Quantcast
Channel: 強制介入キボンヌも未知との遭遇までノラリクラリはいつまで?ッテカ。Φ(;´π`)φ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 14527

1万年に1度の王朝

$
0
0

パソコンもブログ重くて重くて重くてサイト攻撃か、知りませんが、イライラの連続ですが。

今日の特別編は、今日のテーマみたくなってる、六芒星、逆卍、日本とイスラエル、光と闇、善と悪の、根源みたいな、名無し先生の①のグループに日本は乗っ取られたという、その、日本イスラエルの、象徴みたいな、煩悩くんフルスロットルさん最新ですが。参考になりますね。Φ(^π^;)φ

 

1万年に1度の王朝

http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2786.html

 

「1000年に1度の逸材」とは、ベッキー・クルーエル同様「可愛いにもほどがある!」と1枚の写真からネットで話題沸騰した九州博多を拠点に活動する地ドルRev.from DVLに属する橋本環奈のことですが、何やら「千年王国」を彷彿とさせるようなキャッチコピー(爆)。

 

(DVLはDevilの略ではなく、Dance、Vocal、Loveの略)

しかし、その10倍凄いのがバルト海で3000年、日本渡来で7000年、合計1万年に渡る長い歴史を誇るエドム人の天神系王朝。伊平屋島を経由して列島に渡来し、日本で独自発展したドルイド教を今に伝えている。
※沖縄は偶像崇拝しない「御獄」が点在しており、旧約聖書記述と似た言葉や風習が今でも残っているが、仏教の影響を殆ど受けなかった為にドルイド教が渡来当時のまま残っている。

で、現在、天神系トップは443代目になるという。
1世代25年とすれば、大体1万年になります。

日本にいる3人の天皇のうち、この天神系こそが世界最長の王朝であり、

「1万年に1度の王朝」なのだす。

世界一古い王朝と称される万世一系の天皇家も皇紀元年から計算した場合で2600年程度。実際のところは、長くても1500年程度であり、明治維新での南朝交替で区切りを入れた場などは200年にも満たない。天皇家の王朝期間などは1万年の歴史を誇る天神系の朝廷に比べれば、まだまだひよっこに過ぎず、天神系は奇跡の王朝でもある。

橋下環奈
(福岡天神で踊る「天使すぎるアイドル」をブレイクさせた奇跡の1枚)

ヘブライ人とエドム人はともにセム系であり、アブラハムから枝分かれした兄弟部族だとされている。そのヘブライ人を宗教で支配したのがレビ族ですが、この宗教支配はドルイド教のエドム人と深い繋がりがあると思う。今ある世界中の全ての宗教はこのドルイド教からの枝別れに過ぎない。

即ち、Reg.from Druidなのだす~(爆)
※Reg.=Religion(宗教)、Druid(ドルイド)

で、「レビ族=エドム人神官集団」だったのではないかとオイラは睨んでいる。

明代(1368年-1644年)、中国開封にいるユダヤ人は皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を授けられたが、これらは本来のユダヤ人の氏族の姓 Ezra, Shimon, Cohen, Gilbert, Levy, Joshua, Jonathan をそれぞれ中国風にしたもの。このうちLevyは名の通りレビ族であったと思われる。

つまり、、、Levy(レビ族)=李氏

李氏は東アジアの支配層として頻繁に登場する姓ですが、例えば、李氏朝鮮の李承晩、ベトナムの李王朝(李公蘊が創始)、台湾の李登輝、中国の李克強、シンガポールのリー・クアンユー(李光耀)...等がいる。この李一族が実質的に東アジアの王族として立っている。フリッツ・スプリングマイヤーの『イルミナティ悪魔の13血流―世界を収奪支配する巨大名家の素顔―』には、13血流の中にこの李氏が入っていますが、李氏=レビ族なら納得がいく話。このレビ族による東アジア支配、、、日本も表向きは見えないが同様である。
※李氏朝鮮の代表的な本貫をあげると、全州李氏を筆頭に、慶州李氏、延安李氏、全義李氏、広州李氏、韓山李氏、徳水李氏、龍仁李氏、咸安李氏、陜川李氏とつづく。全州李氏の始祖は高麗の国権を簒奪し、李氏朝鮮(1392年~)をうち建てた李成桂。

本来、レビ族は司祭階級として王に油を注ぐ者(王を選ぶ者、王に権威を与える者)として存在していますが、日本の天神系も王位継承争いに関して主体的には動いておらず、別の括りで動いているという。
※聖書からは、レビ族の名門アロン家系が大祭司、モーセ家系が祭司階級として祭祀を行ったとされる。

日本での李氏は賀茂氏なのか? 藤原氏なのか? まだまだ決め兼ねている状態ですが、参議において次の天皇候補者を推挙する立場にあった藤原五摂家も「王を選ぶ者」だと言えるのですが、今のところのオイラの見解は天皇即位儀式に関与し「権威を与える」役目があり、また、自然崇拝のドルイド教とも関係深そうなことから神道祭祀を司る賀茂縣主(天神系賀茂氏)がそうではないかと睨んでいる。

現在イスラエルのある地は、古代にはペリシテ人らのハム系(黒人種)が支配した地であり、セム系のアブラハム末裔のヘブライ人は地方の少数民族に過ぎず、12支族を形成するような大所帯でもなかった。つまり、「イスラエル」と呼ばれる国は地上に一度も存在したこともなかった。このことはカバラ教師も聖書のトーラー(モーセ五書)は上層世界(形而上世界)のことを述べていて、実際の歴史ではないと断言している。

カバラでは上層世界(天上界)を指すものを「根の言葉」、物質世界を指すものを「枝の言葉」と言っていますが、それらは一対一で対応している。つまり聖書の「モーセ五書」の内容は歴史的史実を記したものではなく、形而上世界の事=想像の産物を記述しているのです。

但し、全く無味乾燥で荒唐無稽な内容を記したのではなく、そこにはカバラの叡智(上層世界が降下して物質世界を形成し、再び上層世界に戻る)が集約されている。例えば、聖書中の枝の言葉「Nation(国家)」が「物質界の願望」という根の言葉に対応し、「イスラエル」は「上層世界(神の国)を志向し霊性に到達したいという欲望」を意味するように、この枝-根の対応関係を知らないと、本当の意味でトーラーに書かれた内容を知ることは出来ないと云われる。

sephiroth-tree.jpg
(カバラ叡智の結晶は「生命の木」)

この古代イスラエル王国が存在しなかった点に関して、名無し先生も同様に述べている。

*************************************************
この世にイエスの後継者が現れることはありません。聖書や神話をかじっている人なら基本的な部分ですので敢えて説明は省きます。しかし、聖書に記載されていることの追体験は起こり得ることを多くの者が語っているので知っておいた方が良いでしょう。「自称イエス」はソコにおこる勘違いであり、もう一つ言うなら聖書にあるイスラエルは土地を有する国ではないということです。大きな勘違いや誤解が争いや不幸を招いているとしたら、それこそペリシテ人が黙っていないでしょう。
*************************************************

また別の記述でも「北イスラエル族」「南イスラエル海洋族」という不思議な言い廻しをしています。普通は「北イスラエル王国の住民」「南ユダ王国の住民」、あるいは「十支族」「ユダ族」という言い方をするところがそうなっていないのは、古代イスラエル王国が実在しなかったからですね。

*************************************************
この日本列島到着第一陣は、現在の中国、ロシア方面を産地とする黒曜石を矢じりの材料として日本に持ち込み、青森の十三湊を拠点として、日本全国に交易していたようです。縄文時代の武器の元締めで、仙台辺りに都を築いていたようです。

そしてBC7世紀のアッシリアを出た北イスラエル族が、シルクロード、朝鮮半島を経て、遥かに遅れて第2陣として日本列島に到着し、出雲に都を作ったと言われています。これが地祇系です。

第3陣は紀元1世紀にローマを出た南イスラエル海洋族が、稲作と天孫降臨伝説を日本列島にもたらしたとされている訳です。

しかし第1陣の別動隊は地中海方面に向かいサルディーニャを中継基地にしていたとの事で、第2,3陣の祖にもなってしまいます。日本列島での古代文明区分では、1,2陣が縄文族、3陣が弥生族となり反目になります。さて、こうなると何処と何処が同祖やら分からなくなりますね?

*************************************************

つまり、脱エジプト(エクソダス)も40年の荒野の放浪も古代イスラエル王国も北王国も南王国も、、、皆、嘘だった。極端にいえば、ダビデのイスラエル王国とはユダヤ人の妄想の産物。まぁ、それに似たような史実はあるにはあったのですが、、、それは数段劣ったものであり、聖書記述通りのそのままではなかったといったところだろう。

旧約聖書の創世記はシュメールの「ベルの書」を参考にした劣化改竄移植版に過ぎませんが、今までイスラエルの歴史とされてきた内容も、実は全く史実ではなかったというわけです。

まぁ、旧約聖書というのは、、、、

「嘘を付くにもほどがある!」(爆)

事実、新聞「La Repubblica」の報道によれば、、、

*************************************************
「聖書に記述された偉大な出来事の数々は、一度も起こらなかった」。この結論は、イスラエルの考古学者らが長年にわたる発掘作業をもとに、たどり着いたものだという。

■イスラエル人学者「聖書に記述された出来事は実際には起こらなかった」
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_05_02/271911673/
*************************************************

とあるように、オイラの洞察内容を証明してくてれいる。

では、現在あるエルサレム神殿跡とされる「嘆きの壁」を始めとした神殿遺構は、一体、どの民族が作ったものだったのでしょうか?
※エルサレム神殿とは、第1神殿・・・紀元前10世紀にソロモン王が建設した神殿(ソロモン神殿)、第2神殿・・・バビロン捕囚からの解放後の紀元前515年にゼルバベルの指揮でほぼ同じ場所に再建された神殿、更に紀元前20年にヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿(ヘロデ神殿)ということになっている。

嘆きの壁(神殿の西の壁)と呼ばれるものは、全長は約490mのうち地上に見えている約57mの部位。ここでユダヤ教徒が祈りを捧げている。広場の前の壁の高さは約19m。地下部分は32mあるといい、地上28段、地下17段の計45段からなる壁である。但し、一気に作られたわけではなく、異なる4つの期間の建築によって出来上がったものが現在の姿。

嘆きの壁

壁の上方から、その建設年代は、、、

■地上26–28段目・・・1967年にエルサレムのムフティーが追加
■地上12–25段目・・・1866年に英国実業家が追加
■地上8-11段目・・・7世紀にウマイヤ朝によって追加
■地上1-7段目・・・紀元前20年頃、ヘロデ大王の時代


以上のように、エルサレム神殿にはヘロデ大王時代より古い遺構が見られないことから、エルサレム神殿の歴史もこのヘロデ大王止まりが真実ではないのだろうか?

ヘロデ大王とは共和政ローマ末期からローマ帝国初期にかけて、ユダヤ人地区を統治した王(在位:紀元前37年 - 紀元前4年)ですが、ユダヤ人ではなくヘブライの兄弟部族であるエドム人。更に遡れば、セム系のエドム人が支配したエルサレムの地もかつてハム系が支配した地。ユダヤの民族歴史は氏祖アブラハムが神からの啓示を受けて貧しい土地に別れを告げ、親族を率いて約束の地カナンを目指す旅に出たことから始まりますが、このカナンとはハム系のフェニキア人(カナン人)の地であったことから、フェニキア人(紀元前12世紀~)が候補に挙がってきますが、もしかすると南カナンに居たペリシテ人(紀元前13~12世紀)の方かもしれない。
※名無し先生の「ペリシテ人が黙っていないでしょう。」という言説からはペリシテ人なのかなぁ~

レビ族とペリシテ人の関係、、、東アジアで言えば、李氏客家の関係はどうなのだろう? 客家の一大姓にも李氏がある。ペリシテ人(客家)が実質的な経済支配し、表の支配者としてレビ族(李氏)を立てるようになっているのではないだろうか? 日本で言えば、ペリシテ人(客家)は緑のカラス棟梁の徳川家になるわけだが、、、
※レビ族=ドルイド神官としましたが、ここは分けて、レビ族=藤原五摂家、ペリシテ人=徳川家、ドルイド神官=賀茂氏という区分も可能だなぁ、、、まだまだ洞察が必要な箇所です。

フルとはカナンの地の古名ですが、このことからカナン人=フルリ人(スバルを根拠地としミタンニ王国を建国)の可能性も漂ってきます。
※ちなみに、この「フル」は物部氏の石上神宮のある天理市布留町の「布留」であり、布留御魂大神 の「布留」でもある。

このようハム系に支配され、国を持たず王を持たないヘブライ人の彼らも王だけでも欲しいと望み、司祭長であるレビ族が王を選ぶようになっていった。更に、ユダ族がレビ族が結託してユダ族からのみ王が選ばれるようになったことに対し反発したのが北イスラエル族。その結果、民族は分裂。これが南北イスラエルの分裂とその後の失われた十支族として記されたわけです。

この架空の王国が統一イスラエルであり、現イスラエル国の国旗が六芒星で示されるのは、北イスラエル王国(地祇系=バアルを信仰?)を示す「▽」と南ユダ国(天孫系=ヤハウェを信仰?)を示す「△」が統一した王国であることの象徴的シンボルでもある。

六芒星

この2つの勢力が衝突したのが壬申の乱

これは日本を二分した古代日本における最大の内戦でしたが、扶余~新羅経由で列島渡来してきたの地祇系(天武系=大海軍)と、その後を追って南方廻りで百済経由で列島渡来して来た天孫系(天智系=大津軍)の王権を掛けた戦い。実質的には北イスラエル族(新羅系)と南イスラエル族(百済系)の戦いでもあった。

語り部説に従えば、壬申の乱は記紀記述(琵琶湖周辺)とは異なり、本当の主戦場となったのは東三河であった。豊橋市章はこの2勢力がこの地で衝突したことをシンボル的に暗喩(△と▽の激突)しているのだろうか?
※江戸時代の「二葉松」には、白鳳年間に草壁皇子が三河の地に住み宮路山上に祠を祀ったという伝承があって、のちに村民らが合祀して鎮守としたのが宮道天神社。宮路山の南山麓には白山神社があり、そこの小さな石塔が草壁皇子の墓。持統上皇が3ヶ月間滞在してこの墓を弔う一方、亡き天武帝の東三河での御落胤を全て皆殺しした。これが持統上皇の謎の三河行幸の真相。
※邇波氏族の中臣大嶋は草壁皇子(武殻王)と壬申の乱で後詰めで三河守備(御津の宮路山)。中臣大嶋は壬申の乱功績で天武天皇から藤原姓賜り、衣、袴、額田王を戴く。後に中臣大嶋は草壁皇子暗殺。この暗殺が自分の子を天皇位に付けようとしていた持統上皇【本当は天皇にすらなっていない】を三河での天武御落胤虐殺に走らせた。中臣大嶋はこの咎を認め、砥鹿(咎)神社を創建し日下部氏と改名。また藤原姓を天武御落胤の宮子を養育した藤原不比等に譲渡した...が語り部説。
豊橋

北イスラエル族を追って日本列島にやってきたのが南イスラエル海洋族ですが、まさに「来るべきものが来たって感じ」で衝突したのが6月24日(新暦7月24日)に勃発した壬申の乱。

6月24日はこの2勢力が歴史上始めて激突した記念日なのだす。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 14527

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>