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【十字軍が潰され、大航海時代も終わり、マフィアになったイエズス会】 北大西洋vsワルシャワ

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長文の名無し先生最新も参考になりますね。Φ(^π^;)φ


再掲【スイスという永世中立覇権国 引き継がれる簿外資金】

http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-244.html#comment1495

北大西洋条約機構VSワルシャワ条約機構
北大西洋条約機構VSワルシャワ条約機構が米ソ冷戦時代の幕開けを産んだ事は前述の通りですが、北大西洋条約機構を発案した主体は米国ではありません。
当初はソ連側と東欧利権を争う英国、仏国が中心であり、「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む」という初代事務総長ヘイスティングス・イスメイの言葉が象徴するように米国は当に引き込まれたのです。
この件と同様に欧州のいざこざには関わらず独自の工業発展を目指そうとしたモンロー主義を曲げ、米国民をWW1に導いたのがレインボー作戦でした。
これを主導したのがマックアーサーの父親です。

私が今回「BドルorBエン」の件に触れたのは、ちょうど先週、百●(もも●●)というマックアーサーの側近の様な役割をした方の下で、様々な処理をしていた人間と話をしたからです。
彼は「百●(もも●●)が日本をBドルの国にすると言っていたのを、正しい事と受け止め手伝っていましたが、あれこそコミュニスト活動だったのですね・・・。
私は一体何をしていたんだろう・・・」と顔を赤らめていました。
彼自身百●(もも●●)からボーナスだと言われ大量のBドル札を受け取っていましたが、換金できる事はなかったとの事です。

こうした一般経済活動の中にも、たえずベルベット・ファシズムは顔をのぞかせています。
自身では何の気なしにチャンスを掴んだと邁進してしまう方が多い物なのです。
2014/02/18(火) 21:33 | URL | #-[ 編集 ]

こんにちは、前回の記事で十字軍という略奪集団だったローマン・カトリックが潰され、今度は大航海時代のイエズス会となり世界中で植民地を作り、略奪(奴隷売買も含め)を行ったと書きました。

まあ、オランダ、イギリス=プロテスタントも同じ事をしていますし、カソリックVSプロテスタント、そういう括りで考えないでください。

いずれにしても、正反合のヘッセン、ベルベット・ファシストのやり口の一例です。

さて、今回は全然関係ないと思われている事が繋がっていることの一例として、マフィアについて書きます。


最近、イエズス会に関する記事をたて続きに書いていますが、この記事で一旦締めくくります。

アルメニアン・マフィア。
アルバニア・マフィアじゃないですよ。

あまり聞き慣れない言葉ですが、先生の現場や、MI6、CIA、ペンタゴン、FBIでは知らない物は居ない程の犯罪組織です。

米国の犯罪調査ではアルメニアン・マフィアという括りを良く使うそうです。
客家人等と同じ単位ですが、こうした集合分けが諜報上必要。
アルメニア人とは世界で最初にキリスト教を国教化した人種です。

ローマ帝国より前です。

先史時代にはクラ・アラクセス文化があったことが知られており、文明の早い時期から車輪が使われていた。紀元前6世紀頃には国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心に大アルメニア王国を築き繁栄した。

しかしローマ帝国とパルティア、サーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもあった。

1世紀頃にはキリスト教の布教(十二使徒聖タデヴォス、聖バルトゥロメウスが伝道し、殉教した。)、2世紀にはアルメニア高地の各地にキリスト教徒がかなりの数に上ったと伝える(カエサリアのエウセビウス(260–339年)『教会史』)。紀元301年には世界で初めてキリスト教を国教とした。405/406年、アルメニア文字がメスロプ・マシュトツ(361–440)によって創始された。

その後サーサーン朝ペルシアの支配下に入り、更にアラブの侵攻を受けるが、9世紀半ばにはバグラト朝が興り、独立を回復。しかしバグラト朝も長くは続かず、セルジューク朝、en:Zakarid Armenia、モンゴル・ティムール朝などの侵入が相次いで国土は荒廃。このため10世紀に多くのアルメニア人が故国を捨てる(ディアスポラ)ことになった。

1636年にアルメニアはオスマン帝国とサファヴィー朝ペルシャに分割統治された。

1826年に始まった第二次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・トルコマンチャーイ条約(1828年)によってペルシア領アルメニアはロシア領となる。19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込んだ。

ロシア革命後に民族主義者によりアルメニア民主共和国が樹立されるが、赤軍の侵攻により崩壊した。ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国の一部となった後、1936年にソビエト連邦を構成するアルメニア・ソビエト社会主義共和国となった。1988年にアゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニアに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起り、これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突が起り、両国の本格的な民族紛争(ナゴルノ・カラバフ紛争)に発展した。これを契機としてアルメニアは独立を宣言したがソ連軍の侵攻を受けた。しかし1991年にソ連保守派のクーデターが失敗した為、同年9月にアルメニア共和国は独立を遂げた[6]。10月17日、大統領選挙でテル・ベトロシアアンが圧勝した。 しかしナゴルノ・カラバフ自治州を巡るアゼルバイジャン人との紛争は現在も続いている。1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に加盟。同年12月31日付で、ソ連邦は解体・消滅した。アルメニアは、独立国家となった。

現在の米国で起きる猟奇事件、シリアル・キラー等はアルメニア人による犯行が多いとされます。
こうした括りが犯罪心理学上存在する位です。
麻薬の元締めも多い。

アルメニア人はノアの3人の息子、ヤペテの子孫。

ヤぺテからはテラス(エーゲ海周辺のエントラシア人)、メセク(モスクワ人)、ヤワン(ギリシア人)、マダイ(メディア・ペルシア人―ゲルマン、アーリア人)、マゴク(スキタイ人)、ゴメル(アルメニア人の先祖であるフルギア人やハザール人の先祖であるアシケナズ)という古代史の舞台を作り上げた民族が勢ぞろいです。

と、昔先生に教わりました。

このアルメニアン・マフィアはあまり日本人には知られていません。
ご存知かもしれませんが、大抵のマフィアのバックはイエズス会なんです。

しかし、例えばコロンビア・マフィアとメキシカン・マフィアの後ろにはイエズス会が居るんだよと、公の場、国際機関では言えない訳です。

なにせ、カトリック・キリスト教の中心バチカンのイエズス会ですから、バチカン側が黙っていません。

それこそ、地球がひっくり返るような大スクープですが、いまのところ、イエズス会とマフィアのつながりを明確にする決定的な証拠が上がらないんですね。

ですのでアルメニアン・マフィアという呼び方をします。
その証拠が在った場所がニューヨークのワールドトレードセンターでした。

911事件はその証拠を消す為に起こされたわけです。
キリスト教では神と敵対する悪魔が存在します。
この悪魔が非常に重要で、非常に重宝されています。

宗教上の理由から、シリアル・キラーに対する言い訳をし易い訳ですから、連続殺人に異次元の理由付けをします。

そこで悪魔に取り憑かれたとか、そういう話にすり替える。
人間に悪魔という存在を信じさせるのが、彼らにとって最も巧妙なアリバイ作りです。

アルメニアが世界最初のキリスト教国である由縁です。
悪魔に取り憑かれたとして精神異常で済ませてしまう。
並行して、昔から精神に異常をきたす薬物開発に余念がないのです。

この辺りの元祖がメディチと考えられています。
歴代教皇暗殺の為の毒薬開発の大御所ですからね。
これらがヴェルフに受け継がれ、欧州オカルトを創成していく訳です。
ヴェルフも歴代教皇を操りました。

ボルジア教皇

ボルジア家(Borgia)は、スペイン・アラゴン州(アラゴン王国)のボルハを発祥とし、15・16世紀に栄えたイタリア貴族の家系。

その一族にはローマ教皇カリストゥス3世、アレクサンデル6世、ロマーニャ公爵にして教会軍総司令官チェーザレ・ボルジア、フェラーラ公妃ルクレツィア・ボルジア、スクイッラーチェ領主ホフレ・ボルジアらがいる。

アレクサンデル6世の息子フアン・ボルジアの系統にあたるガンディア公家は1748年に断絶した。ガンディア公家からはイエズス会の第3代総長フランシスコ・ボルハが出ている。スクイッラーチェ侯家はボルジア家の子孫である。今日、ボルジア家を名乗る家系には、ボルジア・デ・ミラ家、ボルジア=ランソル家、ボルジア=マトゥッティ家があり、これらはボルジア家の女系にあたる。

なお、日本では慣習的に「ボルジア」の表記が用いられているが、実際には「ボルジャ」の表記の方がよりイタリア語の原音に近い。

ボルジア家のイメージ

アレクサンデル6世は世俗化した教皇の代表的存在であり、(本来なら持つべきではない)息子のチェーザレや娘のルクレツィアを使って政治的な辣腕を振るい、一族の繁栄と教皇領の軍事的自立に精力を注いだ。これによって、ボルジアの名前は好色さ、強欲さ、残忍さ、冷酷さなどを代表するものとなった。カンタレラと呼ばれるボルジア家独特の猛毒を用いて政敵を次々に毒殺した、チェーザレとルクレツィアは近親姦の関係であったなどの噂が付きまとっている[2]。

このような悪いイメージはヨーロッパでは根強く、文学作品や映画等でしばしば言及されている。例えば、映画「第三の男」では、「ボルジア家の悪政はルネッサンスを生んだが、スイスの平和は鳩時計を産んだだけだ」との台詞が登場するし[3]、『ゴッドファーザー Part III』ではバチカンの老獪なやり方に苛立った主人公が「ボルジャめ!」と吐き捨てるシーンがあったり、『モンテ・クリスト伯』の宝物は、ボルジア家に暗殺されたローマの枢機卿が隠したものとされている。

ボルジア家独特の猛毒を用いて政敵を次々に毒殺した。
メディチの毒で、です。

余談ですが、フィリピンのセブ島の近くにボホール島という島が有ります。
この名前の由来はボルジアです。

BORGIA=BOHOL、スペイン語ではGA・GI・GU・GE・GOはハヒフヘホと発音しますから
メディチはルネッサンスの生みの親です。
ギリシャ的文化の再生を志しました。

ルネッサンスは良い面しか表に出ませんが、サンジェルマン伯爵の様な連中を含め、古式薔薇十字団などは、まさにルネッサンス復興の裏で息づいて行きました。

建築様式や彫刻、絵画だけではなく、オカルト的儀式要素が大きかったのです。
その流れが、現在の鳥インフルエンザ等のパスツール研究所やヤ◎◎◎まで至る。
ヤ◎◎◎の創業者の一人はカラスで過去にパスツール研究所に居た人間です。

こうしてヴェルフ、メディチのような人間が教皇側に入り込み操って来たのがバチカンなんです。

バチカンには3人の法王が居ます。
白法王の後ろ盾が黒法王。
白法王がベネディクト16世 (2005-2013)とかフランシスコ (2013- )
欧州キリスト教国を纏める、表の顔としてのおっさんです。

日本の天皇と同じです。
表面的な天皇。

黒法王がイエズス会総長。
さらに赤法王は福音宣教省の長官(枢機卿)。

カトリック教会内で大きな影響力を持つイエズス会の総長は、かつて「黒い教皇」と呼ばれることがあった。これはイエズス会士が質素な黒いスータンを着ていたことと、教皇は常に白い服を着ることに由来している。

教皇庁の一機関である福音宣教省の長官(枢機卿)は「赤い教皇」と呼ばれることがある。この職にあるものはアジアとアフリカ全域の教会の責任者であるため、教皇に匹敵するほどの地位だという意味である。なお、「赤」は枢機卿の衣の色である。

本当に白、黒、赤の法衣を着て式典に出ます。
どこを取っても三位一体なんですよ、ベルベットは・・・

カラスも3トップ。
天神、天孫、地祇もそうだし
3つの地球も・・・

この連中、ローマン・カソリック=十字軍は本当に悪い連中で(カソリックだけじゃないですが)、ヴェネチア共和国と共にキリスト教国ですら、攻撃し、それどころかイスラムと結託して東ローマ帝国=ビザンツ帝国を滅ぼしてしまいます。

東ローマ帝国=ビザンツ帝国は、1204年、第4回十字軍でコンスタンティノープルが陥落、ラテン帝国になり、1261年にニカイア帝国がラテン帝国を滅ぼして東ローマ帝国を復興させたが、結局往年の勢力を取り戻すことが出来ず、1453年オスマン帝国に滅ぼされました。

その際、モスクワ大公国のイヴェン3世は東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィア(ゾイ・パレオロギナ)を2番目の妻とし、ビザンツ貴族のロシアに移住し、モスクワを第3のローマとして、文化、財産を引き継いだのです。

東ローマ帝国の滅亡後、すなわちヴァシーリー2世の時代以降、正教会の擁護者としての意識を高める。1467年にイヴァン3世は東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィア(ゾイ・パレオロギナ)を2番目の妻とし、ローマ帝国の継承者であることを宣言し、モスクワを(ローマ、コンスタンティノープルに続く)「第3のローマ」と称し、初めてツァーリ(ロシア皇帝)の称号を名乗り、ルーシの諸公国を併合(たとえばノヴゴロド公国は1478年、トヴェリ公国は1485年に併合)し、また1480年にイヴァン3世がジョチ・ウルスから事実上の独立を果たした(ウグラ河畔の対峙(英語版))。

ロマノフ=ニューローマ。
ツァーリ=カエサル=ジュリアス・シーザーのことです。
ロマノフの財宝とは、ローマ帝国の財宝であり、後のロマノフの簿外資金です。

そして、450年以上も経った1917年。イルミナティーが、フリーメーソンとしてコミュニストを入れ込み、ロシア革命で翌年ロマノフを殺害、王朝を崩壊させています。

ヘッセン大公国の第4代大公ルートヴィヒ4世がイギリス女王ヴィクトリアの次女アリスと結婚。ガーター勲爵士に叙した。

子女、エリーザベト・アレクサンドラ・ルイーゼ・アリーツェ(1864年 - 1918年) - 1884年、ロシア大公セルゲイ・アレクサンドロヴィチと結婚。

また、ヴィクトリエ・アリックス・ヘレーネ・ルイーゼ・ベアトリーツェ(1872年 - 1918年)は1894年、ロシア皇帝ニコライ2世と結婚。

このニコライ2世と家族全員が殺害されました。
その兄弟エルンスト・ルートヴィヒは、ヘッセン大公。

ヘッセン大公ルートヴィヒ4世とその妃でイギリス女王ヴィクトリアの娘であるアリスの間の長男(第4子)として、ダルムシュタットで生まれた。

娘2人をロマノフに嫁がせて、財産を乗っ取ろうとしたのでしょうが、ヘッセンが仕掛けたロシア革命で、勢い余って娘を殺害。

おかしな話ですが、これを考察すると、現在のマスターマインドはヘッセンはヘッセンでも、別のヘッセンだということがわかります。

マウントバッテン=バッテンブルクです。
武器で有名なヴィッカーズを支配したアーネスト・カッセル。
紛争を企て両方に武器を売る。

以前の記事で書いた、デビアスとかも手中に落とすわけですが、この辺は有名な話なので割愛させていただきます。
彼の孫がルイス・マウントバッテンと結婚。
前にも書きましたが、これがロシア革命の真相であり、日露戦争の原因です。

そして日本側ではイエズス会が日本を戦争に誘導します。
当時、大喜びしていた日本国民は知る由もなかったのです。
まさか、イルミナティー=フリーメーソン、イエズス会=バチカンが日露戦争の黒幕だったとは。

ロマノフの財宝を奪うという事、そしてコミュニズムで支配する事が試された。
この両方の背後にヘッセンがいたこと、この簿外資金がインドネシアに運ばれたことは名無し先生のコメントの通りです。
十字軍、大航海時代、大昔から大虐殺、略奪組織。
バチカンにマルタ騎士団の本部が在るし、イエズス会の本部もあるわけです。

話はアルメニアですが、スペイン国が出来る時代、その後スペインの継承戦争が在りました。
あの頃スペインを追われたイスラエル人が、欧州各地に散った訳です。
特に、ボヘミア、ルーマニア・・・等に散ったグループが居ます。

ここから、コーカサス地域に混血していった人間が多い。
これらは、裏からユダヤ教改宗を促進しました。
カザールは、アルメニア人も多かった訳です。
そして、カザール・ユダヤ人が全部悪いということにしてしまう。

ユダヤ人だけではなく、キリスト教徒、カソリックもプロテスタントも関係なく、すべて正反合の作り出した対立軸。

今回はイエズス会を中心にローマン・カソリックの悪事について書きましたが、プロテスタント=オランダ側は、オランダ東インド会社の交易による資金+ビスマルクハノ-ヴァ王朝から没収した資金等を貯えて、東南アジア諸国を植民地化したわけです。

マフィアとは、教皇のテンプル騎士団、大航海時代の海賊、イエズス会、また、フリーメーソン、その他もろもろの、ベルベット・ファシストの一種なんです。

こうして、過去の事ばかり書いている訳ですが、もっと現在進行形の記事を書かなければなりません。
次回からは、なるべく最近の事象を書きたいと思います。

ただ、ヤバすぎて、書ける事が少なくなって来ました・・・
名無し先生から、Bドルのコメントが有りましたが、紛争地域を意図的に作り、無政府状態にする。
そして麻薬デモ、マネーロンダリングでも何でも出来るワープトンネルを創る訳です。
マウントバッテンがBドルを使い、カンボジア、インドで麻薬ビジネスをやる・・・

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