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【核、竜巻とプラズマの関係 フィラデルフィア計画は都市伝説?】

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名無し先生最新は、М370便の真相は、触りだけですが。

オカルト、ナチスUFO、フィラデルフィア、タイムトラベル実験、プラズマの真相、興味深いですね。

原子力核原発推進派の理由は、プラズマですか。。Φ(´゜π゜`)φ


【核、竜巻とプラズマの関係 フィラデルフィア計画は都市伝説?】

http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-256.html

さて、今回はマレーシア航空機の事、日本企業乗っ取り阻止に関わる日銀法43条の事を書こうと思ったのですが、過去に先生から教わっていたことをまだ書けずにいましたので、それを先に書きます。

ご存知の通り、私は名無し先生からお話を聞いているだけの、まったくの素人ですから、多少量子物理学に関し、誤解を産む可能性がありますが、私の理解レベルで精一杯書きましたのでご了承ください。

また、読者の皆様が期待するような専門的な用語を用いる事は、書いている本人が混乱します(笑)ので、私のような凡人でも分かるように書きます。

まず、過去のコメントで名無し先生が書いた内容。

(転載)

『ジャパニーズ・コネクション―海運王K・スガハラ外伝』

彼は海運業以外にも、南米に油田を6本程持っていたと記憶しております。彼との出会いは、竜巻が起きる原理を利用した発電システムに関してでした。私が属する、旧特殊部隊から環境保護技術開発振興に衣替えしたの団体が開発した技術で、そのまま表に出しても5大メジャーに潰される可能性を鑑み、K・G・菅原と組む決断をしました。既に30年近く前の話です。昨今、気象操作に関する噂が世間で騒がれておりますが、当時当該技術は米国西部の竜巻発生を事前に押さえ、同時に発電する為に使われました。発電側は表に公表される事はなかった様です。

(転載終わり)

いきなりですが、キャボット一族
キャボット一家はボストンのバラモンとしても知られ、「ボストン最初の家族」と呼ばれました。
ここでいうバラモンとは、インドのそれではなく、ボストンの伝統的上流階級。このクラスのメンバーは、その高度に控えめで目立たないライフスタイルを特徴としていました。

キャボット一族は代々ボストンをはじめとするアメリカ東海岸(ニューイングランド)を拠点に商売で成功し、また政治家一族として、ケネディー一族の対抗馬として活躍してきました。

一族には現アメリカ国務長官ジョン・フォーブス・ケリーの血筋であるフォーブス家に嫁いだ者も居ます。

以前も書きましたが、フォーブスは麻薬で儲けた一族で、ケリーはスカル&ボーンズ出身ですが、これだけでベルファシだと決めつけてはなりません。
ウクライナ問題でも頻繁に登場し、慎重に対応しているケリーは、むしろ国際秩序維持派の動きをしています。
このキャボット一族の末裔で、若くして亡くなった、アリス・デ・グルーという女性が居ました。
彼女の嫁いだ先がジェセフ・クラーク・グルー元在日米国大使です。

(Wikipediaより)

ジェセフ・クラーク・グルーは国務省に勤務し、その後は1920年に駐デンマーク公使を、1921年には駐スイス公使を務める。また、1922年にはローザンヌ講和会議にアメリカ代表として参加するなど要職を務めた。

1927年には駐トルコ大使としてトルコに赴任し、その後1932年からは駐日大使となり、広田弘毅外務大臣と緊密な関係を築くことで日米関係の悪化を押しとどめるべく努力したが、親中派のフランクリン・ルーズベルト大統領率いるアメリカの日本に対する姿勢は強硬の一途をたどり、「ハル・ノート」が日本政府に突き付けられた結果1941年12月の真珠湾攻撃により日米開戦するに至った。翌年に戦時交換船で帰国した。帰国後は駐日大使時代の経験を『滞日十年』に著し、講演旅行では大変な人気を博した。

三人委員会

グルーは陸軍長官ヘンリー・スティムソンと海軍長官ジェームズ・フォレスタルの2人とともに「三人委員会」のメンバーであった。「三人委員会」は、日本を原子爆弾を使うことなく降伏させようと建議し、それを受けて陸軍次官補ジョン・マクロイ(英語版)は日本への降伏文書を立案し、ポツダム宣言の第12条に盛り込まれることとなった。ところが、それは日本政府の「天皇制のもとでの間接統治」を許容する可能性を広く残していたため、トルーマン大統領はポツダム会談へ向かう船旅の間、対日強硬派のジェームズ・バーンズ国務長官の影響を受け、宣言内容の変更を余儀なくされた。

グルーは、個人的意見として、友人に、十分に発達した民主主義体制を日本に期待するのはばかげていると述懐していた[1][2]。1945年5月、グルーはトルーマン大統領に対して、天皇制はまさしく封建主義の名残りであり、「長期的な観点にたてば、日本においてわれわれが望みうる最善の道は、立憲君主制の発展である。」と語った[3]。 グルーは天皇が日本人にどれほど重要か理解していたため、原子爆弾を使うことなく日本の降伏に貢献できたと考えており、ドイツが降伏した1945年5月末から、ポツダム宣言に「天皇の地位保障」を盛り込む事を再三トルーマンに進言していたが、結果としては広島・長崎への原爆投下を避けることができなかった。「降伏が1945年5月、またはソ連の参戦や原子爆弾使用前の6月か7月に行われたら、世界を救うことができたのだが」と述懐している。

アメリカ対日協会

終戦後、アメリカ対日協会を設立し、戦後急速に復興し経済大国の座に戻った日本の財界とのパイプを復活させた。原爆投下の記憶が残り、核アレルギーが強く残る戦後の日本に、アメリカの原子力産業を売り込むために国務省や米中央情報局までも動員して、日本の原発受注に成功させている。

国務長官代理

エドワード・ステティニアス国務長官が、サンフランシスコにおける国際連合設立のための会議で不在であったため、グルーは1945年1月から8月までの大部分の期間、国務長官代理を務めた。グルーはトルーマン政権の高官の中でも、当代随一の日本の専門家であった。

1965年5月25日死去(満84歳没)。

(Wikipediaおわり)

このキャボット一族に関して、誤解が無いように書いておきますが、茶会派のキャボット一族です。

英語版Wikipediaには、キャボットという姓は、ジョバンニ(ジョン)・キャボット(1400年代、イングランドから来たイタリアの探検家)から伝わっているかもしれませんが、著名なボストン・バラモン・キャボット・ファミリーは1700年にマサチューセッツのセーラムへ移住して来たジョン・キャボット(イギリス海峡ジャージーの島出身)の血統を引きます。

と書いてありますように、15世紀のイタリア出探検家でアメリカ大陸で奴隷売買で大もうけしたキャボットとは関係ありません。

ちなみにイタリア出自のキャボットがロシアの・・・・
おっといけない、脱線注意。
グルー氏は、真珠湾の6カ月前から、日本を資源不足で追い込むな。真珠湾を攻撃する計画を立てる勢力があると本国に何度も報告しています。

当時は、日本国内の大本等の勢力と、後ろから日本政界、財界を操るヘッセン側の人海戦術により、第二次世界大戦へと突入させられた訳です。

体制を守るには、全体を管理しなければなりませんが、テロは単発ですから容易なのです。
真珠湾攻撃は、単発テロだった。
911は同時多発テロ。
しかし、911は同時に爆弾を複数投げたということだけで、これら手法はどれも同じです。
一回だけの大々的な攻撃は容易に出来てしまいます。
WTCに突っ込んだとされる航空機、アメリカン航空77便同様、マレーシア航空機が撃墜され、これをテロとしたい勢力がいたということになります。

この勢力とは、ザ・レッド・ス◎○◎◎○カーですね・・・
日本側の公◎◎の間でも、流石に非難を浴びてます。
やはり、脱線は免れませんでした(笑)・・・
グルー氏の右腕でアメリカ軍のドゥマン将軍。
読者様のコメントにも出てきましたね、それにしても、この読者様の教養には脱帽です。

(転載)

K.スガワラ外伝はおもしろかった。彼が日系人収容所にいた時に終戦後の占領工作のため人材を探しに来たマックスウェル・クライマンというウクライナ出身のユダヤ人に出会い、CIAの前身OSSのユージン・ドゥマンに紹介されてドゥマングループの一員としてインドでマリーゴールド作戦なる洗脳工作訓練を受けています。ドゥマンは日本生まれのアメリカ人で日本語も堪能。古くからの貴族制を保った日本社会の仕組みをよく知っていて、天皇制の維持を・・・(後略)

(転載終わり)

このコメントの通り、ドゥマン将軍は皇族側にも、何度も働き掛けています。
皇室といっても、一枚岩では無く、派閥が分かれているのです。
当時ドゥマン将軍を動かしたのは、米国に居た日系三世です。
初代は、ロスの通関業務からスタートし後に大手海運会社を作りました。
現在も日本法人は浜松町のワールド・トレード・センター・ビルに入っています。

この人物が冒頭にも登場した、ケイタロウ・G・菅原です。
キャボットの会社も同じ浜松町にあります。
ある、特殊な技術を受け継いだ人間達は、主にこちら側と、畑俊六側に分かれます。
また、その両者から独立している者もいます。

さて、この記事の本題に入ります。
名無し先生は30年以上前にK・G・菅原と組む決断をしました。
彼の会社はフェア・フィールド・マックスウェルといいます。
http://www.fairfieldjapan.com/

菅原をそのまま英語にしたフェア・フィールドとマックスウェルが作った訳です。
現在は社名を変えていますが、場所は同じ浜松町です。
当時海運業以外にも、南米に油田を6本持っていました。
竜巻の原理は、核と関係ないと思うでしょうが、電子の動きを再現する時に大きな関係があるのです。

現在の掃除機などにも応用されていますが、流体力学の分野です。
つまり、核の次の技術、高温核融合ではなく、低温核融合は、私の知る限り、少なくとも30年前には完成しています。
低温核融合が出来ると言う事は、プラズマが出来ると言う事です。
私たちは学校で物質は3態だと教わりました。
気体、液体、個体のことです。
気体の次がプラズマで、実は4態なのです。

一般人は嘘を吹き込まれ、頭が硬直しているのです。
物質がプラズマ化されると、固体を通り抜ける事が出来ます。
全ての物質にプラズマ状態がある。気体状態、液体状態、固体状態がある様に・・・
昔は高温にしないと、プラズマ化出来なかった訳です。
使用用途は爆弾くらいしかない。
又は頑丈な囲いの中で、発電するとか・・・

現代教育を受けた皆が、原子は壊せないとの原則を固定観念にしています。
しかし、これはおかしな話じゃ有りませんか?
原子を分解し、中性子を飛び出させる事が、高温で可能になったのが原爆でしょう?
これを低温でも出来る訳ですから、壊したくない技術にも適応できる訳です。

例えば人間をプラズマ化して物体を通り抜けさせるとか・・・
軍艦をプラズマ化して、乗組員ごと移動させるとか・・・
そう、かの有名なフィラデルフィア計画です。
フィラデルフィア計画で起ったことは事実です・・・

(Wikipediaより)

実験に至るまで

この実験は、1931年、ニコラ・テスラが設立したと言われるレインボー・プロジェクトの一環であった。当時のレーダーは、「船体が発する、特徴ある磁気に反応するシステムである」と考えられていた[1]。そのため、テスラは、「テスラコイル(高周波・高電圧を発生させる変圧器)で船体の磁気を消滅させれば、レーダーを回避できる」と考えていた。

その後、この実験はフォン・ノイマンに引き継がれ、1943年、駆逐艦「エルドリッジ」に船員を乗せ、初の人体実験を行なうこととなる。

実験と結果

1943年10月28日、ペンシルベニア州フィラデルフィアの海上に浮かぶ「エルドリッジ」を使って、遂に大規模な実験が秘密裏に行われた。

当時は第二次世界大戦の真っ只中であり、実験は新しい秘密兵器「磁場発生装置テスラコイル」を使い、「レーダーに対して不可視化する」というものであった。 エルドリッジの船内には多くの電気実験機器が搭載されており、そのスイッチを入れると強力な磁場が発生し、駆逐艦がレーダーからはもとより、肉眼でも認められなくなった。実験は成功したかのように見えたが、不可思議な現象が起こる。実験の開始と共に海面から緑色の光がわきだし、次第にエルドリッジを覆っていったのである。次の瞬間、艦は浮き上がり発光体は幾重にも艦を包み、見る見る姿はぼやけて完全に目の前から消えてしまった。

「実験開始直後に、駆逐艦はレーダーから姿を消す」、ここまでは実験参加者達の予定通りであった。しかし直後にエルドリッジは「レーダーから」どころか完全に姿を消してしまい、おまけに2,500km以上も離れたノーフォークにまで瞬間移動してしまっていたのである。それから数分後、またもや発光体に包まれ艦はもとの場所に瞬間移動した。

再び戻ってきたエルドリッジだが、驚くべきことに乗員は、次のような惨状に陥っていた。
体が突然燃え上がった
衣服だけが船体に焼き付けられた
甲板に体が溶け込んだ
発火した計器から火が移り、火だるまになった
突然凍り付いた(冷凍化)
半身だけ透明になった
壁の中に吸い込まれた
また、生き残った乗組員も精神に異常をきたし、エルドリッジの内部は、まさに地獄絵図の如くであった。唯一、影響を受けなかったのは、鉄の隔壁に守られた機械室にいた、一部のエンジニアたちだけだった。

こうして実験自体は成功したが、「行方不明・死亡16人、発狂者6人」という、取り返しのつかない結果になった。このことに恐れおののいた海軍上層部は、この極秘実験を隠蔽したといわれている。

(Wikipediaおわり)

核と単純に言いますが、こうした技術に発展できる側面があるのです。
大型自然発電も出来ます。
元になる技術は満州国で、やっていた時代ですから、戦前ですね。

超マイクロ波を3方向からあて、パラボナ状のアンテナで向きを調整し、物体をプラズマ化し、そのエネルギーで物体を上昇させ径300M範囲を飛び回れる、2人乗りの物体実験を満州でやったのが◎◎学校時代です。

この技術の設計図を、盗まれそうになり、ドイツ人の科学者と◎◎学校のメンバーが世界各地を潜伏し、移動し最後イギリスのコロンビア大学の用務員の自宅に匿ってもらい、その後つかまり、ヘッセン側の手に設計図が渡ったのが第二次世界大戦前のことです。

満州で作っていたのは、原爆ではなく、その元技術で、空飛ぶ円盤とか、発電利用が目的でした。
これでナチスのUFOの謎が解けてきますね?

それが、盗んだ側は高温でしかできなかったから、原爆等に用いられた訳です。
低温でプラズマ化出来れば、平和利用できる技術なのです。
それを出来るようになるのに、その後何十年かかかりました。
テスラの方が近い所をやっていたという訳です。

アインシュタインやテスラの技術を取って直流を発表した人物は、支配者側が立てた役者に過ぎません。
役者とはトーマス・エジソンの事です。
真の発明者は世に出ません。


プラズマに関し最低限の理解の為少し解説をしておきます。
E=mc²はエネルギーは質量に比例する事を意味しています。
つまり質量がなければエネルギーを持たないと言う意味です。
そして光は質量を持たない、つまりエネルギーを持たないとされてきました。
しかし、光合成にしても、青い光を使った滅菌処理にしても通常に光のエネルギーを使った現象ですので、この嘘はすぐに見抜けますね?

ここで光の粒を光子と呼ぶ、量子力学上の話に移ります。
量子レベルの大きさでは、原子核のまわりを回る電子に光子が衝突し、電子が弾き飛ばされ、更に別の電子に衝突する玉突き状態を、励起状態と呼び、既に常識となっております。

この状態になると、原子の中の電子の数が変わり、イオン化された状態となり、原子内の電気的バランスが変わります。
するとマイナスの電子が移動する訳ですから、それまで電気的に中性を保っていた陽子とのバランスが変わり、不安定な状態になります。

こうして重量を持つ陽子の状態に影響が及ぶと、原子核内で同じ重さを維持していた、中性子と陽子のバランスが崩れ、中性子にも影響が及ぶ訳です。

こう云った電気的に中性で無くなった、振動状態になる事をプラズマ化と云う訳です。
ベルファシは、フィラデルフィア計画以降、彼らなりに研究を続けていることでしょう。
もちろん、国際秩序維持派も研究を続け、成果を出しています。

それと、311以来盛り上がっているのですが、日本の原子力発電を止めるということは、ベルファシにとって喜ばしいことになるということ。

原子力発電所がある=核を保有しているという事です。

日本には核抑止力が有るという事ですから、中国も手が出せないんです。


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