IEがトラブってるということで、ブログも重くて重くて、特にここ数時間異常な重さですが。事務局から、プラウザを不具合で他に変えろと指示があって、ビデオのある記事は、他にしてますが。使い勝手も悪いし、表示も綺麗じゃないんで、IEが主体ですが、もう限界ですかね。
天皇家(日本国)とローマ法王(バチカン市国)は命を永らえて、次の戦争を準備している。って、オカラスさんに、原爆の真相に、名無し先生的考察の、煩悩くんフルスロットルさん最新もアンタッチャブルですが。
確かに、募金、義援金、財団、脱税猫糞詐欺、支配階級の、真実暴露は、未知との遭遇前は無理でしょうね。
P+ピーターも、魔ネーゲームの、改革は、BRICsは、囮だそうですが、結局支配層は排除されるそうですが。
とりあえず、原爆の背景から、参考ですね。。Φ(´゜π゜`)φ
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2773.html
一般的には、広島・長崎の原爆は2つとも米国製だとされている。大体、世の中の99.89%以上の人(含:赤ん坊~老人)がこの見解だと思いますが、世界中の人々もほぼ同じ見解であり、疑うこともなく一般常識化している。ただ、この数字と同じぐらいの比率で原爆の起爆構造も知らず、広島・長崎の原爆の違いすら知らない程度の認識であるのも事実。まぁ、そんな詳細なことまで知らなくても生活できますしね。戦後60年以上も経ち、WW2が風化しつつあることだけは確か。
マスコミは原爆の被害状況を画像を近年になってもあまり報道しない。そういった画像は広島の原爆資料館ぐらいにしか掲示されていないが、現在、ネットでいつでもつつみ隠さず見ることができる。
■Hiroshima victims
(グロ閲覧注意! グーグル「広島犠牲者」画像検索結果)
二重スパイであったベラスコの話によると、広島に落とされたガン・バレル(砲身)方式の広島型原爆(リトルボーイ)はナチス製であり、第二次世界大戦中、ドイツのペーネミュンデで完成し、連合軍とドイツ軍が捕虜交換をした際に密かに連合軍が受け取りアメリカに運ばれた。核実験は今のチェコの森で行われ成功しているという。このナチス製原爆が広島に投下されたという。一方、爆縮レンズ方式の長崎型原爆(ファットマン)は米国が3年の歳月と20億ドルの巨費をかけた「マンハッタン計画」で開発し、ニューメキシコのアラモゴード実験場で世界初の原爆実験「トリニティ実験」での成功を経て、長崎に投下使用されたという。
(長崎型のファットマン最終型)
実際、終戦間もない昭和20年9月、大本教の出口王仁三郎は「原子爆弾は日本の博士が発明して『日本は人道上使えぬ』といってドイツへやった。それをドイツでも使わず、アメリカに使われたのである。悪い事ばかり考えるから、日本に落とされたのだ。日本人が造ったから日本に落ちた。」と語り、このベラスコの内容と同じことを言っている。
そして、さらに驚くべきは広島・長崎投下は日米首脳の合意に基づく人体実験であったという話がある。
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1)軍は決号作戦 ― つまり本土決戦に狂奔し、本土を2分して東部を第一総軍(杉山元元帥)、西部を第二総軍(畑俊六元帥)の担当とし、予想されるアメリカ軍の九州上陸オリンピック作戦に備えていた。そして最初に本土上陸の敵を迎える第二総軍は広島に本拠を置いて、準備を進めていたのである。その本拠は山陽本線広島駅から北へ歩いて5分、元騎兵第5連隊の兵舎の中にあった。ここは広島の中央を流れる太田川が6本に分かれる2番目の分岐点のあたりで、爆心地から直線で約千3百メートル。参謀部のすぐ北方、高さ125メートルの二葉山には、司令部の防空壕が掘られていた。・・・
この『昭和史の天皇』に書かれた文章を読んだだけでは、第二総軍の意味が何かは理解できない。爆心地から直線距離にして約千3百メートル、そして、二葉山に司令部の防空壕がつくられたということは、大きな意味を持つのである。どうしてか。司令部の防空壕の中にいた将校たちは多少の傷を負うが(爆風やガラスの破片で)、全員無事だったのである。参謀部の人々もほぼ死者はなし。
2)広島では出来るだけ多くの兵士(3万人)や児童・学生(1万5千人)等の被験者を意図的に集めて行われた、米国のスティムソン陸軍長官主導で日本のトップが協力した一大イベント、人体核実験だった。世界のウラン鉱山のほぼ全てを独占するロスチャイルド財閥と配下の軍需産業関連会社(死の商人)は、第二次大戦後予定されていた米ソ二大国間の(八百長)冷戦による核軍拡競争と原子力産業によって上がる莫大な利益のため、どうしても核の脅威を世界に示す必要があった。
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一方、日本軍部でも大戦中に2つの原爆開発計画が進んでいた。
■二号計画(陸軍)
理化学研究所、東京帝国大学、大阪帝国大学、東北帝国大学が主体
「熱拡散法」でウラン235を濃縮
仁科芳雄、彦坂忠義
■F計画(海軍)
京都帝国大学が主体
「遠心分離法(サイクロトロン)」でウラン235を濃縮
荒勝文策、湯川秀樹
通説として、福島県石川郡石川町での中学生を動員したウラン採掘(石川石=ウランに富むサマルスキー石)、上海の闇市場で130kgの二酸化ウランを購入しても尚、原子爆弾1個に必要な臨界量(46.5kg)以上のウラン235の確保は絶望的な状況であったという。
※ウラン鉱石にはウラン238が約99.3%、ウラン235が約0.7%が含有。二酸化ウラン(イエローケーキ)に含有するウラン235は60%程度。ちなみに、北挑戦は採掘可能な埋蔵量が推定400万トンで現在一位のオーストラリア【74万トン】を軽く凌駕。
ポツダム宣言受諾時、日本の原爆開発は基礎段階を出ていなかったとされているが、実は原爆は完成していたという話もあり、北海道の「海軍美幌基地(現・自衛隊美幌駐屯地)」の地下巨大防空壕には、簒奪したロマノフ王朝の莫大な資産と13機の完全武装したゼロ戦と共に日本製原爆が今でも眠っているという話があることを煩フル過去記事に書きました。
ノストラダムスで知られる五島勉氏の『日本・原爆開発の真実』によると、日本の原爆は広島・長崎の原爆とは全く異なり、ウラン238を使用する画期的なものでウラン使用量はアメリカ原爆の7分の1から8分の1と少なく、ゼロ戦でも運べるミニ原爆だったという。それが上記の美幌基地の原爆なのだろう。
※ウラン採掘地である田舎の石川町をB29での機銃掃射が襲ったという話が載っている。
日本・原爆開発の真実―究極の終戦秘史 (ノン・ブック)
(2001/08/28) 五島 勉 商品詳細を見る |
以上がネット界隈で知られる原爆に纏わる内容。ナチス製ガンバレル方式ウラン原爆、日米首脳合意の人体実験、日本製原爆の完成と隠匿、WW2本質は原爆開発競争の加速化の為の八百長戦争、、、これだけでも一般人には驚愕動地の大スクープな内容です。
で、この辺が真相止まりだろうと考えていたのですが、少し前、広島・長崎の原爆は地上起爆された日本製原爆という話を目にしており、非常に気になっていました。日本人の米国嫌悪を緩和する狙いの情報操作の可能性も無きにしもあらずとも思えたのですが、名無し先生とコンタクトのあるマヨ氏もO'BRIEN氏もこの「地上起爆=日本製原爆」の内容に同意肯定している。ここに人類史上最大の人為的大惨事(二都市原爆投下)に関して、まだまだ知られていない真相がありそうなので、今回、自分なりに「日本製原爆地上起爆」を咀嚼・洞察してみた。
(長崎の原爆 起爆後スグと云われる画像)
う~む、画像を見る限り、確かに云われている高度500mより低く、火球は地上にある感じだ。
(広がる水蒸気の中心に火球が位置する筈)
地上起爆は本当かもしれない。(滝汗)
その経緯は「日本製原爆完成原文」に詳しく書かれていますが、ここは読む箇所を慎重に選ぶサイト内容ではある。
例えば、「降嫁」で公武合体の象徴である和宮=樋口一葉とするあたりは驚きを禁じえない。両者は生まれが26年も違うし顔写真も別人である。そして特筆なのは、山本富士子とジョンFケネディの間の子が藤圭子で(どうみても藤圭子はハーフ顔ではないのだが...)、さらに藤圭子とクリントンの間に出来た子が宇多田ヒカルだという(ならば宇多田ヒカルは3/4外人ということになるが...まぁ、確かに中身はそうなのだが...)。その秘密をネタにして京都白足袋族(皇室・旧皇族・旧華族の日本のバチカン市国の京都府)と相良直美らが米国を恐喝しているという話に至っては、眉唾を通り越して、オイラは大好きだ。(爆)
ちなみに、、、
■山本富士子(1931年12月11日 - )
1950年第1回ミス日本で満場一致でミス日本の栄冠を手にした(19歳)
1951年にミス日本として公式訪米(マリリンモンローと面会)
※ミス日本=米国からの支援物資の答礼使節
■藤圭子(1951年7月5日 - 2013年8月22日)
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち
浪曲歌手の父・阿部壮、三味線瞽女の母・竹山澄子の間に生まれる
代表曲は「圭子の夢は夜ひらく」
まぁ、確かに年齢や渡米時期では辻褄が合うし、両者ともに非常に整った美形である。名前も富士子のフジから藤圭子かも、、、また藤圭子が5年間ファーストクラス&特級ホテル宿泊で世界中を回る旅をしたが、その際に使った金額は5億円。どこにそんなお金があったのか、、、このお金の出元も不明。但し、1951年に訪米してケネディとチョメチョメしたとしても、同年7月生まれにはならないな。っていうか、ミス日本受賞からスカウトがひっきりなしに来て映画界入り決断する時に妊婦姿は目撃されていない。(笑)
まぁ、このように怪しい内容テンコ盛りのサイト内容ですが、気になる記述もあるにはある。例えば「京都白足袋族=皇室・旧皇族・旧華族の日本のバチカン市国の京都府」=イエズス会傀儡勢力というがそれは正しい認識。好意的に解釈していえば、本当の真実をバカらしい程の都市伝説(嘘話)に織り交ぜながら語ることで、真相公開に伴うリスクを避けているのかもしれない。まさにオカルト(隠されたが原義)です。
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大日本帝國 明治大帝(西郷隆盛)の世界覇権という野望」に引きずられて、農耕民族だった日本人は鋤鍬(すき、くわ)を38式歩兵銃と背嚢に持ち替えて、支那大陸(大満洲帝國を建國)・モンゴル・朝鮮半島・台湾・フィリピン・タイ・インドネシアからインドまでの亜細亜大陸全域を手中に治め、太平洋を島づたいにニュージランド諸島からオーストラリア近くまで領土化し、北アメリカ大陸を領土化する手前で、敗走する事態に直面したが、日本製原爆の製造に成功し、その地上起爆に成功し、人類史上第1号の起爆によって「人体実験にも成功」した訳である。
この日本製原爆製造と成功は、大満洲帝國{チャムス(佳木斯)近郊}から採掘し、精錬済みされた約2,000トン(満洲の終焉:高碕達之助著)超えのウラン鉱石(ウラン238)を、満鉄とトラック(日本通運)で大連まで輸送し、大連から「ばいかる丸(バイカル丸―戦後は捕鯨船極星丸)」にて、山口県・福岡県・京都府などの軍事工廠、燃料工廠で精錬純度を上げ、ウラン235の濃縮は、静岡県三島市(旧大場町、伊豆箱根鉄道大場駅前)の【森永製菓工場(当時は森永食糧工業)、戦後は静岡県営住宅アパートだったが、ほどなく撤去された。】で、巴工業の遠心分離器を使用して製造していた。
日本製原爆の基礎研究と応用は理研・海軍技術工廠・陸軍技術工廠・東邦産業研究所・多摩近郊の通信技術研究所から、満鉄中央試験所(四川省の重水工場。現中国科学院 大連化学物理研究所)・満洲電信電話株式会社(満洲電々)・台湾総督府下の大学研究室・朝鮮総督府下の大学研究室など亜細亜全域に物理化学の人材を求めた訳である。それが、今日の台湾が「電子立国に成功」した経緯であり、北朝鮮の核開発と繋がっている訳である。
現在、世界中が保有している核兵器の起爆装置は全ての例外なく「日本製品」である。それが、原子力産業の中身である。勿論、イギリス・イタリア・ドイツ・フランス・アメリカの物理学者らの基礎技術提供がなければ製造は完成しなかった訳である。日本国民は、大日本帝國政府の「大本営=天皇と華族」の云う【鬼畜米英】に踊らされて、無意味な無差別大量殺戮に(戦争)引き摺られただけなのである。
戦争で肥えたのは【大本営=天皇と華族】らなのである。日本国民もアジア民族もヨーロッパ民族も「天皇家の狂気」の為に、塗炭の苦しみに喘いだ訳だし、その図式が現在も変わっていないのが問題な訳である。ムッソリーニもヒットラーももう居ないが、天皇家(日本国)とローマ法王(バチカン市国)は命を永らえて、次の戦争を準備している。
(日本製原爆完成原文より抜粋)
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ここで「明治大帝=西郷隆盛」が出てきました。やはりここが話の出元だったかぁ。ただし、明治期の陸軍元帥・西郷隆盛(兄)/大山巌(隆盛の従兄弟)も海軍元帥・西郷従道(弟)も西郷家で占められていることは要注意だすな。また明治大帝の肖像画から特徴的な口元が無くなっていることや眉毛を含めた額あたりの骨格も変化しているようにも見える。そして、西郷兄弟らの写真は多く存在しているにも関わらず、西郷隆盛の肖像画も写真も1枚も存在しないことに我々は最大の留意をしなくてはならない。
(明治大帝 これが同一人物なのか?)
西郷隆盛の本当の姿を描いた画像が出てくるまでは、両者には24歳の年齢差のあり怪しさ満点ながらも、どことなく真実の臭いもするこの説を現時点ではオイラは肯定も否定もしない「保留状態」にしておく。
※西郷が下野したのは1度は明治政府内でまとまりかけた「征韓論」が、大久保利通や伊藤博文らによって「時期早々」と覆されたから。この西郷の征韓論も豊臣秀吉以来何度も続く満州国建国話に結びつくが、これが薩摩ワンワールド。
さてさて脱線してしまったが、全文を通して要点をまとめると、、、
1)広島・長崎の原爆は日本製
※原爆は「テニアン島」から出撃したとされるが、広島型(ウラン)原爆は『満州国』からB-29に搭載され発進し、長崎型(プルトニュウム)原爆は『現在の北朝鮮』からB-29に搭載され発進したというのが「真実」だろう。
2)空中起爆ではなく、地上起爆
※当時、原爆を起爆可能な技術は日本だけが開発出来た。空中起爆できる技術など世界中何処にもなかった。
3)使用に先立ち硫黄島(4月15日前後)で地上起爆実験を行った 【日米両海軍共同】
※広島県呉の海軍兵学校の教官の証言
4)広島と長崎での起爆は人体実験
※東邦産業研究所(中央電力研究所)が日本製原爆製造と完成と、広島・長崎での人体実験の主導。それを知るのは限られた50名程の人間。日本は戦前からドイツのバイエルン州の貴族らと太いパイプで結ばれていた。
5)トリニティ実験が世界初の起爆と云うのは日米英3国の虚偽
6)理論面だけ記述されたマンハッタン計画では30世紀になっても完成できない
※カメラ技術(化学薬品を含む)・高速遠心分離器・サイクロトロン・窯業技術(セラミック)・抗生物質のクリーンルーム・化学工業・麦酒産業・乳業・チョコレート産業・マグネトロン(電磁力・レーダーなど)・電子顕微鏡・分析工学・火薬産業・真空管開発・・・等々綜合産業技術を集積・集結しなければ、原子爆弾は製造出来ない
7)起爆装置の肝は富山藩の花火技術(硝石乳酸菌培養技術)の応用
※理研の○和発酵が実施
8)日清戦争以後の大日本帝国主義者らの国費を度外視した軍事拡大政策に東アジアは翻弄
※大日本帝国主義者(神道主義・日蓮宗主義)・・・川崎・宇田財閥、名取・広瀬閥
9)日本の意向を受けてキッシンジャーが日本の核兵器技術を世界中に販売
※原爆開発国の日本の技術でなければ原爆は起爆せず、起爆装置は100%日本製
10)湯川秀樹は仁科芳雄の非嫡出子
どこまで真実なのかは確認出来ようもない話で、特に10)などは口をアングリさせてしまう内容。3)の硫黄島実験にしろ、もし起爆実験していたのなら、爆発時の高温でガラス化が起きるので容易にその痕跡が発見できる筈であるし、戦略上の重要拠点である硫黄島を原爆の放射能で失ってしまっては意味がない。もっとも硫黄島近郊の海洋上ならば問題もないが、、、このように眉にベッタリと唾付けて聞かないとならない話ばかりですが、アポロ11号月面着陸といい米国は意外と大ウソを平気でするので、美幌基地地下壕の隠匿原爆の噂もあることから、広島長崎の原爆も日本製というのも有り得る話のようにも思える。実際、ここには妄想として一笑に伏せない深い内容が垣間見えたりもする。
長崎型と同じ爆縮型の場合、多数のHE起爆装置が同時に起爆して全球面が一様に中心部に向かって爆縮進行する必要があり、また爆縮後、中性子を全方向に正確に飛ばす中性子起爆装置が必要。早進性と遅延性のある2種類の火薬でぐるりと取り囲まれた2重構造の「爆縮レンズ」を作るには高度な製作技術が必要。それだけでなく、多機能(早進性・遅延性)を持ち、純度が高く均一な高性能な爆薬が必要となっている。このような高性能な火薬は探してもそうそうない。
(爆縮【インプロージョン】方式の長崎ファットマン)
(2重構造の爆縮レンズ)
それを解決するのが日本の花火の火薬技術。綺麗な球状に開かせるには、均一性が要求されるが、この良質な火薬は乳酸菌発酵して作られた硝石によって可能となったということだ。
火薬の原料である硝石が無い日本では独自の製法が発達した。
それが「古土法」と「培養法」。
硝石は空気中あるいは土壌中のアンモニアを酸化して硝酸化。いわゆる硝酸菌の硝化作用によって生成されるわけですが、硝化作用の行われている大気中では何処にでも存在。但し水に溶けやすいため、雨で流出しない処に堆積するわけです。ですから神社の縁の下などには硝石が自然結晶する場合があり、床下から土を採取し、煮詰めて精製する硝石生産法があります。これを「古土法」という。
中でも富山の五箇山は日本一の硝石製造地として知られ、独特の方法で製造していた。縁の下や倉の土間を掘り1間四方ぐらいの穴を作り、そこに乳酸菌が沢山いる蚕糞、藁、ヨモギ、土を重ねて入れて人間や馬の小便を入れてじっくり発酵させる。数年寝かせ土に成分が移った頃、その土(塩硝土)を煮詰めて「塩硝」(硝酸カリ)を抽出する。これは「古土法」と「培養法」の折衷法です。この五箇山の塩硝は大阪石山合戦での本願寺、北陸一向一揆にも寄進されたという。信長が敵視した理由も頷ける。
■塩硝の道を訪ねて
http://www.spacelan.ne.jp/~sakiur-k/ensho2.htm
この塩硝から作られた良質な火薬が日本製原爆の起爆装置に使われた。
長崎原爆投下についての謎は、爆心地が佐世保海軍工廠(軍隊直属の軍需工場)でなく長崎であるという点。佐世保以外に武器を製造していた小倉造兵舎にしても、終戦間際には本土決戦を睨み、かなりの部分が大分県の日田の地下工場に移転されていた。三菱の兵器工場のある海岸線を大きく外れ、山の中である浦上地区の長崎キリスト教の総本山である浦上天主堂上空で爆発したとされている。
長崎の原爆は目視投下とい手筈であったが、当日、あいにく雲に覆われていて、命令どおりなら爆撃を中止して海に原爆を投棄して帰還という手筈になっていた。しかし爆撃機は原爆を投棄する事を躊躇し、命令に反してレーダー照準で原爆を投下。その為に爆心地が長崎の中心地ではなく山手になったのだと云われるが、、、
軍人が命令違反を犯すのはどう考えてもおかしい。
(クリックで拡大)
この謎も「北朝=陸軍=皇道派=イエズス会傀儡」、「南朝=海軍=統制派=メーソン傀儡」という勢力図式から謎が解けてくる。2.16事件(大江山霊媒衆の出口王仁(鬼)三郎や九鬼家らの鬼勢力=皇道派=北朝派=イエズス会傀儡勢力のクーデター)以来、極度の精神的ストレスを抱えた昭和天皇及び南朝のメーソン勢力は終戦時にWW2突入させた北朝勢力(イエズス会傀儡)の隠れた本部をこれで一掃しようとしたのではないのか? それが長崎の浦上天主堂上空への原爆地上起爆だった!?
※一般的には、広島で原爆が投下された理由は、平面的な地形、市街地の規模、空襲を受けていない軍事施設、軍需工場が集中していたからだと云われ、長崎は小倉が前日空爆した製鉄所の煙で目視投下出来ず、急遽、長崎に変更したからだと云われるが、、、果たしてコレだけが理由なのか?
『原爆完成全文』では、広島・長崎の原爆は両方とも日本製という内容になっているが、広島型のガンバレル方式は良質な火薬を必要とせず必ず臨界質量超えで核分裂を起こさせる確実な方式(ただし効率が非常に悪い)であり、ここには日本の良質な火薬技術は不要。よって空中投下して起爆も充分可能。一方、長崎型はプルトニウムと良質な火薬が絶対必要であり、オイラが思うに後者が日本製原爆であって、長崎だけが地上起爆されただろうと睨んでいる。
つまり、WW2において米国製原爆は一発も起爆されていなかったということ。
では、一連のファットマン画像はいったい何なの?という疑問が当然出てきますが、あれは米国がマンハッタン計画で開発着手したが、最後までうまく起爆出来ずに終了した試作品の画像を流した囮。長崎で地上起爆させた原爆は、二号計画で完成した全く構造の異なるもっと小型の原爆だろうと思っている。
(ファットマンの内部)
『原爆完成全文』の榎本東洲氏によると、長崎原爆は理研が開発し、東邦電力の創始者で「官吏は人間のクズである」と言い放ち徹底抗戦した「電力の鬼」と呼ばれた松永安左江門が地上起爆させたとある。う~む、軍部に属していない身で果たしてそれが可能なのかは実に怪しいところではある。但し、ナチスの作った原爆も日本軍が研究して作り上げた原爆設計図が流出してナチスで製造されたものであり、その意味では日本製というのは正しいとオイラも思っている。
※ナチスの急速な科学進化は満州国における日本軍の研究成果が大きく、その流出した設計図が基になっている。これはグリーン・ドラゴン・ソサイエティ=緑龍会=緑のカラス(イエズス会傀儡のペリシテ人客家)が仲介していたのだろう。つまり、ヒトラーがインスピレーションを得ていたというシャンバラとは、実は日本のことであったのです。道理でシャンバラのアルザル人がYAP因子を持つとされているのもこの理由。アルザル人とは日本人を暗喩するコードネームだった?
(ガンバレル方式の広島リトルボーイ)
この日本製原爆の地上起爆を米国製原爆の米国爆撃機投下と偽装することで、終戦間近に「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄して参戦したソ連を牽制する為に、2発の原爆投下で本土決戦に至らず早々に降伏したという米国の役割が大だったというシナリオを描き、日本が東西ドイツや南北朝鮮のように国を「二分割統治」されずに済んだという側面も持つ。
だが、その裏には日本に巣食うカラス(戸籍を持たない日本人の顔をした渡来人)が、この国を引き続き継続支配する為には1国のままである必要があったのも事実だし、同時に、壬申の乱、源平の戦い以来、敵対する北朝派(近衛閥)が画策するソ連進出させ日本二分割して共産国家樹立の阻止も織り込んだ。それが為に、降伏には不必要だと誰しも分かっていながら、米国と協議の上、日本製原爆の地上起爆することを同意決断したのだろう。
元々、開戦時にも山本五十六が国力の違いから1~2年は持つが後は知らんと陛下に進言していたが、それでも陛下はやれと言ったという話がある。これも日露戦争、日清戦争を通じて国内に幅を利かせ出し、国連脱退を演じて戦争に突入させた「皇道派=北朝(地祇系)=イエズス会傀儡勢力」を一掃しようとのお考えだったのかもしれない。
※美智子皇后が妃の時に一時期失語症になったのは、元、クリスチャンであることから皇居内でキリスト教のことを話せるようになったとある皇族が話したのを聞き、天皇が激怒して美智子妃を叱ったからだという。そのぐらいメーソン側に立つ昭和天皇はキリスト教=イエズス会嫌いであったということだろう。
ただ、軍部(陸軍大将・東條英機)の原爆使用の上奏に対して、「数カ国が新兵器開発を競っているとのことだが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注して完成させ使用するだろうから、全人類を滅亡させることになる。それでは、人類滅亡の悪の宗家に日本がなるではないか。またハワイに投下する計画とのことだが、ハワイには日本の同胞が多数移住し、現地アメリカ人民と共に苦労し、今日を築きあげたところだ。そのような場所に新兵器を使用することには賛成できない。」といい、昭和天皇は原爆使用を中止させたといわれる。これが本当の話なのか証拠はないが、皇居内の雑草を抜かせない..等、海洋生物の研究家生物学に非常に造詣が深い陛下であったことや実際に原爆を使っていないことから、これは史実だっただろうとオイラは思っている。
戦後、米軍による原爆投下(?)を非難せずに「やむを得なかった」と語った陛下の言葉に裏には、以上のような複雑な経緯があったのではないだろうかと見ている。
そして、これが靖国神社のA級戦犯合祀と絡んで陛下の靖国神社親拝拒否に繋がったと睨む。(合掌)
以上のように、昭和天皇に少し有利な書き方をした一方で下記のような話もあります。実際に、昭和天皇の口座を持つ横浜正金銀行の口座閉鎖がポツダム命令で未だ解除されず有効なことも知りました。今回、長崎は日本製原爆で地上起爆されたという前提で洞察を進めてきましたが、さてさて真相はどうなのであろうか?
■昭和天皇が戦争狂になった訳
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1798497.html
(この説に不足しているのは南朝北朝の確執。これを描かないと真相から遠ざかる。)