蒸しますね、の時期なのに、冷えますね、ぐらいの梅雨になっとりますが。
ムーさんも紹介してますが、浅川さんの記事の誘惑に負けてレイトショーで、長時間鑑賞してきましたが。
花金の、繁華街の駐車場も、景気失速か、魔坂の、ガラガラ状態、この方が気になりましたが。
主人公ラッセルクロウは、スーパーマンマンオブスティールの父親役より、やはり、グラディエーターがダブル、役柄か。
セリフで残るのが、「神の国に王はいない」「新しい世界に悪は入れない」ですか。
神の意志に従うか、人間の意志に従うか、なんてところは、邪悪な王のセリフだけあって、フリーメーソン連想しちゃいましたが。
ラスト、男の赤ん坊なら生かして、女の赤ん坊なら、その場で斬り殺すところ、双子の女の子で、神が、ノアに、慈悲と愛を試したなんて、子供を産んだ、イルのセリフだったか、善悪の判定、2元論の、葛藤が、ユダヤ人のハリウッドの映画なのねと、感じるモノがありましたが。
天使が人間を助けて、岩の怪物にされて、ラスト、ノア達を王の兵隊から守る為に、兵士人間を殺しながら、天使に昇天するところが、また、選民死相というか、人口削減というか、まぁ、聖書は、神話の捏造に利用されたのねと、思わざるを得ない、名無し先生の、諸説、666歩リード死相な映画ですが。
とりあえず、あっという間の、140分でしたが、洪水、噴火、水に火の洗礼に、第7の絶滅から、人類ゴイムリセットの、また、ゴイム管理、やり直し予告の映画なのねと、陰謀オカルト宇宙人系は、刷り込みするようなシナリオでもありましたが。
とりあえず、トランスフォーマー、猿の惑星までの、話のタネには良いかなと。
ということで、玉蹴りの結果でも少しチェックして、夢予知ですね。
映画「ノア 約束の舟」を観てきたよ~。 (06/13)
http://agnes2001.blog.fc2.com/blog-entry-2245.html
本日公開の話題の映画「ノア 約束の舟」を観てきました。
流石はハリウッド、最新のCG特撮技術を駆使したスペクタクル映画となっています。全然退屈はしませんよ。ただ、聖書を基にしている映画ですので、一神教的な要素が濃く、欧米人の選民意識をちょっぴり感じますね。個人的には「岩の堕天使・ウォッチャー」がSF的で、ちょっと勘弁してほしいかなぁ~。
ノアの3人の息子たちは、セムが黄色人種の祖、ハムが黒色人種の祖、ヤペテが白色人種の祖と言われています。結論としては「人類みな兄弟」なんですが、人間の欲望や憎悪によって、環境破壊、戦争がいつまで経ってもなくならないわけです。同時期に「ポンペイ」も上映されており、「ディ・アフター・トゥモロー」等と同じく、ある筋からのメッセージとも考えることができるでしょう。
(過去記事) 「破滅の化石」 「ノアの方舟の残骸発見」 「ノアの箱舟は円形だった?」
あらすじ
少年だったノアは、父親がトゥバル・カインによって殺されるところを目撃する。
やがて大人になり、妻と3人の子供に恵まれたノアは貧しいながらも、創造主の教えに従い慎ましく生きていた。そしてある日、ノアは不毛の大地に一輪の花が咲くところを目撃し、やがて水のなかに沈んでいく無数の屍の夢をみる。
それは堕落した人類へ向けた創造主の怒りであった。
突然訪れた啓示の意味を探るべく、祖父の探す旅にでたノアの一族は、途中の廃墟のなかで傷を負った少女を発見する。そして彼女の手当をしている途中に、因縁のとトゥバル・カインの手下たちと遭遇、必死になって逃げ込んだ先は堕天使である石のゴーレム「ウォッチャー/番人」が支配する一帯だった。
「ウォッチャー/番人」の威嚇のため追手は去り、そして祖父の元に辿り着いたノアは、エデンの園からもたらされた植物の種を受け取る。そしてその種を不毛の大地に埋めると、一帯に水が溢れ、瞬時に大地に緑が溢れた。奇跡を目の当たりにした「ウォッチャー/番人」はノアの一族に従うことを決意、そして啓示にあった大洪水から無垢なる生命を守るために、巨大な箱船を建設する。
ノア、妻のナーム、三人の息子であるセム、ハム、ヤペテ、そして養女であるイラの5人は、来るべく大洪水に備え「ウォッチャー/番人」らとともに箱船を建設する。
しかしそこには洪水後の世界に女が1人しかいなくなるという問題が絡み、セムとハムは反目することになる。そして新たに宿る命。
無垢なる生命とは一体何か?救済は誰に向けられるのか?創造主がノアに課した役割とは何なのか?ノアが苦悩の淵でもがくなか、箱船を狙うトゥバル・カイン。そこでノアが下す決断とは?
原作(聖書)との相違点
『ノア 約束の舟』と旧約聖書『創世記』に登場するノアの箱船伝説との大きな相違点を指摘したい。
物語の骨格に関係する最も大きな改変ポイントは、箱船に乗ったノアの一族の数である。本作ではノア、妻のナーム、三人の息子、そして1人の養女の5人となっており、この設定が物語後半に訪れるノアの葛藤を要因となるのだが、原作(聖書)では箱船に乗る人間の数は8人で、三人の息子にはそれぞれ妻がいることになっている。海外での本作を巡る宗教的論争もこの部分にかなり集中している。
そして本作ではノアが繰り返し問答するノアの息子たちが「人類最後の一族」であるという呪いのような執着が描かれるが、原作(聖書)では、文字通り神の視点から、無垢なるノアの一族だけは助けるように天使は命じられる。
他にも、人類の堕落の象徴として登場するトゥバル・カインはノアの誕生よりもずっと以前の登場人物だし、岩の堕天使も聖書とはずいぶんと違う。
そして個人的に最も重要だと思うポイントは物語のエンディング近くに訪れるシーンにある。こういった映画でもネタバレに神経質な方はちょっとだけ目をつぶっていただくとして、映画では大洪水後にノアの次男のハムが一人旅にでることになるのだが、聖書の記述では、葡萄酒に酔ったノアの介抱をハムが怠ったためノアがハムの息子カナンを呪う、ということになっている。
その呪いとはカナンの一族は以後セムとヤペテの一族の奴隷となるというもので、この部分の解釈は創世記のなかでも未だに論争となっている。そしてノアという“人間”の評価を隔てる逸話でもある。
http://beagle-voyage.com/movie-noah-2014.htmlより
ノアが「天地創造」を語るシーン(必見)
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映画「ノア 約束の舟」
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