東電OL暗殺は、これを真似たんですかね。
原発核武装関係の、口封じ、暗殺の、犠牲者は、JFK暗殺の証人、暴露関係者の、口封じ暗殺の、666人を遥かに、上回る説もありますが。
これが、自由主義経済の中の史上最強の社会主義カースト制、日本の実態ですね。
怖いですね、不気味ですね、気色悪いですね。Φ(^π^;)φ
【核ミステリー】28歳のカレンはなぜ怪死した? ― 原子力関連企業を内部告発した女性の「最期の7日間」
http://tocana.jp/2015/01/post_5527.htmlカレン・シルクウッド「news.com.au」より
今からほぼ40年前の1974年11月のある深夜─―。28歳の女性の運転する車が、対向車線をはみだし、道路下の暗渠(あんきょ)に激突して、大破した。
ハンドルを握っていたのは、プルトニウム工場の労働者で、労働組合の活動家でもあるカレン・シルクウッド(Karen Silkwood/1946─1974・11・13)。警察はこれを単独の自動車事故、つまり自爆死と結論づけて幕引きをはかった。だが今日、彼女の死を疑いの眼で見ないものは1人もいない。捜査当局とFBIつまりアメリカ政府、そして全米の原子力関連企業とを除けば――。
■原子力関連企業カー・マギー社に就職
カレンは1946年2月19日、テキサス州に生まれ、同州のネザーランドで育った。1年間、州立大学に通った後、1965年に石油パイプラインの労働者と結婚し、3人の子供をもうけた。しかしその後、1972年に離婚。単身、オクラホマシティに移転する。この時彼女は、5歳の長女に「ちょっとタバコを買ってくるから」と言い残して、家を出たという。長女のほかに残された2人の子供はそれぞれ3歳、18カ月だった。
画像はペレット・燃料棒・燃料集合体「nuclear.duke-energy.com」より
やがて彼女は、オクラホマ州のクレセントにほど近い、原子力関連企業カー・マギー社(Kerr-McGee)の運営するシマロン・プルトニウム製造工場(the Cimarron plutoniumplant)で、時給4ドルの技術者として働きはじめた。彼女が受け持った仕事には、放射性プルトニウムのペレットが詰まった燃料棒(fuelrods)を研磨する作業が含まれていた。
■健康と安全について調べる→嫌がらせが始まる
カレンはすぐさま、石油・化学・原子力労働組合(Oil, Chemical & Atomic WorkersUnion)に加わり、シマロン工場でのストライキに参加した。これが失敗に終わったとき、労働者の多くが組合を離れたが、交渉委員会のメンバーに選ばれたカレン(彼女は、組合の歴史の中で、この地位についた最初の女性だった)は、工場労働者の健康と安全の問題を熱心に調べだした。すると、盗聴やさまざまな嫌がらせが始まったのだ。
まもなく彼女は、欠陥のある換気設備や、放射性物質のずさんな管理、また不十分なシャワー設備などが、労働者の汚染物質への暴露(放射線に被曝すること)を引き起こしていて、これが多くの健康規則に違反することに気づいた。
■原子力委員会(AEC)への社の不正報告が筒抜け状態?
1974年夏、カレンはシマロン・プルトニウム製造工場が労働者の健康と安全規制における重大な違反を犯していると「原子力委員会(theAtomic EnergyCommission)」に証言した。ここにはほかに、工場が生産効率をあげようと労働者の訓練を軽んじていること、燃料棒の扱い方が不適切なために不具合が生じて、プルトニウムが漏洩していること、さらに相当量のプルトニウムが行方しれずになっている証拠などが含まれていた。
加えて彼女は、カー・マギー社がMOX燃料の規格検査をパスさせるために、欠陥製品のネガを修整していた事実をスッパ抜いた。すると間もなく、カレンの身辺に奇妙なことが相次いで起こりはじめた。彼女は知らなかったのだ。AECに報告した社の不正は、そっくりそのまま社に筒抜けになっていたことを。
さて、このあたりで、この事件をM・ニコルズが1983年に映画化した、メリル・ストリープ主演の『Silkwood』の予告編をご覧いただこう。当時のなんともずさんな工場内の作業風景が、悲しいほどリアルで、思わず背筋に冷たいものが…。
動画は、YouTubeより
■謎の三日間 なぜ、カレンは急速に蝕まれたのか?
死の直前の1週間に、彼女はまるで説明のつかない重度のプルトニウム被爆を2回も体験した。
まず、1974年11月5日のルーティン検査で、カレンは、自分が法的基準値の400倍を超えるプルトニウム被曝を起こしていることに気がついた。工場で除染を受けた後、自己診断テスト用の尿と大便の収集キットを手渡されて、自宅に戻されたが、翌6日、出社した彼女に奇妙な事件が持ち上がった。前日と当日、全く危険物を扱っていないにもかかわらず、再び、陽性反応が出たのだ。
7日、ルーティン検査は、「カレンの体の汚染がきわめて深刻な状態にあり、吐く息ですら周囲に危険をもたらす」と告げた。急遽、放射線医学チームが彼女の自宅に駆けつけ、屋内の数カ所、特に浴室と冷蔵庫にプルトニウムの痕跡を発見した。この建物は後に解体されている。カレンと彼女の同居人たちは直ちに検査のため、ニューメキシコ州のロス・アラモス国立研究所(Los Alamos NationalLaboratory)に搬送された。
・自宅にプルトニウムが塗られていたのか?
なぜ、この3日間で、カレンの体は急速に汚染されてしまったのだろうか?彼女は、与えられたテスト用の採取ビンに、前もってプルトニウムが混入されていたのではないかと主張した。浴室の汚染は、カレンが7日朝、尿サンプルをこぼした際に発生したように思われた。この疑惑は、自宅で採取したサンプルが異常に高い汚染レベルを示したにもかかわらず、工場とロス・アラモスで採取したものが、それをはるかに下回った事実と符合する。
■カレンの死はすぐそこまできていた
こうした一連の出来事に背中をおされて、カレンはついにこれまでの経緯を世に訴える決心をした。11月13日、工場の不正行為を証明する文書の束を手に、労働組合の全国代表およびニューヨーク・タイムズの記者と会うために、白のホンダ・シビックで単身、約30マイル離れたオクラホマシティにある、組合事務所に向かった。
深夜になって、対向車線をこえ、暗渠に衝突した車の中から、彼女の死体が発見された。このとき、カレンの血液から通常の2倍の濃度の「クアールード」(Quaaludes/鎮静剤・催眠剤の商標)が発見されたとして、オクラホマ州警察は、事故を居眠り運転と決めつけた。
画像は、Poster from the Christic Institute archives
ちなみに、クアールード錠剤はもともと、インドで抗マラリア剤として製造された非バルビツール酸系の催眠鎮静剤だ。主成分はメタクアロン(methaqualone/C16H14N2O)。副作用として強い睡眠効果があるため、睡眠薬として使用されるようになったが、言語中枢や運動中枢が冒されていわゆるラリった状態になることからドラッグとして重宝されもした。後に、長期の服用が痴呆症の原因になるとわかり、製造が中止された。日本ではハイミナールと呼ばれた。
■故意に追突された?
けれども、彼女の肉親と支援者たちは「路上に残されたブレーキ痕を指摘し、眠っている人間にブレーキを踏めるはずがない」と反論。さらに「車のリア・バンパーの凹みやペイントの擦り傷から、カレンの車が後ろから近づいてきた車に故意に追突されて道路からはじき出された」と考えた。ちなみに、ニューヨーク・タイムズの記者に手渡されるはずの文書は車内から消えている。
この事件は社会的に注目され、工場に連邦捜査の手が入り、やがてカレンの主張の多くが真実であることが証明された。このため、カー・マギー社は1975年にシマロン・プルトニウム製造工場の操業を停止した。
画像は、『The Killing of Karen Silkwood: The Story Behind the Kerr-McGee Plutonium Case』カレン・シルクウッドの殺害
■家族がカー・マギー社を提訴。次々と怪死する関係者
そして1979年、カレンの父親と子供たちは、不法死亡および、プルトニウム汚染の故意過失(willfulnegligence)により、カー・マギー社を提訴した。リチャード・ラシュキが著した『カレン・シルクウッドの殺害』によれば、家族の雇った弁護士は嫌がらせと脅迫を受け、それは肉体的な暴行にまでおよんだという。また、裁判のカギを握る証人たちは予定の喚問の前に、1人また1人と理由の知れない自殺を図った。
裁判の末、陪審団は損害賠償として、家族に1050万ドルを支払うべしとの評決を下した。だが控訴審では、それがわずか5000ドルに減額された。1984年、米国最高裁判所がこの判決を再び覆したために、カー・マギー社は138万ドルを支払うことと引き換えに遺族側に示談をもちかけた。けれども不正行為の責任を認めなかったため、訴訟は再審を目指すことになった。
ここで、ご興味とともに時間がおありの読者は、43分に編集されたシリアスな動画『カレン・シルクウッドの生涯』(Karen Silkwood Biography)をご覧いただきたい。
動画は、YouTubeより
■それでも企業は死者を復讐をする
さて、死んだカレンはそれからどうなったのか。それを知るあなたはきっと、やり場のない気持ちにいてもたっていられなくなることだろう。カレン・シルクウッドを暗殺(?) した後も、カー・マギー社の憎しみの焰は消えず、最後に実に卑劣な復讐を行うことを忘れなかった。
彼女の遺体は社の指示により、事故現場からロス・アラモス研究所に冷凍されたまま空輸された。そこは、核兵器の研究開発の最前線といった表の顔のほかにもう1つ、放射能にまみれた労働者の遺体や臓器類がひそかに運びこまれて遺棄される、核のケガレの最終処理場という裏の顔をも持ち合わせていた。
カレンの体はすでに〈放射線人間〉ないしは〈死んだ放射線発生器〉と化していて─まるであのゴジラのように─研究所の科学者たちを驚かせた。ウソかマコトか、彼らはその凄まじさに、顔を見合わせて笑ったという。
放射線量を測定した後、カレンの亡き骸は110度のオーブンで乾かされ、ついで、マッフル炉で焼かれた。そして、最後に、灰になった彼女は、酸ですっかり溶かされた。こうしてドロドロになったカレン・シルクウッドは、おそらくいまでも、1筋の光もさしこむことのない、高レベル放射性廃棄物の地下保管所のドラム缶かなにかの中に封じ込められているにちがいないのだ!半減期が2万4000年のプルトニウムがほぼ無害になるまでに要する時間はおよそ10万年…。カレンの長い長い眠り─それはひょっとして一種の〈流刑〉なのではあるまいか?─ はまだ、始まったばかりだ。
(文=石川翠)
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