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【スイスという永世中立覇権国 引き継がれる簿外資金】

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高度自給自足時代の夜明け 【先進国の未来像】 さん最新、名無し先生最新考察も、参考になりますね。Φ(´゜π゜`)φ


【スイスという永世中立覇権国 引き継がれる簿外資金】

http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-244.html

こんにちは、今回は過去の記事と重なりますが、読者様のコメントに対する名無し先生からのコメントに、ランゴバルドの事を書け!という合図が在りましたので、スイスという国を中心に簿外資金のルーツについて書きます。
最初にお断りしておきますが、この記事は時代がかなり前後しています。
まとめるつもりがまとまっていないかもしれませんがご了承ください。
さて、スイスには有名なアルプス山脈があります。
イタリア北部の国境地帯を囲うようにスイス、オーストリアに股がっています。
地中海側の商圏と、バルト海側の商圏を分離していたのがこのアルプス山脈です。

一方、その両方を見下ろせる地理的特性を持ち、精密機械産業に適した豊かな淡水を持つ地域。
この頃の武器製造は、動力が水車でした。
水車による動力で、他の地域にはまねの出来ない機械加工が出来たのです。
現在のスイス地域はオーストリアのハプスブルク家をもってしても勝てない軍事力を持っていました。
そして現在でも武装中立国として、高い軍事力を持ち、どこの国もスイスには手を出しません。
そして世界でも有名な時計やレンズ等の精密技術で有名。

また、金融面でもプライベートバンキングで有名。
フィリピンのマルコスも、日本の天皇も、スイスに隠し口座を・・・

さて、スイス+オーストリア(正確には現在のイタリアの一部も入ります)=ロンバルディアだということは以前の記事に書きました。
オーストリアのハプスブルク家の支配下に在った訳です。
ですが、オーストリア側、ハプスブルクの支配に不満を持つ者が出てきます。
記述の通り、水車による原動力で他には無い産業を確立していたスイス。

ハプスブルクに反発する、金を持った者達は、裏で現在のスイスに結集しました。
こうして、スイスに金と武器産業が集まりました。
そうです、スイスとは神聖ローマ帝国に対抗して出来上がった国みたいなもんなんです。
スイスが実質的に中立国というか、独立したのはこの頃です。
これが嫌われていたユダヤ人が中立国であるスイスに集まった理由なのです。

(Wikipediaより)

神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の死後、ハプスブルク家のアルブレヒトの息子フリードリヒ(ドイツ王フリードリヒ3世)がバイエルン公ルートヴィヒ(ドイツ王ルートヴィヒ4世)と帝位をめぐって争ったが、アルブレヒトを敵視していた原初同盟はバイエルン公を支持した。これに怒ったフリードリヒはハプスブルク家の精鋭を揃えてスイス領内に侵攻したが、1315年のモルガルテンの戦い(ドイツ語版、英語版)、1386年のゼンパッハの戦い(英語版)でスイス農民軍に打ち破られた。こうしてスイスからハプスブルク家の影響力が排除された。

(Wikipedia終わり)

スイスがハプスブルクが手を出せない軍事力と財力で事実上、独立しちゃったんです。
ですので、この時期がオーストリアとスイスが分かれた時期です。
ランゴバルド王国がロンバルディアの由来。
王国が存在した2世紀の間、東側をアウストリア公国、西側をネウストリア公国、北部をスポレート公国、南部をベネヴェント公国と呼びました。
フランク王国領になる前から宗教的には、カソリック化が進みました。

しかしイタリア半島南端、サルディーニャ島、シシリー島等は、東ローマ帝国領のまま残ったのです。
この勢力の仕切りで、教皇をコントロールしようと教皇派、皇帝派にわかれて争った時代が欧州で長く続きました。
ヴェルフ、ヘッセンらが画策したと言う事です。
教皇側は免罪符をフッガー家と共謀し発行、大きな収入源となりましたが、民衆を苦しめる結果になります。
そこに異議を唱えたルターが出てくる。

時代はかなり前後していますが、 これがプロテスタントになって行く訳です。
ヨーロッパの教皇派と皇帝派。
欧州の天皇=ローマ教皇は、地中海商圏側に居ました。
征夷大将軍=神聖ローマ帝国皇帝を途中から任命するようになります。
神聖ローマ帝国はローマ帝国を引き継いでいるという建前ですから、教皇は邪魔。
ローマ教会にとっては皇帝が邪魔。
教皇派、皇帝派に分かれ争う事になります。
この教皇派、皇帝派の争いはカール大帝と血縁になったヴェルフ家が主導する処が大きかったわけです。
ロンバルディアから出たヴェルフ=エステ家(Haus Welf-Este)、またはヴェルフェン=エステ家(Haus Welfen-Este)。

(Wikipediaより)

ルートヴィヒ1世(ドイツ語:Ludwig I, 778年 - 840年6月20日)は、フランク王国カロリング朝の国王(在位:814年 - 840年)・西ローマ皇帝(在位:814年 - 840年)。カール大帝の第3子で、大帝死後も唯一生存していた男子である。フランス語ではルイ1世(Louis I)。「敬虔王(敬虔帝)」とも呼ばれる。

819年、シャッセンガウ伯ヴェルフ(ヴェルフ家出身)の娘ユーディト(795年 - 843年)と再婚。

教皇派と皇帝派(きょうこうはとこうていは)とは、12世紀から13世紀の主に北イタリアにおいて、対立するローマ教皇と神聖ローマ皇帝をそれぞれを支持した都市、貴族達を指すが、14世紀から15世紀には本来の意味から離れ、対立する都市間の争いや都市内部の派閥抗争における両勢力の便宜的な分類として用いられた。ゲルフとギベリンともいう。

元々は、神聖ローマ帝国の帝位争いにおいてヴェルフ派をヴェルフ、ホーエンシュタウフェン派をウィーベリンと言ったものが、ヴェルフ家が教皇と結んで、帝位についたホーエンシュタウフェン朝と対抗したため、これがイタリアに伝わり教皇派と皇帝派(ゲルフ(グエルフィ、Guelfi)とギベリン(ギベッリーニ、Ghibellini))となった。

11世紀の叙任権闘争において、既に教皇と皇帝の争いは始まっており、皇帝ハインリヒ4世と対立するヴェルフ5世は、教皇派のトスカーナ女伯マティルデと結婚したため、教皇派はヴェルフ(ゲルフ)と呼ばれはじめた。

ザーリアー朝が断絶するとヴェルフ家のバイエルン公ハインリヒ10世(尊大公、ヴェルフ5世の甥)は、ホーエンシュタウフェン家のコンラート3世と帝位を争い、1140年のヴァインスベルクの戦い の「掛け声」からヴェルフ派がヴェルフ、ホーエンシュタウフェン派がウィーベリンと呼ばれるようになった。

ドイツ国内においては、ヴェルフとウィーベリンは文字通り両家を支持する派閥であり、ヴェルフ家のオットー4世が皇帝になった時には、ヴェルフが皇帝派、ウィーベリンが教皇派となっている。

(Wikipedia終わり)

このロンバルディア=スイスのヴェルフ家がその後、ヘッセン家と血縁を結んで行くんです。
共通の敵はハプスブルク家です。
例えば、アーデルハイト(1244–1274) - ヘッセン方伯ハインリヒ1世と結婚

(Wikipediaより)

オットー1世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)

オットー1世(Otto I, 1204年 - 1252年6月9日)は、神聖ローマ帝国の領邦君主の1人で、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公(在位:1235年 - 1252年)。ヴェルフ家出身で、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家の祖。ハインリヒ獅子公の末子のリューネブルク公ヴィルヘルムとデンマーク王ヴァルデマー1世の娘ヘレネの一人息子。伯父の神聖ローマ皇帝オットー4世との区別のため、幼童公(das Kind)とも呼ばれる。

子女

1228年、ブランデンブルク辺境伯アルブレヒト2世の娘マティルダと結婚、10人の子を儲けた。

1. マティルダ(? - 1295年/1296年) - アンハルト=アシャースレーベン侯ハインリヒ2世と結婚
2. ヘレネ(1231年 - 1273年) - テューリンゲン方伯ヘルマン2世と結婚、ザクセン公アルブレヒト1世と再婚。
3. オットー(? - 1247年)
4. エリーザベト(? - 1266年) - ホラント伯、ドイツ対立王ウィレム2世と結婚
5. アルブレヒト1世(1236年 - 1279年) - ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公、ヴォルフェンビュッテル侯
6. ヨハン(1242年 - 1277年) - ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公、リューネブルク侯
7. オットー(? - 1279年) - ヒルデスハイム司教
8. コンラート(? - 1300年) - フェルデン司教
9. アーデルハイト(? - 1274年) - ヘッセン方伯ハインリヒ1世と結婚
10. アグネス(? - 1302年) - リューゲン侯ヴィツラフ2世と結婚

(Wikipedia終わり)

当時の神聖ローマ帝国は、諸侯の中から代表理事を選んで王様にしていました。
その選挙権を持っていたのが選皇帝です。
その候補者の中で、一番力が無くて、すぐどかせる奴をとりあえず、神聖ローマ帝国の皇帝にしておこうと言う話になり、選ばれたのが、ハプスブルグだったんです。
ところが意外と策士で、他の諸侯同士が領土の取り会いをしてる横で、「お前らは戦争しろ、私は結婚する」と言って、同盟諸侯を増やしたんです。

(Wikipediaより)

「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」
の言葉が示すとおり、ハプスブルク家は婚姻によって所領を増やしていった。
現在も、最後の皇帝カール1世の子孫は婚姻によりスペイン、ベルギー、ルクセンブルクの君主位継承権を保持しており、それによって将来一族が君主に返り咲く可能性はある。

(Wikipedia終わり)

その脇でくやしい思いをしたのが、サヴォイやヘッセンやタクシスだった訳です。
一応位置的にはハプスブルグ皇帝に仕える諸侯ですが、30年戦争を引き起こし裏で借金させ、潰した訳ですね。
そしてスイスは1648年 - ヴェストファーレン条約によって正式に神聖ローマ帝国からの独立を達成。
ここまで読んで、ヴェルフーヘッセンと繋がりは理解出来ると思いますが、下記を追記します。

(Wikipediaより)

オラニエ=ナッサウ家

オットー1世の子孫は14世紀から15世紀にかけて、主に婚姻によってネーデルラントに領地を増やし、ブレダに居城を構えて拠点とした。オットー系ナッサウ家はブルゴーニュ公に仕えて勢力を伸ばし、ネーデルラントで随一と呼ばれる名門となった。16世紀初めにはヘンドリック3世・ファン・ナッサウ=ブレダ (en) がブルゴーニュ公シャルル(後の神聖ローマ皇帝カール5世)からホラント州、ゼーラント州、ユトレヒト州の総督に任命されている。

ウィレム1世の曾孫でオランダ総督とイングランド王・スコットランド王を兼ねたウィレム3世(ウィリアム3世)が後継者なくして死去すると、ヨハン6世の玄孫でオラニエ=ナッサウ家の血も引くナッサウ=ディーツ家のヨハン・ウィレム・フリーゾがオラニエ公を継承した。以後オラニエ=ナッサウ家は現在までヨハン・ウィレム・フリーゾの子孫によって続いている。

このヨハン・ウィレム・フリーゾが1709年、ヘッセン=カッセル方伯カールの一人娘マリア・ルイーゼと結婚、2人の子を儲けた。

* アマーリア(1710年 - 1777年) - バーデン=ドゥルラハ辺境伯カール3世の次男フリードリヒの妻
* ウィレム4世(1711年 - 1751年) - イギリス王女アンと結婚

(Wikipedia終わり)

ヴェルフ家の時代に、タクシスの欧州単位統合がありましたと過去記事に書きましたが、そのタクシスもヘッセンに買われます。
時代は別として、タクシスと並んで忘れてはいけないのが、共通通貨を発行した血筋。
メディチ家です。
欧州広域で通用する最初の硬貨を作ったのはメディチです。
そのメディチが次の銀貨の中心をプロイセンとブルゴーニュにした訳です。
つまりナッサウの地です。
ナッサウ家はプロイセンとブルゴーニュで勢力を伸ばしました。
ブルゴーニュ公はフランス本家ブルボン家の向こうを張っていたフランスの王。
現在のフランス・ブルゴーニュ地方です。
欧州の行方を決める数々の戦争で、フランスがどこと同盟を組んだか調整していたのが、ナッサウ=ブルゴーニュです。

このヴェルフに資金援助していたのがメディチ。
エステ=ヴェルフ家と合流し、ロンドンのロンバルディア街を作り、ロンドン銀行などを形成していく訳です。
銀本位制を仕切っていた勢力です。
英国だけが金本位制を始めたのをよそに、欧州の実体経済は銀本位制で回っていたのです。
その中心がプロイセンとフランス・ブルゴーニュです。
プロイセンがヴェルフ資金を押さえた事によって、英国を乗っ取れた真の理由です。
ヴェルフ資金はターレル(ターラー)という銀貨です。
これが訛ってダラー=ドルになりました。

ロンバルディアは銀行の起源みたいなもので、デル・バンコが第2回十字軍の時に作らされたものです。
そのデル・バンコに第2回十字軍遠征に際し、ロンバルディアに銀行を作らせたのはサヴォイ。
欧州の経済体制の変遷は、銀本位制が主体で、後の16~17Cに英国が金本位制に移しました。

1694年、イギリス国王オレンジ公ウイリアムは、大規模な常備軍を維持するため、ロンドンの商人達に金の相談をした。商人達は金を貸す際に一つ条件を付けた。それは、その債務相当分の銀行券の発行を許可してもらいたいというものであった。この要望の意味をほとんど理解できずに、ウイリアム王は同意した。 これによって中央銀行(イングランド銀行)が誕生した。

要は、この時点でイギリスは乗っ取られている訳です。

アラゴン王国がスペインになったり、ロンバルディアがスイスとオーストリアに分かれたり、ポルトガルが出来たり、イタリアが出来たり、全部が同時期です。

その裏に神聖ローマ帝国事情や、武器産業(水車動力)、金融などの理由があったのです。

さて、前出の金融マフィアの祖はデル・バンコと言うのは裏にサヴォイがいて、ロンバルディアに銀行を作る命令を出したという話ですが・・・

サヴォイは第二次世界大戦時のイタリア国王で、その前にロスチャイルドの赤シャツ隊をシシリーから追い出してました。
サヴォイは昔からサルディーニャ島の王様です。
バルト海側の古い民族が、地中海側を攻めた時にサルディーニャ島を基地にしていたと、言われています。
エジンバラ公側の勢力の人間は、そう信じていて、サルディーニャが重要拠点となっているんです。
10世紀より前から、サルディーニャはサヴォイの血筋。

サヴォイは、カルタゴ、ヴェネチアに展開する裕福な海洋族の元なので、デル・バンコに命令し銀行を作らせるような高位にいたと言う事です。
今でも、マルタ騎士団とか海洋族由来の騎士団があります。
この海洋族由来の騎士団はサヴォイ傘下ということです。
デル・バンコは移住先するたびに姓を変えました。

シェルバーンら、チャーター銀行に関連する一連の元がデル・バンコと言われています。
彼がロンバルディア出な訳です。
第2回十字軍遠征に祭し、費用を貸し出す為の銀行をロンバルディアに作りました。

話は変わり、スペイン王国が出来あがる時代

スペイン王国とは、1469年、アラゴン王太子フェルナンド(後のフェルナンド2世)が カスティーリャ王女イサベル(後のイサベル1世)と結婚し、 1479年にはアラゴン王国とカスティーリャ王国の同君連合が形成され成立した王国です。 ローマ教皇アレクサンデル6世はこの2人を「カトリック両王」と呼んだ。

この一時代前のアラゴン王家はバルセロナ伯家と通婚を重ね、1137年にアラゴン王ラミロ2世の一人娘 ペトロニーラ女王とバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世の結婚により、両家の連合が成立した。 2人の間の子アルフォンソ2世以降はバルセロナ家の君主の下に統合された。 こうしてアラゴン連合王国と呼ばれる同君連合が成立した。

スペイン=アラゴン王国に辺境王を派遣してました。
ジェノヴァ、ロンバルディア、ヴェネチアの銀行家が、80年戦争の前から後まで、各国の戦争に裏から投資して国際資金運用をしていたんです。
これらが十字軍遠征と密接に絡みます。

大量の資金を持っていたテンプル騎士団等です。
十字軍が始まったばかりの頃です。
テンプル騎士団→メディチ→ヴェルフ→ナッサウ→オラニエ=ヘッセンと引き継がれているということです。
もっと言ったら、アレクサンダー大王から・・・

テンプル騎士団は構成員が修道士であると同時に戦士であり、設立の趣旨でもある第一次十字軍が得た聖地エルサレムの防衛に主要な役割を果たした。特筆すべき点として、騎士団が保有する資産(構成員が所属前に保有していた不動産や各国の王族や有力貴族からの寄進された土地など)の殆どを換金し、その管理のために財務システムを発達させ、後に発生するメディチ家などによる国際銀行の構築に先立ち、独自の国際的財務管理システムを所有していたとされる事が挙げられる。

東ローマ帝国、オスマン帝国への覇権移行も、こうした諸事象の相互作用であると言う事なんですね。
この時代から近代に至るまで、戦争の影には銀行家ありと言う事です。
この間の簿外資金の流れを見れば、東ローマ帝国側を通して移動した部分が見えます。

ロマノフ。

古代ローマ帝国の金塊はアレキサンダー大王からの流れを引き継いだ物が、そのまま移行されているのです。
テンプル騎士団側の簿外資金は、解散させられた後はいくつかのグループ、国に分散され、ポルトガルやスコットランドを経てロンバルディアを経由し・・・

ロンドンのザ・シティーに集まった簿外資金。
ギリシアからドイツ騎士団側に奪われた簿外資金。
カスティーリャ、アラゴン側に流れた簿外資金。
メディチを通って、ヴェルフ、ハノーヴァーへと流れドイツ騎士団側に奪われた簿外資金。
様々なルートを辿りました。

こうした中で現在のベルベットファシズムの裏資金として動いているのが、第一次世界大戦後に国際機構側の凍結を免れ彼らに残った簿外資金です。
レ◎◎◎の総領事館に在った金塊は、オランダ、オラニエ=ヘッセンです。
忘れてはならないのがロマノフの簿外資金です。
それでは。
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コメント
ブログ主様
私が初めて、こちらのブログにお邪魔した頃とは雲泥の差の、ずば抜けたフレームワーク力で欧州事情を分析されており感心致しました。少しだけ付け足すなら、後にスペイン王国となるアラゴン王国+カスティーリャ王国。この2国はイエズス会のNo.1&No.3であるロヨラ、ザビエルと非常に縁が深い国である事。この地域ではテンプル騎士団に対する制裁は行われなかった事です。フリーメーソン側に関しては言うに及ばずですね。

2014/02/05(水) 02:28 | URL | #-[ 編集 ]

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