今日のraptさんも96.66%は真相ってところが怖いね。
ナポレオンがワーテルローの戦いに敗北し、ロスチャイルドが世界屈指の大財閥になったときから、日本中心のNWO計画は確定していました。
http://rapt.sub.jp/?p=17800
昨日は「竹内文書」についてざっと簡単にご紹介させていただきました。
○「竹内文書」は悪魔崇拝者によって書かれた天皇礼賛に導くための古代プロパガンダの書です。
「竹内文書」というものを全く知らない方にとっては、突然の話でよく分からない部分があったかも知れません。
なので、簡単に昨日の話をおさらいしておくと、世間ではこの「竹内文書」が偽書、またはトンデモ本として扱われているということ。またこの「竹内文書」を使って、天皇がいかに素晴らしい存在であるかというプロパガンダが古代から発信されていたこと。かつ現代においてもそのような人がぽつぽつと存在していること。
また、悪魔崇拝者たちはこの「竹内文書」に書かれた古代世界を理想とし、その世界を現代に再び蘇らせようとしているということ。
現時点ではこれらの点をお分かりいただければそれで十分だと思います。
とにかく、私はこの「竹内文書」を十数年ぶりに読むことによって、悪魔崇拝者の間では天皇中心のNWOを樹立することが一つの悲願になっているのだということを改めて強く実感しました。
この日本という国は悪魔崇拝の発祥に地であり、しかもそれが有史以前から行われていた。彼らはその頃からすでに現代の我々と同程度かそれ以上の文明を有していて、天皇を中心に大きく栄えたものの、やがて何らかの原因で滅亡してしまった。
そのため、彼らは世界各地にバラバラに散らばり、それぞれの地でNWO計画を進めようとしたものの、それら全てがうまくいかなかった。それで結局、古代と同じく、日本中心のNWO計画を進めようと再び考えるようになった。
しかし、同じ悪魔崇拝者の中にも、ロックフェラーのように天皇中心のNWO計画を不服とする者がいて、彼らがその計画をずっと妨害してきた。
かつての第一次・第二次大戦も、日本中心のNWO計画を成就するために起こされた戦争だったのではないか、と私はまた新たな仮説を立てたわけですが、その計画を阻止したがっている勢力(ロックフェラーなど)がこの二つの戦争に勝利したことで、日本中心のNWO計画は実現できなかった。
そのため、ロスチャイルドと天皇は今でも第三次世界大戦を画策し、日本中心のNWOを実現させようと意気込んでいる可能性もなきにしもあらずです。
第一次・第二次大戦が起こされた理由について、これまで多くの陰謀論者たちが金融ユダヤの金儲けのためだったと唱えたり、イルミナティの人口削減のためだったと唱えたりしてきました。
しかし、私が独自に調べてきた結果、かつての二度の大戦は、日本中心のNWO計画を進める者とそれを阻止しようとする者との戦いだったのではないかと考えざるを得なくなってきています。
そして、その計画を世間に知られたくないがために、多くの有名陰謀論者たちが、金儲けのためだったとか人口削減のためだったなどとデマを流しているのではないかという気がしてなりません。
特に第二次大戦では、NWOの走りである「千年王国」の樹立を唱えたナチスドイツと、天皇中心のNWO計画を企んでいた日本とが同盟(日独伊三国同盟)を結んでいました。
ということは、ドイツ(イタリアも含め)が西洋諸国を占領し、日本が東洋諸国を占領した上で、戦後に双方の占領国を合体させ、天皇中心のNWOを樹立しようとしていたとも考えられなくないわけです。
しかし、ロックフェラーがこの計画を妨害したため、ドイツも日本も戦争に敗れ、日本中心のNWO計画がご破算になってしまった。
その後、ドイツが東西に分断されたのも、朝鮮半島が東西に分断されたのも、一部の陰謀論者が言うように、単なる金融ユダヤの金儲けのための猿芝居ではなく、ロックフェラー側とロスチャイルド側との内輪争いが表面化したものだったのかも知れません。そう考えた方が筋が通ります。
もちろん、これについては今後も精査が必要になりますが、多くの陰謀論者が唱えてきた説について、私はもう既にいくつもの矛盾を見付けていますし、彼らの説だけではきちんと説明のつかないところが沢山あります。
ですから、やや気の遠くなる作業ではありますが、今後、二度の大戦が起こされた真相を解明し、きちんと論証立てて説明できればと思っています。
また、昨日は青森にある「キリストの墓」が悪魔崇拝者のでっち上げた偽物の墓であるとのお話もしました。
これについてはまた新たな証拠を発見いたしましたので、今日ここで皆さんにご紹介しておきます。それが以下の動画になります。
見ての通り、このキリストの墓の所有者の家紋がものの見事に「五芒星」でした。
しかも、この青森にあるキリストの墓に「テンプル騎士団」が中世の頃から興味を示し、わざわざ日本にまでやってきた可能性があるとのこと。
この動画の解説にもある通り、「テンプル騎士団」とは「フリーメーソン」の前身であり、つまりは悪魔崇拝組織のことです。
この動画では、マルコポーロの「東方見聞録」が書かれた時代(1298年)よりも古い時代に、なぜ西洋のテンプル騎士団が日本のことを知っていたのか、なぜ日本にまで訪れていたのかと不思議そうに語られていますが、このブログの読者の皆さんなら、そんなことはもうお分かりですね。
悪魔崇拝者たちは有史以前にもともと日本に住んでいて、その日本が滅亡したから、やむなく世界に散らばっていっただけです。
ですから、彼らの多くが日本に憧れを抱き、サケがもともと生まれ育った川へと戻っていくように、日本に戻ってNWOを樹立したいと考えていたのです。
あるいは、この当時から既に日本に住み着いていた悪魔崇拝者たちと、西洋の悪魔崇拝者たちが何らかの形で連絡をとりあっていた可能性もなくはないでしょう。
とはいえ、この頃にはまだ悪魔崇拝者の間ではっきりと日本中心のNWOを樹立しようという統一した見解は出されていなかったと思います。世界のどこでもいいから、自分たちの支配するNWOを設立できればいい、というぐらいに思っていたのではないでしょうか。
しかし、あるとき彼らの間で日本中心のNWO、古代と同じ天皇中心のNWOを設立することがはっきりと決定した。
それがいつのことだったのかというと、恐らくナポレオンが「ワーテルローの戦い」に敗れたときのことではないかと私は考えています。
皆さんもご存じの通り、ナポレオン率いるフランス軍が「ワーテルローの戦い」で敗北し、イギリス軍が大勝利を収めたことで、ロスチャイルド家は世界屈指の財閥家へとのし上がりました。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○ロスチャイルド家はなにをして大金持ちになったのですか? – Yahoo!知恵袋
○栄華を極める世界最大最強のロスチャイルド財閥
そして、このロスチャイルド家はまさに天皇中心のNWOを夢見る者たちの筆頭です。
もしかしたら、ナポレオンも悪魔崇拝者で、フランスを中心としたNWO計画を成就しようとしていたのかも知れませんが、ロスチャイルドにはそれが目障りで仕方がなかった。だからイギリス軍に多額の資金を提供して、ナポレオンを敗北へと導くと同時に、イギリス国債でボロ儲けした。
その結果、彼は世界有数の金持ちとなり、その資金を元にして日本中心のNWOを樹立しようと本格的に動きはじめたのでしょう。
私がそう考えるようになった根拠が、以下の記事になります。
----------------(以下、紀州文化振興会より転載)
「堀川政略」の概容
ナポレオン戦争を経て、半封建的領邦国家から近代国民国家に変貌した欧州列強からの日本に対する国際化要求は光格天皇の御宇に始まり、欧州王室連合から日本皇室に対する皇室国際化の要請がしだいに現実味を帯びてきました。
具体的には、将来の世界王室連合への参加の呼びかけです。これについて、孝明天皇と側近が討議を重ねます。側近とは仁孝天皇の猶子(ゆうし)で孝明にとって養兄に当る青(しょう)蓮院(れんいん)宮尊(そん)融(ゆう)法親王と侍従岩倉具視です。
討議は、わが国が欧州列強に交わり近代国民国家として国際舞台に立つためには、政体の新しい装いとして立憲君主政体の樹立が必要になることで一致します。これを前提に、古代から続くわが國體(こくたい)を護持しつつ皇室を国際化するには、畢竟(ひっきょう)皇室を表裏に分けて二元化するほかないとの結論に至ったのは、日本天皇の本質が国民国土の安全を祈念する国家シャーマンだからです。つまり「オオキミはカミにいませば」の本義です。
(RAPT註:国家シャーマンとはつまり悪魔崇拝をしている者ということでしょうかね? 天皇が国民国土の安全を記念するわけがありませんから。)
大政奉還が行なわれて京都に政権が移ると、徳川幕府の本拠江戸は廃れて旧(もと)の武蔵野になることを、天皇は憂慮しました。国土の均衡上、立憲君主制の帝都を東京すなわち江戸に定めねばならず、国家元首たる天皇は、政体と皇軍に君臨するため東京城を皇居としなければなりません。
しかしこれでは國體天皇の国家シャーマンとしての霊力に陰りが生じます。大峰山から富嶽に昇る朝日を拝するためには、関東に動座することは適いません。これにより政体天皇は東京城に、國體天皇は西京(京都)に座すべきことが必須条件と認識されたのです。
皇室が世界王室連合に参加すれば、王室間外交は勿論、欧州王室の慣行である王室間通婚を避けて通れず、その結果皇統に外国王家の血統が入れば、わが国従来の國體観念と乖離(かいり)する虞(おそれ)があります。また世界王室連合の一員となった皇室は、王室連合の金融を担当する金融皇帝ロスチャイルドに対する協力・支援も必要となり、国際金融にも無関係でいられなくなります。
孝明がさらに重要視されたのは、開国に際して生ずべき国民間の各種対立と抗争を極小化することだと考えられます。当時、日本社会の地質構造には三本の大きな断層が走っていました。そのことは、十一月末に成甲書房から公刊する予定の拙著『明治維新の基本計画「堀川政略」』(仮題)で詳述しますが、①皇統の南北対立、②朝廷と幕府の対立、③公家・武士階層内での上下対立がこれです。
開国に際しては外国勢力は必ず国内介入の機会を狙い、右のいずれかに眼を付けること必定です。外国の介入の結果は臣民相(あい)撃(う)つ内乱に逢着(ほうちゃく)し、挙句の果てに植民地化もあり得ぬことではなく、人民は永く塗炭(とたん)の苦しみに陥ります。
この事態を避けつつ上記の三大対立を解消して、新しい立憲君主政体の樹立を志した孝明天皇は、それを実現するためのプログラムを国事御用掛朝彦親王(時に青蓮院宮)と侍従岩倉具視に諮問したのです。これに対して両人が奉答したのが「堀川政略」です。
その内容を正確に把握することは素より困難ですが、その戦略的骨子はおおよそ下記の如きものと推察されます。
①孝明天皇が崩御を装って、皇位を南朝皇統の大室寅之祐に譲る。
②睦仁親王及び、妹の皇女壽萬宮・理宮も薨去を装い、父天皇と共に隠棲する。
③隠れ家として、水戸斉昭が堀川通六条の本圀寺に「堀川御所」を造営する。
④大室寅之祐は睦仁親王と入れ替わり、孝明の偽装崩御後に践祚して政体天皇に就く。
⑤堀川御所に隠棲した孝明は國體天皇となり、政体に代わり皇室外交と国際金融を担当する。
⑥一橋慶喜は将軍就任を回避し、尹宮(時に青蓮院宮)と公武合体政権を建てる。
⑦幕府は十四代を以て大政奉還し、幕藩体制を終了させて立憲君主制の新政体を建てる。
これを実現するために幾つもの戦術が組み立てられましたが、当初にすべてを建てることはムリで、臨機応変に対処したのは当然です。その主なものを幾つか挙げます。
①御所建春門外に「学習院」を開設し、儒学・明經道を表看板をとして、実は国学・神道教育を行う。
②学習院を下級公家(平堂上)と尊攘下士のアジトとする。
②尹宮と表裏一体の矢野玄道が、佐賀藩士副島種臣を使って兄の枝西神陽と意思疎通し、神道系シャーマニズムを鼓吹する。
③枝西神陽が楠木正成の尊崇運動を初め、学習院を通じて尊皇諸藩の下士に広める。
④薩摩藩・長州藩で楠公尊崇が藩論となるよう工作する。
⑤安政の大獄による謹慎を利用し、慶喜と尹宮(時に青蓮院宮)が「堀川政略」を実行する。
⑥万延改鋳で保字小判を買い占めた小栗が、利益を保字金として退蔵する。
⑦文久の改革で、慶喜と小栗がオランダにフリゲート艦を発注し、榎本武揚らをオランダに派遣する。
⑧在欧の榎本が日本関連の国際情勢を、勝海舟を通じて慶喜に報告する。
⑨榎本武揚が将来の小栗渡米(結果は亡命になった)の準備を整える。
⑩慶喜が渋沢栄一をフランスに派遣する。
⑪勘定奉行の小栗と塚原昌義が兵庫商社を設立し、紙幣(兵庫金札)を発行する。
⑫勘定奉行兼軍艦奉行並の小栗が勘定吟味役小野友五郎をアメリカに派遣し、甲鉄艦を買付させる。
⑬大政奉還に備え、勝海舟が慶喜の恩赦を前以て図り、小栗退蔵金から孝明に献金する。
⑭甲鉄艦の到着前をタイミングとして、大政奉還を奉告する。
⑮米国公使が甲鉄艦の幕府への引渡しを保留する。
⑯戊辰戦争に際し慶喜と勝海舟は恭順を表明し、小栗と小野は抗戦を叫びながら蟄居し、塚原はアメリカに亡命し、榎本らは抗戦する。
⑰岩倉が東山道鎮撫総督府を身内で固め、剣客原保太郎を総督随行に任じて小栗の救出にかかる。折田彦市が岩倉と原の連絡に当たり、原が小栗を偽装処刑して逃がす。
⑱小栗は塚原の手引きでアメリカに亡命して三井物産設立の準備をする。
⑲榎本はフリゲート艦開陽を直接戦闘に参加させず、幕府の海軍力を封印する。
----------------(転載ここまで)
この記事だけをパッと読むと、どうして「欧州王室連合」なる組織が、急に日本なんかに着目したのかと疑問に思う人が出てくるはずです。
私もこの方の著作に何冊か目を通してみましたが、その疑問を解いてくれるような答えは全く見いだせませんでした。要するに、この方もその点は解明できていないわけです。あるいは、わざとその部分を隠しているのかも知れません。
しかし、この「欧州王室連合」なるものがロスチャイルドを始めとした悪魔崇拝者であり、彼らがかねてから日本中心のNWOを夢見ていたと考えれば、全てに筋が通ります。
実際、先日もご紹介しましたが、奥州の王族たちが悪魔崇拝者であることは、バチカンの悪魔崇拝裁判でも明らかになっています。
○バチカン、イエズス会、ローマ法王、王族による生贄儀式と児童虐殺が法廷で明らかに。
○現ローマ法王フランシスコに幼児虐待および人身売買のかどで有罪判決。
また、この上の「堀川政略」の記事では、孝明天皇が暗殺されてはおらず「裏天皇」として暗躍していた、とも書かれてあります。
これは人によってはなかなか信じられない話かも知れませんが、北朝系の子孫が北朝鮮の「金正日」と結婚していたという事実がある以上、孝明天皇が裏天皇となり、北朝系が未だに強い権力を持っていると考えてもあながち間違いではないでしょう。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○北朝鮮のトップ「金正恩」は日本の天皇家の血筋です。
また、ロスチャイルドが徳川家に根回しした上で、大政奉還が行われていたということも既に分かっていますので、孝明天皇にも何らかの根回しがあったと考えても何らおかしくはありません。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○関西に描かれた巨大な「六芒星」と「逆五芒星」の意味。または「かごめかごめ」の意味。
私はこれまでずっと鬼塚氏の説を皆さんにご紹介してきましたので、中にはこの話を聞いて混乱される方もいらっしゃるかも知れません。鬼塚氏は、孝明天皇が伊藤博文に暗殺されたという説を唱えていらっしゃるからです。
しかし、残念ながら、孝明天皇が伊藤博文に暗殺されたという証拠は一つもありません。
かといって、孝明天皇が裏天皇になったという証拠も何もないわけですが、北朝系の子孫が「金正日」と結婚していたという事実がある以上、北朝系の天皇が今でも強い権力を持っていると考えた方がより自然です。
しかし、この「堀川政略」説を唱える落合氏の著作に何冊か目を通してみたのですが、鬼塚氏とは違って、彼は天皇のことをかなり持ち上げています。ロスチャイルドと天皇がまるで世界のために良いことをしているかのように書いています。なおかつ彼は、京都御所からも何やら賞をもらっています。
要するに、双方に何らかの癒着があるか、あるいは秘密を暴いた落合氏を天皇家がなんとかして懐柔しようとした、あるいはミスリードしようとした可能性もなくはないということです。
ですから、私はこの落合氏の著作を皆さんにお薦めする気にはなれないのですが、それでも現段階では、この落合説の方が鬼塚説よりも筋が通っているのは確かでしょう。
このように、ロスチャイルドを筆頭とする西洋の悪魔崇拝者たちは、ワーテルローの戦いでイギリス軍が勝利したとき(1815年)から、日本中心のNWO計画を実現するべく、日本に乗り出してきたと考えて先ず間違いありません。
要するに、ロスチャイルドが世界屈指の財閥へとのし上がったときから、彼らは既に日本中心のNWO計画の実現に向けて本格的に動き出していたというわけです。
もしかしたら彼が金儲けしてきた動機も、全てはそこにあったのかも知れません。
で、こう考えてみると、ロスチャイルドと天皇家が手を組んだとき(明治維新)以降、日本が起こした全ての戦争が、天皇中心のNWO計画と何らかの関連性があるのではないかと考えざるを得なくなってくるわけです。
だからこそ、第一次大戦も第二次大戦も、その目的で行われた戦争だったのではないかと私は疑わざるを得ないのです。
ちなみに、ワーテルローの戦いがあった1815年には、伊能忠敬が九回目の日本の測量をしています。このこともまた天皇中心のNWO計画と何らかの関わりがあるのではないかという気がしてなりません。
○1815年 – Wikipedia
第一、伊能忠敬はこの当時、現代の日本地図とくらべて全く遜色のない正確な日本地図を作成しています。果たして彼はそれだけの技術をどこで身に付けたのか。
彼が独力で身に付けたのか、それとも……。
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