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虎の穴である「扶桑国」の秘密(秘三)

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煩悩くんフルスロットルさん最新の、名無し先生の、博学的考察、第③弾?、参考になりますね。Φ(^π^;)φ

虎の穴である「扶桑国」の秘密(秘三)

http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2738.html

名無し先生曰く、日本には3人の天皇がいるという。

この3人の天皇は天神系・天孫系・地祇系と称される3系統の異なる出自であるとのこと。

赤い頭巾の三人02
(3人の天皇)

三天皇はタイガーマスクの「虎の穴」の三人の赤い頭巾を被った3人の支配者のようなものか!?

まぁ、その上にはタイガー・ザ・グレートという真の創設者である「奥の院」がいたのだが、、、(ふぉふぉふぉ)

一般的に天神・天孫・地祇の区分は、、、

■天神系・・・【ニニギ降臨時】
■天孫系・・・【ニニギ降臨から数代後の神武降臨時】
■地祇系・・・【ニニギ降臨以前の土着】


とされており、語り部の分類では、、、

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邪馬台国を監視する為、丹波地方の邇波国に王朝を置き大陸との交易地を押さえた。三王朝設立させる為彦国、毛野国・句奴国から遷都[大国主族は、インド経由インドネシアよりフィリピンの、東海上から、当時南端の青森県に上陸し津軽に都を後に武蔵野に都を持つ祖先は、エドム国で、北は、死海の南端から、南は、アカバ湾迄領土を持って居た。新バビロニア王朝ナボニドスに滅ぼされ・・移動して来たグループが、先住民族。国土全体で後から来た人種を纏めた。所謂南方系隼人は、インドネシアより琉球経由薩摩上陸。]して来た。[バイカル湖経由グループは樺太方面居住]

扶余依慮は、百済建国で、譲り東の鮮卑の領地を求めて進撃するが、壊滅的打撃を受け投身自殺。その子扶余依羅[フヨイリ]は、馬韓の辰王の協力の元加羅建国し、長男居登に、五男[五瀬モデル]玄に扶余国を任せる。倭人と夷人で三王朝を組む邇波国の邇波氏を頼り遣いを送り交渉新三王朝の取り決めを交渉成立させると邇波氏は水軍を率いて金海に到着四男と六から十男迄率いて日本へ。

現在の日本に騎馬民族の倭旨[崇神天皇モデル・事績の大半は、倭武・・応神天皇。倭智・・天智天皇。桓武天皇。]を誘致、馬を搬送し美濃王垣より上陸。[古伊勢湾に面した山を香具山とする。国見山は、海人の上陸地点の見えるところに無ければ意味を成さない・・天の神ヤハゥエ[八幡]に鹿の犠牲の香りを捧げる山である。神武記の伊勢の大岩がこれである。現在の岐阜県多治見市富士見町弥勒山]北陸道を邇波道主兄弟三国稚子を騎馬民族入国告知使者に、道主の子多加利足尼を東海道へ派遣。

倭旨王君[金首露・扶余依羅・首羅。金海亀旨峰降臨伝承。邪馬台国と、九州吉野ヶ里西征。卑弥呼の円墳に方墳接続し橋墓命名。記紀に箸墓。古伊勢湾の王垣現在の東に橋島あり海人上陸伝承設定。]-仁王君[扶余の高句麗併合を阻止する為、帯方郡迄侵略し、惨敗。北門国北征。当時越の沖合。餐・・阿部比羅夫の渡島征伐嘘]-讃王君[徐福の子孫の、君子国東征。古伊勢湾を猿投山の麓より上陸し[亀首地名あり入り江の形酷似。]陸上より三川進撃し影つまり陸地を南下して、景行の名由来に。一部分神武モデル]-隋[国土北上で気候変化。大国主族西遷要求に答え応じた珍王君の下平西将軍。五百城入彦。神功皇后モデル]-済王君[九州遷都が済む]-興王君-仲津姫[広媛]は百済昆支[コンキ。]后。倭武・・一部分神武天皇モデル。立倭武多モデル。新大倭豊王朝=河内王朝創始。農業技術、灌漑・・溜池、堰整備。鉄材料持込。仏教持込・・当時の仏教は、非情さを特徴として居り、政治家向きの宗教で有った。

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捕捉しながら要約すると、道教聖地の東三河(三川)の徐福国とそれを目指して大陸から渡ってくる長江の中国人(苗族・弥生人)が形成した邪馬台国の両国と魏の調停の元、三輪体制を敷いていたが、日本列島が道教化するのを恐れた縄文人(エドム人)は、この両国を討伐亡国させる為に、半島の加羅国で雇われ王をしていた扶余国出自の騎馬民族の王族を招聘して滅ぼさせた。そして、新たな三王朝(三輪)を形成。その後、百済救済の政争でもめたが統一王朝化した際に渡来人をトップに据え、自らは傀儡王として立て、自分たちは世襲大臣職に回わり、裏側で実質的に日本を支配した。これが葛城氏(記紀でいう蘇我氏)。

上記の記述を先の一般的分類に当て嵌めると、下記のような分類になる。

■天神系・・・扶余系「扶余依羅(金首露)」の初期大王家(ガド族)【第2弾】
■天孫系・・・百済系「百済昆支」が婿入りした後期大王家(エフライム族)【第3弾】
■地祇系・・・フィリピン経由のアカバ湾エドム人=アイヌ=縄文人=出雲王朝末裔系(葛城氏や各地国造)【第1弾】

※当時日本列島は青森を下にしていた。


としていますが、出雲大国主命の家系を継いできた富氏の伝承によれば、原出雲族は紀元前2,500年頃大祖先であるクナトの神に引き連れられて東北から出雲へ西下し、原住民に鉄、製布、農耕等を教え、出雲の地の王となった。大移動途中、信濃に建御名方命、大和に登美族などの出雲族の分家が出来ていったとあり、語り部の内容とも一致。

一方、名無し先生の分類では、、、

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大陸の地殻変動により現在とは陸地の状態が大分異なっていたようです。この日本列島到着第一陣は、現在の中国、ロシア方面を産地とする黒曜石を矢じりの材料として日本に持ち込み、青森の十三湊を拠点として、日本全国に交易していたようです。縄文時代の武器の元締めで、仙台辺りに都を築いていたようです。そしてBC7世紀のアッシリアを出た北イスラエル族が、シルクロード、朝鮮半島を経て、遥かに遅れて第2陣として日本列島に到着し、出雲に都を作ったと言われています。これが地祇系です。第3陣は紀元1世紀にローマを出た南イスラエル海洋族が、稲作と天孫降臨伝説を日本列島にもたらしたとされている訳です。しかし第1陣の別動隊は地中海方面に向かいサルディーニャを中継基地にしていたとの事で、第2,3陣の祖にもなってしまいます。日本列島での古代文明区分では、1,2陣が縄文族、3陣が弥生族となり反目になります。
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■天神系・・・アラスカから日本に入った流れ【第1弾】
■天孫系・・・ダビデの父エッサイからの南イスラエルの流れ【第3弾】
■地祇系・・・アッシリアを出で朝鮮半島を経た北イスラエルの流れ【第2弾】


となり、エフライム族と南イスラエル(ユダ族?)、フィリピン経由とアラスカ経由という違いはあるが、大きな括りでは一致している。ただ、天神系と地祇系とが逆になってしまう点が気に掛かるのです。

以前の記事にも書いたのですが、賀茂氏には天神系の賀茂県主(山城国葛野)と地祇系の高賀茂氏(大和国葛城)の2種があり、この2つは出自を異にする同族ではなく、賀茂(神・カムイ)氏は神祇を扱う者に対して下賜される姓だろうと述べました。

また地祇系の代表が古代豪族・三輪氏だとされていますが、確かにこの氏族は大神神社の大宮司家を出した家系であり、このことから三輪氏は一般には国津神系の出雲が出自であるとされている。しかし、語り部は三輪氏は大物主系(尾張王朝=天神系の分家)の物部氏族の三輪族であるとしている。

これは一体どういうことなのか?

元々、大神神社は葛城氏が宮司を務め「王邇波神社」と呼ばれ、御神体である三輪山(三室山・カンナビ)の山頂・中腹・麓で三王朝統合の証である御嶽神事を修していたとされる。これは地祇系の神事。しかし、天武天皇の御世、葛城氏の大田田禰子(鞍作毛人[蘇我入鹿モデル]の子)から壬申の乱で功績のある大神高市麿(三輪高市麿、柿本人麿モデル)に移行して大神神社に社名変更といい、三輪氏が初期大王家分家である尾張王朝に繋がる天神系でありながら、地祇系と称される理由がこれで分かってきた。

三輪山
(三輪山には麓、中腹、山頂には辺津、中津、奥津の3つの磐座があるが、この御嶽で三王朝が各々祈祷を捧げた。古くは縄文アイヌ【エドム人】、邪馬台国の苗族、徐福末裔の龍族からなる旧三輪。その後、騎馬民族招聘して中国系を排除し、出雲【エドム人】、大倭豊王朝、王治(尾張)王朝からなる新三輪に移行。大神神社伝によると、大神神社の「奥の院」は東三河の石巻山と犬山であるという。)

また、天神系の物部氏祖・物目の子が熊野乙世(賀茂大角)であり、これが葛野の賀茂県主の祖。天神系は天香具山で鹿を焼く香りを天神ヤハウェに捧げる「はん祭」の神事を行う氏族。後年、地祇系の葛城氏(邇波氏本流)と同族の縣君塩古の末裔である邇波広高(秦河勝)が始めた「殖産興業と引換に神道信仰」を勧める秦氏と婚姻を通じて結び付き、地祇系祭祀が天神系の賀茂神社に移されていった。この移管が蚕の社の「糺の森」(洗礼場)の移管であり、これ故に賀茂県(縣)主と称されたのでしょう。

二葉葵
(天神系も地祇系も中東出自の兄弟部族)

これ故に、地祇系が北イスラエルの流れ、逆に天神系が縄文アイヌの流れとなり、一般認識とは逆の内容になるのです。これで一応、懸案だった名無し先生と語り部の内容の擦り合せが出来た(ふふふふ)。
※1 マヨ先生も地祇系=縄文人としてしまっていた。ただし、地祇系の葛城氏直系の高賀茂氏もいて話は厄介。この高賀茂氏末裔が賀茂忠行(安倍晴明の師)、賀茂保憲、慶滋保胤、犬養三千代を祖とする橘氏、松平氏である。慶滋保胤は聖書預言の黙示録を研究し大和民族に当て嵌め啓示する集団に属していた。
※2 大神神社の社務所には三鳥居があり、そこの由来書には大神と天理教は繋がっている旨が記されている。その天理教本拠地はフルで有名な物部氏の石上神宮のすぐ近くであり、金神系の天理教は大本の上流でもある。

話は天神系・天孫系・地祇系の3人の天皇に戻りますが、これらの天皇の元には、その皇統を継続させる為に経済的に盛り立てる役目の奉公衆がいて、「1つの鳳に3つのカラス」という構成をしていて、資金運用を自らの支配下にある分野で世界的に運用を行っているという。
※八咫烏の名の起こりは初期大王家の倭讃が徐福国(大漢国)討伐時に恭順化させた徐福国の三人組の「鵜飼」の姿が元。彼らの道案内と食料補給によって、戦いに辛うじて勝てた。また語り部はカラスとは扶桑樹を目指してやってきた弥生人を指す言葉だいう。

3人のタイガーであるブラックタイガー、キングタイガー、ビッグタイガー、はそれぞれスピード・パワー・反則技を得意とするように、3チップの奉公衆(カラス)も食料、 武器、エネルギー...等の国民生活基盤に密着した分野で既得権益を得ている勢力を配下に治め、住み分けしながら分野毎に資産運用しているという。

北朝はサンカ、南朝はカラス、、、と言われる。

北朝奉公衆はクズシリ、クズコ、ムレコの各親分(やぞう)として下鴨神社の大宮司、鎌倉八幡宮の大宮司、熱田神宮大宮司の曾孫の広●●也(フリーメーソン33位階)の3人がサンカの頭領のアヤタチで、その上に大親分(おおやぞう)の大烏がいる。これが始祖鳥なのだろうが、斎院を使って裏から操ったとされる下鴨神社が実に怪しい(笑)。

ネット情報では「サンカの社会は、彼等独自のもので、アヤタチと呼ばれる大親分(おおやぞう)を頂点に、クズシリ、クズコ、ムレコの各親分(やぞう)が、(管理人注:あるいは頭領の補佐としてミスカシ(透破)ツキサシ(突破)の三羽カラスとして) 各地のセブリを取り仕切り、その生活は、彼等が理想とする誇り高き社会を守るために、独自の掟(ハタムラ)によって厳しく規定されていたと言われています。」とある。

一方、対峠する南朝(藤原式家・平家)にはまた別の奉公衆(組織)があり、南朝奉公衆は戸籍を持たない渡来人であるカラスが主体で、その他にもう1つ、表向きは存在しないことになっている裏稼業的な奉公衆もいるという。それが玄洋社(黒龍会)ではないかと思われる。

但し、奉公衆にサンカを使った体制は大昔のことであり、その後、摂関家主体の摂家システム(寺院仏閣・武士)に移り、明治維新を経て明治末期頃から、華族に為れずに撃ち捨てられた地毛家を主体とした体制に移って来ているという。

未だオイラは北朝、南朝と天神系・天孫系・地祇系との関係がうまく掴めない状態であり、更にそれらと摂家システムや地下家の台頭とどういう関係になるのか? 前田ゴロウ(オクラディシュ・ハーマン)との関係は? 運用資金の名義人が始祖鳥であり、彼らのことを天皇(オーナー)といっているのか? それとも始祖鳥と天皇は別の存在なのか? 3人の天皇は協力関係にあるのかないのか?....等を考えると、ちょっと頭が混乱気味です(滝汗)。

現時点でオイラが辿り付いた考えは、、、

日本には天神系・天孫系・地祇系という出自別の資金運用派閥がいて、それぞれがオーナーと呼ばれるトップがいる。これが始祖鳥であり大鳥。彼らが日本の表の天皇を合議で決める。今上天皇は天孫系であり資金の名義人ではないが日本の名義人(国家元首)。天神系の始祖鳥は下鴨神社宮司(?)、天孫系の始祖鳥は???、地祇系の始祖鳥は??? 地祇系に属する緑のカラスのトップが青森の姫、○○子さまといったところか。

ここから日本の真の国体を考えてみると、、、

3人の天皇(オーナー) × 3トップの奉公衆 = 9羽のカラス

これはフラクタル構造。つまり、日本は「天神・天孫・地祇」の3層構造からなり、合計9羽のカラス(奉公衆)が国体を形成している国なのだろう。9羽のカラスはクズシリ、クズコ、ムレコのサンカ3トップ、緑のカラス(ペリシテ人系客家同族)、黄色のカラス、青のカラスの渡来系エタ・ヒニン系の3トップ、在日、、、なのであろう。そしてカラスが枝をあちこち移動するように奉公衆も枝(天皇)をちょこちょこ移動する。

で、この9羽のカラスは四川の三星堆遺跡から出土した青銅製の扶桑樹の構造と同じなのです。日本語名「青銅神樹」。殷代晩期のもので、全高396cm、像高(樹高)384cm。「青銅神樹」は3階層構造になっていて幹の各層に3枝ずつが張り出しており、それぞれの枝に1羽、全部で9羽の霊鳥が留まっている。枝先には果実がなり、樹の下層には頭を下に向けた1頭の龍が這っている。出土した青銅器には復元できなかった幹があるので、そこにもう一羽の鳥があるのかもしれないという。多分、これが存在しないことになっている黒いカラスで日焼けしたキーウィか?(笑)

青銅神樹
(青銅神樹)

山海経によると扶桑樹自生している場所は「下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり10の太陽が水浴びをする。歯黒国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽は上の枝にある」とあり、それは語り部記述からも東三河の湯谷温泉北側の蓬莱山(鳳来寺山)の麓であったと睨んでいる。(伐採されて無くなってしまったが、、、)

また、この「青銅神樹」(扶桑樹)は三本柱「峻厳の柱」「中央の柱」「慈悲の柱」と10個のセフィロトで表されるカバラの「生命の木」と同じもの。つまり、日本とはカバラの「生命の木」をモデルに国体が形成されている!!!

古来から日本が「扶桑国」と云われる所以でもある。

生命の木

このように3人の天皇によって未だ日本は支配されているのですが、これは籠目(カゴメ)が3本で構成されるのと同じであり、この籠目で出来た「籠」で鳥(日本国民)は未だに洗脳されたまま囚われているのです。タイガーマスクこと伊達直人が覚醒し「虎の穴」支配から抜け出たように、日本国民の洗脳が解け「籠から出やる日」は、一体いつになるのであろうか?

kagome01.jpg
(3本の線からなる籠目模様)

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