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Channel: 強制介入キボンヌも未知との遭遇までノラリクラリはいつまで?ッテカ。Φ(;´π`)φ
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【イエズス会の国フィリピン 笑えない日本・・・】

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サルーサ最新の、イルミナティ数千の人達が仕事 をしている膨大な地下施設を設置している実際必要とするあらゆるものが入手出来るようにこの人たちを住まわせる数多くの町って、ところで、BSドラマNIKITAのオーバーサイトに、ディビジョン、連想しましたが。
日本や世界や宇宙の動向さん最新の、氷水バケツは悪魔儀式の記事では、
人間の幹細胞を研究する機関は、堕胎された胎芽や胎児の細胞を必要としています。そのために堕胎を推進しています。
研究機関は、胎芽や胎児の血の生贄をエリートに捧げることで、エリートに敬意を称しているのです。

って、ことですが、昨日の映画ルーシーでも、妊娠6週間の、妊婦が、胎児にとっては、原爆に値する、分泌物、CPH4だったか、覚醒物質、連想させますね。

ということで、フィリピンの支配階級の、名無し先生的考察、参考になりますね。Φ(^π^;)φ


【イエズス会の国フィリピン 笑えない日本・・・
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-272.html
こんにちは、今回はフィリピンについて
皆様はフィリピンが東南アジアで唯一のローマンカソリックの国である事はご存知だと思います。
古くからフランシスコ会、イエズス会に入り込まれ、すっかり洗脳されたのがフィリピン。
これは、日本にも起こり得たことです。

しかし、日本はイエズス会の侵入よりも前からイスラエル渡来人の侵入を受けていたため、表向きキリスト教国にはなりませんでした・・・なんて思っていませんか?


実のところ、起源は同じ宗教なのですが・・・

結局はカナンの地をヨシュアがハム族から奪った後、ダビデ王、ソロモン王の時代が全盛期だった訳です。

そして南北イスラエルに分かれ、北はエフライム、南はユダを中心に纏まっておりバビロン捕囚、アッシリア捕囚等を経て散りじりになりますが、ギリシア、エジプト、ロンバルディア・・・に散っていた中で、ローマ帝国の中枢に潜り込んだ勢力が居ると云う事です。

これは北、南と云うより、祭事を扱うレビ族を主体とする動きであったと考えます。

レビ族内のモーセス&アロン兄弟の血筋のサドク(サドカイ派)とサウル王を立て、ダビデに乗り換えたサムエルの流れ(イズハル)の血筋との間の権力闘争です。

イズハルはモーセス&アロン兄弟の父アムラムの兄弟です。アムラムの父がコハテ、祖父がレビです。

このダビデ、ソロモン王の時代に全盛をきわめた処から、千年王国への怨念が始まっていると考える者も、カラスの中には多いのです。

つまり伊勢神宮にダビデ紋=カゴメ紋を祀る理由であり、奥之院でソロモン神殿そのものの儀式を行う根源であると言う事です。


さて、日本は置いておいて、フィリピンについて。
最近、フィリピンのアキノ大統領が叩かれ始めています。
叩いているのはイエズス会です。


iezusu.png

この文中に出てくる、故シン枢機卿。

ハ イメ・シン(Jaime Lachica Sin, 1928年8月31日 - 2005年6月21日)は、フィリピン出身のカトリック教会の枢機卿。1974年から2003年までマニラ大司教を務め、カトリック信者の多いフィリピン において国民の精神的指導者として大きな影響力を持っていた。特に1986年、事実上の独裁者であったフェルディナンド・マルコス大統領を退陣に追い込ん だ一連の民衆運動(エドゥサ革命)において中心的な役割を果たした。

枢機卿(すうききょう、ラテン語: Cardinalis、英: Cardinal)は、カトリック教会における教皇の最高顧問である。重要な案件について教皇を直接に補佐する「枢機卿団」を構成すると同時に、個々の枢 機卿は、教会全体にかかわる日常的な職務について教皇を助ける。

正式な称号は「聖なるローマ教会の枢機卿(ラテン語: Sanctae Romanae Ecclesiae cardinalis)」 で、枢機卿(カーディナル)という言葉自体はラテン語の「Cardo(カルド = 蝶番)」に由来している。これには、枢機卿が教会にとって蝶番のように重要なものという意味がある。敬称は猊下(げいか)。

枢機卿は、原 則として司教の叙階を受けた聖職者の中から教皇が自由に任命し、任期は設けられていない。また、教皇選出選挙(コンクラーヴェ)の選挙権は、枢機卿だけが 持つ。これらと関連して、教皇没後等の使徒座空位時には教皇庁の運営を指導する役割も担う。使徒座空位時の枢機卿団の職務と教皇選挙の詳細については 1996年に発布された使徒憲章『ウニヴェルシ・ドミニチ・グレギシ』で規定されている。

マルコス政権崩壊の直接のきっかけと なったのは1986年の選挙で、(政府の不正な操作によって)マルコスが優勢であるという発表がされたために国民の不満が爆発。国内は騒乱状態となり、い つ内戦になってもおかしくない状態となった。そんな中にあってシン枢機卿はフィリピンのカトリック教会の代表として人々にイエス・キリストと福音の精神に 従うこと、運動の中で絶対に暴力を用いないよう訴えた。

マルコス大統領とイメルダ夫人は完全に国民感情が自分たちから離れていることに気 づき、状況を打開するため、シン枢機卿に自分たちの側について国民を説得してくれるよう願った。枢機卿はこれを丁重に拒否した上、大統領と夫人に対して、 マニラ市内に集まってマルコス打倒を叫んでいた人々に対する武力行使を行わないよう願った。にもかかわらず、大統領は軍に対してデモ制圧のための武力行使 を許可した。

2001年、当時のフィリピン大統領ジョセフ・エストラーダへの国民の不満が再び高まったとき、シン枢機卿は再び政 変の中心人物となった。大統領の汚職が発覚して人々が立ち上がったとき、枢機卿がこの運動を承認したため大統領は退陣に追い込まれ、副大統領のグロリア・ アロヨが大統領の座についた。枢機卿はアキノ大統領、エストラダ大統領、アロヨ大統領のもとで三度勲章を受けている。


現在はルイス・アントニオ・タグル氏が枢機卿です。
上記を読んで、何を思いましたか?

ヴェルフ・・・

教 皇派と皇帝派(きょうこうはとこうていは)とは、12世紀から13世紀の主に北イタリアにおいて、対立するローマ教皇と神聖ローマ皇帝をそれぞれを支持し た都市、貴族達を指すが、14世紀から15世紀には本来の意味から離れ、対立する都市間の争いや都市内部の派閥抗争における両勢力の便宜的な分類として用 いられた。ゲルフとギベリンともいう。

元々は、神聖ローマ帝国の帝位争いにおいてヴェルフ派をヴェルフ、ホーエンシュタウフェン派を ウィーベリンと言ったものが、ヴェルフ家が教皇と結んで、帝位についたホーエンシュタウフェン朝と対抗したため、これがイタリアに伝わり教皇派と皇帝派 (ゲルフ(グエルフィ、Guelfi)とギベリン(ギベッリーニ、Ghibellini))となった。

ヘッセン、オラニエ、イギリス、モナコ・・・とめどなく繋がる王家の祖先、ヴェルフ。

この教皇派と皇帝派の戦いが今でも続いている国。


これがフィリピン。
正反合です。
フィリピンはこんな国なんです。

ハッハッハ!!と笑っている場合では有りません。
日本の皇族(実際はカラス)を裏の頂点とする既存流通体制。
民衆が皇族の中のこうした派閥を理解し、既得権益層を見極めると良いのですが・・・
要するに今の表の天皇家(天孫系)じゃないけど、皇統だよと言いたい訳です。
こういう戦いが日本にも有ります。

我々は知る由もない訳です。

アメリカでも中絶問題とかで未だにイエズス会が出しゃばる訳ですね。

フィリピンにおける混沌はスペイン統治下時より続くもので、比国人口の90%以上を占めるクリスチャン、特にイエズス会支配に伴う処が大きいのです。

このイエズス会のNo.3が日本に布教したザビエルです。

イエズス会は、欧州の宗教腐敗、政府要職独占に嫌気がさしアメリカ新大陸に移住したプロテスタント達を殲滅する事を目的に作られたカソリック内武装集団、武器、麻薬、奴隷商社です。

欧州では、その行き過ぎた行動により教皇から破門され地下に潜りました。
アジアでは古くからフィリピンに拠点を置き活動をしています。
メーソンとは元々はアメリカ移住プロテスタントらの商工会的性質でした。
しかし、アメリカ勢力と欧州メイソンが連動し、イエズス会の支配者の思惑に反した動きをするのを阻止するため、乗っ取られてゆきました。
つまり、実はメイソンもイエズス会主導なんです。
これがアメリカ独立戦争、南北戦争の頃の話です。

そこから2つの世界大戦を経て現在に至るまで、乗っ取られたメーソンはフィリピンを経由して、日本にも多大な影響を与えて来ています。
しかし黒幕はイエズス会であるという事。
これだけは覚えておいてください。

フィリピンのサリサリという、道端に無数に有る小規模な小売店で、ファイブ・シックスという高利貸しを行い、借金のかたに売春を斡旋したり、武器商人としての裏ルートを沖縄基地を使い確立しています。
マルコスを退陣させる為、民衆を扇動したのが、当時バクラーラン教会にいたシン枢機卿(イエズス会)です。

下記は昔、ロスチャイルド家の御曹司、デヴィッドがフィリピンに来た時に書いた記事に対する
名無し先生からいただいたコメンです。

ユダヤ人であるとカミングアウトしたロスチャイルドがフィリピンに来たのですか?
フィリピンは人口の90%以上がカソリック、中でもイエズス会全盛の国なのに。
ユダヤ教とキリスト教が仲違いしてるのは、お芝居と云う事でしょうか?

経済界はアヤラ財閥や、元メラルコ(フィリピンの東電)オーナー、現 在日比国大使ロペス一族などのスペイン系。
世界のロスチャイルド、イエズス会、スペインと有名処が3者も揃って喧嘩しないのですね。

ネットでは、イギリスを乗っ取ったロスチャイルド、バチカン・ローマ法王の忠実な武装会派・イエズス会、大航海時代の覇者、スペイン王国のはずですが・・・

スペイン王国とは、1469年、アラゴン王太子フェルナンド(後のフェルナンド2世)がカスティーリャ王女イサベル(後のイサベル1世)と結婚し、1479年にはアラゴン王国とカスティーリャ王国の同君連合が形成され成立した王国です。

ローマ教皇アレクサンデル6世はこの2人を「カトリック両王」と呼んだ。

この一時代前のアラゴン王国は・・・
アラゴン王家はバルセロナ伯家と通婚を重ね、1137年にアラゴン王ラミロ2世の一人娘ペトロニーラ女王とバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世の結婚により、両家の連合が成立した。

2人の間の子アルフォンソ2世以降はバルセロナ家の君主の下に統合された。
こうしてアラゴン連合王国と呼ばれる同君連合が成立した。

バルセロナ伯領とは・・・
801年にカロリング王朝のルイ敬虔王が南フランスからピレネー山脈を越え、イベリア半島北西部のバルセロナをイスラム教徒から奪回したのが始まりである。

フランク王国のスペイン辺境伯領として成立しバルセロナ伯領(カタルーニャ君主国)となった。
フランク王国とは・・・
カール大帝のもとで最盛期を迎えた。

西ヨーロッパの大半の政治的統一を達成、ライン川以東のゲルマン人のキリスト教化、古典分化の復興などを進め、"カロリング・ルネッサンス"を行なって中世以降のヨーロッパ文化発展の基礎を作った。

800年には教皇レオ3世により西ローマ帝国の帝位を戴冠され、西ローマ帝国はフランク王国として復活した。

カール大帝の子ルートウィヒ敬虔王の死後、帝国は3人の子によって相続争いの末に分割され、
それぞれ後のドイツ・フランス・イタリアとなる東フランク・西フランク・ロタリンギアとなった。

フランク族は民族大移動による混乱を収拾し、ヨーロッパの政治的・文化的な統一を果たし、西ヨーロッパ最初のキリスト教統一国家として、のちのヨーロッパの国家や制度の母胎となった。

イエズス会のNo.1のイグナチオ・デ・ロヨラは、ロヨラ城で生まれ、1506年に親戚の騎士でカスティーリャ王国の財務官を勤めていたフアン・ベラスケス・デ・クエラルの従者となった。

イエズス会のNo.3のフランシスコ・デ・ザビエルは、スペインのナバラ州、パンプローナに近いザビエル城で地方貴族の家に育った。

父は1515年カスティーリャ=アラゴンに併合された、ナバラ王フアン3世の信頼厚い家臣として宰相を務めた。


なるほど、フランク王国はのちのヘッセン州。
つまりロスチャイルドの始祖に最初に金庫番をさせた御主人様ヘッセン方伯の地。
そしてスペイン辺境伯領としてバルセロナ伯領を送り込み、その子分の中に、イエズス会の立役者2人がいたという事ですね。

そうならそうと世界史の時間に教えておいてくれれば良かったのに。文部省も意地が悪い。
これなら喧嘩に成る訳ないですね。皆さん西ローマ帝国ゆかりの一族みたいな物じゃないですか・・・

ついでにフィリピン版FBI=NBIのNo.1/No.2の名前も、こないだまでアトニ―・アラゴンでしたね。
アジアにおける、スペインの古き良き時代を再びみたいな国が、フィリピンなのですね。
一時とはいえ、こんな大事な植民地を、米国や日本に取られた時は、さぞかし腹がたった事でしょうね・・・
イエズス会もフランク王国流れも米国とは仲良くできる訳ないか・・・
しかし日本とは、ヘッセン公伯=フランク王国=西ローマ帝国その前辺りで繋がるのかな・・・

日本のヤンゴトナキ方々の出自と・・・
それで、戦時中の「ふぐ計画」という話ですね。
北朝鮮の今の動きが「ネオふぐ計画」の一端でない事を願います。
今、読み直すと、このコメントの中に基本情報がすべて織り込まれています。
当時の私には、豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏だったわけです。
名無し先生に改めて敬意を表します。


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