今日のラストは、やはり、過激でアンタッチャブルな、raptさんですね。
チベットに関しては、名無し先生説では、rapt説と同じ、分類ですか。①のヘッセン、ベルベット・ファシスト、オカラス、米南軍派にカウントですか。
宇宙人情報ABC組の、C組分類の、エリザベス・トルートウインでは、チベット、ダライラマを弾圧して、宇宙人UFO情報隠蔽の、中共を悪、宇宙人と交信役の、ダライラマを善と、分類してるようですが。
ここで、①と②のグループ情報から、どう、ゴイム解放に誘導するか?
最近も話題の、英王室、バッキンガム宮殿の窓から、裸の若い男性が逃げ出すシーンが話題になってますが。
王族貴族が、酒池肉林の、映画アイズワイドシャットな世界の露呈ですね。
支配階級は、神罰とか仏罰とか、カルマ論で、奴隷階級ゴイム管理徹底して、自由を制限してきましたから、目には目を、歯には歯を。今度は、ゴイム罰で、報いる段階ですね。
ハートの贈りものさん最新でも、カバルが、アヌンナキの到着かと思ったら、ゴイム解放軍だったということですが。ウイングメーカーでは、アヌンナキは帰還せず、むしろ、地球を乗っ取った、カバル達が、アヌンナキを追い出した説ですか。
何れにしろ、陰謀暴露より、諸々の、玉石混交の、情報を利用して、ゴイム解放が最優先ですね。ということで、とりあえずraptさん最新も、参考ですね。
〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。
http://rapt-neo.com/?p=19935
〈閲覧注意〉今回の記事は「悪魔崇拝」の真の実態に迫るものであり、余りにもグロテスクかつ醜悪な内容が含まれています。
これまでの私の記事も、かなり衝撃的な内容のものが含まれていて、人によっては強いショックを受けてきたかと思いますが、今回の記事はその中でも群を抜いています。人によっては余りのショックに、頭がおかしくなってしまうかも知れません。
気の弱い方、心臓の弱い方の閲覧はお控え下さい。
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今回の記事は悪魔崇拝の本質に迫るものであり、今回の記事によって、悪魔崇拝というものが全世界でいかに当たり前のように行われているかをはっきりと立証するものでもあります。
恐らく私のブログを長く読んでこられた方は、きちんと良識と良心を持って生きてこられた方が大半だろうと思いますが、そのような生き方をしてきたがために、この世の中を生きるのが困難で、窮屈で、ときに大きな圧迫感を受けてこられたのではないかと思います。
しかし、今日の記事を読めば、その困難、窮屈さ、圧迫感がどこから来ているのか、はっきりと理解できることでしょう。
ここ数日にかけて、このブログでは日本とナチスドイツとチベットの関わりについて話をしてきました。一応、ここにその記事の一覧を貼り付けておきます。
○ヒトラーとオカルトの関係について。またはヒトラーの背後で見え隠れする「天皇派」の影。
○ナチスドイツが戦争に負けた真のカラクリ。またはヒトラーを操った「緑龍会」について。
○ナチスとチベットと緑龍会との関係について。そこには地底都市シャンバラの存在がありました。
○天皇中心のNWO計画とは、地底都市アガルタを地上に再現するための計画に他なりません。
○地底都市アガルタ (シャンバラ) が真の地獄であるという幾つもの証拠。
一応、これまでの記事の流れを簡単に説明すると、
緑龍会 → 世界紅卍字会 → 大本教 → ナチスドイツ → チベット → チベット仏教 → シャンバラ(アガルタ)
ということになります。彼らはみな裏で一つにつながっていて、今でも日本のエリートたちはチベット仏教で理想郷とされている地底都市「シャンバラ」をこの地上にも再現しようとしている、そしてその「シャンバラ」は紛れもなく真の地獄であるというお話をしました。
今日はその続きになりますが、今日の記事によって、チベット仏教が悪魔教に他ならず、いかに危険な宗教であるかが嫌になるほどお分かりいただけるかと思います。
現在、チベットで最も主流となっているのはチベット仏教の中でも「ゲルク派」と呼ばれる宗派です。チベット仏教は宗派によって、それぞれ教典(タントラ)が違っていますが、この「ゲルク派」は「秘密集会タントラ」という教典を使っているようです。(詳しくはこちらを参照ください。)
では、この「秘密集会タントラ」がどんなものなのかを、以下のウィキペディアの記事から詳しく見ていきましょう。
○秘密集会タントラ – Wikipedia
なお、今回、私がこうしてこのウィキペディアの記事を使うことにより、裏社会の面々がこのウィキペディアの記事を削除、または改ざんしてしまう恐れがあります。
そのため、念のため、私はこの記事をPDF形式に保存しておきました。もし今後、私がここに転載したものと、元記事の内容が違うということがありましたら、そのときはウィキペディアの内容が改ざんされたものと考えてください。一応、私が保存したPDF版の記事は以下のリンクでご覧いただけます。
秘密集会タントラ – Wikipedia
先ずウィキペディアの記事によると、「秘密集会タントラ」は『一切の如来・菩薩が会する場で「秘密にされてきた真理の集成」が説かれるという体裁を採っている』とあります。(「内容」のところに書かれてあります。)
つまり、「如来」とか「菩薩」と呼ばれるものが集まって、これまで秘密にしてきた真理をすべて解き明かすような形式で書かれてあるということです。
そして、その教典の特徴として、先ずこんな説明がされています。
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内容を特徴付ける主な言葉・概念を挙げると、以下のようなものがある。
「五欲徳」(色・声・香・味・触)
「五肉」(人肉・牛肉・犬肉・象肉・馬肉)
「五甘露」(糞・尿・精液・経血・肉体)
「大印」(女性パートナー)
こういった従来の顕教、あるいは世俗の社会倫理では忌避されてきたものを、真理の反映の過程として取り上げ、三昧の上においてはむしろ徹底的に享受・摂取することが、(その優越性・究極性を強調されつつ、)全面的に象徴化がなされ、それを肯定し推奨されて、現実の如く具体的に観想することが必要とされる。
ちなみに、「大印」(女性パートナー)は、言うまでもなく、「愛欲」(性理的瑜伽、二根交会)の象徴として文中に現れるが、その尊様の指定は、
十二歳の乙女(第七分、第十五分)
十六歳の乙女(第四分、第七分、第十六分)
二十五歳の乙女(第八分)
といった具合にバラつきがある。
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チベット仏教のことをごく普通の仏教だと思っていた人は、この部分を読んでも意味が分からないでしょう。正直なところ、私もよく分かりませんでした。常識を疑うような内容だからです。
これは間違いなく仏教ではありません。まさしく「悪魔崇拝」そのものです。
この「秘密集会タントラ」の解説書がアマゾンに売っていますが、そのプレビューにこの「秘密集会タントラ」のおおよその解説が書かれたプレビューがありました。
○秘密集会タントラ和訳
このプレビューで、おおよそこの「秘密集会タントラ」の意図するところが分かります。
----------------(転載ここから)
五戒の破壊、宗教の規定した善悪の破壊、つまり″一切清浄″が明記された最初の経典である。
仏教、儒教、キリスト経などの宗教が善悪を規定しなくてはならない背景、それが成立する時代には、絶対権力者による無秩序な残忍な処刑の横行があり、それにより民衆の反発を受けて権力者自体も殺されるという悪循環があった。
そして″五戒″(殺さない、姦通しない、盗まない、嘘をつかない、酒を飲まない)を守る事は、程よく国を納める事や民の平安を築くために必要であった。
そもそも″仏陀の悟り″とは、一切平等と縁起であり、人間が地球の循環(食事と排泄、呼吸)が生きる目的であり、地球循環を支える他の生物と変わらない、そして人間がいなくても変わりがいる存在、『万人万物の働きは、平等で地球循環を支えるために生きている』という″気づき″である。これは、地球が惑星である事も明らかでない時代には画期的な発見で、誰もが理解できる時代ではなかった。
秘密集会タントラは、仏教成立から千年以上経過して成立した。成立時期とは、時代背景も価値観も全く変わった。
すると今度は、″五戒″を基礎とし、様々な戒律が規定され、宗教的な善悪がはっきりとした反面、善悪が固定概念を産み、″善人″と″悪人″という差別を産み、″一切平等″という″悟り″から離れてしまう事になった。
新しい時代の″悟り″のために″宗教的な善悪を破壊する目的で″秘密集会タントラ″は成立する。
そして、″悟り″のための手段が″五甘露(人糞、人尿、精液、経血、人肉)を食す事″である。これは、錬金術とも共通する部分で、賢者の石は人糞の塩と人尿の塩で精製できるとされている。
″五甘露を食す″事は、人間の本能による最大の嫌悪であり、最大のタブーである。その行為は、根強く意識に埋め込まれた宗教的善悪の固定観念すらもいとも簡単に破壊してしまう。
これの経典は、密教の入り口にしか過ぎない。何故なら、自然には善悪は存在しない。つまり、″五戒″は本能ではなく、単なる刷り込みに過ぎない。自然の善悪感は、″欲″と″畏怖″である。
本能としての善悪の破壊こそ、次なるステージである。それが母タントラ経典へと続く。本能を破壊する事は無限の創造を可能にする。神を超えるとでもいおうか。
東洋では、時輪タントラ成立を最後に密教は滅びる。しかし、西洋でタントラは錬金術から科学へと発展し、現在に至る。
西洋のタントラは、医療に集約され、それは神を超える思想を受け継ぐ。つまり、不老不死を実現させようと日々進歩している。
----------------(転載ここまで)
一言で言えば、これまでの善悪の観念を壊すために、徹底的に「悪」を行って悟りを開きましょう、というわけです。
で、本能的欲求をむさぼり、「糞・尿・精液・経血・肉体」を飲食し、さらには十二歳と十六歳と二十五歳の女性とセックスをしなさい、というわけです。
ローマ法王やエリザベス女王もまさにこのような気違い沙汰を行って逮捕され、裁判にかけられたわけですが、まさにそれを地で行くような教理になっています。
○現ローマ法王フランシスコに幼児虐待および人身売買のかどで有罪判決。
で、このようなチベット仏教の内容が知られて、バッシングされることを恐れてか、これらの教えは実際に行われているわけではなく、あくまで「想念」上で実践しているだけと、あれこれ言い訳がましく書かれた記事がネットには見受けられます。
しかし、もちろんそれらの記事はすぺて嘘でしょうね。というのも、「タントラ」の中には、
「あらゆる肉が手に入らねば、あらゆる肉を観想によって生ずべし。」
と書かれてあるからです。つまり、「実際の肉が手に入らない場合のみ、想像で行いなさい」というわけです。ですから、彼らが実際にこれらのことを実践していることは疑うまでもない事実なのです。
さらにこの「タントラ」には以下のようなとんでもないことが書かれてあります。
----------------(転載ここから)
貪・瞋・痴に満ちた行者は、無上なる最高の乗において、(「転識得智」によって三つの根本煩悩さえも仏の智慧に変じて)最勝の悉地を成就する
旃陀羅・笛作り等や、殺生の利益をひたすら考えている者たちは、無上なる大乗の中でも、最上の乗において成就をなしとげる
無間業(地獄に堕ちる悪行)、大罪を犯した者さえもまた、大乗の大海の中でも優れたこの仏乗において成就する
殺生を生業とする人たち、好んで嘘を言う人たち、他人の財物に執着する人たち、常に愛欲に溺れる人たちは、本当のところ、成就にふさわしい人たちである
母・妹・娘に愛欲をおこす行者は、大乗の中でも最上なる法の中で、広大な悉地を得る
これらは清浄な法性であり、諸仏の心髄中の心髄である法の義から生じたものであり、とりもなおさず菩薩行の句である
----------------(転載ここまで)
要するに、人がどんなに悪事を行っても、というか、悪事を行えば行うほど、素晴らしい極楽浄土に行くことができる、というわけです。
まあ、彼らが言うところの極楽浄土とは「地獄」のことですから、真実といえば真実ではありますが……。こんなことばかりしていたら、間違いなく極上の「地獄」に行けるでしょうから。
さらには……。
----------------(転載ここから)
仏曼荼羅と阿閦金剛を観想し、一切の衆生を殺す
輪曼荼羅と毘盧遮那・一切諸仏を観想し、一切の財物を奪う
蓮華曼荼羅と無量光・一切諸仏を観想し、一切の妃を瑜伽(ニ根交会)で享受する
仏曼荼羅と不空金剛・一切諸仏を観想し、一切の勝者(の拠り所となるもの)を欺く
三昧耶曼荼羅と宝幢を観想し、粗暴な言葉を使う
----------------(転載ここまで)
人を殺し、人から物を奪い、セックスをし、人を騙し、誹謗中傷する。こういった行いが推奨されているわけですね。
さらにはこんなことまで書かれてあります。
----------------(転載ここから)
チベット密教の灌頂(かんじょう)には、以下の4つがある。
瓶灌頂(びょうかんじょう) – 日本の真言密教と類似のもの。守護尊を決める「投華得仏」と、金剛杵・金剛鈴・金剛名授与など。
秘密灌頂(ひみつかんじょう) – 師に「大印」(女性パートナー(主に美しい十六歳の処女))を捧げ、両者の「性的ヨーガ」によって生じた精液・愛液混合物を、自身(弟子)の口内に「菩提心」として投入する。
般若智灌頂(はんにゃちかんじょう) – 自身(弟子)が「大印」(女性パートナー)と「性的ヨーガ」を行う。(体内に投入された「菩提心」の放出と看做される)射精は禁じられ、「菩提心」を身体の各チャクラに適宜とどめて、歓喜を味わう。
語灌頂 (ごかんじょう) - 「言葉の潅頂」、または「記号の潅頂」とも訳される。師僧が儀式の中で弟子に象徴性そのものを直接与える。
(※「大印」(女性パートナー)については、インド及び初期のチベットにおいては実際に性行為が行われていたらしいが、ツォンカパ以降のゲルク派では、「性欲を完全に克服できる段階に達しているなら、実際の女性を相手に実践して構わないが、そうでないなら、あくまでも観想でのみに留めるべきであり、その原則を侵すなら、堕地獄の苦行が待っている」という扱いだという。)
なお、「生起次第」に進むには、1の灌頂が必須とされ、「究竟次第」に進んだり、密教指導者になるためには、2~4の灌頂が必須とされる。
----------------(転載ここまで)
気が狂っているとしか思えません。
指導者に美しい16歳の処女を捧げてセックスをさせ、その指導者の精液と女性の愛液を「菩提心」として飲む……。
女性とセックスして、射精せずに歓喜を味わう……。
指導者が弟子に「象徴性」を与える、つまりは性交する……。
とにかく宗教の教典とは思えないような非常識なことばかり書かれてあります。
で、こういった行為も「性欲を完全に克服できる段階に達していない」人は、すべて想念でのみ行わなければならないし、そうしないと地獄に堕ちると書かれてあるわけですが、「性欲を完全に克服できる段階に達している」人はこれらのことを実際に行うべし、というわけです。
で、もちろん、指導者はすでにその境地に達している(ということになっている)ので、これらのことを実際に行っているわけでしょう。そうやって快楽の限りを貪るわけです。まさに悪魔そのものです。
実際にオウム真理教の麻原彰晃は何人ものを女性を自分のまわりにはべらせていたとして大きな問題になりました。(オウム真理教は、チベット密教の「左道」と呼ばれるものです。)
ウィキペディアにはこの他にも色々なことが書かれてありますが、もうこれで十分でしょう。これ以上、書かなくても、このチベット仏教の「ゲルク派」がいかに気の狂った宗教であるかが分かったはずです。
で、このチベット密教を日本に伝えたのが「空海」であり「最澄」なのですが、日本ではこの「密教」の本質についてほとんど語られることがなく、ひた隠しにされてきました。今でもひた隠しにされています。
「空海」や「最澄」が伝えたのは我々が考えるような「善良」な宗教ではありません。単なる「悪魔教」です。
一応、「空海」の場合は、ボランティアなどの慈善事業にもかなり力を入れたため、民衆から多大な支持を受けましたが、これもまた逆から言うと、悪魔崇拝者とそっくり瓜二つです。
彼らはいつも表向きは慈善事業を行って民衆からの支持をとりつけ、その実、陰ではこっそりと悪事の限りを尽くしてきましたから。
もっとも、現代ではもう既に「密教」は衰退していて、日本人は誰もこんな教義は実践していないということになっていますが、このブログの読者の皆さんならそれが嘘であることがお分かりいただけるかと思います。
ただし、かつての天皇家がこのチベット密教を行って、悪事の限りを尽くしていた、という記事はいくつか見付かりました。
----------------(以下、空海のタントラ「仏教」とチベットより転載)
○第1に、チベット密教には様々な派が有ること。その中でダライ・ラマの属するゲルク派はまともな方だと言われている。(註:これでもまともだと言うのなら、他の宗派はどんなにひどいのでしょうか。)
つまりこの派は、密教修業の前に顕教の修行をみっちりと行う。相当な人格が出来てから性的ヨーガを行うので、性欲は既に克服した僧が多いと言われている(本当?)。
○第2に、日本真言宗でチベット密教張りの性的ヨーガを行い、SEXと殺人を大々的に行った「立川流」と言う派は、正統的なものとしては既に消滅していることだ。時々、「オウム真理教」のような派が発生するが、それは飽く迄も傍流である。
「立川流」とは:
現在の東京都立川市と関係が有る。左大臣の源俊房の子であり、堀河天皇の生母(白河天皇の中宮の賢子)の従兄弟であった仁寛阿闍梨(生年不詳-1114;「阿闍梨」は真言僧の最高位;後三条天皇の皇子の輔仁親王の護持僧でもあった)は、無実の罪を着せられて永久元年(1113年)、静岡県伊豆に流された。
ここで立川市出身の陰陽師と出会い、真言宗「立川流」を創始したと言われている。
これを大成したとされるのが、「建武の中興」で有名な後醍醐天皇の側近中の側近であった文観(もんかん;1278-1357)である。文観は「立川流」の奥義を後醍醐天皇にも伝えたとされる。
つまり、後醍醐天皇自身が、「立川流」真言密教の行者であった。彼等タントラの行者の行った「建武の中興」とその後の約50年間の「南北朝動乱」がどれ程無意味な戦乱で日本国民を苦しめたかを考えれば、タントラの恐ろしさは身にしみる。
大変申し訳ないことだが、後醍醐天皇は日本国史上最悪の「悪王」である。彼らの行なったことは、存在意義を失った古代貴族の世に時代を逆行させるため、自分達の贅沢三昧を復活させるため、無意味に武士同士を戦わせたことだけだ(「太平記」参照)。
つまり、後醍醐天皇や文観は室町幕府によって敗北させられた。だから「立川流」は滅びたのだ。彼らが勝っていたら、日本真言宗はチベット密教と完全に同一になっていただろう。「立川流」が敗北したためその後、真言宗の主流は常に、自分達と「立川流」の違いを際立たせなければならなかった。サバイバルの道がそれしかなかったのである。
一方、チベットでは「無上ヨーガ・タントラ」勢力が武力抗争を勝ち抜いた。だから、その後の歴史の進行がストップしてしまい、何の進歩もない・凍りついたような中世社会が数百年に渡り持続することになったのだ。
----------------(転載ここまで)
この記事を書いた人は、日本からチベット密教ばりの危険な宗教がなくなった、だから日本はこうして栄えるようになったと考えているようです。
そして、チベットではこのような危険な宗教がずっと続いてきたため、何の進歩もない時代が何百年も続いたと、締めくくっています。
しかし、それは大きな間違いでしょう。確かにこの日本の中では「密教」の力は低下しましたが、「密教」だけが「悪魔教」ではありません。
誰かさんは「古代から天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた」というデタラメをネット上で言いふらし、それに同意しない人のことを「頭がおかしい人」と言ってけなしていますが、まさに愚の骨頂です。(詳しくはこちら)
天皇の仕事は「お祈り」することだそうですが、一体どんなお祈りをされているのでしょうか。テレビで見るような退屈なお祈りをいつもされているのでしょうか。
それとも……。
とにかく、チベット密教とは悪魔崇拝そのものであることが分かりました。
こんな宗教を美徳だと思って生きていたら、まともな人間にはなれません。まともな善悪の判断もできなくなり、むしろ善良に生きている人のことを見下すようにさえなるでしょう。
しかも、彼らは自ら悪を行いながら善を行っていると思い、自分が死んだ後、極楽浄土に行けると信じているわけですから、良心の呵責すら感じなくなり、我が物顔でこの世を生きるようになるでしょう。
彼らが異様にプライドが高く、自信に満ちあふれているように見えるのは、こういった気違いじみたカルトを信仰しているから、ということがこれでよく分かりましたね。
我々はこんなカルト信仰者たちの支配からいち早く脱し、まともで善良な人々がこの世を統治する仕組みを作っていかなければなりません。
そのためにも、我々庶民がいつも本物の善を行い、本物の祈りをし、本物の知恵を出し合っていくべきでしょう。
○こちらの記事もどうぞ
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〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。
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