原田説の除染は、ケッシュとは違うようですが。
参考になりますね。
続・トリチウム汚染水が消える日 イノヴェーションを阻むもの (連載「パックス・ジャポニカへの道」)
http://blog.goo.ne.jp/shiome/e/bbf99d89b409ddc8350840f74d8d07ee
今、アベノミクスの行く末が危ぶまれている。それもそのはず、我が国の経済が抱える最大の問題は少子高齢化に伴う「生産性 (productivity)」の低下をどうするかという問題であるはずなのに、そのことだけにまずは真正面から取り組まないからである。まともな経済成 長戦略が打ち出されない中、「異次元緩和」をひたすら行い、資産バブルだけを引き起こしている。その姿を国際社会は当初、驚嘆していたが、直に不審の眼差 しを向けるようになっている。そしてついには「拒否」という態度をはっきりと示し始めたことは、5月21日から中小型株より意図的に上昇局面を創り、本来 であれば7月4日前後から大型株へと連なる大相場を創り出そうと誘導し、指標を整えたものの、その後、主役となるべきグローバル・マクロ系ヘッジファンド たちが東京マーケットに飛来しなかったことに露骨に現れている。アベノミクスは米欧の統治エリートたちによって拒否されたのである。それでも円安誘導に伴う資産バブル展開という意味でのアベノミクスを止めるわけにはいかない第2次安倍晋三政権はもがき苦しんでおり、一般公開メディアからすら揶揄され始めつつも、懸命な「株価操作」に走りつつある。
今、我が国が行わなければならないのは金融緩和によって上滑りの資産バブルを引き続き起こすことでは断じてない。実体としての経済(real economy)においてポジティヴな意味での大激変を巻き起こし、それをもって我が国に国際社会全体からマネーが飛来するようにすること、そしてそれを通じて我が国政府の歳入が劇的に増えるように仕向けることなのである。それ以上でも、それ以下でもないのであって、ますます財布の口を締め上げつつある国民の尻を叩き、増税や社会保障費という名前の「将来所得」を事実上帳消しにして公的債務を相殺することでは断じてないのである。
私が知る限り、我が国が抱える本質的な問題である公的債務の著しい累積問題について主管である財務省はある種の悲観シナリオ、いや率直にいえば「破 綻シナリオ」を念頭において行動している。私がかつて暮らしていた霞が関における「常識」に従えば、財務省は「経済成長戦略」の主管官庁ではない。だから 上述のとおり、真の意味での経済成長戦略が策定されることについてイニシアティヴをとることは出来ないのであって、むしろそのことをある意味逆手にとりな がら、インフレ、そしてハイパーインフレによる債務の事実上の縮減シナリオを実現しつつある。無論、私は財務官僚たちをいたずらに非難したいのではない。 なぜならば彼らの本音はこうなのだ。
「細川護熙政権が提案し、結局はマスコミ世論によって『国民福祉税』が潰されて後、20年近くの月日が流れた。それだけ時間があったにもかかわら ず、この問題について結局1人たりとも歴代の総理大臣は本質的解決をしようとはしてこなかったのだ。結局はそうした総理大臣を間接的にとはいっても選んだ 国民の問題なのであって、2012年度末に我が国の国富と公的債務残高の帳尻が実質的にあってしまった以上、もはや非常手段を行使するしかない」
こうした役所の論理を私は理解するものだが、しかし同時に思うのは「官僚たちにまかせっきりでこの問題を解決することはそもそも出来ない」ということでもある。経済は常に「ルシャトリエの原理」によって支配されており、公的債務といういわば「陰」が余りにも積もり重なってしまったというのであれば、これを補って余りあるだけの「陽」、すなわちフレッシュなマネーが流れ込んでくるようにすれば良いだけのことなのである。だ が、官僚たちの役割はビジネスではない。したがってこうした利潤の獲得そのものは官僚たちの為せる業ではないのであり、だからこそ彼らに任せてしまうと 「ハイパーインフレ懸念による一般国民による金融機関への殺到と、それに伴う金融破綻、そしてこれを処理するための政府・日銀による努力の中での金融機関 保有の国債=国民の預貯金の召し上げによる相殺、公的債務問題の処理(事実上のデフォルト処理)」という発想しかなくなってしまうというわけなのだ。
率直に言おう。―――我が国を救うのは「イノヴェーション」である。しかも半端ではないくらい輝く力をもったイノヴェーションである。これしかないのであって、それも今求められているのは我が国のカントリー・リスクを著しく高め、もって海外マネーの流入を阻んでしまっている要因の除去を行うことなのである。具体的にいうと、あの忌まわしい「3.11東日本大震災」の結果生じた福島第一原子力発電所において日量400トン(!)も出続けているトリチウム汚染水の処理技術の開発なのである。正直、まずはこの一点に絞られている。
人づてに聞くところによれば、福島第一原子力発電所においては志ある東京電力の技術系職員の皆さんを筆頭に連日連夜、懸命の努力が続けられている。 「水素爆発」の時が世間的には最も注目されたこの事案であるが、実はその後も全く事態は変わっていないのである。現場には焦燥感だけが積もり重なってい る。
一方、これを解決する手法としてはもはや既存のやり方だけでは現実に対して不適合だということは、ここに来て矢継早に発表された出来事からも明らかなのだ。例えば震災発生直後にサルコジ大統領(当時)がわざわざ飛来してトップ・セールスまで行ったフランス・アレバ社の汚染水処理装置について、東京電力は11日に廃止申請を原子力委員会に対して行った。要するに「使えなかった」というわけなのである。国際社会に対する配慮としてはよかったかもしれないが、莫大な資金と時間、そして労力がこれによって無駄になってしまった。
また福島第一原発の廃炉処理において最大の問題となっているのは既存の装置によって除去が可能なセシウム・ストロンチウムではなく、こ れによってはどうしても除去が不可能なトリチウムであって、しかもこれが貯蔵タンクから漏れ出し、地下水に紛れ込んでしまっているという最悪の事態なわけ だが、これについて「決定打」として打ち出されていたはずの氷の壁の建設計画が早くも断念され始めているのではないかというリーク情報がここに来て報じられている。これは文字どおりの苦肉の策であったわけだが、やはり無理であったということになる。
この問題について私は今年(2014年)1月から「最終解決をもたらす技術の開発が民間ベース、しかも全く無名のヴェンチャー企業において進められていること」を対外公表した。これに対する反応はすさまじいものがあった。現 代の物理学・化学の教科書においては「トリチウム汚染水の処理は原理的に不可能」ということになっている。そのことを文字どおり盲信している科学者・技術 者の方々、あるいは「科学愛好者」の方々からは「原理的にそのような技術はあり得ない」という反論がソーシャル・メディアにおいて激しくなされた。
一方、最近のインターネット・メディアはすべてデジタル・マーケティングを厳密に行っている。そこでは掲載記事について話題になるのは良いものの、 ネガティヴ・ワードによって拡散されてしまっているとなると媒体に掲載される広告に対して良からぬ影響があるとの判断を下すのが一般的である。そのため、 上記の記事を掲載していた媒体「東洋経済オンライン」は私の連載を一方的に打ち切り、このことをあたかも「無かったこと」のように処理しようと奔走した。
こうなると全くもって無責任な「野次馬媒体」が動き出すのが我が国の常でもある。何らの技術的検証をすることなく、この問題に対する私の指摘に対し て「ガセネタである」と決めつける向きが現れ、大いに拡散した。ちなみにこの媒体はその後の当方の第三者機関を通じた調査の結果、デジタル・マーケティン グ上、ネガティヴ媒体として徹底的にマークされているものである。実は民間企業の公式ウェブサイトは全て、こうしたネガティヴ媒体によるリンクや言及など について検索順位を下げるための有料サービスをこれら第三者機関から受けているのであるが、このネガティヴ媒体の負の影響力は余りにも根強く、消去するの に非常に手間と時間がかかるものなのである。上述の「東洋経済オンライン」の対応についても、デジタル・マーケティングという観点からのみ純粋に見るなら ばこうしたネガティヴ媒体によるインパクトをいち早く断ち切るという観点で行われたものと理解できる。
念のために申し上げおきたいのだが、私はこれら3者による「事実関係の直接的な確認」を一切受けていない。つまり「教科書的な科学・化学の知識を振 り上げて云々する読者の方々」「東洋経済オンライン(及びその周辺で怯えた他のインターネット媒体)」「野次馬であり、全くもって無責任なネガティヴ媒 体」の3つは、いずれも(1)責任ある立場の人物から責任ある形で当研究 所に対して連絡をとり、(2)その上で事実関係について、可能であれば当該ヴェンチャー企業による実験を取材したい、あるいは実地検分したいと申し入れる ことはなく、(3)かつそこで実際に「その目」で見聞きしたことを第三者機関によって検証し、(4)これらを経た上で初めて「批判的な見解」を発表すると いう段取りを全くもって踏んでいないのである。しかるに私と私の研究所による、こうした「救国のイノヴェーション」をい たずらに揶揄し、あるいは黙殺し、「陰謀論だ」などと面白おかしく書き立てては、自らのサイトの広告収入をあげたりしているのである。そうした態度を見 て、読者の皆さんは「一国民」として憤りを覚えないだろうか?
端的に申し上げよう。その後、上述のヴェンチャー企業の関係者による努力は着実に進んでいる。あ らかじめ併せ申し上げるが、イノヴェーション=技術革新は当該企業にとって極秘事項である。ましてや事が事だけに(つまり我が国の命運を文字どおり左右す る技術であるだけに)当然、現段階では誠に遺憾ながら伏さなければならない事項が多々あることをお赦し頂ければと思う。その上でギリギリのところで現状を お伝えするならばこうなる:
●問題となっていた我が国を代表する高等教育研究機関におけるこの 技術に関する「実証実験」は見事に成功した。当該高等教育研究機関はすぐさまこのヴェンチャー企業と「共同研究契約」を締結し、その研究開発を推し進める ことを決めた(※ちなみにこの共同研究契約ならびにその前提となっている第三者機関による「検証」を含めた一連の実験結果に関するデータの写しを私は実際 にこの目で確認した)
●現在残された課題は以下のとおりである:
1)本件「実証実験」の結果に関する「確認実験」の実施
2)上記を踏まえた対外公表の実施
3)トリチウム汚染水を用いた「実証実験」の実施
4)その結果を踏まえた「トリチウム汚染水最終処理装置」の試作機の開発
5)上記「試作機」を用いた東京電力による試用実験とその結果検証
6)東京電力による本件最終処理装置の採用と、日量400トンも排出されるトリチウム汚染水に対処するに余りある規模での同装置の大量生産の開始
専門家ではない読者の皆様にとっては分かりづらいところもあるかと思うので、誤解を招かぬよう説明すると、まずこれまでの「検証実験」によって成功 したのはトリチウム水と同位体(アイソトープ)である重水の分解実験である。重水をこのヴェンチャー企業が開発した装置にかけると軽水と水素へと転換する ことが確認された。「大したことではない」と素人目に思われるかもしれないが、実はこれだけでもノーベル賞を受賞してもおかしくないくらいの技術開発なの である。なぜならば軽水(すなわち通常の水)と同位体である重水は、問題であるトリチウム水と同じく、分解することは不可能というのが「教科書的な知識」 に基づくこれまでの偏見だったからである。そして重水で出来た以上はトリチウム水でも同様の効果が出て来るはず、というのが研究に携わる研究者の一致した 見解なのである。
「それではすぐにでも対外公表し、トリチウム汚染水を処理すれば良いではないか」
そう読者は想われるに違いない。だが簡単に問屋は降ろさないのである。なぜならばトリチウム水は(1)問題となっている福島第一原子力発電所が大量 に保有・管理しているか(当然、資源エネルギー庁の許可がその利用に際しては必要となる)、(2)原子力研究を推し進めている各種高等研究機関が少量を保 有・管理しているか(これについても許可申請をすればすぐに利用できるという代物ではない)、のどちらかしかないからである。当事者となっている東京電力 の関係者は、実はこのヴェンチャー企業による最先端技術の開発を知っており、また首相官邸において安倍晋三総理大臣を支える官僚たちもその存在を熟知して いる。いや、率直言うならば「この技術しか残された道はない」と皆知っているのである。だが彼らは動くことが出来ず、また動かないのである。
なぜならば(これが第一の問題なのであるが)小保方晴子氏による「STAP細胞」の一件以来、最新技術の対外発表に際してはハードルが一気に我が国では上げられてしまったからである。私が本邦メディアの幹部らから聴取した限りにおいては、マスメディアが本件を「まともに」取り上げる基準は以下のとおりである:
●単に「トリチウム汚染水が重水・軽水・水素に分解出来たなどと(例えばであるが)発表する」のでは全く不十分である。つまり現象面だけを淡々と データで説明されたとしてもダメであり、それに対する理論的な説明をまずは当該研究を行った研究者自身の口から理路整然と行われる必要がある
●また担当した研究者が説明するだけでは足りず、当該研究機関全体による見解表明も不可欠である。すなわちそれに所属する他の責任ある研究者たち が、仮にマスメディアによる取材を受けた際、皆が皆、「口裏をあわせる」形ではないが、同じ理論構成で説明をしてくれる必要がある。若干の異論があった場 合にはそれも併せて紹介するが、しかし余りにも本質的な反論と判断された場合には本論の発表を控えざるを得ない
「STAP細胞」を巡っては責任ある科学者が自死するという悲劇すら生じてしまった。それだけに本邦マスメディアが非常に高いハードルを掲げ始めたことには納得できる側面もある。
だが事ここに及ぶと「本当にそれで良いのか?」と強く想わざるを得ないのである。なぜならば人体に有害であることが明らかなトリチウム汚染水はあの 福島第一原子力発電所から日量400トンも排出され続けているのである。当該研究者、研究機関、あるいは本邦マスメディアの「ためにする」議論を固めるた めに、現象として既にその分解が可能であることが分かっているにもかかわらず事実上放置することにより、今後、いったいどれだけの不可逆的な損害が人命も 含めもたらされるかは全くもって未知数なのである。
しかし「そのこと」は分かっていても、事ここに及んでも誰も動かないのが私たち日本人の悲しい性なのである。現在、関係者らは当該高等教育研究機関 において今月末(8月末)までの期間を用いて、夏休み返上で「確認実験」を繰り返すこととしている。その後、そのデータをベースに「完璧な」理論構築に励 むことになるが、果たしてそれが従来の教科書的な知識で可能なのかは、素人目に見ても甚だ疑問なのである。なぜならば私が今年(2014年)1月の段階で端的に指摘したとおり、この技術は要するに「従来の教科書的な知識の枠外」で発生している現象に関するものだからである。 正にイノヴェーションそのものの事例なのである(※ちなみにこう述べるとまた「陰謀論」だとか揶揄する向きもいるはずなので、申し上げておく。私は資料と してのデータだけではなく、「この目」で本件技術の実験の最中に質量計があり得ない形でデータをはじき出すのを何度も目視している。「百聞は一見に如か ず」とはいうが、「一見もしたことがない者」が云々し、大声で根拠なき議論を繰り広ろげ、それが世の中を制してしまうことほど馬鹿馬鹿しいことはないと思 うのは私だけだろうか)。
いずれにせよ本邦マスメディアがこのようにいたずらにハードルを上げてしまった以上、関係する研究者らは現象面だけを「とりあえず」「事案の性質 上、緊急避難的に」対外公表することも出来ず、大いに難渋してしまっている。繰り返しになるが、いわゆる「原子力村」の方々、あるいは首相官邸において責 任ある立場にある者たちは全員が全員、この技術の存在を知っているにもかかわらず、フリーズしてしまって動けないのである。当然、公的な資金はこの研究に 対して一銭も出されては来ていない。
その結果、「トリチウム汚染水による地球環境破壊」に対する義憤にだけかられて必死になって研究開発を進めてきた当該ヴェンチャー企業の研究担当 者、そして経営幹部、さらにはその周辺関係者が大事な研究の傍らで資金集めに(文字どおり24時間にわたって)奔走しなければならないことになる。「実証 実験」等の実施には1千万円単位の資金がかかる。ITや不動産で成功し、大量のマネーをフィランソロフィーの名目で出すことを全くもって躊躇しない海の向 こうの起業家・企業家のような存在が皆無である我が国において、こうしたエンジェルを探すことはほぼ不可能に近い。それでもない同社は必至になって資金を 集めてきたのだが、私の目から見ていても、もはや万策尽きた感がある。だが、本当にこれで良いのであろうか?―――いや、断じて「良いわけがない」のであ る。
私は当該ヴェンチャー企業の幹部や研究者たちに対して大いなる敬意を表したいのである。なぜならばこの企業の「技術」対しては嗅覚の鋭い外国勢が続々と触手を伸ばしてきたことも事実だからだ。米国を代表し、私たち日本人ならば誰もが知っているインターネット関連企業、あるいはドイツを代表する公的高等研究機関など、実に枚挙にいとまがない。しかし彼らはこうした海外勢との提携には踏み切らず、ただひたすら自前で邁進してきたのである。
なぜか。その理由は簡単だ。彼らに本当の意味での「愛国心」があるからである。そして(大変恐縮ながら)無名ではあるもののニッポンの民間研究者と して、もはやアベノミクスのマジックが効かなくなってきている我が国が積み上がる苦境を脱出するために最後の秘策となるのがこの技術革新であることを確信 しているからだ。寿命50年を超える原子力発電所は世界中に大量にあり、それを廃炉するための技術のコアとなるのがこの技術であることは専門家であればす ぐに分かる。つまり我が国は唯一の被爆国として、世界中に乱立した原子力発電所を安全に廃炉へと導くための先導役をこの技術を用いることで果たすことが出 来るというわけなのである。そしてそのことを通じて大量のフレッシュなマネーが我が国へと「半永久的に」流れ込む仕組みが出来るのだ。これ以上の「国家戦 略」を私は知らない。
ちなみに上述のトリチウム汚染水処理装置の試作には約7000万円かかるものと試算されている。都心で買うならば「億ション」よりも遥かに安い値段である。だ が、それでもこれをポンと出す気概と高い意識をもった個人・組織・団体・企業はこの「日本」という国には今のところ皆無なのである。「現象」として発生し ていることは既に分かっているにもかかわらず、何故に全く動くことが出来ないのか、諸外国から見ればこれほど笑いものになる状況は無いのだ。ほどなくして 始まるトリチウム汚染水の放水による海洋汚染、そして我が国の多くをはぐくんで来た海洋資源が永久に破壊されてしまうのを私たちは本来ならばとどめること が出来るのに、なぜ「集団凝固」してしまっているのか。そうした現実があるにもかかわらず、ただひたすら上述の真に無責任な「ネガティヴ媒体」などによる ソーシャル・メディアを通じた拡散を放置し、それに恐れおののいたインターネット・メディアは真実を追求するというメディアの本旨を忘れ、自己の保身ばか りに固執しているのであろうか。
私はこの問題の最終解決を今この瞬間にもたらすことが出来るのは、他でもない安倍晋三総理大臣だけであると考えている。 「STAP細胞」については問題が程なく発覚することを素早く察知し、首相官邸での小保方晴子氏との面会をキャンセルした安倍晋三総理大臣であったが、し かしその問題とこの問題は規模、意味、そして深さのいずれをとっても全く異なるのである。このまま何らの手もこの技術について我が国政府が打たなければ、 諸外国の多くの者たちがその存在を既に知っている以上、「日本はやはり殻を打ち破ることが出来なかった」と笑いものにされ、アベノミクス崩壊論を語り始め ることは目に見えているのだ。それに対してこの技術を用いたトリチウム汚染水の最終処理の研究を公的な支援をもって大車輪で行い、即座にそれを現場で使用 させ、すんでのところで大惨事を止めたということになれば安倍晋三総理大臣は永遠に、日本、いや国際社会における人類全体においてその名が残ることになる のである。そう、たった一つの「決断」「英断」によってだけである。
「夜明けの前が一番暗くなる」としばしば言われる。それを打ち破る「暁鐘」として、この拙文を世に問うことにしたい。この日本という豊かな祖国を愛する者の1人として。
(※この問題の解決に向けた関係者の懸命の努力とその成果、並びに当研究所の取り組みについては今後も随時この公式ブログを通じて発表して参ります)