び起こし、隠れることを望むかどうか、あるいは皆さんが個人の空間を受け入れることに困難を持つかどうか、あるいは皆さんが言い訳またはこの現実性から逃れる方法を探しているかどうか、確認してください。
それは、怖れによって支配されているか、あるいは時に精神的な外傷を与えられた状態になっている、過度に小さなひとつの自我の姿です。
ここでまた、過度に大きな自我の可能性があります。
それはまた、太陽神経叢の領域の中で自我自体を感じさせます。
過度に大きな自我は、多少肥大化して強迫的に感じます。
それは、余りにも多くを望みます。
過度に大きな自我は、物事を自我自体の手に置き、世界を方向付け命令するその能力を過大評価します。
自我は絶えず、“わたしはこれを組織化する必要がある、わたしはこれを解決したい、そうでなければ、物事はわたしがいなければ解決しないだろう”、と考えます。
自我は支配を維持することを望み、このようにして自我自身の数々の可能性を制限します。
何故なら、自我が過度の支配を行使することを望む時、自我は取り返しがつかないほど、魂からの衝動の流れを締め出すからです。
皆さんがひとつの過度に大きな自我から過度に沢山のもの事を支配することを望む時、目隠しが装着されている、あるいは視野狭窄になっている、と皆さんは言うことができます。
またひとつの大きな自我は、頻繁に内面の子供との結び付きをほとんど持ち合せません。
その情緒とその子供から現れる情緒の合図は、頻繁に無視されるか、過度に厄介だと理解されます。
その自我は、その数々の目標へと前進することを望みます。
その自我は、皆さんをその視野狭窄の中で皆さんを行き詰らせたままにします。
皆さんがこの特徴を認めるかどうか、皆さん自身で内面に目を向けて確認してください。
皆さんの人生の中で、皆さんが皆さんの自我の数々の目標に執着して、手放すことを怖れた時があったかどうか、それを確認してください。
普通、ほとんどの人々は、自我の両方の側面に気付きます。
時に、ひとりの個人が過度に小さな自我の側面をより大幅に強調し、その一方で別の個人が過度に大きな自我を持ち、それがその人々を騙していることは、事実です。
しかし両方の事例の中で、皆さんは最終的に、皆さんのこころ、皆さんの魂、皆さんの情緒から切断された状態になるでしょう。
皆さんの中心に戻る方法、安定を回復することを許し、魂と内面の子供への経路を再開する方向に向かう方法は、愛を込めて皆さん自身に目を向けて、ひとつの客観的な方法で、皆さんが行っていることを観察することによるものです。
皆さんは、皆さん自身に軽蔑的で苛酷な考えを大きなものにしていますか?
皆さんは、皆さん自身を小さくしていますか?
皆さんはその時、その考えの周りで、物事は他のようにはなり得ない、しかもそれはそのままで大丈夫だ、というひとつの物語を創り出します。
その物語を詳細に調べてください。
その物語に注意深く目を向けて、その物語が怖れによってどれほど支配され、そして敢えて個人的な空間を選択せず、自我自体とその強さを信頼しないひとつの自我によってどれほど支配されているかを、確認してください。
愛、理解、そして穏やかさで、その自我を取り囲んでください。
皆さんの自我があまりにも過度に別の方向に進む時、その自我が手放すことを拒絶して、あらゆる物事を決定し支配することを強く主張する時、その時は、この信念構造に気付き、しかしひとつの穏やかで理解ある眼差しで、それに対処してください。
皆さんがどれほど物事を台無しにするかということについて、笑ってください。
皆さんが断固として頑なに視野狭窄に執着する時、皆さん自身が新しい数々の可能性に愉快に驚くようにしてください。
何かを認識しないこと、その新しい物事にこころを開くことは、しばしばひとつの美点になることを、忘れないでください。
何故わたしは今日、ひとつの不安定な自我の2つの姿について話をするのでしょうか?
その理由は、人生が皆さんに与えることを望むものを受け取ることができることが、その鍵になるからです。
皆さんは、皆さん自身を過度に小さくするか過度に大きくするかのどちらかにすることによって、受け取る流れを遮断します。
皆さん自身の中のこうした傾向性を確認し、それに微笑むことによって、皆さんは自然に皆さんの中心に戻ります。
少しの間、それを感じてください。
皆さんの背後または傍にいる皆さんの魂と、そして皆さんの前と傍に立つ皆さんの内面の子供を、視覚化してください。
皆さんの魂の素晴らしく賢明な力を感じてください。
それは、皆さんの人間の精神で皆さんが認識できることよりも遥かに多くの物事を認識します。
彼女を信頼してください!
彼を信頼してください!
皆さんの太陽神経叢の中に、ひとつの小さな姿、ひとりの男性または女性、皆さんの自我を表すひとつの姿が生きている様子を、思い描いてください。
そして、とても客観的にそれに目を向けてください。
その姿は手を伸ばして、あらゆる物事を命令しようとしていますか?
それとも、その姿は、すべてが手に負えず、過度に圧倒されるという理由で後ずさりして、その内部で過度に多くの怖れを呼び起こしていますか?
皆さんの自我が前方または後退のどの運動を起こす気にさせられるかを、見てください。
最後に、皆さんの自我が安定して、皆さんの太陽神経叢の中のこの姿が、背筋を伸ばして立っている姿勢をしている様子を、思い描いてください。
それは、上から皆さんの魂と数々の天界と結び付けられ、そして下から皆さんの魂と地球と結び付けられています。
それが、皆さんの自我にとって、皆さんの個性にとって、どれほど支えとなり自由になるか、それを感じてください。
あらゆる物事が、より自由に、そしてより流動的になります。
それが、無条件の愛の穏やかなひとつの流れです。
この流れが起こることを許し、そしてその流れが皆さんを引き上げることを許してください。