深夜尿出しタイムに、コブラ最新後半、出たようですが、その前に、グリア博士の続き、最新ですね。Φ(^π^;)φ
「我らはみな霊において一つ」
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1997年11月に私たちグループは、ジョシュア・ツリーの荒野のヒドン・バレーに行った。そしてシャリの最後の遠征となった最終日の夜、ジョシュア・ツリーからパーム・スプリング地域へ車を走らせている時、彼女のための驚くべき送別イベントが起こった。すでに夜も更けており、シャリは癌との闘病で疲れきっていたのは言うまでもない。
突如として、巨大なUFOが谷間の上に現れたのだ。
それは彼女と私が、その地域へ初めて行った時のことを思い起こさせるような宇宙船だった。この巨大なUFOはきっちり光速度だった。そしてこのUFOは面白いことに、継ぎ目のない船の前部は後部から出てきており、延びたり縮んだりするアコーディオンのようだった。ETたちはシャリに「さよなら」を言っていたのである。12月までにシャリは昏睡状態に陥り、意識がなくなった。そして1998年1月、彼女は他界した。
救急医師として私は多くの人々の臨終に立ち会ってきた。
そして私は自分自身の臨死体験から、できることなら、肉体を去っていく彼らを”神聖な場”に結びつける人がいて、彼らを光の世界へと橋渡ししてあげることが重要だということを、ずっと以前から知っていた。他界するときの神聖な瞬間を、私たちの文化はほとんど忘れてしまったも同然である。
今日、誰もが他界に際し、何本ものチューブに繋げられ、それはきわめて技術的ではあるが、肉体レベルから宇宙のアストラル領域へと変容している最中に、技術以外に何が為される必要があるかの認識を欠いている。私はこのことについて語りたい。というのも、臨終に際して何が可能であるかという例証ができるからだ。
1月に、シャリを看護していた人たちから私にそこデンバーへ来てほしいと望まれた。私はそれまでにも数回シャリを見舞っており、最後の数ヶ月間は彼女と深く関わってきた。それはすべてがタイミングにかかっており、私は彼らに「その時が来たら行きましょう」と言っていた。そして私たち1人1人にとって、彼方へ渡る神聖な瞬間がある。
我らはみな霊において一つ
ある早朝、私は瞑想中にいきなり宇宙意識の状態に入ってしまった。
そこで私が見たものは、ある人々が「宇宙の卵」と呼んでいる形の中での全創造だった。その周りは至高の無限性で包まれており、私は全創造と完全に一つでそれを知覚している状態にあった。するとそこに、シャリがいるのが見えた。彼女を前に、私は創造における最高レベルを彼女に指し示していることを知っていた。そして彼女が私より先に無限の世界へ、宇宙の故郷へ旅立とうとしていることを知っていた。
私たちがそれに近づくにつれて、それは無限とも思える数の、天使の歌声ともいうべき美しい歌声が、「われらはみな霊においてひとつ」、と何度も何度も繰り返し歌っているのが聞こえた。その永遠から響くこれらの歌声は比類なく優美なメロディーであり、「われらはみな霊においてひとつ」を繰り返した。残念なことに、私はそのメロディーを再現できないが、言語を絶する美しさだった。それを聞きながら私という存在は、無限の愛と意識の一体性の中へ溶けてしまった。
自分の寝室にいると気づく意識状態へ戻った時、私は時計を見て時間を書き留めた。それはその時刻からちょうど7つの24時間、地球の7回転、がシャリが去って行く時間であることを私の魂は知っていたからだ。彼女は日ごとに死に近づいており、誰もが私に「早く来ないと」と言い、私は「行きますよ」と答えていた。それで6日目にデンバーへ飛んだ。私は、「その時が来たので来ましたよ」と言った。
彼女は数週間以来、昏睡状態にあった。
シャリのホスピス・ルームからみんなが出て行くのを待った後、私は彼女の脇に静坐し、祈り、瞑想した。私が美しい祈りを唱えて彼女を見ると、数週間も閉じていた両目が開いたのだ。それは大変うれしそうな表情だった。そしてとても大きな一粒の涙が彼女の頬を滑って落ちた。私がそこにいることがわかったのだ。私は彼女に言った。「うん。もう行ってもいいよ」 シャリはこの言葉を聞く必要があったのだ。というのも彼女は、私を見捨てて重荷を残したまま去っていくように感じられる、と言っていたからだ。
それに対し私はこう言っていた。
「あちらからも大きな仕事ができるよ。むしろここでするよりもはるかにいろんなことができるんだ」と。ほとんどの人には知られていないが、彼方へ渡り悟った人々は、いわばこの世界を神秘的なやり方で発酵させる酵母になるのだ。彼らはこの世界の進歩を保護し導き、助ける見えない手であり、霊感でもある。それは見える見えないにかかわらず、常に働いている。
翌朝、私は非常に早く目覚め、時刻に注意していた。
私は彼女の臨終の正確な時刻と瞬間を知っていたからだ。人々が集まってきて、彼女の周りに半円形に立ち、みな一緒に祈りを唱えた。彼女を霊的に支度させ、至高の存在と結びつけた後、安心させ、私は彼女の方を向いて言った。「さあ、行っていいよ。その時だ。すべてを手放して、永遠の光の中へ行きなさい、シャリ」
その言葉とともに彼女は息を引き取り、去って行った。
彼女の他界は平和そのもので、実に見事だった。しかしたとえそうであっても、私は打ちひしがれた。その時突然、活気に満ちた神聖なエネルギーの微風が室内を吹きぬけ、私の中を完全に通り抜けて行った。
私たちはみな他界するとき、このように互いに世話し合う必要がある。
それは次の段階へ移行する瞬間に、出来る限り最高で最善な霊的状態に上昇できるように、人は誰でも互いの助けと祈りと霊的な力を必要としているのだ。
ロサンゼルスの講演会で初めて出会った1991年以来、シャリの強さは支えであり、大胆不敵で勇敢な獅子であり、決して屈するこのない腹心の友だった。彼女のその献身がなかったならば、地球外文明研究センターの多数の歴史的達成を実現することは不可能だった。彼女は私の片腕であり、6年間にわたって信頼できる助手だった。ラテン・アメリカの僻地で危険に立ち向かった時、ペンタゴンの統合参謀本部の会議室で会合に出ている時、どんな時であろうと、シャリは私たち全員のために、私と一緒だった。彼女は1度としてひるまず、1度として降参しなかった。
批判者たちの中での嘲笑、闇の分子の仕掛ける容赦ないいかなる謀略にも動ぜず、平和な時代を築くために決然として力を尽くした。それは地球だけでなく、宇宙的な平和のためだった。身体が彼女にそむくようになってからでさえ、シャリは勇気と慈しみ、愛の精神を失わず、彼女を知る者はみな驚嘆し、彼女を手本とした。
光の彼方から働きかけてもらう今後の仕事について、シャリと私は話し合った。
そうした仕事は宇宙のあらゆる領域において、平和と成長を推進させるだろう。彼女が彼方の新たな場所から大いに尽力し、平和の天使たちと一つになって援助してくれるということに、私は何の疑いも抱いていない。
平和がなければ、地球上にどのような進歩もあり得ない。
だから愛に満ちたハートから平和のために働こう。この世を去るときに、私たちが持っていけるのは愛だけであり、永遠不滅の愛だけなのだ。
シャリが他界した夜、彼女への感謝の言葉を書き、私は非常に深く寝入ったが、その夜、1人のETと奇怪な経験をした。それはシャリから紹介されたETであり(今日私たちはそのETを”親切”と呼んでいるが)その人物と一緒にいる鮮明な夢の中に私は目覚めた。このETは高度に進化した存在であり、アストラル光体のシャリと通信できると同時に私とも交信できた。
この存在は女性の風貌をしたETであり、真ん丸な頭部で髪の毛がなく、実に異国風で美しい眼を持ち、非常にきれいな顔立ちをしていた。大変すらっとしており、彫りが深い。私たちが互いに結合すると、彼女は並外れた親切を放射した。その存在は完璧な親切の化身であり、非常に思いやり深く、非常に優しかった。
私は話の途中で次のように訊ねてみた。
「私たちは今、真実についての情報開示を行なってもいいでしょうか? 大統領は動かなかったし、国際機関も行動しなかった。議会は脅されて怖れているか、あるいは堕落しています」 ”親切”が言った。「できるなら、そうしなさい」と。 つまりこの非常に高位のET大使からゴー・サインが出たのである。そして私たちが1998年以来、「2001年情報開示」のための計画をまとめてきたのは、シャリが他界した翌日の夜、このETによって承認されたことがわかったからである。しかも統合参謀本部の情報部長も、これと非常に似通ったことを言っていた。
面白いことにこの鮮明な夢の中で、私はビル・クリントンと一緒におり、この問題について彼と論議していた。彼は冷笑しながら言った。「うーん、私にはできないね。でもあなたならできる」 言うまでもなく彼はこう言っていたのだ。「私はそれはしない。なぜなら余りにも危険だ。しかし、なぜ君がやらないの?」 ジョン・マッケインはいみじくも、真のリーダーシップにとって勇気は不可欠な資質であると言っているが・・・。
私たちが常に感じていることだが、この仕事はシャリに助けられている。
そして1998年以来、ほとんどの交信遠征において、美しいブルー・ホワイトのUFOに乗って、私が”親切”と呼ぶETが現れた。このUFOはしばしばシュッと音を立てて空に現れ、弧を描いてグループをパッと照らし、私たち全員にブルー・ホワイトの光を当てた! 1998年以来、私たちと結合しているこのETが、地球外文明連合の霊的・政治的大使の任にある高官だということを私は知っている。
それ以前の私の主なETコンタクトは男性の風貌をした存在であり、真っ黒な髪をした典型的なコーカサス人の特徴を持ち、濃いブルーの目と、私が見たことのある中では最も白い皮膚をしていた。彼は、私が地球外文明研究センターとその他のプロジェクトを始めた1990年に、私にコンタクトしたETであった。
”親切”のUFOは1度ならず、バージニア州の我が家の真上に現れた。
近所の人々が濃いブルーのUFOを見ていたが、それは完全には有形化しておらず、朝4時半に我が家の上を覆うようにホバリングしていた。この出来事が起こったとき、ある隣人たちは私がこうしたプロジェクトに関わっていることをまったく知らなかった。だが、彼女がこのコバルト・ブルーの円盤を我が家の真上に見た時、彼女が感じたものは信じ難いほどの深い平和と、守られているという保護感だった。
シャリの他界後、私はしばらくの間気持ちの上で疲れ切っていた。
責任を感じ、自分が生き残ったという罪悪感に囚われていた。子どもたちは私が悲しんでいるのを知り、その年のクリスマスに「鳥籠」のビデオ・テープをプレゼントしてくれた。私は何度となくそのビデオを見て笑った。私には笑いセラピーが必要だったのだ。私は癌を抱えており、親友を亡くして非常に悲しかった。彼女は殺されたからだ。
私はあらゆる分野の名士やCIA長官、ロック・スター、上院議員などに会ってきた。
だがその時、私が会いたい人はただ1人、ネイサン・レイン―「鳥籠」のミズ・アルバートのみだった。私は彼と一緒にしばしの時間を過ごしたが、彼にこう教えてあげたい。「この映画のおかげで私は命拾いしました。なぜなら、笑いによって健康を取り戻せたからです!」と。
シャリが去って後、私たちは1998年2月にハワイへ行き、その大きな島で地球外文明コンタクトのトレーニング・プログラムを実施し、非常に実証的な経験が得られた。そして私は、イルカ・コンタクトの専門家ジョアン・オーシャンの指導のもとに、イルカと一緒に泳ぐことになった。その頃の私にとって、こうした経験はどうしても必要であり、シャリの他界や、その他当時起きていた多くの問題のために、私は落胆しきっていたからだ。
私は無邪気な子どものような、リラックスした状態にいると、4頭のイルカのグループがやって来て私を仲間に入れた。すると彼らと私は星型の形をつくり、イルカの1頭が私の先頭に、それぞれ1頭ずつが私の左右の脇腹に、そして残りの1頭が私の後方に位置を取り、まるで飛行機の編隊のようになった。私は彼らの目が見えるほど近くにおり、親しみを込めていたずらっぽく、私たちは互いの目を覗き込んだ。
私は彼らと一緒に泳ぎ、私が遅れると彼らは私のために速度を落とす。
彼らは私を水中に潜らせ、彼らほど潜水していられないので水面に出ると、彼らもぴったり調子を合わせて出てくる。私たちは沖へ向けて泳いでいたが、私のサポートをしてついて来ていたボートが次第に遠ざかり、リンダは追いつけなくなった。それで私はUターンする必要があったが、彼らは私を沖合いにある彼らの特別な場所へ連れ出すのだった。
HIDDEN TRUTH FORBIDDEN KNOWLEDGE
『UFOテクノロジー隠蔽工作』 スティーブン・グリア著 めるくまーる 抜粋
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「我らはみな霊において一つ」
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