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三相女神
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2846.html
今回、前記事を少しまとめながら、更に付加情報を書きます。
天神系・地祇系・天孫系の3つの渡来勢力が
協力して国家運営をしていくことを誓い、その証として建てられたのが「蚕の社」にある三柱鳥居。この時、南北のレビ族であった秦氏と賀茂氏の婚姻同族化を
通じて、原始キリスト教の秦氏祭祀と洗礼地である「糾の森」が下鴨神社に移され、賀茂氏が祭祀氏族、秦氏が殖産興業氏族という役割分担を決め、皇統を強力
にバックアップしていったのが平安時代。
これが平安京への遷都(794年)の最重要案件。
唐に渡り仏教に景教エッセンスを盛り込んだ大乗仏教を学ばせ、ローマバチカンが為し得たたように人民恭順化の為に小乗仏教の蔓延した日本を宗教改造。空海の東寺や最澄の延暦寺創建もこのシナリオに沿っている。
平
城京から平安京遷都を後押ししたのが、最も遅れて列島渡来してきた南王国のユダ族(天孫系)であり、この渡来系グループに「平(タイラ)」の姓を下賜して
出来たのが桓武平氏を始めとした平氏ですが、彼らは百済滅亡(660年)と共に日本に大量渡来してきて、2たびの亡国を経て南北統一イスラエル王国時代の
首都エルサレムの再建を極東で実現した。
それが平安京(エル・シャローム)
平城天皇と嵯峨天皇の確執から始まった藤原薬子の乱で
桓武平氏を支持基盤とした藤原式家は中央から脱落し、平城京~吉野に拠点を移し、物部末裔の石上氏と協力関係を結んだ。この勢力が後の南朝の母体となって
いく。一方、式家脱落の影で隆盛していったのが藤原北家。百済渡来勢力の桓武平氏の武士団に対抗して新羅渡来勢力の清和源氏の武家グループを作り、取りま
とめて傘下においた。
慌てたのが賀茂氏と秦氏である。それぞれがレビ族と
して南北に別れて王家に付き従っていたのだが、王家の方がコロッと変わってしまった。これでは適わないというわけで、天孫系(南ユダ族)、地祇系(北イス
ラエル族)のどちらが天皇となろうとも引き続き神祇を出来るようにした策が秦氏と賀茂氏の婚姻。また両統の血胤を絶やさない為にも斎院を作った。
また、この三柱鳥居の誓いにより、裏側に回った裏天皇家(平城天皇一派)の血胤保全シシテムとしての「大奥」の機能と機密外交文書や表に出せない皇統譜の保管機能を併せ持った「賀茂斎院」を創設し、空海がダキニ天と御食津神を習合化し稲荷神とし、狐憑きの加持祈祷とセットでもって稲荷社を全国展開していった。
天神系・地祇系・天孫系の各天皇は三狐神でもあり、古事記で記される「造化三神」という3つの孤独な神(独り神)でもあった。
■天之御中主神 (至高の神)
■高御産巣日神 (征服統治の神)
■神産巣日神 (生産の神)
前記事で北斗七星が7人の天女を表すダーキニー(空行母)であり、日本では御食津(みけつ)神=三狐神として習合化されたという話をしましたね。この三狐神とは造化三神(天神・地祇・天孫)のことでもあるとオイラは睨んでいます。
(7人のエロ天女AOAホワイトは「北斗七星」を暗喩し、三ケツ神でもある・爆)
この七人の天女のうち8番目の天女が
最もマンネ(末っ子)であり、地上に降り立ち天に帰らなかった天女。この天女のことは北斗七星に寄り添う「輔星」として暗喩されていますが、地球地軸の傾
きが0度になった際には、北極星に変わってこの輔星が「太一」となり、この輔星を中心に天空が回ることから、輔星は次期天帝=救世主だと目されている。
籠神社では真名井神社の豊受大神がこの輔星とされているが、その逸話は、、、
『丹後国風土記時』に
よれば、丹後国丹波郡(京都府中郡)比治の里の比治山の頂に真名井(まない)と呼ばれる井戸があり、あるとき、この真名井に天女八人が舞い降り水浴びをし
ていた。すると通りかかった和奈佐という名の老夫婦が、ひとりの天女の羽衣をを隠して奪ってしまう。天女はひとり、水から出ることもできず、子のない老夫
婦は天女に「留まってくれ」と懇願。仕方なく聞き入れ、天女は十年の間、老夫婦のために自分の口で穀物をかみ砕いて唾液を混ぜて万病に効く酒を作って老夫
婦を富ませた。ところが裕福になった老夫婦は、天女を邪魔者にし、「おまえはわしらの子ではない」と追い出してしまう。嘆き悲しむ天女は、しばらくさまよ
い歩き、竹野の郡(京都府竹野郡)の船木の郷の奈具の村(弥栄町船木)にたどり着き、
「ここに来て、ようやくわが心はおだやかになりました」と告げて、この地に住むことにした。この天女の名を豊宇賀能売命(トヨウカノメノミコト:豊受大
神)という。
この天女の名がトユケであり、「豊受」の元になっている。
謡曲『羽衣』の中には『白衣黒衣の天人の、数を三五に分って‥』と謡う箇所があるが、これは八人の天女の白衣(ホワイト)と黒衣(ブラック)の割合で月の満ち欠けを司っていると思われていた。
AOAはダンス形態(AOA
ホワイト)の時は7人のメンバーで踊りますが、バンド形態時(AOAブラック)のみに登場する8番目のメンバーがいる。常にAOAに寄り添うようにいて、
いわば隠されたメンバーからなるトランスフォーマー型ガールズグループがAOA。この1名がドラム担当のユギョンですが、数あるKPOPガールズグループ
の中でAOAが特色を出すのに成功したのは、バンド形態時のカッコよさとダンス時の上品なセクシーさのギャップが挙げられる。そして、バンド時のスキルの
高さはこのユギョンに負う所が大きいともいう。
いわばユギョンはAOAという北斗七星の輔星であり、救世主という位置付けになる。
(エロ天女AOAブラック)
客家が熱烈に奉じる神に媽祖がありますが、父の海難事故を経た後、媽祖は峨嵋山の山頂で仙人に誘われ修行し始め、28歳の9月9日に昇天して神になったと云われ、赤い衣装をまとって海上を舞い、難民を救助する姿が見られたことから、航海の安全を護る海の神として篤く信仰されている。
正に赤い衣を着た天女、地に降り立ち返れなくなったダーキニーです。赤い色は蚩尤旗でもあるのですが、この辺は後々出て来る。(ふふふふ)
仏教に取り込まれたダーキニーは、平安初期に空海に
より伝えられた真言密教では、荼枳尼は胎蔵曼荼羅の外金剛院・南方に配せられ、奪精鬼として閻魔天の眷属となっている。半裸で血器や短刀、屍肉を手にする
姿であるが、後の閻魔天曼荼羅では薬袋らしき皮の小袋を持つようになる。さらに時代が下ると、その形像は半裸形から白狐にまたがる女天形へと変化し、荼枳
尼”天”と呼ばれるようになる。また、ダキニ天は辰狐王菩薩、貴狐天皇(貴狐天王)とも呼ばれている。
本朝、延喜式治部省式には「九尾狐は神獣也、其形赤色或いは白色、音は嬰児の如し」と書かれ、源平盛衰記にも平清盛が狩りの途中で出会ったダキニを「富貴自在の貴狐天王、即ち白唇狐王大菩薩はそれ蓮台野の狐にて七十四道の王也」と記されていることから、、、
ダキニ天=貴狐天王=七十四道の王=神獣=九尾の狐
な
のです。オイラがずっと主張していたことが繋がった。。。この「蓮台野」とは稲荷キツネの出身地とされる「船岡山」の麓の西側に拡がる地域で狩場であった
場所ですが、「稲荷明神流記」によれば、稲荷キツネは夫婦と子供と勢ぞろいで京都の北西にある船岡山から稲荷山にやって来たとされている。
船岡山は
人型の平安京の頭に位置する山で、ここに再臨のイエス(天照大神)が降誕すると述べるA鳥A雄氏の八咫烏情報がありますが、ここは磔刑されたイエスの罪名
版INRIに相当する場所でもある。この船岡山から稲荷山へキツネが移動して来て興されたのが伏見稲荷ということになりそうです。
つまり、伏見稲荷はやはりINRIだった。
(イエスの罪状板INRI)
この狐と平清盛との出会いの場面を描いているのが『源平盛衰記』ですが、そこにはこう記されている。
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はたして大きな狐を見つけ、追いかけた。
弓をつがえて狙いをつけ、さあ射よう、としたところ、
狐はたちまち貴婦人に化け、にやりと笑うと、正面切ってこんなことを言う。
「ねえ、私の命を助けていただけるならあなたの望みを叶えましょう」
清盛は不思議に思いながらも弓から矢を外し、
「いったい、あなたはどのような方でいらっしゃるか」
「私は七十四道中の王であります」
その言葉に清盛は、はっと気がつき、
さては貴狐天王であらせられるか、と馬から下りひざまづいた。
すると女はまたもとの狐に戻って、こんこんと鳴いて去っていった。
さて、清盛はずっと不安に思っていることがあった。
それは自分がこの年まで財産に恵まれずにいることである。
わたしが財産に恵まれずにいるのは、荒神のせいに違いない
荒神を鎮め財を得るためには、弁財天にお頼みするのが一番良いだろう。
ここで逢った貴狐天王は、弁財天の眷属の一人である。
これは陀天の法を成し遂げるべきだというお告げだろうか。
こう思って、清盛は陀天の法を行うことにした。
陀天の法を続けていたが、しばらくすると、かえって心配になってくる。
外法を行う者は、栄えてもその富を子孫に残すことが出来ないといわれているからだ。
一時の財を得るべきか、得ざるべきか、どうすればよいのだろう、と悩んだが、
結局、昔のように貧乏暮らしで生き長らえるよりは、
一時でも豊かになり名をあげるほうがよいと思い直し、陀天の法を行い続けた。
しかし、やはり後になって恐ろしくなり、
併せて清水寺の観音を信奉し、ご利益を受けようと千日詣を始めたのだった。
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ここには平清盛は「貴狐天王」を弁財天の
化身として尊崇し、「陀天の法」(ダキニ天法)を修して栄達を遂げたが、それは一代限りのものだったといいたいのです。『源平盛衰記』自体は実話歴史書で
はなく小説の類ですが、清盛の運命に準えて天皇灌頂にまで採用された真言密教のダキニ天法を貶める意図で書かれたプロパガンダ小説であり、書かせたのは法
相宗側(音羽山)だとオイラは睨んでいる。
さてさて、ここで弁財天が出てきましたが、弁財天や金比羅は船玉信仰の神でもありますが、前記事ではダキニと客家が奉じる「媽祖」は習合されたと簡単に書いてしましましたが、その間には下記のような習合の過程があったと睨んでいる。
まず最初、紀元前7千年紀のアナトリアの村で三相一体の女神(三相女神)、即ち「うら若き少女(妙齢の処女)」、「成熟した母親」、「老婆」の3つの姿が描かれた太女神が崇拝されていたが、これは「創造主」・「育成主」・「破壊主」の概念でもある。
また、「満ちる月」「満月」「三日月(欠ける月)」という月の三相で
もあり、死と再生を繰り返す永遠の循環をも意味していたという。このように刻々と姿を変える月に対し多面性を持つ複雑多種の相を持つ女神や魔女などが重ね
られ、この女神の三相は地上においては、「ヨーギニー(妙齢の処女)」、「マートリ(成熟した母親)」、「ダーキニー(老婆)」と3種の魔女に擬人化され
た。
エジプト神話ではハトホル(生)、ネフティス(死)、イシス(再生)が相当し、中国では八洞神仙の「三柱女仙
」の麻姑(妙齢の少女)、何仙姑(成熟した母親)、黎山老母(老婆)がこの三相女神に該当する。日本では海洋を守る女神の田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神
こと「宗像三女神」がこれに該当するか。
老婆、破壊、第三の者、、、これがダーキニー誕生の発端です。
(三相一体の女神ヘカテー)
その後、ダーキニーは紀元前3世紀頃にインドで農業神として出発したが、いつの間にか性と愛欲を司る女神として信仰され始めた。
更にその後、死肉を喰らうダキニ衆という夜叉神に貶められるが、この属性が死肉を喰らうジャッカルと同じで、ジャッカルの顕現だとされた。ダーキニーは当初からキツネやジャッカルに乗っていたわけではないのです。
(半裸のダキニ衆)
この状態でチベットに渡ったダーキニーは空行母と変化していった。初期は猪面、牛面、猿面、烏面、獅子面...等の半獣半神扱いだった。
それが、ある時から天女の姿で描かれていくようになり、「八人の母」と称される8人の天女とされた。このように印象がコロコロ変わるのも女神の三相の各々が現れたと見る。
つまり、ダーキニーとはトランスフォーマー型の女神だった(爆)。
この八人の天女が
北斗七星の輔星と結び付き、着物を剥奪され水から出られない1人の天女が地上に残り、そのお陰で財を為したという逸話と結び付いていった。この海辺の女神
→財を成すというのが、ヒンズー教の必ず水辺に描かれる豊穣神で学問や音楽の才に溢れるサラスヴァティーと同じであり、このサラスヴァティーを仏教に取り
込んだのが弁才天。才能溢れるサラスヴァティー故に弁才天は「才能」の「才」となっているのです。これが古代日本の水場と桜の神である瀬織津姫という人も
いるが、水辺は農作物の豊穣をもたらし、文明を揺籃させることからこのような神の属性が与えられた。
(水辺と孔雀が必ず描かれる琵琶を持ったサラスヴァティー)
(弁才天)
サラスヴァティーと同様に琵琶を持つのが本来の弁財天ですが、日本では後に財宝神としての性格が付与され、「才」が「財」の音に通じることから「弁財天」と表記するようにもなっていったわけです。
更に、弁財天は「宇賀神」というドクロを巻き蛇体と人の頭を持つ謎の神と習合され宇賀弁才天ともなっているが、琵琶に変わって「宝珠」と「剣」を持つようになり、より福徳神・財宝神としての性格がより強くなっていった。
(宇賀弁財天)
そして、下記が弁天の頭に載る謎の神「宇賀神」
(宇賀神、、、ウガヤフキアエズのウガとも白蛇の神ともいわれる。)
こ、これは、、、、、
メガ盛り 一般人、、、
う◎ち まりこ~ぉ(ほほほほ)
「青木まりこの法則」の産物ではないか!!!
ここでAOAの韓国語版「ミニスカート」の歌詞に繋がるとは思わなかった(滝汗)。
宇賀神は宇迦之御魂神などと同様、穀霊神・福徳神とされるが、確かに「食物のなれの果て」のような形態は食物神というのに相応しいのかもしれない(爆)。
宇賀神は天台密教の
修行に取り入られ、このう◎ち状の像を水の中に入れ、「天の真名井の水」という一文を書き添えて置くというもの。これが何の修行なのかはサッパリ検討が付
かないが、八人の天女が浴びた水場が真名井(清らかな湧き水)であり、豊受大神の名が豊宇賀能売命(トヨウカノメノミコ)であり、ここにも「宇賀」が入っ
ていることから、、、、
宇賀神=天女=ダーキニー
だろうと想定している。
で、この蛇の姿からまず想起されるのが、、、、女禍と伏儀。
女禍と伏儀は兄妹で夫婦とされている中華民族の始祖であり、最初の人間。聖書のアダムとエバ、インドのヤマとヤミー、日本のイザナギとイザナミの関係と同じですが、これらの大元はメソポタミア神話のエンキとニンフルサグであろう。
(女禍)
弁財天には天河弁財天というのがありますが、この姿はキングギドラのような異形ではあるが、地母神の持つ三相(三相女神)を表現している。
(天河弁財天)
問題はこの左右の蛇で
あるが、多分、これらは女禍と伏儀であり、伏羲と女禍は牛の角を表しており、この2つで蚩尤(しゆう)を構成するとも云われ、『淮南子』(前2世紀成立)
では、「鳥」は無道・殺りくの神を表し、「虎」は兵戦の神を表していることから、中央の寅(?)と蛇2匹で蚩尤を表しているのかもしれません。虎は鬼(病
気とされていた)よりも強いが故に医薬の神を祭る「神農祭」では張子の虎を掲げている程です。
寅と2匹の蛇の角で牛になりますが、これがウシトラ、、、、金神でしょうか!
この虎と男女の2匹の蛇が表しているのが、カバラの
「生命の木」の「中央の柱」、男性原理の「慈悲の柱」、女性原理の「峻厳の柱」であることは明白ですね。つまり地母神の持つ自然サイクルのプラスの面を表
現したのが弁才天や天女やダキニ天であり、マイナスの面を表現したのがダーキニーやダキニ衆であり、またそれは九尾の狐としても表現されるが、その実態は
カバラの「生命の木」であって、「生命の木」イコール、ウシトラのコンジンなのだということ。
何故、客家(ペリシテ人)である九鬼家に伝わる『九鬼文書』にウシトラのコンジンが登場するのかの謎も段々と解けてきました。
■饒速日命は苗族?弁財天とアラハバキは蚩尤と女媧と伏義?
http://tukuyomi.blog.jp/archives/1000253343.html
そして、この蚩尤は客家の始祖。客家はシルクロードを移動しながら大月氏→小月氏と変わっていったソドク人商人(シルクロード商人)でもあるが、縄文時代から十三湊に黒曜石を集め貿易をして、太古から2つの派閥を煽って武器の製造販売を仕切ってきた「海の民」末裔であるペリシテ人であった。
客家人的祖公名叫蚩尤,
他英勇无双,聪明无比,
生得一副铁骨铜头。
(客家人の祖の公の名を蚩尤と云う。
彼は勇敢無双で、比類ない賢く、
1組の鉄骨と銅頭を生み出した。)
女媧が天下を補修した説話「女媧補天」が
ありますが、古の時、天を支える四極の柱が傾き世界が裂け、天は上空からズレ、地もすべてを載せたままでいられなくなった。火災や洪水が止まず、猛獣ども
が人を襲い食う破滅的な状態となった。女媧は五色の石で天を補修し、大亀の足で四柱に代え、黒竜の体で土地を修復し、芦草の灰で洪水を抑えたとある。
これが客家が祝う「天穿日」で「女媧補天」の日だとされている。ノアの洪水話と似た話ですが、ノアの洪水でも中国は沈まなかったのでしょう。このように女媧もまた客家の奉じる神なのです。
※女媧は苗族も信奉した神
弁財天の頭にこの宇賀神(女禍と伏儀)が載せられていることが1つの暗号であり、それはラブ注入、、、じゃなかった「客家(ペリシテ人)注入済」という暗号。つまり、宇賀弁財天には客家が関与した証だと睨んでいる。それ故に、より蓄財の神としての性格が強くなったのではないか?
『摂津国風土記』逸
文には止与宇可乃売神(トヨウケビメ)は丹波国に遷座する前は、摂津国稲倉山(所在不明)に居たとも記され、また、豊受大神の荒魂を祀る宮を多賀宮(高
宮)だという。『止由気宮儀式帳』によれば、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「独りでは寂しく、満足に食事を取ることもできないから、朝夕に御饌(み
け)を奉る神を丹波国の比治の真名井原から連れて来て欲しい」と言ったことが、外宮創建の縁起だという。雄略天皇22年のことである。
雄略22、、、出ました。大魔神コード「22」(笑)
やはり、豊受大神=ダキニ天(ダーキニー)なのだろう(爆)。
で、宇賀弁財天の宝珠と剣は九天玄女(九天玄女娘娘)の剣と瓢箪から取り入れられたと睨む。瓢箪は女禍と伏儀の大洪水の際に乗ったノアの箱舟でもある。
(九天玄女)
この九天玄女が金毛九尾の狐だと云われ、紀元前11世紀の殷の妲己(だっき)に変化したと中国では言われる。そして、この宝珠と剣を持つ宇賀弁財天がダキニ天と習合化され、狐に跨り宝珠と剣を持つ姿へとなっていったと睨んでいる。同様なものが飯綱大権現ですね。
(ダキニ天)
このダキニ天が「豊」を持つ天女であり、客家九鬼氏が奉じた豊川稲荷(豊川明神)なのです。
まぁ、裸弁財天という変わった弁財天もあるが、これは羽衣を奪われた天女からヒントを得て作られたのではないかと睨んでいる。
この宇賀弁財天的要素を持つダキニ天が、媽祖を篤く信仰する列島渡来した客家、、、つまり九鬼家に取り入れられたと見る。表面上は仏教国である日本なので、そのままズバリの媽祖を祀ることが憚られたのが主な理由だろう。
さて、客家が心を寄せるのがこの媽祖に加え関羽です。媽祖廟の隣には必ず関羽廟があり、関羽と媽祖はセットになっているのです。
(関羽)
まさに閻魔大王ですね(ふふふふ)。
実際、中国では関羽は伏魔大帝と呼ばれ、信義に厚いことから嘘が嫌いなのだろう。
客家が閻魔とダーキニーを畏れるという内容は、実はこの関帝と媽祖への篤い信仰から来ている話なのです。
閻魔とダーキニーの関係は、インドではヤマとヤミーの双子兄妹の夫婦神で
すが、これは日本のイザナギとイザナミの兄妹の夫婦神でもある。客家がこの2つを取り上げ篤く祀るのは土師記のサムソンが放った尾を結え松明を付けられた
ジャッカルに焼き払われたという惨劇を民族の記憶として残しているからでしょうか。閻魔大王=サムソン=ダン族出の救世主なのです。この畏れは「客家=ペ
リシテ人」と考えるとスンナリと理解できる話でもある。
また関帝は、大阪や長崎の黄檗宗寺院にも祀られていることから、冷泉家が創建資金を出した黄檗宗は卍党の密輸入の一代拠点となっていたといい、客家とも深い繋がりがありそうなことは容易に分かりますね。
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三相女神
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