名無し先生的、童話、オカルト、洗脳の、考察、参考になりますね。Φ(´゜π゜`)φ
【童話とオカルト ベルベット・ファシストの洗脳手法と、騙され続ける人々】
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-258.html
オーパーツ、UFO、フィラデルフィア計画、グリム童話とまるで関連性の無い事を書いてきたようですが・・・
関係有るんです。
アンデルセン童話、イソップ物語等、童話が作られた真意に話題を繋げる為のグリム童話だったわけです・・・
人は皆、目には見えないもの、説明できない何か、現実を超えたパワーというものに憧れているものです。
私自身、家族の健康、幸せを願うあまり無意識に手を合わせ、その何者かにお願いをする事が有ります。
根拠の無い迷信を信じているわけではないのですが、ピンチに陥ると反射的に反応する訳です。
これをマインドコントロールと言う訳ですが、通常、児童からの教育段階で偏った情報を与えて、特定の(一部の者に都合の良い)思想や価値観を持たせてしまう場合はマインドコントロール。
既に成長して主義・思想を持つ人間に働き掛けて、特定の主義・思想に(本人の意思に関わり無く強制的に)変更してしまう場合は洗脳に分類されるそうです。
子供の頃に言い聞かされた物語や一般常識が精神をコントロールする訳ですから侮れません。
このマインドコントロールのさらに強制的なものを洗脳と呼ぶ訳で、一旦これにかかると抜け出す事は困難です。
最近、複数の芸能人がこれらの被害に遭っています。
国民を統一する方法としてのマインドコントロール、洗脳が存在します。
だから、一般的な日本人は無宗教でも道徳を守り、やっていけるわけです。
給料カット、左遷、サービス残業・・・理不尽になれています。
童謡によるマインドコントロール。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン( Hans Christian Andersen、1805年4月2日 - 1875年8月4日)は、デンマークの代表的な童話作家、詩人である。デンマークでは、Andersen が非常にありふれた姓であることから、フルネームを略したH. C. Andersen(デンマーク語読みで "ホー・セー・アナスン" [hɔse ˈɑnɐsn̩])と呼ばれる。
彼はデンマーク王や政治家のヨナス・コリン(コペンハーゲン王立劇場の支配人)の助力で教育を受けさせてもらえる事になり、大学にまで行くことが出来た。
大学を卒業しなかったアンデルセンは、旅行を自分の学校として、多くの旅行記を書いている。グリム兄弟、バルザック、ディケンズ、ヴィクトル・ユーゴー、シュポーア、ケルビーニ、ダヴィッドなど旅先で多くの作家や学者、芸術家と交友を深めた。
とあります。
陰謀論(いんぼうろん)または陰謀説(いんぼうせつ)とは、ある出来事について、広く人々に認められている事実や背景とは別に、何らかの陰謀や策謀があるとする意見を指す名称である。
陰謀論諜報機関では工作活動だけでなく情報戦も行っており、自ら行った犯行が世間から追求されることをかわすために、情報操作も行っている。
みずから突拍子もない説をいくつも流すこともあるという。
暗殺などを実行した時でそれがマスコミなどに目をつけられ記事が書かれるようになったら、とんでもないような説をいくつも流す。
すると、ひとつの事件について、メディアで怪しげな説がいくつも語られるようになる。
中には、暗殺された人物について「殺されたのではなく自作自演の自殺だ」などという説が流れることもある。
そうなっている状態というのは諜報機関にとって好都合だという。
というのは、ある人物が殺されたということに関する真実はひとつしかないにもかかわらず、怪しげな説がいくつも流れることによって、まさに黒幕となった組織の関与を疑うまっとうな説であっても、相対的にその説の重みが減じてしまう。
やがて人々はいくつもの怪しげな説を聞かされることにうんざりしてしまい、次第に関心を失い、事件は風化してゆくためである。
(以上、Wikipedia「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」及び「陰謀論」より抜粋)
前回の記事で紹介したグリム童話は数々の陰謀で溢れており、それは主に意地の悪い後妻、その連れ子、お妃、身内に入り込んだ敵と、魔女、オオカミといった、森に潜む外敵とに分類されています。
また、父親、王様、王子様、お姫様、貧乏な庶民といった存在は主に正義、愛、平等の象徴として描かれています。
今では童話として、作り話として語り継がれるに過ぎませんが、当時は政治的な意図が有った事が分かります。
これらのことから、グリム童話に書かれている事は、事実に基づいき歪曲された、ねつ造、プロパガンダが多数織り込まれているのです。
童話のすべてが実話に基づいているとは言いませんが、少なくとも、「裸の王様」は私の会社に複数存在します。
これは都市伝説でも陰謀論でもなく、実話です(笑)。
むかしむかし、あることろに、王様と・・・
具体的なことは書かずに、物語は語られます。
このようなメディアの代表作である、グリム童話、イソップ童話、そしてアンデルセン童話も大流行しました。
これを毎晩毎晩、子供の枕元で語る。
れっきとしたマインドコントロールですね。
アンデルセンは貧しい靴屋の息子として生まれてきましたが、デンマーク王 = フレデリック 6世 (1768年ー1839年)が、アンデルセンの学費を出していました。
フレデリック6世の妻は、マリー・ソフィー・フレデリッケ・ア・ヘッセン=カッセル(Marie Sophie Frederikke af Hessen-Kassel, 1767年10月28日 - 1852年3月22日)です。
アンデルセンがフレデリック6世の息子であるらしいということはご存知の方も多いと思います。
しかし、アンデルセンはフレデリック6世とマリー・ソフィー・フレデリッケ・ア・ヘッセン=カッセルの子供ではありません。
(Wikipediaの様々な記事より抜粋)
王妃は従姉でヘッセン=カッセル家出身のマリーである。デンマーク王室、イギリス王室とも関わりのあるドイツ諸侯の娘であった。2人は1790年に結婚し、8人の子供をもうけた。最年少はウィルヘルミネ王女で後のフレデリク7世の王妃である。しかし息子たちはいずれも早世し、彼の死後は従弟のクリスチャン8世が王位を継承した。
王妃マリーとの間には8人の子供があったが、成人したのは娘2人だけだった。
* クリスチャン(1791年)
* マリー・ルイーセ(1792年 - 1793年)
* カロリーネ(1793年 - 1881年) - 父の従弟フェアディナン王子(クリスチャン8世の弟)と結婚した。
* ルイーセ(1795年)
* クリスチャン(1797年)
* ユリイェーネ・ルイーセ(1802年)
* フレゼリゲ・マリー(1805年)
* ヴィルヘルミーネ・マリー(1808年 - 1891年) - 最初、又従弟のフレデリク王子(後のフレデリク7世)と結婚したが離婚し、次にグリュックスブルク公カール(クリスチャン9世の長兄)と再婚した。
愛妾フレゼリゲ・ダネマン(英語版)との間には4人の庶子をもうけ、いずれもダネマン伯爵(夫人)の姓を与えられた。
* ルイーセ・フレゼリゲ・ダネマン(1810年 - 1888年) - 1836年にWilhelm von Zachariaeと結婚。
* カロリーネ・アウグスタ・ダネマン(1812年 - 1844年) - 1837年にAdolf Frederik Schack von Brockdorffと結婚。
* フレゼリク・ヴィルヘルム・ダネマン(デンマーク語版)(1813年 - 1888年)
* フレゼリク・ヴァルデマー・ダンネマン(1819年 - 1835年)
Frederikke Benedichte Dannemand, born as Bente Frederikke Mortensdatter Andersen Rafsted (6 August 1790 – 23 December 1862) is known in history as the royal mistress of King Frederick VI of Denmark.
上の文章は英語版Wikipediaの紹介文です。
フレデリケ・ベネディクテ・ダネマン、本名ベンデ・フレデリケ・モルデンシュタッタール・アンデルセン・ラフシュテッドは、フレデリック6世の王室の愛人として歴史に知られている。
マリーの祖父、フリードリヒ2世(Friedrich II., 1720年8月14日 - 1785年10月31日)は、ヘッセン=カッセル方伯(在位:1760年 - 1785年)。ヴィルヘルム8世とその妻であったザクセン=ツァイツ公モーリッツ・ヴィルヘルムの公女ドロテア・ヴィルヘルミーナ(1691年 - 1743年)の息子。
1760年、父の死によってヘッセン=カッセル方伯位を嗣いだ。1775年にアメリカ独立戦争が勃発するとフリードリヒ2世はイギリスとの間に傭兵提供条約を結び、これによって莫大な収益をあげた。
18世紀を通じ、ヘッセン=カッセルの人口の7%以上が軍務に就いていた。ヘッセン=カッセル方伯の軍隊は他のヨーロッパ諸国の傭兵市場の供給源となっていた。方伯フリードリヒ2世は、義理の甥にあたるイギリス王ジョージ3世にアメリカ独立戦争に投入するためのヘッセン=カッセル傭兵軍を貸し出したことで有名である。このためアメリカ人はイギリス政府に雇われたドイツ人傭兵たちを「ヘシアン」 (Hessian) と呼ぶようになった。フリードリヒ2世はイギリス政府に傭兵を貸与して得た報酬で豪勢な暮らしを送った。
フリードリヒ2世には4人の子供
メアリー・オブ・グレートブリテン(Mary of Great Britain, 1723年3月5日 - 1772年1月14日)は、ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世の最初の妃。ドイツ語名マリア・フォン・ハノーファー(Maria von Hannover)。
イギリス王太子ジョージ(後のジョージ2世)と妃キャロラインの娘として、ロンドンのレスターハウスで誕生。
1740年6月、カッセルでフリードリヒと結婚。夫との間に4子を生むが(1人は夭折)、1754年に別居した。フリードリヒが1760年に方伯位を継ぐと、形式上は方伯妃となった。
子供
* ヴィルヘルム(1741年 - 1742年)
* ヴィルヘルム1世(1743年 - 1821年) - 従妹にあたるデンマーク王女ヴィルヘルミーネ・カロリーネ(フレゼリク5世と王妃ルイーゼの次女)と結婚。
* カール(1744年 - 1836年) - 従妹にあたるデンマーク王女ルイーセ(フレゼリク5世と王妃ルイーゼの3女)と結婚。
* フリードリヒ(1747年 - 1837年) - ナッサウ=ウジンゲン公女カロリーネと結婚。
これらの子達はそれぞれ活躍しますが、中でも次男のヴィルヘルム1世が、かの有名なロスチャイルドを発掘、起用した人物です。
ヴィルヘルムは1785年10月31日に父のフリードリヒ2世が死去したためヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世となり、当時ヨーロッパ最大級といわれた資産を相続した。また、ヴィルヘルム9世はロスチャイルド家の祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルトと1775年に知己を得、1801年から彼に財産の運用を任せるようになった。ロートシルトはこれを奇貨とし、現代まで続くロスチャイルド財閥の基礎を築いた。
1803年、ヘッセン=カッセル方伯に選帝侯の資格が与えられ、ヴィルヘルム9世はヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世となった。しかし1806年、選帝侯国はジェローム・ボナパルトを国王とするヴェストファーレン王国によって併合された。そのためヴィルヘルム1世はホルシュタインおよびプラハへ亡命したが、1813年のライプツィヒの戦いでナポレオン・ボナパルトが敗れると領土を回復し、1821年に死去するまでその地位にあった。なお、ヴィルヘルム1世は神聖ローマ帝国が解体されたにも拘らず「選帝侯」の称号を用い続けた。
妻のカロリーネは冷淡な雰囲気の美女だったと言われるが、夫の絶え間ない浮気癖と彼の愛妾たちの増長に悩まされ、不幸な結婚生活を送った。1806年から1813年までヴェストファーレン王国(ナポレオン)がヘッセン選帝侯領を併合していたときは、シュレースヴィヒやプラハで亡命生活を送っていた。
ヴィルヘルム1世が死去すると、次男のヴィルヘルム2世が後を嗣いだ。
マイヤーロスチャイルドはヴィルヘルムのヘッセンカッセルがナポレオンに占領されたときも財産を預かり、その資金を元手に逆にフランス側ともつながりを深め、当時禁止されていたイギリスとの貿易で不足になった物品を密輸。大変な利益を得ます。
またマイヤーロスチャイルドはフランクフルト・ユダヤ人の市民権獲得を求め、「あらゆる人民の法の前での平等と宗教的信仰の自由な実践」を謳ったナポレオン法典を一般市民法としてフランクフルトに導入させるためのダールベルク大公との交渉に尽力し、ダールベルク大公に44万グルデンを支払って実現に漕ぎつけた(ナポレオン敗退後に自由都市の地位を取り戻したフランクフルト市によって取り消されてしまうが)。
彼の遺書は、会社内の重要ポストは一族に限ること、事業をするのは男子相続人だけにすること、一族から過半数の反対がない限り宗家も分家も長男が家督を継ぐこと、結婚はロートシルト家の親族内で行うこと、事業は秘密厳守にして在庫や財産の目録を公表しないことを5人の息子らに求めていた。親の思いを子が受け継いで末永く事業が続くことを願っての遺書だった。
マイアーはヘッセン=カッセル方伯家の御用商人として長年やってこれただけあって、穏和な性格で人の心を掴むことが得意だったという。またマイアーの商売は正直であり、取引相手も必ず儲けることができた。これがロートシルト家の高い信用につながった。
(Wikipediaおわり)
世間で言われるような、悪徳支配者ロスチャイルドも、基本は商売人。
しかし、実際に彼らの子孫が現在に至るまでやって来た事に同情の余地は有りません。
さて、貧しい靴屋の息子であったアンデルセンがまだ有名になる前から、デンマーク国王のフレデリック6世が学費等を援助。
その妻はヘッセン・カッセル方伯、フリードリヒ2世の息子であるカール・フォン・ヘッセン=カッセルの娘、マリーであること。
また、デンマーク国王フレデリク6世の父親はクリスチャン7世のはずですが、彼は精神を病んでいた(総合失調症)為に、彼の侍医および大臣、事実上の摂政であった、ドイツ人、ヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセに政治を任せた。
ヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセは孤独な王妃カロリーネの心も虜にし、禁断の恋に落ちる……。
啓蒙思想を信奉する彼は、やがて国王の言動を操り、事実上の摂政として数々の改革を推し進めていくが、不満を募らせた保守派貴族たちは密かに政変を起こそうと画策していた…。
欲望渦巻く宮廷の権力争いの行方、そして侍医と王妃の許されざる愛の結末とは?
デンマークでは誰もが知る実話をもとに、王と王妃、そして侍医の運命的な三角関係を描く壮大なラブストーリーであり、息もつかせぬ宮廷の権力争いを描いた本作。
本国デンマークでは7カ月にわたるロングランヒットを記録。2012年ベルリン国際映画祭では銀熊賞(脚本賞&男優賞)をW受賞、2013年アカデミー賞外国語映画賞デンマーク代表にも選ばれた珠玉の作品が、ついに日本上陸!
映画「ロイヤル・アフェア」で、有名です。
そう、アンデルセンの父かもしれない、デンマーク国王フレデリク6世の父親はクリスチャン7世ではなく、ドイツ人、ヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセの可能性がある(Wikipediaでは妹のみ)。
日本の皇室には斎王制度があり、何十人もの側室を持って良いということは以前書きました。
ヨーロッパでもそうで、特にクリスチャン7世は乱痴気騒ぎが大好きで、特定の女性のみと連れ添う事を拒んでいました。
というか、王様の中には、欲丸出しのやりたい放題が少なくなかったのです。
息子のフレゼリク6世は1784年にクーデタを起こすと、摂政の地位に就いた。
ここらへんがヘッセンによる怒濤の世界乗っ取り時代の象徴です。
下図のように、婚姻によりオセロゲームのようにデンマーク王家を自分の家系にひっくり返し、クリスチャン9世の息子たちは国王になり、娘たちはヨーロッパの諸王家に嫁いだため、クリスチャン9世は、大した財産が有った訳でもありませんでしたが「ヨーロッパの義父」と呼ばれました。
ロシア皇帝ニコライ2世やイギリス国王ジョージ5世 、ノルウェー国王ホーコン7世、ギリシャ国王コンスタンティノス1世はいずれもクリスチャン9世の孫です。
これらの史実を調べていくうちに、すっかり嵌り込んで何がなんだか分からなくなったとき、どうしても破れぬ壁にぶち当たるとき、助言をいただけるのが名無し先生です。
その突破口はドイツ北部連合=北ドイツ連邦です。
北ドイツ連邦(きたドイツれんぽう、独:Norddeutscher Bund)は、1867年4月26日にドイツ北部のプロイセン王国を主体に22の領邦から成立した連合体を指す。1871年のドイツ帝国(ドイツ国)の母体となり、機構の大部分は引き継がれた。
なお北ドイツ連邦は連邦国家ではなく、領邦や自由都市の緩やかな連合体すなわち国家連合であるとし、北ドイツ同盟と訳す考えもある。 英語では North German Confederation と訳されている。
この北ドイツ連邦に属していた領主たちは、人民の洗脳教育を目的とした寓話をそれぞれの地域で作りました。
これは、ルネッサンスの復興、薔薇十字運動流れの洗脳術、トゥーレー協会(タクシス、ロイター、ナチス流れ)、カバラ、スェーデンボルグに至る流れの一端で、ヘッセンの燭台等の新聞に変化する前の民衆洗脳は口伝の物語だった訳です。
何の為の洗脳だったのか?
それが結果的にはドイツ統一にあったということ。
ユーロ統一、現在のユーロに向けて。
ユーロ統一に関しては、様々な意味、目的が有りますが、商売をスムーズにする目的で、当時バラバラだった通貨、長さ、重さの単位を統一すること。
そうすることでヨーロッパを支配する。
自己の利益に結びつけるべく、諜報活動を行い情報を掌握する。
ハプスブルク家の支配を崩したかったヨーロッパ諸侯の計画であり、ハプスブルクにとっては陰謀であり、庶民にとっては、従わざるを得ない現実であったわけです。
現代でも国の決断に逆らえない国民というちっぽけな存在が巻き込まれている現実です。
元を辿れば、貴族、王様、金貸しの都合。
それをマインドコントロールと洗脳で、国民の義務として、むしろ、喜んで命を投げ出し戦う国民。
人々を支配しようとしたら情報が最優先ですから、以前の記事にも書きましたように、タクシスは汚れ仕事を任されていたユダヤ人を利用。
屠殺した肉を腐らせないように発達した早馬を持つユダヤ精肉業界に目を付け、これを自身の郵便事業に展開。
誰よりも早く情報をヨーロッパ全体に届ける事が可能になります。
本当の情報を流すも、嘘の情報を流すも、トンデモニュースを流すも、流す側の操作次第です。
特に占い、預言を流し、それを的中させるというインチキは自作自演という彼らの得意とする手法です。
タクシスの情報はヨーロッパで絶大な人気を博すようになります。
今で言うスパイが情報収集し、都合の良い結果が出るように流す。
「ある国が軍備増強しているから、お宅も対抗しないと滅ぼされますよ」という具合です。
これを両方に流し、戦争に結びつける。
小学生でも思いつくような陰謀です。
これが善に使われる話は私たちの生活レベルでは良く聞きますよね。
兄弟喧嘩していた子供に、おにいさんがあなたの事を褒めていたよ。
弟がお兄ちゃんを褒めていたよ、と両方に流す。
これで当人同士はすっかり好感を持って対応する訳ですから、仲直りする。
こういう、良い嘘を流すのでは無く、最悪の嘘を平気で流していたのがユダヤ人だというのがグリム童話に登場するユダヤ人像。
グリム童話では裁判で「ユダヤ人の言う事は信用できない」という判決を受け、処罰されます。
この記事の最後に掲載しますが、「うまい商売」という童話にもユダヤ人のイメージを植え付けるマインドコントロールが読み取れます。
念のため、言っておきますが、ユダヤ人が嘘つきだと言っているのでは無く、情報は流し方次第で結果をどのようにでも変化させる事が出来る。
そういうことを知っていて、うまく利用できた人たちが、商売人の中には多く存在するという事です。
金持ちになりたければ、つまらない大学になど通わせず、こういう如才なさを身につければ良いのでは無いでしょうか?
あくまでも金持ちになる事だけを考えたら、先人達がそうしたように、これを徹底するだけだと思います。
ところが学校の道徳教育では、これらを悪とする訳ですから、どちらに進むかは本人次第です。
我々がテレビで見るニュースとは子供騙しと思ってよろしいかと・・・
先日のオバマさんの来日でも麻生さんのコメントが繰り返し流されていました。
オバマには力が無い・・・オバマには力が無い・・・オバマには力が無い・・・
これですっかり、お茶の間のみなさんは、オバマには力が無いと思っちゃう(笑)。
そりゃ、オバマが世界を動かす力は無いですよ、そんなこと分かりきってますから。
でもね、あの報道はオバマを無力に見せようとする意図がありましたね。
オバマさんが’フィリピンにも立ち寄った翌日の新聞にもそういうコラムは有りました。
脱線しましたね(笑)。
人は皆、目には見えないもの、説明できない何か、現実を超えたパワーというものに憧れているものです。
ただ、これだけのことが科学では全く解明できない。
いや、バラさない。
稲川淳二が飯を食っていける理由でもある訳です。
稲川淳二の怪談が事実あろうがなかろうが、どうでも良い訳です。
肝心なのは如何に信じ込ませるか。
ここでオカルト秘密結社である、薔薇十字団、トゥーレ協会等を羅列してみます。
薔薇十字団
(ばらじゅうじだん、独: Rosenkreuzer ローゼンクロイツァー)とは、中世から存在すると言われる秘密結社。17世紀初頭のヨーロッパで初めて広く知られるようになった。
1614年に神聖ローマ帝国(ドイツ)のカッセルで刊行された怪文書『全世界の普遍的かつ総体的改革』とその付録『友愛団の名声』で初めてその存在が語られ、一気に全ヨーロッパで知られるようになる。フランセス・イェイツによれば、この背景には薔薇すなわちイングランド王家をカトリック、ハプスブルク皇帝家の支配からの救世主として迎え入れようとする大陸諸小国の願望があったという。なお、前述の怪文書の刊行から4年後の1618年にドイツを舞台とした宗教戦争である「三十年戦争」が勃発している。
始祖クリスチャン・ローゼンクロイツ (Christian Rosenkreuz) の遺志を継ぎ、錬金術や魔術などの古代の英知を駆使して、人知れず世の人々を救うとされる。
起源は極めて曖昧だが中世とされ、錬金術師やカバラ学者が各地を旅行したり知識の交換をしたりする必要から作ったギルドのような組織の1つだとも言われる。
薔薇十字団の存在はやがて伝説化し、薔薇十字団への入団を希望する者だけでなく、薔薇十字団員に会ったという者が現れるようになる。また、薔薇十字団員を自称するカリオストロやサンジェルマン伯爵などの人物や薔薇十字団を名乗る団体、薔薇十字団の流れを汲むと自称する団体も現れるようになり、当時の人々を惑わせた。現在でもそのような事例は続いている。
この流れのほかにも人智学から派生した「薔薇十字団」が南ドイツに現在でも存在している。本家からは完全に独立し、ある村の片田舎で毎週日曜日の午前中にはキリスト教のミサや礼拝に似た儀式を独自に繰り広げている。
イルミナティ
バイエルン王国で1776年に、インゴルシュタット大学(英語版)の実践哲学教授アダム・ヴァイスハオプト(英語版)が啓蒙主義的な Perfektibilismus(人類の倫理的完成可能説)を謳い、Perfektibilisten の同盟をつくり、のちに、イルミナティと改名した。原始共産主義を志向する側面と、内部の位階制の側面が同居している。ヴァイスハオプトからのキリスト教批判はあるが、それは倫理的完成へと向けるもので、他教への転向などを訴えるものではなく、ユダヤへの関連で語ってはいない。最盛期には各国に支部が置かれ、会員は貴族、大富豪、政治家、インテリなど2,000人に及んだという。1777年、ヴァイスハオプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かった。
通説では1784年にバイエルン王国がフリーメイソンリー、イルミナティを含むすべての秘密結社を禁止するまで続いた。1785年にローマ教皇・ピウス六世はイルミナティがカトリックの教義になじまないと明言し、異端とされて、結社としての活動は1785年に終わった。
ゲルマン騎士団
ゲルマン騎士団(Germanenorden ゲルマン教団とも)は20世紀初頭のドイツ国の秘密結社である。反ユダヤ主義者テオドール・フリッチに指導された帝国ハンマー同盟の秘密組織として、ヘルマン・ポールら何人かの著名なドイツのオカルティストたちによって1912年に結成された。
思想的には、グイド・フォン・リスト、アドルフ・ヨーゼフ・ランツの影響が大きく、スワスティカ(鉤十字)をシンボルとし、フリーメーソンに似た階層的な兄弟団組織(ロッジ)を有していた。その参入者たちには民族主義的な北方人種優越のイデオロギーと反ユダヤ主義を、オカルトや魔術的な哲学と同様に教えていた。
ゲルマン騎士団の歴史的に重要な分派は1918年8月にルドルフ・グラウアー、後に改名してゼボッテンドルフ男爵、の主導の下に結成されたトゥーレ協会である。このグループはドイツ労働者党(DAP)、そして究極的には国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に影響を与えた。
トゥーレ協会
(トゥーレきょうかい、Thule-Gesellschaft)は、1918年にミュンヘンで結成された秘密結社。トゥーレはヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ファウスト』『トゥーレの王』にも登場する伝説の地「トゥーレ」から命名された。
極端な民族主義・反ユダヤ主義を標榜して第一次世界大戦後のバイエルン州で勢力を拡大してレーテ共和国 (Räterepubliken) 打倒に大きな力を及ぼし、また、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の母体の一つともなった。
トゥーレ協会は1918年1月に右翼政治結社・ゲルマン騎士団の委託を受けたルドルフ・フォン・ゼボッテンドルフ(ドイツ語版、英語版)により、騎士団の非公式バイエルン支部として設立された。正式名称を「トゥーレ協会・ドイツ性のための騎士団」といい、スワスチカ(ハーケンクロイツ)と剣をシンボルマークとした秘密結社であった。表向きの協会の目的はゲルマン古代の研究であったが、実際にはゲルマン騎士団員ギド・フォン・リスト(ドイツ語版、英語版)によって神智学を元に提唱されたアーリア主義を範として、民族主義と結びついた異教的神秘主義・人種思想・反ヴァイマル共和国的扇動、反ユダヤ的プロパガンダを広めることだった。
ブリル協会
ブリル協会(ブリルきょうかい、Vril Society)はエドワード・ブルワー=リットンの小説『来るべき種族』(The Coming Race)に触発されて結成された20世紀前半のドイツのオカルト結社である。1918年ドイツ・ベルヒテスガーデンで創立。神智学協会の影響を強く受けていた[要出典]。ブリルとは、小説『来るべき種族』に登場するある種の宇宙的流動体であり、中国でいう気のようなものである。
この団体の存在が広く知られるようになったのは、1960年にフランスで出版されたジャック・ベルジェとルイ・ポーウェルの共著『魔術師の朝』(Le Matin des Magiciens、日本では『神秘学大全』の題で抄訳が出ている)で取り上げられたことによる。同書はルドルフ・ヘスのミュンヘン大学における教官であった地政学者カール・ハウスホーファーはヴリル協会の会員であったとして、この団体とナチスおよびトゥーレ協会とを結びつけた。それ以後、ナチスとオカルティズムの関係を述べた(同書を元ネタとする)多くの記事や書籍において、ナチズムのルーツのひとつとしてヴリル協会の名が言及されるようになった。しかしながら『魔術師の朝』の記述はどこまでが事実でどこまでが想像ないしフィクションであるか定かではなく、ヴリル協会が実際にナチズムにつながるような要素を有していたという確証はない。
ルイ・ポーウェルとジャック・ベルジェ以前にこの団体に言及したものとしては、ウィリー・レイによる『ナチス帝国の疑似科学』と題された1947年の記事がある。この記事によれば、小説をもとに設立された「真実のための協会」(Wahrheitsgesellschaft)と称する疑似科学的団体がベルリンにあり、小説『来るべき種族』に登場する「ヴリル」なる力を研究していたという。
いかがでしょうか?
どれもこれも神秘的な存在なのですが、政治に多大で重大な影響を与えている事が分かります。
スワスティカとは、お寺の卍ですよ。
ザ・レッド・スワスティカといえば、紅卍会という意味です。
ナチスに繋がることが明確になるわけです。
これらの秘密主義的なオカルト結社が出てくる以前の時代。
タクシス、サヴォイ等々、このブログですでに紹介済みですが、ロイターが出来る以前は童話でマインドコントロールが行われていたということです。
そこに有ったのが、グリム童話であり、アンデルセン童話、イソップ物語なのです。
今では笑ってしまうような童話でも、当時は相当こわい物語だった。
ハリウッド映画でグリム童話に関連した映画に描かれているイメージはやはり怖いですよ。
「ブラザーズ・グリム」「ヘンゼルとグレーテル」
この辺の映画に出てくる「森」の存在ですね。
森は恐怖のシンボルだった。
ここで再び陰謀論。
陰謀論の対象範囲は幅広いが、頻発する分野はある程度限られている。通説を様々な角度から否定する意図から、科学、政治、歴史など、分野をまたいだ説へ発展する事がある。また、ユダヤ陰謀論とフリーメイソン陰謀論の様にそれら同士で密接な関わりがあったり、混同される場合もある。
事件の背景
陰謀論は、ある事件に対する政府等の対応や説明の「不可解な部分」を補足説明するものとなる。日本航空123便墜落事故やジョン・F・ケネディ暗殺に関する陰謀説等、事件が有名かつ謎の部分が多いほど、活発に展開される。
ある団体や個人に対する侮辱や攻撃、人種差別や思想弾圧の背景・動機となる陰謀論もある。例えばナチスのユダヤ人迫害はシオン賢者の議定書に基づくとされる。
悪意を持って発生するものもある。例えば反ユダヤ主義に基づくユダヤ陰謀論、また嫌韓感情に根ざすネット上の論争相手に対する在日認定などの民族差別正当化等である。
ある組織、あるいは対立する複数の組織にとって不都合な真実が明るみに出た場合、陰謀論で説明される事がある。実際に起こった例としては大韓航空機爆破事件における、韓国側の主張した「北朝鮮による爆破」説と北朝鮮側が主張した「韓国による自作自演説」などがある。冷戦時代においては CIAとKGBの間で陰謀論の応酬が展開された。
陰謀論が洗脳の結果であるということ。
これらを根拠無しに、インターネットの情報だけで語ることが陰謀論に油を注ぐ結果になり、ベルファシに都合の良い結果になる。
つまり、真犯人が判らなくなり、事件自体が風化してゆく。
911事件の真犯人はブッシュでいいよ。
アメリカでいいじゃん。
本当にそうでしょうか?
本当にアメリカという国家があのようなことをできるのでしょうか?
冷静に考えれば分かりますが、できませんね?
それでも、騙される人が後を絶たず、ビートルズはマハリシヨギというスケベ爺に騙され、統一教会の文鮮明が文家の血分けと称し、教団内でフリーセックスしまくるわけです。
日本では芸能界をはじめ、暴力と洗脳に支配され、死に追いやられる人が増加しています。
それもこれも、童話レベルの洗脳に気がつかない知識不足が原因では無いのでしょうか?
洗脳はいつから、どのように行われて来たのか?
もう一度、文化、習慣、身の回りの物事を見直してみようと思います。
◎◎エキス配合、◎◎ダイエットで激やせ!!
こういうのには要注意です。
それでは
付録 グリム童話「うまい商売」
昔、一人の農夫がいて、雌牛を市に連れて行き、七ターレルで売りました。家へ帰る途中で池を通らなければなりませんでした。もう遠くから蛙たちが、アク、アク、アク(注:蛙はAkt! Akt!と鳴いてドイツ語ではachtは8だから、農夫は蛙が「8、8!」と言ってると解釈してるらしい)と鳴いているのが聞こえてきました。「うん、彼らは韻をふむことも理由もなく話してるんだ。おいらが受けとったのは7だよな、8じゃないよ。」と彼は思いました。水辺に着くと、彼は蛙たちに言いました。「間抜けな動物だよ、おまえたちゃあ。もっと分別がないのかい?7タ―レルだよ、8ターレルじゃないんだ。」しかし、蛙たちはただアクアク鳴いてるだけでした。「さあ、じゃあ、信じないなら、お前たちに数えてあげるよ。」そして、彼はポケットからお金をとりだすと、24グロッシェンを1ターレルに換算しながら、七ターレルを数えました。しかしながら、蛙たちは気にもかけず、やはりアクアク鳴いていました。「何だって!」と農夫は怒って叫びました。「お前たちがおいらより分別があるんなら、自分で数えてみろ!」とお金を全部水の中の蛙たちに投げつけました。彼はじっと立って、蛙たちが数え終わり、自分のお金を返してくれるまで待っていようと思いました。が、蛙たちは相変わらずで、アクアク鳴き続けるだけでした。おまけにお金を水から投げ返してもくれませんでした。彼は、やはり暫く待っていましたが、とうとう夜がきてしかたなく家へ帰るしかなくなりました。それで、蛙たちの悪口をいい、叫びました。「水はね者!あほ!ギョロ目!お前は大きな口をして、人の耳が痛くなるまでキーキー言うが、七ターレルを数えられない。お前が終わるまでおいらが立ってられると思ってるのか?」それを言うと、彼は立ち去りました。しかし、蛙たちは、彼がまったくイライラして家へ帰るまで、後ろで相変わらずアクアク鳴いていました。
暫くして、彼は別の牛を買い、それを殺しました。そして、もし肉をうまく売れば2頭分の収入をえられるかもしれないし、おまけに皮もできると計算しました。それで、肉を持って
町に着くと、門の前に大きなグレイハウンドを先頭に沢山の犬が集まっていました。そのグレイハウンドは、肉に飛びつき、匂いをかぎ、ワウワウ(注:同じく「少し」と発音が似ていて、犬が「少しくれ」と言ってると農夫が解釈した。)とほえました。止めることができなかったので、農夫はその犬に言いました。「うん、うん、よくわかるよ、お前は肉が欲しいからワウワウ言っているんだね。だけど、仮に肉をお前にあげるとしたら、おいらは結構な状況にいなくちゃね。」しかし、犬はワウワウと答えるだけでした。「じゃあ、全部食べちゃわないと約束してくれないか?お前の仲間にも言っておくれかい?」ワウワウワウ、犬は言いました。「ええと、お前がそこまで言い張るならお前に置いていこう。おいらはお前をよく知ってる。お前の主人が誰かも知ってるよ。だけどこれだけは言っておくが、おいらは3日の内に金を貰わなくてはいけない。さもないとまずいことになるからな。金を持ってきさえすればいいんだ。」そう言って肉を降ろし、背を向けました。犬たちは肉に襲いかかり、大声でワウワウほえました。そのいなか者は、犬たちから離れて聞いていて、思いました。「いいかい、今はみんながいくぶんか欲しがっている、だけど大きいやつがおいらに責任があるんだからな。」
3日経ったとき、「今夜、金が手にはいるぞ。」とそのいなか者は思い、とても喜んでいました。しかし、誰も来て支払おうとはしませんでした。「もうだれも信じることはできないぞ。」と彼は言いました。とうとうしびれを切らし、町の肉屋にでかけ、お金を要求しました。肉屋は冗談だと思いましたが、農夫は冗談抜きで「金はもらうぞ。あの大きな犬は3日前、殺した牛の肉をまるまる持ってこなかったかい?」と言いました。すると肉屋は怒って、ほうきをつかむと彼を追い出しました。「待てよ、今世の中には裁判もあるんだ。」と農夫は宮殿にでかけ、聴聞を求めました。彼は王様の前に案内され、王様はそこに娘と一緒に座っていましたが、どんな痛手をこうむったのか、と彼に尋ねました。「ああ悲しい、蛙や犬が私のものを奪いました。そして肉屋は棒でそのお返しをしました。」と彼は言い、起こったことを詳しく述べました。それを聞いて、王様の娘は心から笑い出しました。そして王様は「これについて正義をもたらすことはできないが、娘を妻としてお前にやろう。娘はこんな風には今まで一度も笑ったことがないのだ。それで娘を笑わせることができた男に娘をやると約束しておったのだ。幸運を神に感謝するがいい。」と王様は言いました。「ああ!」と農夫は言いました。「おいらは全然欲しくないんで。もうかかあがおりやす。一人でも沢山でして。家に帰ると、うちのやつがどの角にも立ってるみたいなんで。」すると王様は怒って、「無礼者め!」と言いました。「ああ、王さま、牛から肉のほかに何を求めるんです?」と農夫は言いました。「黙れ、お前には別のほうびをやろう。今は帰れ、だが3日したら戻って来い。そのときにきっちり500とっといてあげよう。」と王様は答えました。
農夫が門のそばに出ていくと、門番が「お前は王様の娘を笑わせた。きっとなにかいいものをもらうだろう。」と言いました。「そうだよ。おいらもそう思っている。おいらのために500とっておくってさ。」と農夫は答えました。「ねぇ、俺にいくらかくれよ。そんなにたくさんの金をどうするつもりだい?」と門番は言いました。「あんただから、200あげるよ。3日したら王様の前に行きな、払ってくれるだろうよ。」と農夫は言いました。近くに立っていて、この会話を聞いたユダヤ人が農夫のあとを追いかけ、コートをつかまえて言いました。「なんとまあ、神の驚異だ、あなたはなんと幸運なんでしょう。交換してさしあげます。小額の硬貨に換えてさしあげますよ。大きなターレル銀貨をどうするんです?」「ユダヤの人、あんたにはあと300ありますよ。今すぐ硬貨をおくれ。今から3日したら王様が払ってくれるからね。」といなか者は言いました。そのユダヤ人は小さな利益に喜び、その額を質の悪いグロッシェンで持ってきました。その3枚が質のよい硬貨の2枚分の価値しかありませんでした。
3日経ったあと、王様の命令に従って、農夫は王様の前に行きました。「コートを脱げ、そうしたら500あげようぞ。」と王様はいいました。「ああ、もうおいらのものじゃないんですよ。そのうちの200を門番にあげたし、300はユダヤ人がおいらに換金してくれたんで。だから当たり前ですが、ぜんぜんおいらのものじゃねえ。」と農夫は言いました。そのうち、門番とユダヤ人がやってきて、農夫から手に入れたものを請求しました。そしてきっちり数えて打ちすえられました。兵士の門番はじっとそれに耐え、それがどんな味か知りましたが、ユダヤ人は「ああ、ああ、これが重たいターレルか?」と悲しみの声をあげました。王様は農夫のことを笑わざるをえませんでした。そして怒りがすっかりおさまると、「お前は自分のものになる前にもうほうびを失くしてしまったのだから、埋め合わせのものをやろう。わしの宝庫へ行き、好きなだけ、自分で金をとれ。」と言いました。農夫は二度言われる必要はありませんでした。何でも入るものをポケットに詰め込みました。
後に、彼は宿屋に行き、お金を数えました。ユダヤ人はこっそりあとをつけていたので、農夫が「あの王様のやつは結局おいらをだましやがった。なんで自分で金をくれることができなかったんだ?そしたらおいらがいくらもってるかわかったのによ?たまたまポケットに入れたものが適当かどうかなんて、今になってどうやってわかるんだ?」とつぶやいているのを聞きました。(なんとまあ、あいつは王様に無礼なことを話している。走っていって告げればおれはほうびがもらえるし、あいつは罰をうけるだろう。)とユダヤ人は心のなかで思いました。王様は農夫の言葉について聞くと激怒し、ユダヤ人に犯罪者を連れてくるよう命じました。
ユダヤ人は農夫のところへ走って行き、「お前は着のみ着のまますぐ王様のところへ行かなくてはならない」と言いました。「おいらにゃ、もっと分別があるさ。まず新しいコートを作ってもらおう。ポケットにたらふく金が入ってる男がぼろの古いコートを着てそこに行くと思うのかい?」と農夫は答えました。ユダヤ人は、農夫が別のコートが無くては動こうとしないのを見てとり、また、王様の怒りが静まれば、自分はほうびを貰い損ねるし、農夫の罰もなくなってしまうと恐れたので、言いました。「純粋に友情の気持ちからだけど、短い間おれのコートを貸すよ。君が好きだからこそだよ。」農夫はこれを聞いて満足し、ユダヤ人のコートを着て、一緒にでかけました。王様は、ユダヤ人が告げ口した悪口のことでいなか者を責めました。「ああ、ユダヤ人がいうことはいつだって嘘ですよ。あいつの口からホントの言葉なんて出てこねえです。そこのならず者はおいらがやつのコートを着ているって言い張りますぜ。」と農夫は言いました。「何だって!」とユダヤ人は喚きました。「そのコートがおれのじゃないって?純粋な友情から、そのコートをお前に貸したんじゃなかったか?お前が王様の前に出ていくために?」王様はこれをきくと、「ユダヤ人が、わしか農夫かどちらかをだましているのははっきりしている」と言いました。そしてまたまた彼を打ち据えることを命じたのでした。しかし、農夫のほうは立派なコートを着て、ポケットにはたっぷりお金を入れ、家に帰り、「今度はうまくやっただ。」とひとりごちました。