天皇の金塊の裏ですかね、参考になりますね。
【知らずにロマノフの財宝略奪に加担した日本】
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まず、第一次世界大戦までのヘッセン側の計画。
オーストリアの皇太子が暗殺されただけで、どうしてあれまでの凄惨な戦争に発展したのか?
この戦争で1,700万人の戦死、行方不明者が出た訳ですが、これ程の茶番劇は無い。
第一次大戦に限らず、2000年以上の間、王族達の野望はローマ帝国の金塊を奪う事です。
ロマノフは親戚に金塊を奪われた。
この戦争で対決したドイツとイギリスですが、ドイツのヴィルヘルム2世はイギリスのヴィクトリアの孫です。
ヴィクトリア (イギリス女王)の娘が、ヴィクトリア (ドイツ皇后)であり、ヴィルヘルム2世の母なのですから。
もっといえば、ドイツ、ロシア(ロマノフ)、イギリス、デンマークとすべて親戚関係です。
ヴィルヘルム、ジョージ、ニコライと並んじゃってます(笑)。
巨大な家系図になりますからここには書けませんが、ほぼすべての欧州王族は家族です。
そして、お決まりのように子女はヘッセン家に収まるわけです。
世界はこの、ヘッセンにより仕掛けられた、金塊略奪の為に、大量の死者を出したのです。
まあ、領土や、他にもいろいろな狙いは有りましたが、これが領土と同じぐらい大きな要因だと思う訳です。
ニコライ2世 皇后はヘッセン大公国の大公女アレクサンドラ・フョードロヴナ(通称アリックス)。皇子女としてオリガ皇女、タチアナ皇女、マリア皇女、アナスタシア皇女、アレクセイ皇太子がいる。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世やイギリス国王ジョージ5世は従兄にあたる。
ヘッセン大公ルートヴィヒ2世の娘、ヘッセン大公女マリーをロシア皇帝アレクサンドル2世に嫁がせ、ロシア皇帝アレクサンドル3世を生ませます。
ロシア皇帝アレクサンドル3世の妃はヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルムの孫でデンマーク王女のダウマー。
その間に生まれたのがロシア皇帝ニコライ2世。
その妃がヘッセン大公国の大公女アレクサンドラ・フョードロヴナ(通称アリックス)。
アリックスの親はヴィクトリア女王の娘でイギリス王女アリスとヘッセン大公ルートヴィヒ4世。
ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の親はヘッセン大公子カール。
ヘッセン大公子カールの妃はプロイセン王女エリザベートで、ヘッセン=ホンブルグ方伯女マリアンヌ。
ヘッセン大公子カールの親はヘッセン大公ルートヴィヒ2世だからロシア皇帝アレクサンドル2世に嫁いだマリーの兄弟。
もうこのくらいでいいでしょう・・・
さて、ここで簡単な年表を書きます。
1894年 日清戦争 朝鮮独立
1900年 日清製粉創業(笑)
1902年 日英同盟締結
1904年 日露戦争 ニコライ2世敗北 ロシア鉄道の一部を日本が奪う
1907年 英仏露三国協商成立
1910年 日本韓国を併合
1914年 第一次世界大戦 ニコライ2世 離脱
1917年 ロシア革命 ニコライ2世 殺害
ヘッセンはロマノフの金塊が奪いたかったのですが、この年表を見て、どう思いますか?
おや?ロシアを弱体化させる事に、かなり日本が加担してますね・・・
ニコライを殺したのは日本では有りませんが、日清戦争でロシアに繋がる朝鮮を中国から切り離しておいて、日清製粉を立ち上げて穀物受け入れ準備。
日英同盟でロシアを敵国にし・・・
日英同盟は、イギリスのロンドンのランズダウン侯爵邸(現The Lansdowne Club 地図)において、林董駐英公使とイギリスのランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス外相により調印された。
出たなショッカー、ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス。カナダの総督を勤め、アメリカの食物関係を支配し始めた人間です。
【食物支配の閨閥 カナダという英国の属国を通し世界支配するヘッセン】
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イギリス(のヘッセン陣営)はロマノフの金塊を略奪する為に日本を利用した。
日英同盟のわずか2年後、巨額の資金を入れられ日露戦争をヤラされた訳です。
そして勝たしてもらっています。
お駄賃として、シベリア鉄道の一部をもらった。
日本への一部譲渡
最
後の大興安嶺トンネルが完成し、シベリア鉄道と完全に連結したのは1904年2月、日露戦争勃発直前であった。その後日露戦争(1904年2月 -
1905年9月)が勃発し、1905年9月5日、ポーツマス条約により長春以南の南満洲支線は日本に譲渡され南満州鉄道(満鉄)となった。
そして日本は韓国を併合。
その4年後に第一次世界大戦勃発。
ロシアは戦争の途中でリタイア。
ロシア革命でロマノフ殺害、金塊が奪われた訳です。
ヘッセンは長年にわたり自分の血を入れて来た親戚も殺してしまうという、まさに血も涙も無いお方です。
これは想像ですが、ロマノフの子供たちは殺されていないのでは?
あくまでも私の想像ですので、名無し先生から教わった事では有りません。
まあ、とにかく、すべてはローマ帝国=東ローマ帝国(ビザンツ)=ロマノフと引き継がれた金塊の為。
そして、満州国の建国に向けて準備が始まります。
ロマノフが倒され、今度は共産主義という脅威を作られて、それと戦わなくてはならないというプロパガンダです。
それが満州国建国の大義名分になるのです。
いわゆる、日本の生命線と呼ばれるものです。
そして、同時に第二次大戦へ向けて、日本外しが仕掛けられます。
パリ講和会議で日本の人種的差別撤廃提案が否決されたのです。
その後、日英同盟は解消。
とりあえずロマノフを潰す為に利用された日本はポイ捨てられました。
坂の上の雲の秋山好古はフランスへ渡り、騎兵戦術の習得をしましたが、これも最初から仕組まれていたのです。
名無し先生から、はじめてこの事実を聞いたときには、そこまで仕組まれていたのか?と驚いたものです。
日清戦争で活躍した騎馬隊の隊長秋山は、最初ロシアで騎馬術を学び、後にフランスに移ってるんです。
あのドラマを観て、感動してる場合じゃないですね。
あれは、如何に日本が踊らされたか?が描かれているのです。
日露戦争に勝利するところまででドラマは終わりますが、その後の第一次世界大戦とパリ講和会議まで繋げると、日本は利用されていた事がはっきりわかりますね?
そして、さらに利用されるのです。
1919年 パリ講和会議で日本の人種的差別撤廃提案が否決される
1922年 ムッソリーニ・ファシスト党台頭 サヴォイア家の支援
1923年 日英同盟解消
1927年 スターリン最高指導者となる
1929年 世界大恐慌
1932年 満州国建国
1933年 ニューディール政策
1933年 ナチス政権発足
1934年 ルーズベルト銀買上法発令 金、銀を市場操作で米国に集める為の政策
ムッソリーニ、ヒトラー、スターリンと役者がそろったところで世界大恐慌です。
しかし、中国だけが恐慌に陥っていなかった。
そこへ満州国建国です。
当時の日本は、世界恐慌や昭和恐慌と呼ばれる不景気から抜け出せずにいる状況でした。
1890年代以後、アメリカやブラジルなどへの国策的な移民がありました。
ところが1924年にアメリカで排日移民法が成立、貧困農民層の国外への受け入れ先が少なくなった。
そこに恐慌が発生し、数多い貧困農民の受け皿を作ることが急務となっていました。
そこへ満洲事変が発生すると、開拓地の確保などを期待した国民世論は一気に盛り上がったのです。
これが、もう一つの満州国建国の大義名分です。
一方、米国は中国での辺区券の通貨争いの時、金を市場操作で米国に集める政策を取っていました。
ニューディール政策で銀相場、金相場を調整し、米国が一番高値を付けていたんです。だから世界の金銀は米国に集まった。
1929
年、アメリカで始まった世界大恐慌が発生すると、ルーズベルト大統領は1934年に銀の回収を定めた法律(「銀買上法」)を議会で通過、財務省により銀の
備蓄が行なわれ、銀の国際価格が大幅に上昇した。
中華民国は当時世界第3位の銀本位制国家であり、アメリカの政策により大量の銀が国外に流出、デフレと利息の急速な上昇により銀行が臨時休業を行なう事態
となり、早急な通貨改革が求められるようになった。
これは現在の通貨競争と同じ事。
当時、中国は銀本位制でしたが、1929年の世界大恐慌で金・銀の価格が暴落し、銀貨であった銀元(当時の中国元)が安くなり、中国の輸出が急増。
銀そのものが通貨であった中国だけが大恐慌であるにも拘らず通貨安で景気が良かった訳です。
そこでアメリカのルーズベルトは銀買上法という荒技で銀を高値で大量に買い取り中国の通貨である銀を不足させてしまいました。
中国が、アメリカがという表現をしてしまいましたが、国では無く、派閥です。
蒋介石の後ろが、米国のニューディール政策派閥=A
毛沢東の後ろが、ロスチャイルド・ヘッセン派閥=B
日本軍は満州独立で大本営から独立した動きをしていた派閥=C
としましょう。
Aはニューディール政策で金銀の値が米国で上がる様調整し、最終的に米国に金銀が集まるようにした。
Bは第一次世界大戦で欧州としては疲弊していたので、裏でオランダを使い金塊を集めていた。
この時Aは中国側だけで通用する通貨を発行し、それ以外の通貨の締め出しに入りました。
その財源として米国債を裏から入れていたのがニューディール政策派閥です。
1937年 日独伊防共協定締結
1939年 第二次世界大戦勃発
1941年 真珠湾攻撃 アメリカ参戦
1945年 第二次世界大戦終戦 日本にGHQが設置される。
これ以来、日本には米軍が駐留し、70年近くたった今でも、米軍の保護観察下に有るのです。
ところが、この終戦の前年、日本はとんでもない番狂わせをしてしまったのです。
それが例の地下50メートルに貯蔵された金塊です。
なんの因縁か、この中に、日本が意図せず加担し、略奪された、ロマノフの金塊が含まれていたのです!
金塊を奪取した時、領事館内には、ロスチャイルド家を含む、英国、オランダ、中国各王族がおり、命と引き換えに金塊を、日、米、英で世界経済を回す為の特殊簿外資金の元資に充てる、国際条約に調印させ彼らをそれぞれの国に無事送り届けたのです。
この調印書は、各国の公文書館(一般公開されない側、日本で云う齊院)に保存されています。
ということで、日本はすっかり欧米に翻弄され、戦争で焼け野原になるに至ったのですが、この番狂わせで世界の中心の一員となったのでした。
1919年のパリ講和会議から25年たったとはいえ、日本の人種的差別撤廃提案が否決されるようなことが常識だった時代にも関わらずです。
何度も書きましたから、もういいでしょうが、焼け野原になった日本に資金と技術が集まり、戦後の復興があり、高度経済成長が成し遂げられました。
しかし、残念な事に平和の為に使われるはずの資金がベルファシ側に渡るという不祥事が相次ぎ、この20年あまり、日本にはこの資金が歳入されていません。
日本はアジアの植民地から列強を追い出したじゃないかと、うぬぼれた事を言う人もいますが、実際はヘッセン側のコミュニストが中国、ロシア、北朝鮮、東欧で台頭しましたし、列強はアジアから引き上げたように見え、表面的には目立たない様にベルベット化しただけなのです。
余計、たちが悪い。
第一次世界大戦でハプスブルク家、ロマノフ家のようなわかりやすい王様がいなくなり、第二次世界大戦ではアジアの植民地が無くなり、良くなっているように見えますが、実は各国の中心に巣食っているのです。
彼らが働く事無しに自分にお金が入るように敷いたレールをぶちこわす為、また、彼らに正義の資金が奪われないように国際秩序維持派の方々は気が遠くなるような多忙な日々を送っています。
おまけですが、下記のリストの中に、ロスチャイルド家を含む、英国、オランダ、中国各王族から金塊を奪取した国際秩序維持派の人物と、戦後ヘッセン側として動いた人間が各一名います。
台湾軍歴代司令官
* 明石元二郎 大将:1919年(大正8年)8月20日 - 1919年(大正8年)10月26日(死去)
* 柴五郎 大将:1919年(大正8年)11月1日 - 1921年(大正10年)5月4日
* 福田雅太郎 中将:1921年(大正10年)5月4日 - 1923年(大正12年)8月6日
* 鈴木荘六 中将:1923年(大正12年)8月6日 - 1924年(大正13年)8月20日
* 菅野尚一 中将:1924年(大正13年)8月20日 - 1926年(大正15年)7月28日
* 田中国重 中将:1926年(大正15年)7月28日 - 1928年(昭和3年)8月10日
* 菱刈隆 中将:1928年(昭和3年)8月10日 - 1930年(昭和5年)6月3日
* 渡辺錠太郎 中将:1930年(昭和5年)6月3日 - 1931年(昭和6年)8月1日
* 真崎甚三郎 中将:1931年(昭和6年)8月1日 - 1932年(昭和7年)1月9日
* 阿部信行 中将:1932年(昭和7年)1月9日 - 1933年(昭和8年)8月1日
* 松井石根 中将:1933年(昭和8年)8月1日 - 1934年(昭和9年)8月1日
* 寺内寿一 中将:1934年(昭和9年)8月1日 - 1935年(昭和10年)12月2日
* 柳川平助 中将:1935年(昭和10年)12月2日 - 1936年(昭和11年)8月1日
* 畑俊六 中将:1936年(昭和11年)8月1日 - 1937年(昭和12年)8月2日
* 古荘幹郎 中将:1937年(昭和12年)8月2日 - 1938年(昭和13年)9月8日
* 児玉友雄 中将:1938年(昭和13年)9月8日 - 1939年(昭和14年)12月1日
* 牛島実常 中将:1939年(昭和14年)12月1日 - 1940年(昭和15年)12月2日
* 本間雅晴 中将:1940年(昭和15年)12月2日 - 1941年(昭和16年)11月6日
* 安藤利吉 中将:1941年(昭和16年)11月6日 - 1944年(昭和19年)9月22日(廃止)
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【知らずにロマノフの財宝略奪に加担した日本】
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