ヴェルベット・ファシズム、名無し先生関係、高度自給自足時代の夜明け 【先進国の未来像】
さんの、フィリピンの続き、やっときますかね。
【マハリカ国(フィリピン)の歴史④ フィリピンは自分のものだと主張する男】 (02/27)
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-301.html
こんにちは、今回も前回の翻訳の続きです。
アレクサンデル6世はこの文章に出てくるので、予備知識として、触れておきます。
まあ、史上最悪の教皇とでもいいましょうか、多くの政敵を毒殺した人物で、こんな人物がローマンカソリックのトップだったわけです。
この男が教皇の時代にコロンブスがアメリカ大陸を発見しました。
アレクサンデル6世とは、ロデリク・ボルハで、イタリア語読みはロドリーゴ・ボルジア
(Wikipediaより)
アレクサンデル6世は世俗化した教皇の代表的存在であり、(本来なら持つべきではない)息子のチェーザレや娘のルクレツィアを使って政治的な辣腕を振るい、一族の繁栄と教皇領の軍事的自立に精力を注いだ。これによって、ボルジアの名前は好色さ、強欲さ、残忍さ、冷酷さなどを代表するものとなった。カンタレラと呼ばれるボルジア家独特の猛毒を用いて政敵を次々に毒殺した、チェーザレとルクレツィアは近親姦の関係であったなどの噂が付きまとっている。
このような悪いイメージはヨーロッパでは根強く、文学作品や映画等でしばしば言及されている。例えば、映画「第三の男」では、「ボルジア家の悪政はルネッサンスを生んだが、スイスの平和は鳩時計を産んだだけだ」との台詞が登場するし、『ゴッドファーザー PartIII』ではバチカンの老獪なやり方に苛立った主人公が「ボルジャめ!」と吐き捨てるシーンがあったり、『モンテ・クリスト伯』の宝物は、ボルジア家に暗殺されたローマの枢機卿が隠したものとされている。
(Wikipedia終わり)
その後2代後の1513年、レオ10世が教皇になりました。
レオ10世はメディチ家のジョヴァンニ・デ・メディチです。
これが教皇の時代にプロテスタントが生まれるわけです。
1517年にサン・ピエトロ大聖堂建設資金の為にドイツでの贖宥状(俗に言う「免罪符」)販売を認めたことが、ルターによる宗教改革の直接のきっかけになった。また、行列や宴会など、とにかく贅沢が好きで湯水のように浪費を続けた。享楽に満ちた聖都ローマは、ルターに「新しきバビロン」と非難された。教皇庁には未曾有の財政破綻が起こり、「レオ10世は3代の教皇の収入を1人で食いつぶした。先代ユリウス2世の蓄えた財産と、レオ10世自身の収入と、次の教皇の分の3人分を」とも言われた。
1521年10月11日、ルターを非難したイングランド王ヘンリー8世に「信仰の擁護者」の称号を授けたが、後にヘンリー8世は離婚問題で教皇クレメンス7世と対立した果てにイングランド国教会を創設、皮肉にもプロテスタントの一派を形成していった。ただし、教義自体はカトリックとの共通点が多く、称号も後のイングランド王に代々受け継がれていった。
同年、45歳で急死。風邪をこじらせた、あるいはマラリアのためとされるが、毒殺説もある(1517年にも暗殺計画が発覚している)。また暴飲暴食が原因など様々な死因が伝えられているが、実際は病弱であった。次の教皇は1522年にハドリアヌス6世が選出されたが、僅か1年で死去、従弟のクレメンス7世が1523年に教皇になった。
この文章の著者は、おそらくフィリピン人だと思いますが、思いっきりローマカトリック教会を非難しています。
しかし、キリスト教は信じていますので、おそらく、プロテスタントでしょう。
プロテスタントも悪さは同じなんですけどね・・・
ドイツ神秘主義、薔薇十字団、フリーメイソン・・・
カソリックに対抗するのがプロテスタント。
サヴォイはジャコバン派としての動きがメインで、ヘッセンはチュートン騎士団の流れがメイン。
チュートン騎士団とはドイツ騎士団のことです。
テンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団と共に、中世ヨーロッパの三大騎士修道会の1つに数えられる。
要は、ローマカソリック教皇のための騎士団です。
ヘッセン方伯領はフィリップ1世 (ヘッセン方伯) の統治下でマルティン・ルターの考え方を手本にして宗教改革を導入した。
強大な力を持つローマカソリック教皇に従わないという初のプロテスタント諸侯がヘッセンです。
プロテスタントが出てきた当時はアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクがドイツ騎士団の総長。
1523年に支配下の騎士と共にルター派に改宗した。そして1525年、ドイツ騎士団国家に代えて、ホーエンツォレルン家が世襲する世俗の領邦であるプロイセン公国をポーランド王国の宗主権下に創設し、初代プロイセン公となった。
そして、1534年、ローマカソリック教皇側がトリエント公会議の中でイエズス会を作る。
イエズス会3代目総長はフランシスコ・デ・ボルハ
これが、先述の悪名高きローマ教皇アレクサンドル6世のひ孫です。
(Wikipediaより)
フランシスコ・ボルハは、バレンシアのガンディア近郊で生まれた。彼は第3代ガンディア公フアン・ボルハとアラゴン王女フアナの長男だった。母フアナの父アルフォンソは、アラゴン王フェルナンド2世と愛妾アルドンサ・ルイス・デ・イボッラ・イ・アレマニの庶子であった。また、彼の父は、若死にしたフアン・ボルハの長男である事から、フランシスコはローマ教皇アレクサンデル6世の曾孫にあたる。
(Wikipedia終わり)
アレクサンデル6世(ロデリク・ボルハ)は最悪の教皇で、その息子のチューザレ・ボルジア(ボルハ)も悪党。そして、チューザレの兄弟の息子、フアン・ボルハがイエズス会の総長になり、ちょうどその年にレガスピがフィリピンのボホール島に上陸します。
ボホール島の名前は、ボルハから来ていると名無し先生に教わりました。
それと、ボニファシウス8世についても少し書きます。
ボニファティウス8世は、ルネサンス期に出現する、悪名高いローマ教皇のはじまりとされる。
「シニカルで精力的で専制的、後生のことなど考えたこともなく、大向うを唸らせる派手なポーズの大好きなボニファティウスは、ルネサンス型、ボルジア型教皇の先駆であった。かれはあらゆる種類の罪悪を一つ一つ丹念に実行した。まず大食の罪。断食の日に六種類しか料理を出さなかったといって料理人を叱責した。つぎに食欲と贅沢の罪。衣服に宝石をいっぱいに縫いつけ、食卓には十五本の純金の棒を使っていた。その上かれは迷信家で妖術を信じていた。ナイフの柄に蛇を彫らせ、ポケットに常にエジプト金の円盤を持ち、指には皇子マンフレデイの死屍から奪った指輪をはめていたが、いずれも厄除けのまじないである。賭博も好きで、黄金のさいころを常用し、その性急さで相手を辟易させていた。だが、この教皇がもっとも渇望していたのは、もちろん権力である。教皇に選出された日、教皇帽を冠るとすぐ、私を地上における神の代理人と認めるかと、なみいる枢機卿に尋ねた。皆がそれを認めると、今度は王冠を冠り抜き身の剣を持って、では私を皇帝と認めるか、と聞いた。人柄が人柄だけに、だれもあえて否とは答えなかった。かれの政治はこのジェスチュアで始まった。」
ウナム・サンクタムという大勅書を発した。
1302年,教皇ボニファチウス8世によって,聖俗両権に関する両剣論に触れて発せられた大勅書。フランス王フィリップ4世と教皇との権力抗争に際して出され,教皇の権威の絶対性を明言し,教皇への服従を救いの要件とした。
これが原因でフランス王フィリップ4世らと揉め、急死した。
それでは、訳の続きです。
今日の腐敗とその原因
ボニファティウス8世の二本の剣による抑圧と搾取の333年は、フィリピン人の精神に何をもたらしたのか?
それは彼らの国家の尊厳を、国民の自尊心を踏みにじった。
それはまた別の搾取を招いている。
”また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。彼らは、貪欲のために、甘言をもってあなたがたをあざむき、利をむさぼるであろう。彼らに対するさばきは昔から猶予なく行われ、彼らの滅亡も滞ることはない。”(2 Pet 2:2-3)。
ホセ・リサールは言った。”奴隷が存在しなければ、そこに主人は存在しない”
この文は今日でも真実を言い当てている。
フィリピン人は自由になって100年経っても(表面的に)支配者ローマンカソリックがもたらした2本の魔法の剣(実際は1本の剣)に都合よく洗脳されていて、今日のフィリピン人も、いまだに、潜在的に、外国人の都合に振り回されている。
現在、それはヤミ金融であり、ビジネスマンであり、快楽を求め、フィリピンを利用する者と、また、それを許すフィリピン人なのだ。
ドルに目がくらみ、多くのフィリピン人が、家政婦、現場作業員や芸能人として外国人雇用者にサービスを提供することを誇りに感じている。
これが多くの屈辱的犯罪に利用されるのである。
この憤りは家族のために海外で働いている英雄という、忍耐力で我慢している。
利用する側はフィリピン人より白い肌と、彼らより多くのドルを持っているので、単純に、フィリピン人は外国人がより強力で優れていると信じて、叩頭し、これらの外国人にサービスを提供するために操られている。
このような考え方は、333年のフィリピン人「インディオ」の心に刻み込まれた。(プラス、1906年から1946年の40年間アメリカ人の下で・・・)

多くのフィリピン人は貧しい自己イメージと劣等感に苦しむ。
「すべてのフィリピンの物、すべてのフィリピン人は品質的に劣っている。」
これが彼らの心の中に、潜在意識に深く浸み込んでいる。
輸入されたブランドの服、靴、バッグはステータスシンボルであり、地元の製品より貴重である。
パーティーで、輸入品用の青いラベルが貼ってあるタバコ、酒類は、間違いなく、より高価な、より大きな権威を象徴する。
大多数のフィリピン人は外国人、特に白人と向き合う時、自分が劣っていると感じ、不快になる。
外国人に対するフィリピン人のホスピタリティは本来、見返りなんか求めていない。
しかし、皮肉なことに自分たちの中で、「食うか食われるか」の毎日の闘争と競争がある。
多くは、他人の成功がうらやましくなり、足を引っ張る。
外国人に対する彼らのおもてなしとお世辞とは反対に、フィリピン人特有の「カニの考え方」がある。
(カニをバケツに入れておくと、這い出そうとカニ同士が引き摺り下ろしあう)
植民地時代もそうであったように、フィリピンの人材(女、子供を含めた)、経済、天然資源の搾取は今日でも慢性的現実である。
外国による経済制裁の恐怖は、まるで2本の剣のようにフィリピン人を無抵抗にする。
フィリピン経済はいまだに節操のない多くの悪徳フィリピン人ビジネスマンに足かせをはかされ、抜け目のない貸金業者(IMFとWB)と先進国世界の支配者は、弱い者を支配し、搾取し、弾圧することにベストを尽くす。
(管理人注釈:IMF等が悪いのではなく、その資金を流用し運用している中間ブローカーが悪い。国に資金を入れる際、どこかの団体、個人に入れなければならない。その団体、個人の正体を事前に暴けない場合、資金を悪用され、結果的に、国民が被害を被る。)
排他的で高価なカトリック系の学校を卒業した政府の多くの関係者や役人は、私たちの土地(本来土地とは国民の物)を利用し、自国民を騙した後、退職すれば外国に移住し、国からお金をもらっている、まさに現代の征服者だ。
この国の人口の大多数が貧乏になるのは当たり前だ。
マハリカは貧しい人々と生きている。
七十五パーセントは、貧困ライン以下の生活を送っている。
彼らが住んでいるのは、豊かで豊富な天然資源に恵まれた神の土地なのに。
一握りの強欲な者たちがこの国の富の多くをかき集めた。
この連中が多くの富を奪っているから、フィリピン人は外国に行ってドルや円を稼いで来るしかない。
家族に仕送りをするためにフィリピン人は一生懸命、彼らの才能と、時には自分の体と名誉を売るために海外に行く。
時に彼らは一生懸命働いた代金ももらえず、獣のように扱われ、死んで帰ってくることがある。
腐敗した政府の頂点にいるローマカトリックの修道士
「修道士」とは、貧乏、潔癖、従順を誓い、神の教えを伝える人である。
マハリカにローマカトリックの修道士、ブラザーアンドリュー·ゴンザレスが国の教育部門の最も高い役職に任命された。
国で最もメジャーな新聞、フィリピン・デイリー・インクワイヤラーに下記の記事が掲載された。
ブラザーアンドリュー·ゴンザレス(教育省、文化·スポーツ)の追放を求める。
「ブラザーアンドリュー·ゴンザレス氏、教育·文化·スポーツ省長官は、ミスタークリーンと評されているのはどういうことか?」

上院議員フアン・ポンセ・エンリレは、ブラザー・アンドリュー・ゴンザレスに「ビッグフィッシュ」とあだ名をつけ、ゴンザレスがランド銀行に対して、彼と彼の部門の何人かの秘書のみアクセス可能な秘密口座に、"寄付"として2400万ペソを振り込ませたことに触れた。
具体的な証言では、エンリレはゴンザレスが毎年「寄付」を求め、1999年に1200万ペソ、さらに今年中に1200万ペソをランド銀行が振り込んだと述べた。
エンリレは最初の1200万ペソがゴンザレスと彼の次官のために三菱パジェロ、黒のフォードエクスペディション、現金にしてP 1,735,000を含め、他に6台の高級車を購入するために使われたことを証言した。
国で一、二、を争う一流大学であるデ·ラ·サール大学の元社長であるブラザーアンドリュー·ゴンザレス。
「この件に関する結論は、ミスタークリーンとして、洗練されたイメージを作り上げ、国際的に有名な言語学者で、また、国の主要な大学の1つ、デ・ラサール大学の前社長であるブラザー・アンドリュー・ゴンザレスは、この汚職と腐敗を大目に見でいる、もしくは、この異例な送金に実際に加担した者のせいにしている」と、エンリレは言った。
エンリレは、政府が汚職と腐敗と戦うことを彼の決意とし、ゴンザレスを排除することをエストラダ大統領に申し出た。
金融と総務の教育次官、アントニオ·バルデスは、教育·文化·スポーツ省が実際にランド銀行からP2400万ペソの供給があり、教育·文化·スポーツ省の職員のための高級車を買ったことを確認したが、「合法」だとして購入を正当化した。
エンリレは彼の演説で "我々は、悪名高い教育·文化·スポーツ省を汚職の巣にすることをやめなければならない”といった。(フィリピン・デイリーインクワイヤラー、2000年9月20日)
また、1999年、フィリピン・調査ジャーナリズムセンターのイヴォンヌ・T・チュアが書いた”奪われた:フィリピン教育省の腐敗調査”という題名の今でも売られている本がある。
この本は、完成度の高い文献で、この腐敗した政府(ブラザー・アンドリューの在任中でさえも)を徹底的かつ大胆に暴露しているため、賞を受賞した。
333年のスペインのカトリックと、別の100年、アイルランド、ドイツ、イタリア、オランダ、フランス、ベルギー、カナダ、そしてアメリカのカトリックの後、この国は現在、そのキリスト教の愛、調和と繁栄のために模範ことになっているはずである。
この国は今、近隣アジア諸国と世界が真似るべき模範であり、モデルになっているはずである。
約500年間のカトリックの歴史があるのだから、フィリピン人はキリスト教の福音の具現化された存在であるべきである。
だが、他の国はフィリピンを模範とするどころか、見下している。
それは、この国の歴史をみれば一目瞭然だ。
本来の教会のあり方を維持できていれば、我々は異教徒を観察し “クリスチャンがいかにお互いを愛しているのか参考にしてください”と述べることができただろう。
しかし、今日、アジアの隣人たちや世界中の人たちに対し、もはやマハリカはこのような言葉を言うことはできない。
何が間違っていた?神は死んだ?神の言葉は、効果のない無益で不毛なものなのだろうか?
言うまでもないが、神は生きている。
明らかな原因は欧州のカトリック征服者によってこれがもたらされたということだ。
それは、人間が作り出した腐敗したバージョンのカトリックで、今日でも多くのクリスチャンではない似非修道士が説教している。
マハリカに来たスペインの修道士は、神の言葉を知らなかったし、神と共に生きなかった。
聖書が彼らの神学校で唯一の参考書だったが、それは使われなかった。
1229年以来、聖書は禁止本だったのだ。
彼らの説教で、何が聖書に書かれていて、何を説いていて、どのように説教者の中に生きているのか、実際との矛盾を発見されないよう聖書は使われなかった。
一般人には、聖書を読んだり、所有すると、苦痛の死が与えられるとされ、禁止されていた。
人々は修道士が言うことを、ただ素直に理解しなければならなかった。
Roma locuta est, causa finite est=ローマが言うのだから、これ以上、何の文句がある!
ローマはキリストの代理者として神に取って代わり、事を敢行する。
ローマの教え、またはローマの聖職者と議論してはならないし、意見が異なってもならない。
彼らは神の権限によって教えているのである。
ローマ・カトリック教会はこの世界の唯一の真実の宗教である。
ローマの外には救済はない。
彼らは、『キリストの代理者』(キリストの代わりに行動する者として)は、どのようなミスも犯さない。
教皇こそが、父なる神なのだと言った。
ヨシュアは言った"わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。(ヨハネ 17:11)
”だが,あなた方は『ラビ』と呼ばれてはいけない。あなた方の教師はただ一人,キリストで,あなた方はみな兄弟だからだ。 地上のだれをも自分たちの父と呼んではいけない。あなた方の父はただ一人,天におられる方だからだ。(マシュー 23 8-9)
誰が神に似ているか?
これは大天使でルシファーと対峙する聖マイケルの叫んだ言葉だった。
ルシファーは実際には神と戦わなかった。いや、できなかった。で、 ルシファーは何をしたか?
ルシファーは大胆にも天使の群の前で彼自身が”神の遣い”だと言った。
とたんにルシファーのパワーはみるみる消滅し、天から追放された。
彼は今、悪魔の王子、闇の王子である。
数千キロ離れたローマのボスは今日のフィリピン人を形成した。
フィリピン人は、神への恐怖と地獄の恐怖に震えた。
問題なのは、フィリピン人が善良で聖なる物を信じ、フィリピン人は支配者たちを恐れ、その残酷さとパワーに飢えた司祭によって牛耳られてしまったことだ。
マムシらの子孫よ,あなた方は悪い者でありながら,どうして良いことを語れるだろうか。心に満ちあふれているものの中から,口は語るからだ。(MTT 12:34)
だから、ローマのこの天才が、マハリカという非常にカトリックの国、中東、極東で唯一のカソリックの国、非常に 敬虔で宗教的な人々、同時に今、非常に腐敗し道徳的に堕落した国であり、冠婚葬祭だけカソリック信者で、心はカソリックでもなんでもない。
(管理者注釈:日本人も名目上、仏教徒ですが、仏教徒では無い)
この国ではっきりしていることは、政府、政治、社会のどのレベルにおいてでも、腐敗や汚職が横行しており、だから、尚更、カソリックは、あたかもフィリピン人を慰めているようで、実は飼育し、かれらの不道徳をサポートしているのだ。
偽教師にご用心
本来、スペインの修道士の説教は、救いを提供することになっていた。
フィリピン人の祖先は、教会に来ている限り、あなたたちは天国に行けると洗脳されていた。
しかし、彼らがスペイン人の植民地化と福音宣教に抵抗した場合、ボニファティウス8世の二本の剣によって殺された。
フィリピン国のすべての英雄は、ローマカトリック教会のこれらの二本の剣で殺された!
(管理者注釈:おそらくホセ・リサールやボニファシオ?)
この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。 (ペテロ2:19)
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする(マシュー 23:15)。
修道士は海を数千キロを横断してマハリカに来た。
しかし、キリスト教というブランドは、彼ら自身よりも悪い人々を作った。
それは腐敗という伝染病だった。
多くは彼らの勝手気ままなやり方に従い、そして彼らのせいで真実の道が無視された。
私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。(ガラテヤ1 6-9)
信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽く見ず、むしろ、ますますよく仕えなさい。なぜなら、その良い奉仕から益を受けるのは信者であり、愛されている人だからです。あなたは、これらのことを教え、また勧めなさい。違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(テモテ6:3-10)
けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(テモテ3 14~17; 4:3- 4)
最後に、主の中で、また彼の力強い大能の中で力づけられなさい。神のすべての武具を身に着けなさい.悪魔の策略に敵対して立つことができるためです。というのは、わたしたちの格闘は血肉に敵対するものではなく、支配者たちに、権威者たちに、この暗やみの世の主権者たちに、天上にいる悪の霊の勢力に、敵対するものだからです。こういうわけで、神のすべての武具を取りなさい。それは、あなたがたが邪悪な目にあって抵抗することができ、またすべてのことをやり抜いた後も、なお立つことができるためです。ですから立ちなさい。真理を腰に帯として締め、義の胸当てを身に着け、平和の福音を確固とした土台として足にはきなさい。なおその上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、あなたがたは邪悪な者の燃える火の投げやりを、いっさい消すことができます。また救いのかぶとを受け取りなさい.さらにその霊の剣、すなわち霊である神の言葉を(エペソ6:10- 17)。
今日、多くのフィリピン人は、世界の精神と悪魔に屈している。
彼らは神のかぶと、鎧、剣、そして神の言葉を与えられていなかったので、腐敗の源の激しい攻撃に対して全く無防備である。
その結果、今日、多くのフィリピン人は哀れで、すべての方向から悪に取って代わられている。
最終的な結果は、広範に及ぶ腐敗と不道徳である。
氾濫する凶悪な犯罪
数年前、ドイツ人が、フィリピンの性犯罪率と堕落にショックを受けていると述べた。
ある父親は一、二、三歳の自分の娘をレイプし、死亡させ、溝の中に投げ込んだ。
ある孫は自分の祖母をレイプ。
ある十二歳の少年は3歳の女の子を輪姦した。
ドイツ人は、これを一般的なこと表現した。
これは氷山の一角だ。
これらの凶悪な性犯罪の膨大な数が報告されていない。
それは、社会的偏見と報復の恐怖による、犠牲者の家族間での秘密なのだ。

旧約聖書でさえ姦通と同性愛は死刑に値する。
新約聖書では、キリストは、実際にはこれらの罪をおかしていなくても、噂が出ただけで、ロープの一端を首に結び、一端を石に結び湖に飛び込めと書かれている。
これは明らかに、キリストによって話られた、処刑に関する記述である。
ローマカトリックの修道士と修道女が如何に強姦魔に甘く、精神的なサポートを与えているかを知るべきだ。
無力な犠牲者のための慈善ではなく、野獣のような強姦魔のために慈悲を与えるのがキリスト教の慈善団体である。
ローマカトリック教会は、ナチ戦犯が戦争犯罪裁判から逃れることができるように、彼らにバチカンのパスポートを与えることによって、ナチ戦犯を保護した方法を思い出すべきだ。
正義は被害者を保護すべきじゃないのか?
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。(MTT 7:15-18)
フィリピン人はちょうどこの”果物”である。
500年に及ぶ長い、悲惨な、ボニファティウス8世の二本の剣を通して形成された、ローマカトリック教会による福音宣教の産物である。
汚職、不道徳と規律の欠如、この国の誰もが認める屈辱的な現実は、ローマカトリック教会による福音宣教の結果である。
2005年時点での調査ではマハリカは二番目に腐敗した国で、アジア全体で二番目に大きいインターネットセックス市場である。
果実がフィリピン人であれば、木は何ですか?
木は1521年にマハリカにもたらされたヨーロッパ、ローマカトリック宗教である。
1521年は、ヨーロッパの歴史とマハリカの歴史の転換点だった。
教皇は、ヨーロッパでローマ教皇とローマカトリック教会の腐敗に抗議し、大胆に公言したマーティン・ルターを破門。
これがプロテスタントの宗教改革を生じさせた。
わずか2ヶ月後、1521年3月、マゼランはマクタンに上陸し、マハリカの海岸に十字架を植えた。
その十字架は、ヨーロッパのキリスト教到来の象徴であった。
キリスト教の導入は、征服者が他国を所有するための道具であった。
これは、1521年の腐敗したローマカトリック教会と修道士のやり方だった。
375年後、それはホセ·リサール博士を生んだ。
ヨーロッパのルネサンスのように、腐敗したスペインの修道士、教会の取り巻きといった抑圧者に対する反逆者だった。
悲しいのは、それからさらに100年後、今日のフィリピン人はまだ、この腐った果物を生産していることだ。
リサールが記述しているように、どのようにヨーロッパの宣教師は道徳的に破綻した国家を作ったのか?

木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。
マハリカにキリスト教をもたらしたスペイン人は、盲人のための盲目のガイドである「彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」(マシュー15:14)
強欲で事務的な略奪者
マハリカとその富 - 教皇が所有していると主張するパラダイス
富は腐敗の別の根源になり、人々は貧しくなったので、教会はより豊かになった。
征服者は彼らの物ではなかった土地で王侯貴族のように暮らしていた。
彼らはマスターだった。
フィリピン人は奴隷だった。
このように、フィリピン人は彼らの主人のテーブルで給仕し、鞭打たれ餓死した。
しかし、おどろくことは、司祭でさえもフィリピン人を犠牲にして富と豪華さと快適さにどっぷり浸かって、王のような生活をしていたということだ。
修道士と修道女にとって、この国は楽園だった。 - そして彼らの楽しみのためにすべてがあった。
マハリカの土地のすべては、教会の資産だと宣言された。
ローマ教皇、アレキサンデル6世は、1493年に、地球という惑星にある、すべての土地(発見しようがしまいが)は、全部、ローマカトリック教会とスペインとポルトガルの王のものだと信じていた。
教皇、アレキサンデル6世のコロンブスに送った勅書はこうだ。
「全能なる神よりペトロに授与された権威と、地上において行使するイエス・キリストの代理人としての権威にもとづき、他のいかなるキリスト教を奉ずる国王もしくは君主によっても現実に所有されていないすべての島々と大陸、および、その一切の支配権を、汝ら、および汝らの相続人であるカスティリアならびにレオンの国王に永久に…贈与し、授与し、賦与するとともに、汝らと汝らの相続人を…完全無欠の領主に叙し、任命し、認証する。」
今日、ジュリアス・シーザーズによって建てられた偉大なローマ帝国がすでに消失している。
それは間違いである。
ローマ帝国は、そしてすべての帝国は、皇帝や皇帝になる人を暗殺し、一種非常に政治的であった。
それは非常に軍国主義で抑圧的だった。
その目標は、絶対的な力と冷酷な方法による富の蓄積だった。
その古代ローマ帝国の皇帝のタイトル、アウグスタスは、「最高神祇官」だった。
帝国は死んでいないし、消えてもいない。
ローマ皇帝というタイトルは、教皇という別の形に変化した。
ローマの広大な政治的帝国が崩壊したとき、教会の帝国(ローマカトリック教会)の中に、神のルールとして、権力と富を引き継いだ。
世界を手にいれた、ジュリアスシーザーの後継者とは、教会帝国、カトリック教会であり、そのトップに君臨する、ローマ法皇であり、 最高神祇官である。
つまり、古代ローマのカエサルの帝国と今日のローマ教皇の教会は、一つであり、同じ存在なのである。
ローマカトリック教会の教皇は、ローマ帝国のシーザーが進化したものである。
あれはアウグスタスとシーザーの帝国である。
形式上は、神の王国。
キリストのルールで統治するというが、実態は「最高神祇官」自身のルールが、そのオリジナルである。
実際、今日、ローマ·カトリック教会は、地球上のすべての国と同等の権限を持つ組織だ。
キリストの言葉を借りれば、これは「羊の服を着たオオカミ」である。
現代の言葉で表現すると、「同じ犬に別の首輪」だ。
(管理人注釈:スペインのことわざ:犬の首輪を変えても同じ犬=何も変わっていないという意味)
(管理人:まさに、これがヴェルベット・ファシズムである。)
つづく・・・
残りあと10ページ・・・
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【マハリカ国(フィリピン)の歴史④ フィリピンは自分のものだと主張する男】 (02/27)
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