掲示板の常連さん書き込みリンクに、吉田氏の、支配階級の、興味深い資料があったんで引用しました。大量なんで一部抜粋ですが。
資料に絶望した人は、癒しの、希望のメッセージ ビデオ♪でもどうぞ。。Φ(^π^;)φ
希望のメッセージ 2012 (1/2)
http://www.youtube.com/watch?v=xGsLaCg0uP8#at=34
希望のメッセージ 2012 (2/2)
http://www.youtube.com/watch?v=9SUaSfDhW7s
≪吉田祐二 著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 より一部抜粋、要約(11)≫
http://ameblo.jp/antibizwog/theme-10044233394.html
(10頁からの続き)
■現代日本の支配階級
戦前の支配階級であった皇族達は、現在においても一定の勢力を持っていると考えられる。佐藤朝泰(さとう
ともやす 1938-2009)『日本のロイヤルファミリー』(立風書房
1990年刊行)には、次のように書かれている。
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名門・名家の条件は、単に資産家であるということではなく、更に、政治権力を保有している、ということでもない。やはり、連綿と続いた血脈のリレーを保持してきた家系であると同時に、皇室との繋(つな)がり、言い換えれば、天皇家との距離が近い家系、ということに行き着く。
(『日本のロイヤルファミリー』14ページ)
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佐藤氏によれば、戦前の日本には、天皇を中心にした身分制度である華族制度や宮中席次、そして一握りの財閥家族を核とする、確固とした「支配階級」が存在した。戦後になってそうした社会序列が崩壊したが、旧華族を中心とする「閨閥(けいばつ)」〔※関連資料(1安倍・麻生の家系を一例として)〕は今でも重要であると言う。
支配階級とは、「富(財力)、権力(政治権力)、名誉」の3つを有する人達のことである。富を有するのは、かつては三菱の岩崎家や三井家といった財閥家族であったが、戦後の財閥解体により離散した。現在は、旧財閥企業の番頭を務めていた経営者の一族や、戦後生まれた産業資本の支配者達が「財界人」として財力を有している。そして政治権力を有しているのは、かつて元老や重臣として宮中に支配力を持っていた政治家達や軍人に代わって、現在では高級官僚、及び官僚上がりの政治家達である。
この新しい財界人と政治権力者達が、名誉を求めて旧華族と姻戚関係を結び、「閨閥(けいばつ)」を作った。これが佐藤氏の言う、現在の日本の支配階級、即(すなわ)ち「ニュー・エスタブリッシュメント
New Establishment」である。
〔資料〕Reichsarchiv ~世界帝王事典~:検索ページ
http://reichsarchiv.jp/
〔資料〕Reichsarchiv ~世界帝王事典~:家系リスト
http://reichsarchiv.jp/家系リスト
■エリート官僚が政治権力者に
戦後になって、アメリカ占領軍は日本の軍隊及び財閥を解体させ、華族制度を廃止させた。しかし、官僚機構はほぼそのままの形で残した。その結果、戦前の政治権力者達がいなくなり、権力が真空状態になった。そこでエリート官僚達が政治権力者として登場したのである。
『日本のロイヤルファミリー』には、次のように書かれている。
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特筆すべきこととして、戦後における政治権力の支配者は、かつての政党人、高級軍人達に代わって、高級官僚が異常とも思われるほど進出していることを見逃すわけにはいかない。(中略)
戦後GHQにより、戦前の大物政治家、財界人などの指導者が軒並み“公職追放”に遭い、人材払底(じんざいふってい)、組織壊滅の中で、追放を免(まぬが)れたエリート官僚が官僚機構を肥大化させながら、政治権力の中枢に進出、権力の事実上の“乗っ取り”を図るのは容易いことであった。
(『日本のロイヤルファミリー』18ページ)
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戦後の日本の政治は、彼ら官僚達によって担われてきた。吉田 茂(1878-1967)〔※麻生太郎(1940-)の祖父〕は外務官僚上がりであり、岸 信介(1896-1987)〔※安倍晋三(1954-)の祖父〕は将校官僚、佐藤榮作(1901-1975)〔※岸 信介(1896-1987)の実弟、安倍晋三(1954-)の大叔父〕は運輸官僚、中曾根康弘(1918-)〔※≪鬼塚英昭 著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』 より要約(1~28)≫≪広瀬 隆 著『腐蝕の連鎖―薬害と原発にひそむ人脈』 より抜粋(1~10)≫を参照〕は内務官僚、池田勇人(1899-1965)と福田赳夫(1905-1995)〔※福田康夫(1936-)の父〕、大平正芳(1910-1980)〔※関連資料(1一視点として)〕、宮澤喜一(1919-2007)は大蔵官僚と、戦後の主だった首相は官僚上がりが多いのである。
彼らの殆んどが戦前期に既に少壮官僚として活躍しており、戦前期の官僚主導の経済システムである戦時統制経済体制に関わっていた。この官僚主導体制がそのまま戦後に引き継がれて、「日本株式会社」となったのである。この官僚体制は、今尚続いている。
■アメリカに仕える天皇グループの経営者達
高級官僚を中心とする日本の支配階級が、現在の天皇財閥=天皇グループの経営者達である。米国商務省による『株式会社日本―政府と産業界の親密な関係』(大原 進・吉田豊明 翻訳、サイマル出版会 1972年刊行)〔※他に『日本株式会社―米商務省報告』(米商務省 編,
中尾光昭 翻訳、毎日新聞社 1972年刊行)がある〕でも次のように認識されている。
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エスタブリッシュメント
Establishment〔※社会的な権威を持っている階層、関連資料(1)〕が日本経済の進むべき方向と設定された目標の達成方法を決定している。エスタブリッシュメント内部でも各種勢力の立場はこうした問題を巡って初めのうち多いに異なるかも知れないが、それぞれの見解は通常、日本では余りに行き渡っている合意志向的なアプローチによって調整される。コンセンサスを促進するものは政界指導者、官僚、ビジネスマンを結び付ける絆の強さである。これら3グループのどのメンバーも同じような経歴の持ち主であり、一部は縁戚関係さえ持っている。
(『日本株式会社―米商務省報告』44ページ)
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問題なのは、彼ら支配階級が尽(ことごと)く一様にアメリカの大きな影響下にあるという点である。前述したように、戦前の革新官僚から戦後の首相になった岸
信介は米財界の代表である「ジャパン・ロビー」〔※関連資料(1)〕の為に働き、池田勇人は米財界に信任された。また中曾根康弘は昭和20年代に、後(のち)に国務長官となるヘンリー・キッシンジャー Henry Alfred
Kissinger(1923-)の下で学んでいる。宮澤喜一は「三極委員会 Trilateral
Commission(TLC)」の代表を務めた。
〔※補足:三極委員会メンバーの中で日本側の委員長も務めた宮澤喜一は、三極委員会設立後、翌1974年外相、77年経企庁長官、80年官房長官、86年蔵相、87年副総理兼蔵相を歴任し、91~93年の3年間首相となり、首相退任後も98年小渕内閣で蔵相、2000年森内閣で蔵相と財務相を務めた。
ちなみに、小泉純一郎(1942-)は宮澤内閣で郵政大臣(1992~1993)に就任している。本人は郵政民営化をあくまで持論と主張しているが、この頃には既にエージェント化していたものと考えられる。
首相だけでなく、これだけ繰り返し経済担当大臣を務めた政治家は稀であり、宮澤が活躍した時代、つまり三極委員会が設立されて以後の日米関係は、より一層アメリカ主導になった。
85年プラザ合意、89年ブッシュ父大統領
George Herbert Walker
Bush(1924-)の提案による日米構造協議、93年宮澤首相・クリントン大統領間で日米包括経済協議が開始されたが、首脳会談を行う宮澤喜一とビル・クリントン
William Jefferson “Bill”
Clinton(1946-)の2人は、共に三極委員会メンバーだった。翌94年から、米国による(対日)年次改革要望書という命令書が毎年送られてくるようになった〕
首相経験者以外でも、戦後直ぐに日銀総裁を務めた新木栄吉(1891-1959)や一萬田尚登(いちまだ ひさと
1893-1984)らもアメリカの影響が大きく、その後の日銀総裁達も同様である。
戦前は天皇に仕えてきた彼ら臣下達は、戦後になってからはアメリカを主人として、アメリカの利益の為に日本国民を騙しているのである。≫≫