Xファイルの裏番で、7月放送の、JFK暗殺の、再放送ですかね。
霊能者ナンシーの霊視で、現場暗殺チームの、右翼元軍人、一番、過去の中で、真実に近い実行犯ですか。
指令を出したのは、陰謀論の、多数、該当者ということで良いと思いますが。
安倍極右内閣は、失速説の、大本教サークル、藤原説で良いと思いますが。
その大本教系列別働隊カルトは、魔堕、諦めてないですかね。
幸福の科学、生長の家、創価学会、統一教会、大本教、日月神示、その他多数の、神道系、仏教系、キリスト教系カルトは。
とりあえず、破壊防止法案等はともかく、カルト指定の前に、宗教課税で良いですね。
病弱の娘に、秋刀魚万引きする、年金暮らしの哀れな父娘親子放置の魔魔、結婚ご祝儀で、1億675万も、特権階級に支給される狂気の世界を支えている、天皇万歳、世界王族マンセー、天皇の金塊詐欺、選民死相の、カルト、サークルですが。
奴隷階級ゴイム増税阻止、税金廃止の前に、宗教団体重税は、許可しても良いですね。
それと、ヤクザ暴力団魔フィアの、魔薬風俗武器密輸賭博ギャンブル恐喝強請集り横領臓器人身売買金融詐欺等の、不正所得資産差し押さえも。
その処理の後で、月66.6万、6.66年振り込み支給で構いませんね。。Φ(´゜π゜`)φ
残るは核武装と徴兵制、統一教会・創価学会の安倍・自公内閣の軍国主義路線...
http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=75136
ジョン・F・ケネディ その光と陰 ~暗殺の謎に迫る - BS日テレ
http://www.bs4.jp/mokuspe/onair/08.html
#8 ジョン・F・ケネディ その光と陰 ~暗殺の謎に迫る~
43歳という若さと爽やかな弁舌を武器にアメリカ・民主党の予備選挙を勝ち抜き
ジョン・F・ケネディはアメリカ合衆国第35代大統領に選ばれた。
そのわずか3年後、ダラスでの悲劇が起こるまでの間、
ジョン・F・ケネディは様々な決断を行い、世界に影響を与えてきた。
そんなジョン・F・ケネディの決断 その1
「人種差別の撤廃」
アメリカの歴史を変えたといわれるケネディの名スピーチ。
アメリカ人は法の下で平等であると語り、人種差別撤廃を謳った18分間の演説。
世に言うケネディ大統領の「公民権スピーチ」である。
この歴史的スピーチはわずか数時間で草案され
最後はケネディ自身が手を加えたもの。
なぜ突如、ケネディはその日予定になかったというこのスピーチを、
国民の前ですることになったのか?
それは、演説の数時間前アメリカ中が固唾を飲んでテレビを見続けた
ある大事件がきっかけだった。
リンカーンが奴隷制度撤廃を決定づけた南北戦争からおよそ100年。
未だアメリカ南部を中心に、黒人に対する差別は当時まだ続いていた。
まだ黒人の選挙権が完全に認められていないこの時代、人種差別が根強い南部で
差別是正を進めると、白人の反感を買い選挙に影響する。
次の大統領選を控えたケネディははっきりした態度を取れずに苦しんでいた。
そんな状況下でアラバマ州で勃発したのが・・・
「アラバマ大学入学事件」
1963年6月11日
アラバマ大学に入学する準備を進めていた2人の黒人ジェームズ・フッドと
ビビアン・マローン。だが、当時のアラバマ大学は白人のみが通う学校。
そしてその入学を誰よりも反対している人物がいた。
時のアラバマ州知事、ジョージ・ウォレス。当時はアメリカを分断した男とも呼ばれ、アメリカ南部に多い人種差別主義者のリーダー的存在であった。
ウォレス「絶対に入学させんぞ!」
ウォレス知事はアラバマ大学に行き、
なんと校舎の入口前に立ちふさがって2人の入学を阻止しようとしたのである。
そこで、ケネディ大統領がとった決断とは!?
ジョン・F・ケネディの決断その2
「アポロ計画」
ケネディ大統領は、あの「人類最大の偉業」に挑む決断もしていた。
人類が地球を飛び出し、歴史上初めて月面に着陸する。
そう、「アポロ計画」である。
ケネディが大統領に就任した1961年、
ソビエトのガガーリンが人類史上初の有人宇宙飛行に成功。
一方、当時のアメリカは、宇宙開発競争でソビエトに大きな遅れを取っていた。
当時冷戦の真っ直中だったソビエトに、
宇宙空間をも制されてしまうのではないか。
その恐れから、ケネディはある決断を行った。
人類を月に送り込む「アポロ計画」である。
「我々は月へ行く選択をした。1960年代の終わりまでに月へ行く」
ソビエトに対し後れを取っていた宇宙開発を推進するため、この演説で人類未到の月に行くという夢を前面に掲げ世論の後押しを得たのである。
だが、ケネディの言葉が現実となったのは彼がこの世を去ってから6年後だった。
ジョン・F・ケネディの決断 その3
「キューバ危機」
アメリカとソビエト、二極化した冷戦下で核戦争寸前までいった「キューバ危機」
第三次世界大戦勃発寸前にケネディ大統領がとった行動とは?
アメリカ本土からわずか140キロしか離れていないキューバに、射的距離2100キロ、中距離弾道ミサイルが打てる施設をソ連が建設中という報告が入る。
これが「キューバ危機」と呼ばれる13日間にも及ぶ
ケネディにとっての悪夢の始まりだった。
キューバにソビエトのミサイル基地が完成することは、
アメリカ国民が危険にさらされることになる。
軍部はキューバのミサイルが発射可能になる前に
空爆で基地を破壊したいと強くケネディに訴えた。
判断を間違えば、核戦争は避けられず、数億人の命が失われる。
さらに、この事態を悪化させる報告が舞い込んだ。
キューバに建設中のソ連基地に、さらなるミサイルを運搬中かもしれないソ連船が
刻一刻とキューバに迫っているというのだ。
強行に先制攻撃を主張する軍部。
だがケネディは、キューバに向かうソ連船に注目、
事態の悪化を食い止めようとした。
そこで下したケネディ大統領の決断とは…それは・・・
1961年最年少で大統領に就任し、わずか3年で数々の決断をしてきたジョン・F・ケネディ。
だが、一発の銃弾で終焉を告げる・・・。
1963年11月22日
正午前、ケネディ大統領夫妻はダラスのラブフィールド空港に降り立った。
パーティ会場までのおよそ40分のパレード。ケネディ大統領のみならずファーストレディも見られるとあって
沿道には多くの人々が集り熱狂の渦がまきおこっていた。
ラブフィールド空港を出発して30分後の12時30分。
大統領車はデイリープラザの広場にはいり、教科書倉庫ビルの前をまがった。
そして・・・
瀕死状態のケネディ大統領はパークランド病院へと運ばれた。
しかし手の施しようがなく午後1時。正式に大統領の死亡が発表された。
若き大統領を暗殺したのは誰か?
1年近く事件を調査したウォーレン委員会は、
リー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行と結論づけた。
ウォーレン委員会の報告書によれば大統領車から見つかった銃弾から、
犯行に用いられた銃は教科書倉庫ビルで発見されたライフルと断定。
オズワルドがこのライフルを使い、教科書倉庫ビルの6階から
3発続けざまに引き金をひいたとしている。
3発中2発が大統領に命中。一発は大統領の首から入り、
前席にいたコナリー知事の体も貫いた。
そしてもう1発が、大統領の頭部を撃ち抜き致命傷を与えたとしている。
しかし、本当にオズワルドの単独犯行なのか?
一部が黒く塗りつぶされた報告文書。
全面公開は2039年まで待たなければならない。
外交ジャーナリスト手嶋龍一はこう語る
「ウォーレン報告に対して疑念をもっていない人はほとんどいない・・・。
何かまだ我々の知らない重大な機密が隠されているのではないか?と
考える人が多い。
ケネディ暗殺事件というのは文字通り
20世紀最大の謎の一つで未だに解明されていないという事なんだと思います。」
ケネディ大統領暗殺から50年が過ぎたテキサス州ダラス。
この地にやってきたのが不思議な能力で数々の迷宮入り事件を
解決に導いてきという女性。「マダム・モンタージュ」ナンシー・マイヤー。
ナンシーは「犯行現場に残された被害者の思念を感じ取り、
それを人々に伝えることができる」という。
「これまで40年間で約855件の捜査で警察に協力してきました。
そのうちの9割に対して、警察が知らなかった確たる証拠を提示してきました」
そんな不思議な能力を持つというマダム・モンタージュことナンシー・マイヤーはダラスのケネディ大統領暗殺現場で一体何を感じるのか・・・!?