raptさんもクリスチャン?らしい、逝けてる憑っ込みしますね。Φ(´゜π゜`)φ
「かごめかごめ」の裏の意味。ヘブライ語に訳すと神を冒涜する歌になります。
http://rapt.sub.jp/?p=17361
昨日は、関西に描かれた巨大な「六芒星」と「逆五芒星」の意味、そして「かごめかごめ」の歌詞の意味についてお話をしました。昨日の記事は以下のリンクになります。
○関西に描かれた巨大な「六芒星」と「逆五芒星」の意味。または「かごめかごめ」の意味。
しかしながら、実は「かごめかごめ」はヘブライ語にも翻訳することが可能であり、このヘブライ語の歌詞にも何かしら深い(?)意味が隠されているということが分かっています。
そのため、昨日の記事を書いた後、日本語の意味だけでなく、ヘブライ語の意味もきちんと解釈すべきではないかとのメールを何人かの方からいただきました。なぜなら、日本語とヘブライ語は「陰」と「陽」になっているから、というわけです。
こうなると、私のブログが何かしらオカルトめいたものになってしまいそうで、ちょっと嫌だなとは思ったのですが、よくよく考えてみると、私たちの敵は悪魔崇拝者であり、彼らこそがこの世にオカルト思想をまき散らした張本人です。
したがって、彼らの裏を暴くためには、どうしてもオカルトめいた部分を追求することも欠かせません。それに、政治や経済には興味がなくても、こういったオカルト的な部分から裏社会の陰謀に興味を持つようになる人も出てくるだろうとも思いましたので、とりあえず今日はこの「かごめかごめ」のヘブライ語の意味を解釈してみようと思います。
「かごめかごめ」をヘブライ語に訳すと以下のようになります。
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かごめかごめ 「カゴ・メー カゴ・メー」 (誰が守る)
かごの中の鳥は 「カグ・ノェ・ナカノ・トリー」(硬く安置された物を取り出せ)
いついつでやる 「イツィ・イツィ・ディ・ユゥー」(契約の箱に納められた)
夜明けの晩に 「ヤー・アカ・バユティー」(神譜を取り、代わるお守りを作った)
鶴と亀がすべった 「ツル・カメ・スーベシダ」(未開の地に水を沢山引いて)
後ろの正面だ~れ 「ウシラツ・ショーメン・ダラー」(水を貯め、その地を統治せよ!)
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『誰が守る? 誰が守る?
堅く安置された物を取り出せ
契約の箱に封じ納められた 神器を取り出せ
神譜をとり 代わるお守りを作った
未開の地に 水をたくさん引いて
水を貯め その地を統治せよ』
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確かに、一見すると、何やら意味深なことが書かれているような感じがしますが、私のように聖書を沢山読んだ人間からすると、単にふざけたことが書かれている歌詞だなとしか思えません。
なのに、生半可な聖書の知識でこの歌詞を無理やり解こうとして、何やら訳の分からない複雑な解釈をしている方がネットでは沢山見受けられます。しかも、この歌詞から何か肯定的な意味合いを汲み取ろうとまでしています。
はっきりと言わせてもらえば、この歌詞には何ら肯定的な意味など込められていません。ここにあるのはただ神様ヤハウェに対する冒涜です。それ以外の何物でもありません。
そりゃあそうでしょう。この歌詞を書いたのは悪魔崇拝者なのですから。
ただ、悪魔崇拝者たちも、神様への冒涜であると誰にでもすぐに分かるような歌詞を書くことはしなかったようです。そんなことをしたら、誰にもこの歌を歌ってもらえなくなると思ったからでしょう。だから一見して、神様を讃える歌であるかのような歌詞を作ったのだと思います。
それが彼らの常套手段です。バチカンにいる悪魔崇拝者たちも、自分たちが神様を敬っているかのように何百年と装ってきたわけですし……。
それでは、この歌詞を解釈していきます。
まず「堅く安置された物を取り出せ 契約の箱に封じ納められた 神器を取り出せ」の部分です。
「堅く安置された物」も「契約の箱に封じ込められた神器」も、ともにモーセが神様から授かった「十戒」のことを表していると思います。それ以外には考えられません。
「十戒」とは十の戒めのことです。この「十戒」を刻んだ石版が、この契約の箱の中に収められていたのです。神様ヤハウェがそうするよう命じたのです。
「神譜」というのも、恐らくこの「十戒」のことを表すのでしょう。
ですから、「堅く安置された物を取り出せ 契約の箱に封じ納められた 神器を取り出せ 神譜をとり 代わるお守りを作った」という歌詞の意味はこうなります。
契約の箱から「十戒」の石版を取り出せ、代わりにお守りを作ったから、そのお守りを契約の箱の中に収めよう。
まともなユダヤ教徒からすれば、これは狂気の沙汰としか思えないでしょうね。
「十戒」こそ自分たちにとって何よりも重要なものであり、その代わりのものを作って契約の箱の中に収める、などということは絶対にあってはならないことです。というより、最初からそんなことをしようとすら考えつかないでしょう。
この時点で、この歌詞がいかにおかしな歌詞であるかが分かります。
では、代わりのお守りとは何なのか。
モーセがイスラエル民族をエジプトから脱出させたとき、モーセはシナイ山で神様から「十戒」を授かりました。しかし、モーセがシナイ山にこもっている間に、イスラエルの民衆たちは金の子牛の象を作り、拝んでいました。
これまで何度も話してきました通り、偶像を作って拝むという行為は、神様ヤハウェから見れば最大の反逆行為にあたります。しかし、イスラエルの民衆の中には、このときすでに沢山の悪魔崇拝者たちが混ざっていたため、このような冒涜行為を堂々とやって楽しんだわけでしょう。
したがって、この「代わるお守り」とは、「金の子牛の像」のことを表していると考えられます。これだけ見ても、この歌詞が神様への冒涜だと分かります。
しかも、さらにここには「未開の地に 水をたくさん引いて 水を貯め その地を統治せよ」と書かれてあります。
聖書を何も知らない人は、一見すると、何かとても良いことが書かれてあるように思うでしょう。しかし、この「水」もまたくせ者なのです。
モーセは、イスラエルの民衆が金の子牛を拝んでいるのを見て怒り、金の子牛を燃やし、それを粉々に粉砕して水に混ぜ、イスラエルの民衆に飲ませた、と聖書に書かれてあります。以下、旧約聖書の「出エジプト記」から転載します。
「モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。また彼らが造った子牛を取って火に焼き、こなごなに砕き、これを水の上にまいて、イスラエルの人々に飲ませた」(出エジプト記32章19~20節)
この「水」はある意味、神の怒りと言ってよいものです。したがって、神の怒りを民衆に飲ませた、ということは、民たちが神の裁きを受けたということを意味します。
そして、「かごめかごめ」の中では、この神の怒りを表す「水」を未開の地にたくさん引いて貯めよ、とあります。これはつまり、この地に神の怒りをたくさん招くようにせよ、ということを意味します。
したがって、この「かごめかごめ」歌詞全体からは、こんな意味が浮かびあがってきます。
『誰が守る? 誰が守る?守れるわけがないだろう。さあ、堅く安置された十戒の石版を取り出せ。契約の箱に封じ納められた十戒の石版を取り出せ。代わりに金の子牛を作ったから、これを契約の箱に入れよう。そして、この未開の地に神の怒りを招くように、神の怒りをたくさん溜め込むように、この地を統治してやれ』
さらに分かりやすく意訳してみます。
『神様の掟なんか早く捨ててしまえ。そんなものより偶像だ。偶像を作って、神の怒りを招いてやれ。バカな未開人どもの地に神の怒りをたくさん溜め込むよう誘導しながら、この地を統治してやるのだ。』
このように、「かごめかごめ」の歌詞には何の善意もありません。善意を汲み取ろうとするだけ無駄です。
中には、この「かごめかごめ」の歌詞の中に、失われたアーク(契約の箱)の隠し場所が示されていると言う人もいますが、まさかそんなわけがないでしょうが。どうしてユダヤ人たちがわざわざそんなものを日本に運び込んだりしますか。
いえ。仮に百歩譲って、失われたアークが日本に隠されているのだとしても、それが私たち日本人にとって何の意味があるというのでしょう。箱は箱です。ただの箱です。それが見つかったからといって、我々日本人に何か良いことが起きるわけでもありません。
第一、この契約の箱は、ユダヤ教徒にとってのみ尊いものであって、同じ聖書を信じるキリスト教徒にとってすら何の意味もないものです。ましてや、聖書を何も知らない、読んだこともない日本人にとって、一体どんな意味があるというのでしょうか。
にもかかわらず、日ユ同祖論を論じる人の中には、この失われたアークが日本で見つかったら何か凄いことが起きるかのように話す人がいます。全くもって愚の骨頂です。
昨日もお話しましたが、そんな神秘思想まがいものに私たちは騙されてはいけません。
私はこれまで聖書は素晴らしい本だと何度も薦めてきましたが、そのため、私が何かしら神秘思想のようなものを持っているのではないかと勘違いしている人がいるかも知れません。しかし、はっきりと言います。私はこの世のどんな人よりも現実主義者です。
確かに聖書の中には、不思議な奇跡の話がたくさん出てきます。そして、この世のクリスチャンの多くが、そのような奇跡が実際に起きたと信じています。しかし、私はそのような聖書の中の奇跡はすべて本当に起きたものではなく、何かしら解釈を必要とするものであると考えています。
というのも、イエス・キリスト自身、聖書はすべて比喩で書かれているとはっきりと言っているからです。例えばこんな風に。
「わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。」(ヨハネによる福音書16章25節)
聖書は言ってみれば封印の書です。わざと意味が分からないように全てが比喩で書かれてあるのです。だから、とても難解なのです。しかし、私はその難解さに惹かれて聖書を読むようになりました。
今現在、起こりえない奇跡は、二千年前にも起きるわけがありません。今の時代も、過去の時代も、自然万物の法則に変わりはないからです。
そもそも、宗教というものは本来、何か奇跡が起きることを期待して信じるものではなく、人間の徳を高めるために信じるものです。そこをはき違えるようになったのは、やはり悪魔崇拝者たちがそのように宗教の意味をねじ曲げてしまったからでしょう。
人の徳を高めるためではなく、何らかのご利益のために宗教を信じるように彼らは誘導してきたのです。カルトがこの世に沢山誕生するようになったのも、やはりそういった背景から来ているのだと思います。
現在のキリスト教も、悪魔崇拝者たちによってその教理がことごとく破壊されてしまったため、絶対に起こりえない奇跡まで本当に起きたと言って、無理やり信じさせようとします。そのため、キリスト教の教えそのものは実に素晴らしいものでありながら、聖書をまがいものだと思って勘違いし、捨ててしまう人が絶えないのです。
私のブログを読んで、聖書に興味をお持ちになった方も多いようですので、一応、聖書を読む際にはこの点に注意してください。この世の聖書の解釈本の中にも、聖書の奇跡をそのまま信じて書かれたようなものがたくさん出回っていますが、そういったものにも要注意です。
聖書だけに限らず、この世に出回っている神秘思想、超現実的な話にも気を付けなければいけません。そこには何かしら隠された裏社会の意図があります。
特にこの日ユ同祖論に関して、何かしら良い意味をこめて話をする人には要注意です。もしかしたら裏社会の連中は、今後、日本礼賛、天皇礼賛キャンペーンを張っていくために、この日ユ同祖論なるものを引き合いに出してくるかも知れません。
そうして、日本人は実は神様から選ばれた民だった、天皇もまた神様に選ばれた尊い方である、などと宣伝していくかも知れませんし、実際にそのようなことが書かれたブログがネット上では既にあちこちで目に入ります。
ネットでそのようなプロパガンダを流し、それが世間にやや浸透したところで、テレビで「ネットでこんなことが騒がれている」などと報じ、全国民に日ユ同祖論を知らしめ、日本人は神様に選ばれた選民であるとの思想を植え付けようというつもりなのかも知れません。
なんとなく、彼らのそんな意図が透けて見えてきます。
確かに、そういうブログを幾つも作っておけば、いずれそのうちの一つや二つが大きな旋風を巻き起こすかも知れませんからね。要するに「数打ちゃ当たる」というわけです。
そのため、私のブログにも、それに類したコメントを書く工作員が次々と現れるわけでしょう。
とにかく、日ユ同祖論をまるで日本人にとって良いことであるかのように言う人には要注意です。以下のリンクを読んでいただけば、それがいかにデタラメであるかが分かっていただけると思います。
○天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。
○古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。
また、悪魔崇拝者たちのやったこと(例えば阪神大地震やリーマンショックなど)を良いことの前兆であるかのように書いたコメント、ブログなどにも要注意です。しかも、彼らはそこに必ずといっていいほど神秘思想を織り交ぜます。
現実的にそれらを分析すると、そこには裏社会の悪意しかないことがバレてしまうので、わざと「ガイアの周期が何たら」などと小難しい神秘思想を織り交ぜながら、人工地震やリーマンショックなどを、まるで良きことの訪れであるかのように人々を惑わそうとするわけです。
何度も言ってきました通り、阪神大地震もリーマンショックもすべては裏社会の工作によるものです。それらは自然現象ではなく、人為的に生み出された災いなのです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○阪神・淡路大震災は日本中心のNWO計画を阻止するためのロックフェラーによる攻撃でした。
○天皇家とロックフェラー家。彼らは密かに対立し合っているのかも知れません。
私たちはただ現実を直視し、現実の中で何が起きているのかを精密に分析しなければいけません。そうしたときにのみ、私たちはこの世の本当の真実を知ることができるのです。
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