陰謀オカルト編の前に、名無し先生関係、フィリピンの続き、やっときますかね。
【マハリカ国(フィリピン)の歴史⑤ フィリピンは自分のものだと主張する男】 (03/05)
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音声ファイル
こんにちは、
現代人というのは、テレビの影響のせいでしょうか?
本当に重要な、本当のことを言われると拒絶反応が起きるのでしょうか?
本当のことを読まされたフィリピン人は、読むことを拒否するんです。
これは、天皇陛下を批判された日本人とよく似ています。
漠然と天皇陛下をキングとして、君臨させている日本人は、フィリピン人にとって異様に映るのです。
逆に我々はキリストの偶像を見て、何も感じません。
古いですが、ひょうきん族のパロディーで、十字架にはりつけられたデブが、なんだか、わからないコントをやっていましたね。
あれぐらい、バカバカしいものなのです。
フィリピン人が日本人が天皇を崇めるバカバカしさをコントにしたらどう感じますか?
ムスリムがアッラーを侮辱したとして、怒るのと同じ反応が出るのではないでしょうか。
訳しながら、会社のフィリピン人を見るわけです。
涙が湧いてくるどころか、情けなくなりましたよ。
私はマルコス時代のほうがよかったというフィリピン人を何人も知っています。
しかし、世代が変われば変わるほど、そんな歴史なんてどうでもいい、いわゆる、いまどきの若者が増えているのです。
日本も同じです。
今回の記事の目玉は、名無し先生もおっしゃっていた、いかにマルコスが国民のことを考えていたか?
イエズス会をはじめとする、ローマカトリック教会がいかにマルコスを抹消したか。
これが書かれています。
これは、カダフィが何故殺されたのか?という疑問に対する答えでもあります。
マルコスは、その立場上、私服も増やしましたが、目標は、その富を国民に還元することでした。
文中のゴールドの量や、額の記載には、本当のことと、いかがわしいことが混在しています。
そして、この本で触れられていることのすべてが嘘で、また、本当ではないことを踏まえて読んでください。
また、アメリカを一枚岩とみなし、アメリカ全体を批判している部分があります。
しかし、唯一言えることは、マルコスはローマカトリック教会の悪の遺産を断ち切り、なんとか、フィリピン、および東南アジアを先進国にしようと努力していたことがわかります。
マルコスは、ベルファシに食われたんです。
アキノ、アヤラ、コゴンウエイといった、客家のグループ、つまり、スペインと結託して、フィリピン人を搾取する側に回った中国人に蹴り出されたわけです。
この本には中国人はあまり登場しません。
しかしながら、彼らが現在のアジア経済の実験を握っている事実がそれを証明しています。
それでは、訳の続きです。
マハリカにおける解放の神学
バチカンのサポートによるマハリカ行動派
70年代と80年代のマハリカにおける社会不安は、主に、ローマの七丘のバチカン市国の街で計画され、外人もしくはフィリピン人のローマカトリックの聖職によって資金を提供され実行されました。
(Wikipedia)
ローマの七丘(ローマのしちきゅう、ラテン語: Septem Montes Romae、イタリア語: Sette colli di Roma)とは、ローマの市街中心部からテヴェレ川東に位置する、古代ローマ時代の七つの丘のことで、都市ローマの基礎を形作った。
(Wikipedia終わり)
ローマカトリック教会は、マルコス政権時代に人権侵害を公表することで、これを利用しました。
人民の運命を操作する方法についての2000年におよぶ経験を生かし、カトリック系の学校、修道院、神学校で、路上で、カトリック教会はイデオロギーの転覆を推進し、遠隔操作で政情不安を扇動した。
ローマカトリック教会は解放の神学と呼ばれる。
1960年代後半に、教皇パウロ六世、司祭、修道女と神学生のもとで、特にラテンアメリカ、アフリカ、マハリカで、「解放の神学」として知られている社会主義を教え始めた。
そのため1917年から1979年、バチカンと共産ロシアの間の緊密な外交関係のため、共産党は、ローマの聖職者や階層の中からシンパや賛同者を集めることに成功した。

1962年、ヨハネ23世は、フランス人枢機卿ユージン・ティッセランを通じて、ローマカトリック教会は、共産主義の誤りを非難しないという規定、「バチカン·モスクワ協定」を締結した。
そして、イタリア、ローマカトリックの国で、共産主義が合法化されました。
非常に多くのフリーメイソンと共産主義者に入り込まれていたバチカンは、マルクス主義とキリスト教のミックスバージョンであった、新しい神学を広めた。
ネオ・ファシストの極右政党であるMSIやCIAと深い関係を持っていたリーチオ・ジェッリが代表を務めるフリーメイソンのロッジP2とバチカンとのパートナーシップは、
バチカンが抱えていた多くの盲目の信者の国の政府を不安定にし、破壊するために破壊的カトリックの動きを奨励し、第三世界の国で、豊かな政府からの莫大な資金を使い、しばしば民衆の大部分を構成している貧しい人々を利用し、階級間のすさまじい階級闘争がおこり、それはしばしば暴力を招いた。
数え切れないほどの神学生、修道女と司祭が彼らの修道院を離れ、集会開いた。
この破壊的な勢力は分散し、政府オフィスの目の前の路上でデモ行進を行い、抗議した。
また、山岳地帯に行き、ゲリラ武装集会に参加した。
そのうちの何名かは、政府軍と遭遇し殺害された。
ローマカトリック教会に触発され、マハリカの苦しみを負う貧しい人々に正義と救済をもたらすためには、政府を転覆させるという、すべての責任を政府のせいにする扇動が行われた。
支配と呼ばれる世界で最も古いゲームをいまだにプレイすることに取りつかれた外国勢力がバチカン教会だ。
しばしば宗教団体を通じて、左翼反乱のシンパに渡される助成金は、宗教団体の預金から派生したバチカン銀行の関与を意味する。
したがって、カトリックの司祭は、ラテンアメリカ、フィリピン、ポーランドにおける暴動に実際に関与しているし、IORというの神秘的な「隠れ蓑」企業は秘密のルートを持っており、結果として、間接的にバチカン自体が関与している。
(Wikipediaより)
IOR
第二次世界大戦中の1942年に、ピオ12世によってそれまでの「宗務委員会」から改組され設立された、バチカンの国家財政管理を行う組織である「宗教事業協会」(Instituto per le Opere di Religioni/IOR、「バチカン銀行」とも呼ばれる)が、各国の民間の投資銀行を通じて投資運用し資金調達を行っている。上記の「国家予算」には、「宗教事業協会」の投資運用による利益は入っていない。
1980年代前半までは、宗教事業協会の投資運用と資金調達を行う主力行としての業務はイタリア国立労働銀行の子会社のアンブロシアーノ銀行が行っていたが、1982年に、同協会のポール・マルチンクス大司教と、「教皇の銀行家」と呼ばれていたアンブロシアーノ銀行のロベルト・カルヴィ頭取のもとで起こった、マフィアや極右秘密結社であるロッジP2がからんだ多額の使途不明金とマネーロンダリングにかかわったスキャンダルの影響を受け同行が破綻し、カルヴィ頭取などの複数の関係者が暗殺されて以降は、ロスチャイルド銀行とハンブローズ銀行などが行っている。また、この事件は、映画「ゴッドファーザーPARTスリー」でも取り扱われている。
(Wikipediaおわり)
たとえワニが、フィリピンの人々の苦しみに涙を流したとしても、バチカンは涙をこぼさない。
この本で大胆に暴露しているように、500年前からフィリピンの人々に不公公平と、抑圧と搾取を犯したのがローマカトリック教会だった。
それは、比類のない強盗と窃盗で満たされ、彼らは富を切望しフィリピン人の尊厳を踏みにじり、未来を台無しにした。
まるで若い乙女がローマカトリック教徒、スペイン、ポルトガルによる、福音という近代化を何世紀にわたり強要され、植民地化され、荒廃させられ、飛躍的に不当な社会になり、貧困国にさせられた。
貪欲と無責任な、きこりのトラクターとチェーンソーが原生林を通過した後に、そこに何が見えるだろうか?
浸食された山、荒れた川、洪水で埋もれた谷である。
(管理人注釈:だからスペイン・ポルトガル語圏の国々はそろって腐敗し、荒廃している)
ボニファティウス8世の二本の剣がスペイン人によってここに持たらされて以来500年間、征服者はマハリカ島の人々の、精神的、文化的、心理的なアイデンティティをレイプした。ローマカトリック教会は、荒涼とした経済、荒涼とした社会、礼拝という荒涼としたシステム、荒涼とした自己イメージと荒涼とした精神以外、何も残さなかった。
今日、フィリピン人は、食品、古着やその他のちっぽけなもののために豊かな国のドアをノックし、乞食のような惨めな状態に追い込まれ、「解放の神学」とローマカトリック教会によって第三世界の国に変化させられた。
解放の神学上のローマカトリック教会の説教が不当と抑圧的なマルコスの独裁と彼の取り巻きに起因する貧困と抑圧から虐げられたフィリピン人を取り戻すことになっていた。
マルコス政権時代におけるこの国の病気は、すべてが彼によって引き起こされたものではなかった。
彼は単に教皇レオ10世のためにスペインへの333年のリース期間中に、ローマカトリック教会によってもたらされたのと同じ病気を継承した。
70年代と80年代のローマカトリック教会の左翼化による操作で証明されるように、フィリピンはスペイン(入居者)からの独立100周年を迎えても、まだバチカン(大家)に依存している。
解放の神学の福音は盲目の信者=ロマノ・カトリコ・サレドに遠く、広く、速く広がり、現在もフィリピン人の大部分を構成している。
ローマカトリック教会の解放の神学が本当であるなら、やるべきことは下記である。
第一に、ローマカトリック教会は、本当はその解放の神学を教えていないことを認め、謝罪するべきである。
第二に、心に傷を負った子供のように心理的に損傷を受けたフィリピン人を修復しておく必要がる。
犯罪者(ローマカトリック教会)は償いをするために約束して、被害者(フィリピン人)を修復する必要がある。
第三に、この教会は、貧しい人々が新たに威厳のある生活を始めるために助力し、ありあまる富を再分配すべきである。
これはローマカトリック教会が500年間マハリカから略奪し、搾取したことに対する賠償である。
真実の解放の神学
それは、その罪を告白し、償うことで、ローマカトリック教会自身が解放されることである。
それは、その教会の誠実さの恩恵を受ける、貧しいフィリピン人も同様に解放する。
そしてローマカトリック教会が行うことは貧しい人々を助け、その慈善プログラムに与えるために、そのあふれる財源から小さなシェアを与えることだ。
マニラを見れば、その実例を毎日テレビで見ることができるが、ゴミを積んだダンプやストリートチルドレンの光景を映し、寛大な心でチャリティー募金を募るわけだが、このプログラムは、マニラの億万長者大司教が仕切り、アナウンサーは、世界でもスーパーリッチな宗教ローマカトリック信徒たちなのである。
解放の神学は、フィリピンの人々の悲惨さの根本的な原因をマルコスと認識させ、マルコス独裁を打倒するという目標を達成した。
しかし、今20年後、マハリカの虐げられた貧しい状態は、何も変わっていない。
それどころか、百万倍悪化している。
そして、ローマカトリック教会は、今まだその解放の神学のセリフを繰り返している。
貧しい人々と連帯するという。
貧しい人々のための優先オプションだという。
今フィリピン人の多くは、この解放の神学に洗脳され、フィリピン人の生き死にを操っている。
現代のバチカンもフィリピンを欲しがっている
1930年代初頭に、ヨーロッパのドイツは財政的に破綻した。
無名の党首は、彼が雇用を創出し、その経済を押し上げると、ドイツの人々に約束した。
ドイツ人は彼を選び、彼をトップに押しあげた。
彼の名前はアドルフ・ヒトラー。
1933年6月、バチカンとヒトラーは、ナチスとローマカトリックの相互の保護と強化のための協定を締結した。
その直後、ヒトラーに資金が入った。
彼は戦争のための大規模な軍隊と武器を揃えた。
その後、ヒトラーはポーランドを取った。
1918年以前、ポーランドという国は無かった。
その土地は、ロシアからドイツを分離するための緩衝地帯として使用された。
しかし、ヒトラーはそれを再利用すると主張し、イギリスがドイツに宣戦布告。
マハリカのスペイン占領中、タジーン・タリアノ一族の親戚の一部はイギリスとオーストリアにあったため、ヨーロッパを訪問した。
1866年から1898年に、プリンス・ジュリアン・マクラウド・タリアノもバチカンに頻繁にいっていた。
1934年、教皇ピオ十二世の下で、バチカンはフィリピン王室、マハリカにおけるキリスト教のタリアノ一族のメンバーと交渉した。
タリアノのゴールド、640,000トンが教皇に貸与されることが決まった。
これは東南アジアのスリビジャヤン・マディジャパヒット帝国の900年におよぶその輝かしい時代に蓄積されたゴールドの一部であった。
1939年、タリアノ・ファミリーのメンバー2名とローマカトリック司祭、神父ホセ·アントニオ·ディアスは、サバ州コタキナバルから、バチカンにゴールドを移動させた。
これを実行した後、神父ディアスはマハリカに戻ってへ行き、カバナツアン市に居住。
第二次世界大戦後、彼はマハリカにバチカンからのゴールド64万トンを安全に戻す手助けをした。
その後、下院議員マヌエル・アクーニャ・ロハス(アクーニャ/ タジーン / タリアノ一族の親戚)、およびエンリケ・ソブレペーニャは、弁護士ロレンソ・タナダ・シニアの立会いのもと、マニラでゴールドを受け取った。
リース契約はタリアノ一族とマハリカ政府との間で行われた。
ゴールドの合計は617,500トンで、マハリカの新しく設立された中央銀行の要件を満たすためにに準備預金とし寄託した。
契約の条件に基づき、中央銀行は、このゴールドの保有者となった。
このリース契約は2005年に期限切れとなる。
神父の信用と信頼を得てきたディアス、タリアノ一族は彼らのゴールドの代理人と受託者だった。
神父ディアスは、弁護士を雇った。
華麗な若い弁護士であった、フェルディナンド・E・マルコスが推薦された。
1939年、マルコスは「ナルンダサン事件」で、悪評から自分自身を擁護することに成功したからだ。
(管理者注釈:マルコスは1935年、父親の政敵フリオ・ナルンダサンを暗殺し有罪判決を受けたが、最高裁で大学の同級生であった、ホセ・ラウレル判事から逆転無罪判決を勝ち取った。のちにラウレルは日本統治下で大統領になった人物である。抗日ゲリラだったマルコスを日本軍から助け、マルコスを大統領に押し上げた。)
タリアノ一族は、64万トンのゴールドから30%の手数料をディアスとマルコスに支払った。
1949年、世界で最も裕福な2人の男がホセ·アントニオ·ディアスとフェルディナンド・E・マルコスだった。
彼ら二人は合法的にゴールド192,000トン獲得した。
フェルディナンド·マルコスは、中央銀行からゴールドのシェアを引き出し、RP – CBという刻印で鋳造させた。
神父ディアスとマルコスは、チューリッヒのスイス銀行コーポレイションにゴールドを保管した。
タリアノゴールドの残り40万トンはケソン市の東アベニュー、中央銀行鋳造工場の地下3階にある。
そこには国際司法裁判所で行方不明宣言された、旧日本軍の山下、そして欧州の同盟国、ヒトラーによって集められた95万トンのゴールドもある。
東南アジアでの日本の戦利品の一つ、25万トンのゴールドはマハリカにある。
この国は、その後ゴールドの延べ棒160万トンの保持者となった。
マハリカに埋められた山下ゴールドの一部が判明している。
しかし、それの大部分はまだマハリカに埋まっている。
そして今も、密かに日本のトレジャーハンターを含め、何千人もの人間がそれを探している。
ウォールストリートジャーナル1985年11月15日号では、世界のすべての金の三分の二がマハリカにあるという記事が掲載された。
残り三分の一は、世界の国々に分散されている。
非常に少数のフィリピン人しか、この事実をしらない。
マルコスが1965年に政府を引き継いだとき、米国への対外債務は135億ドルだった。
アメリカ人が強制的にマルコスをハワイに連れ去った1986年、アキノ大統領は、米国の対外債務240億ドルを引き継いだ。
しかし、これらのうち、70億ドルは民間部門の債務だった。
マルコス追放時、米国中央銀行の準備金25億ドルを残した。
これは、マルコスの20年間に及ぶ独裁政権中、急成長する人口と数々のインフラプロジェクトで、この国を構築するためにたった10億ドルの対外債務しか計上しなかったことを意味する。
(240億 - 135億 - 70億 - 25億 = 10億ドル)
どのようにマルコス大統領は、財政的にこの政府を管理したのか?
国庫からの資金350億ペソの年間国家予算以外に、彼はゴールドを所有していた為、彼のすべての大統領後続者4名とは比べものにならないほどのインフラプロジェクトを構築することができた。
今日、この国は、約$ 750億対外債務を持っている。
1986年から2000年のわずか14年、3政権下の大統領は240億ドルの負債を510億ドルまで増加させた。
1997年フィリピン年鑑(国家統計局)で1966年から1997年の政府支出のまとめを作成した。
1965年から1986年の20年で、マルコス大統領は48,627,300,000,000ペソを費やした。
1986年から1991年の6年で、アキノ大統領は、107,789,500,000,000ペソを費やした。
1992年から1997年の6年で、ラモス大統領は、 223,790,700,000,000を費やした。
2003年5月14の間に6月5日、アジア太平洋地域展望が実施した、全国アンケート調査報告書の中に、あなたは誰が一番この国のために多くのことを行ったと思いますか?という質問があった。
結果は:マルコス41%、マグサイサイ15%、アキノ6%、ラモス6%、エストラーダ4%、アロヨ2%、ケソン0.3%、キリノ0.3%、その他無記名となった。
1974年、ホセ·アントニオ·ディアス神父、別名アリアス・セヴェリーノ・サンタ・ロマーナが死去した時の遺言で、すべてのゴールドはマルコス名義になり、その後フィリピン国民に与えられることになっていた。
今日、多くの政治家や聖職者が指摘する、不正手段で得たマルコス秘密の口座にあるマルコス・ゴールドとはこのことを指す。
1973年4月9日にマルコスは言った。
“私の資産はフィリピンの人々の福祉に捧げる目的で、マルコス財団に置かれています”
解体キャンペーン
70年代と80年代、ローマカトリック教会の「血のお金」は、バチカン銀行と他の外国の権力を経由してマハリカに運ばれ、地方の田舎で、マニラの路上で、暴動を扇動した。
教会と外国勢力が協調し、マルコス政権の不安定化と解体キャンペーンが繰り広げられた。
マルコスのような一人の男の手の中にあるゴールドは、長期間権力を握ってきた者たちにとって脅威だった。
マルコスは、あまりにも強力になり、世界で確立された2つのパワー、バチカン市国、三極委員会(米国、ドイツ、日本)の手に負えない存在となっていた。
(Wikipediaより)
三極委員会
1972年、デイビッド・ロックフェラーはオランダ王室にビルダーバーグ会議への日本の参加を打診したが断られたため、ズビグネフ・ブレジンスキーに日本をメンバーとする会議を創設することを提案した。
(Wikipediaおわり)
しかし、マルコスは、いかなる外国勢力の犬、ポチではなかった。
1966年、アメリカ大統領正式訪問の際、マルコスは1947年3月14日付の軍事基地協定(MBA)を再交渉した。国家の主権と領土保全を侵害することを拒否し、正式に軍事基地協定の削減を交渉し、2046年で終了することになっていたものを、わずか25年後の1991年に終わらせるよう要求した。これは米国を怒らせた。

米国は1979年1月7日に軍事基地の上マハリカの主権を認識すると、マルコス大統領は、フィリピンは最終的に解放されたのだと言った。
最も重要なのは、米国大使リチャード·W·マーフィーがマハリカ外務大臣カルロス・P・ロムロに宛てた1979年1月7日付けの手紙の中で、「すべての米国施設、建物や、ヘッドクォーターの前、施設での軍事パレード、屋外の儀式などでは、フィリピンの基地司令官と連携し、フィリピンの旗だけを常に単独で掲げなければならない」とあったことだ。
彼の大計画、マルコスはマハリカ国を再確立することと、かつての壮大な東南アジア、マレー帝国の全領域を再構築することだった。
1983年6月、マルコスはトロントで初めての世界の指導者の前に現れた。
彼はアジアン・ドルを作成することにより、東南アジア地域の経済を後押しする計画を発表した。
これはマハリカ中央銀行の金の40万トンと、スイスのマルコス個人の口座にある192,000トンを追加し、原資とするというものだった。
このアジアのドルは、マハリカにあった世界のすべてのゴールドの三分の二でバックアップされ、マハリカの通貨は、アメリカのドルよりも強く、より価値のあるものだった。
これは世界の先進国に東南アジア仲間入りさせるという彼のビジョンだった。
そして、突如、次の日、CIAのトップ、ジェームズ·ベーカーは、ヘンリー·キッシンジャーを国務長官として任命した。
この時期を境に、マルコス政権解体工作が巧妙に計画され、実施された。
2ヵ月後、8月21日、1983年の上院議員ニノイ·アキノはマニラ国際空港で暗殺された。
マルコスが容疑者とされた。
このニノイ·アキノの暗殺は、未だに解決されていない。
この事件を解決するということは、パンドラの箱を開き、クローゼットの中にいる、ガイコツを見つけてしまうことになるので、誰も触れようとはしない。
当時、ニノイ·アキノに非常に近く、今も国民から高い評価を受け、それを楽しんでいる多くの著名人の名を明らかにするだろう。
クーデター・デ・グレース:EDSA革命
一年半後の1984年12月26日に、「コリー(アキノ)の憲法が誕生した。
これはマハリカの近代史で計画された最初のクーデターだった。
文書は題して:統一宣言だった。
"マルコス政権で貧しさに声を上げることもなく虐げられた、フィリピンの人々の自由と主権を回復するために力を合わせ、国家経済を再構築し、すべてのフィリピン人の生活の質を向上させるために反対するすべての者を排除し、私たち全員が共有する原則と信念を維持することで達成できると信じている。

コーリー憲法には8つのポイントがある。
多元的社会における信念。
新しいリーダーシップは表現の自由とすべての哲学と非暴力的なプログラムを普及する権利を尊重し、保護する。
それは、国家のために何がベストかを自由に選択する人々の能力を信頼し、それが彼らのものと異なる場合でも、人々の選択を尊重する。
フィリピンの共産党は法律化される。
国家統一への障害を除去するために、新しいリーダーシップは武装闘争に頼ってきたすべての合法的な不満に対処するために、すぐに組織の課題に取り組む。
新しいリーダーは私的または公的な汚職と腐敗といった社会的な癌を排除するために努力する。
マルコスが不正手段で得た富、財産や資産を没収する。
ケソン市、シニフィエで署名した者のリスト
1.アガピート・バッツ・アキノ
2.ホセW. ディオクノ
3.テオフィスト・ギンゴナ
4.エヴァエストラーダカロー
5.サルバドールH.ローレル
6.ラウルS.マングラカス
7.ラモンミトラ、ジュニア
8.アンブロシオパディーヤ
9. アキリノ・ピメンテル
10.ラファエルサラス
11. ジョヴィート・サロンガ
コンベアグループの署名者リスト
1.コラソンC.アキノ2.ハイメV. オングピン
3.ロレンツォM.タナダ
1986年米国上院議員ポール·ラコルトは、米国の雑誌ポリシーレビューの「フェルディナンド·マルコスとの会話」という記事の中で「コーリー・アキノがホセ·マリア·シソンを釈放したのは重大な戦略的ミスだった」と指摘した。
オランダで完全な自由を楽しむ、シソンは今でも長距離電話と電子メールでCPPをコントロールしている。

1986年2月22日ローマカトリック枢機卿シンが人々に家から出てEDSA大通りに結集するよう言ったとき、マルコス政権解体キャンペーンは最高潮に達した。
町中はローブをまとった修道士、修道女、司祭らでごった返していた。
外国勢力によりコントロールされているローマカトリックのラジオ局、ヴェリタスは、マルコスの腐敗した政権に反対して結集する人々を継続的に監視し、奨励した。
3日目に、病気であったマルコス大統領は、米海兵隊によってハワイに連れて行かれ、薬漬けになった。
1988年2月21日、ラジオヴェリタスはすぐにマルコス大統領の米国ヘリコプター誘拐に関するコラソンアキノへのインタビュー放送をオンエアした。
以下は、コーリーの言葉だ。
「私は大使ボスワースから電話をもらいました。彼はマルコスがクラークに向かうことになる」
「マルコスがクラークに着くと、ボスワースから電話で、マルコスはクラークで一泊することが可能だろうか?」
と聞かれたので私は「彼は非常に衰弱した状態ですか?」と聞いた。
ボスワースは「たぶん彼は休む必要があります。マルコスはできればイロコス·ノルテまで行きたいと言っている」
「なぜ?彼は死の危険にさらされているの?」と聞くと
「いいえ、彼はただそこに休息したいと思います。」と言われたので、
私は「いいえ、彼はクラークで休むことはできますが、彼は朝一番でそこを出ていくべきです」と返答しました。
(管理者注釈:イロコス·ノルテはマルコスの故郷で、支持者が多く、フィリピンで唯一、彼が安全に暮らせる土地だった)
つまり、これはアキノの合意があったということだ。
次の日にマルコスと彼の家族がホノルルに飛んだ理由はこれだった。
アキノがイロコスに行くのを禁じ、米国に追い出したのだ。
上院議員ポール・ラクサイトは、同じく雑誌ポリシーレビューのマルコスとの会話で、「彼(マルコス)が大統領宮殿を離れることに合意したとき、国を離れるつもりなどなかった。その証拠に、ドルではなく、フィリピンペソしか持っていなかった。彼はイロコスに帰ると思っていた。」
1986年以来、マルコスが「逃げた」という「嘘」が、多くのメディアで受け入れられたが、真実はコラソン·アキノがアメリカのCIAの助けを借りてマルコス大統領の亡命を画策したのだ。
1986年3月17日、下記の記事がニューヨーク市トリビューンに掲載された。
「実質的にマルコスの亡命を強制したため、アキノの新政権もマルコスと同等の政治的存在として崩壊することは最初から目に見えている。アキノは左翼一党支配で、合法な全体主義的共産主義者になったのです。
「マルコスを騙して追放したことにより、たとえ残り半分がアキノ支持者でも、米国はフィリピンの人口の約半分を裏切ったことになる。」
「アキノ自身が、自分がマルコスより10パーセント以上支持者が多いと主張したことはない。」
バチカンの悪魔のおかげで、マハリカの何百万ドルが彼女のために費やされた。
過去にネロ皇帝がいた。現在はバチカンがいる。両方とも、結局ローマなのだ。
彼らのやり方は、昔も今も一緒だ。
悪者を作り出し、逃げ場のない状況に追い込み、被害者を叩き潰す。
この場合、被害者はマルコスであった。
彼らは筋肉を盛り上げ、メッセージを届ける。
メッセージは、我々は、民族を作ることもできるし、絶滅させることもできる。政府を作ることも壊すこともできる。我々はこのローマの7丘の頂上に腰掛け、ローマを見下ろしている。
A.D.64年、皇帝ネロは自分の命令でローマに火を放ち、大火災を引き起こし、丘の上でその炎を見ながらハープを吹いた。
それをキリスト教徒のせいにした。
そしてキリスト教徒の激しい迫害が続いた。
明らかに、歴史は繰り返す。
1986年の世界的に有名なEDSA革命は、外国勢力であるローマ·カトリックによる、フェルディナンド·マルコスを処刑した、ボニファティウス8世の2本の剣だった。
マルコスは、世界のパワーバランスをひっくり返すことは許されなかった。
支配者たちは現状を維持するため、マルコスを排除した。
ホセ·リサール博士は奴隷が存在しなければマスターは存在しないと述べた。
先進各国に世界の権力が留まり、世界の人口の大半を支配し続けるためには、第三世界諸国も支配しなければならない。
なぜなら、彼らが支配し、活用することができる奴隷がない限り、マスターはマスターでいることはできないからだ。
これはローマカトリック教会とCIA、米国三極委員会の議案である。
金と欲
現在でもマハリカ(タリアノ)の40万トンのゴールドは、ケソン市東アベニューの中央銀行に残っている。
マルコスのゴールドは、ロンドンのロイズ銀行のエージェントに監視されている。
しかし、現在の政府は、その存在を認めない。
2001年6月12日に発行された、アメリカの雑誌、ウイークリーワールドニュースに「アメリカの現在の金融危機はブッシュ大統領が言ってきた以上に悲惨な状況で、数日中にケンタッキー州、フォートノックス米軍基地だけではなく、米国が財政破綻する」と警告した。
フォートノックスのゴールドはニッケルの価値も無い。あなたが今見ているゴールドは、鉛のレンガを金メッキしたものであり、まぬけな訪問者を欺くための偽物だと、経済学の権威ハロルド・コルドブルームは主張している。
財務省は財政を立て直すことに必死で、金準備を活用しなければならなかった。
ニクソン大統領は1971年に金本位制をやめたが、緊急事態に備えて約1.47億オンスのゴールドを保管していると、我々米国市民は信じていたが、それはもう存在しない。
現実は数十年にわたって歴代米国大統領たちは、様々なプロジェクトのための現金を必要とした時、いつでも、随時、ゴールドを売却して現金を得ていた。
行方不明のゴールドは秘密裏にサウジアラビアなどの産油国に売却された。
クリントン政権時代にゴールドの売却が加速したと専門家が明らかにした。
あなたは今まで私たちはどのようにして奇跡的に、一晩で財政赤字から財政黒字に持って行けたのか疑問を持ったことはありますか?とコルドブルームは尋ねた。
しかし、その黒字さえ実は錯覚です。真実は、私たちの経済は今、何ヶ月も下方スパイラルにあるのです。
ジョージ·W·ブッシュ大統領は、絶望的な経済を維持するため国のゴールドを売却しています。
今、私たちの国は、5700000000000ドルの債務の山に埋もれている。
あなたがクレジットカードの支払いに疲れ果て、宝石を質入れするのと同じ。
外国の債権者は、私たちがそれらを支払うことができなくなることを懸念している。
それが起こるとき、米国の主要銀行は、小さいものから破綻する。
インサイダーによると、米連邦準備理事会(FRB)のグリーンスパン議長は「今、国家非常事態を宣言するためにブッシュ大統領に促している。(マイク·フォスター)
犠牲のラム -堕ちた男
フィリピン人は短く、より少ない木に吠えた。
元大統領コリー·アキノによって、マルコスが政府の財源を空にしたのだから、マルコスが盗んで海外に隠してある数千億ドルを取り戻す必要があると、彼女と政府大統領委員会(PCGG)は主張し、スイスに要求した。
1990年12月21日付けのスイスの連邦最高裁判所の判決は、1986年5月29日の決定により、チューリッヒ地区の検事総長は、すぐにマルコスのすべてのアカウントの預金や室内金庫を凍結した。
今現在も、国内または外国の裁判所は、マルコスが政府からお金を盗んだということに対し、有罪判決を下していない。
しかし、国内および外国のエージェントは、マルコスは泥棒だったと言い続けている。
ギネスブックでさえ、マルコスは世界一の泥棒として記録保持者にしている。
ギネスはマルコスとフィリピン人に対する名誉毀損で数十億ドルの損害賠償を払うべきだ。
しかし、いつか盗まれたお金を手にいれるために、マハリカ政府のインチキ代表が現れるかもしれない。
だから、これらの外国銀行と政府がマルコスのお金を凍結したことは適切であった。
むしろマハリカ政府はミスを犯した。
マルコスのお金が、本当にマルコスのお金で、国民のために使われる事になっていれば、凍結されなかったはずだ。
しかし、フィリピン人のために使われると装い、いくつかの金と権力の協力を得て、フィリピンに持ち込まれ、腐敗した政府の腐敗した個人のポケットに入ってしまう。
一方、貧しいフィリピン人はおこぼれをもらえる金持ちにペコペコし、金持ちの気分次第である。彼らはフィリピンを第三世界として維持するために、無意識に金持ちに従っている。
これこそ、ギネスブックに載せるべき事実である。
これは壮大な計画(または詐欺)だ。
数十億ドルものマルコス・ゴールドは凍結されたままとなり、それが盲目なフィリピン人に与えられないように、マルコスは泥棒であったということを繰り返し教え続ける必要がある。
この国は奴隷制のままであり、外国勢力に縛られ、その結果、国際通貨基金(IMF)と世界銀行(WB)からお金を借りる必要がある。
マハリカ - 今日の世界で最も裕福な国
フィリピンの慈善的な先祖、ルソン・タジーンが残したゴールド72万トン、マハリカのマハラジャは、きっと気が遠くなっているだろう。
1939年にバチカンに64万トン貸し、1949年1月7日にマハリカの中央銀行の金庫室に戻された617500トン、これだけあれば、マハラジャは世界一の国を作ることができた。
マルコス·ディアス同盟はスイス銀行に金の彼らの稼いだ192,000トンすべてを保管させ、政府の一部の個人がフィリピンの人々に信じて欲しい「54カ国に分散させた」というのは嘘だ。
この金利だけで、この国は十分すぎる利益を得られ、抑圧的なIMFとWBから借りたり、フィリピン人は、その家族を残して、ドルを稼ぐために海外に行く必要は無い。
いつか歴史はマルコス・ゴールドが分散されていないことを教えてくれ、アクセスできないが、本当にフィリピン人の為に利用可能であることが明らかになれば、マルコスの口座の秘密は全く無くなる。
その口座は政府の数名の要人によって秘密に作られたので、国民はその本当の話を知らない。
しかし、今日では、そのうちの数名は密かに自分自身のためにマルコスの口座から金を引き出そうとしている。
しかし、彼らは海外に行こうとするたびに、彼らは刑務所行きになる。
また気が遠くなるような食べ物を紹介しよう。
日本の15銀行だけで、マルコス·ディアス協会は、72万トンの一部44000トンを堆積させ、鋳造しRP-CBの刻印を打った。合計$518,559,000,000.00(518,6億ドル)のキャッシュを作り、1962年から1974年の間に年間1.5%の複利を稼いだ。
世界の銀行にはもっと多くのゴールドがあります。

この国、マハリカは、世界で最も豊かな国。
ニューヨークツインタワーが爆撃された次の週、米国のテレビのトークショーで、ブッシュ大統領はこう質問された。
今日、世界で最も豊かな国はどこですか?
彼は笑顔で答えた。「フィリピン」です。
マルコスはそれを知っていたが、彼は話すことができなかった。
ハーグの国際司法裁判所によって決定される、第二次世界大戦戦利品の請求者のゴールドの請求期間が1946年からの30年間から10年間延長し、1986年までになった。
つまり、彼らはマルコスはもはや話をしないだろうということを確認したのは1986年だった。
マラカニアン宮殿から彼を誘拐した後、彼らはハワイの黄金の刑務所に彼を入れた。
1986年のエドゥサ革命で、ローマカトリック大司教、彼の司祭、神学生、修道女に乗せられ、払い、従い、祈る盲目の信者であるフィリピンの人々のマルコスに対する裏切り者は、外国の全能権力の思う壺な、グッドジョブをした。
フィリピン国民対取り壊しキャンペーン
外国勢力の、目に見えない長い触手は今、露出し、誰もが、今日、本当の隠れた征服者とそのストーリーが公の目にさらされ、なぜこの国が悲惨なのかを知ることになる。
1986年2月28日、(コーリー·アキノが大統領に就任した2日後だが、1986年3月25日に革命政府の宣言をする前)コーリー·アキノは政府(PCGG)大統領委員会を作成し、番号1第2節で述べた。
「委員会は、次の事項に関して大統領に協力しなければならない」
A)元大統領フェルディナンドE.マルコス、彼の肉親、親戚によって蓄積されたすべての不正手段で得た富の回収。
B)汚職と腐敗のの調査
これまでのところ、PCGGは88,000,000,000ペソのマルコス容疑者が不正手段で得た富を "封鎖することに成功していたが、マルコスのゴールドは、これまでのところ、それを逃れている。
PCGGは1990年の8月、11月、12月、1991年4月1日の間、マルコス/ロムアルデス一族の先祖の墓を掘り返して財産を探索した。
これは1991年4月4日マニラスタンダードと1991年4月11日のデイリーインクワイヤラー新聞に書かれた。
これは1565年にセブでレガスピと360人の兵士と修道士の牧師でなる5個師団が、島を略奪したとき、ゴールドの為に住民の墓を掘って冒涜したのと同じだ。彼らは、1568年にもパナイで同じことをやった。

PCGGはまた、別の議案を実行することに失敗した。
コリーの大統領令:新政府の下で、いかなる方法でも腐敗の発生を防止するための適切な対策機関を設立。
この設立から、政府の腐敗は、百万倍も増加している。
1986年の創設以来、PCGGは政府を形成することには本当に興味が無く、ただマルコスとホセ·アントニオ·ディアスが1946年に獲得した利息を含む192,000トンのゴールドが欲しかったのだろう。
ボニファティウス8世の二本の剣の実行
二つの世界の大国、バチカンとアメリカのCIA、三極委員会の陰謀は、教会や市民エージェントを使って操作、実行する。
シン枢機卿は効果的にエドゥサ革命を実行するためにローマカトリックラジオのヴェリタスを使った。
コリー·アキノ、平凡な主婦で敬虔なローマカトリック信者は、その後、力をつけ、マハリカのローマカトリック教会で最高ランクに公式に仲間入りした。
彼女のアドバイザーはアテネオ·デ·マニラの著名なイエズス会の司祭だった。
ローマカトリック教会は、フィリピン人を、その偽善と洗脳で貧しいままにしたいと考えている。
残念だが、マルコスのマハリカの夢はエリートの力、地元や外国の、教会と国家の確立された力で壊された。
しかし、ある日、すばらしいマハリカを統治したマハラジャ・ルソン・タジーンの遺産は、500年間の悲惨な、この国の暗黒時代の後に、現実のものとなるだろう。
この国は再びすばらしい国となるのだ。
この国のために尽くしたホセ·リサール博士の夢は、バチカンとスペインの銃殺隊の前に散った。
バチカンの悪、貪欲およびそれと共謀したCIA(米国)のパワーで、マルコスの同じような夢も砕かれた。
しかし、彼らはの目論見はいつまでも成功しない。
いつか地獄に落ちる。
そして、この偉大な国マハリカは神の視点から、彼らの廃墟を見下ろす日が来るだろう。
神の視点から見たマハリカ
フィリピン人は本当に神の国マハリカの王族である。
神の手は創造の瞬間からここにあった。
ゴールドは地中や川に豊富にある。
2500年間、神の選ばれた人々、イスラエル人とアッシリア人は、マハリカの文化とリテラシーに高揚し、香辛料貿易でこれらの島を行き来した。
イスラム教徒が1478年にマジャパヒット帝国を征服したとき、生き残ったマレー王室の一族は72万トンをマハリカにもたらした。
スペインは1521年に来て、イスラム教をやめさせた。
しかし、ムスリムは強欲なスペイン人の手の届かないところにゴールドを隠した。

1762年、英国は、土地を支配するスペイン人の頭をリセットした。
(Wikipediaより)
18世紀に入ると、七年戦争の最中の1762年にそれまでフィリピンとの密輸を続けていたイギリス東インド会社によってマニラが占領された。イギリス人は1764年にフィリピンから撤退したが、この事件はスペインによるフィリピン経営のあり方を再考させる一つのきっかけとなり、カルロス3世のボルボーン改革によってフィリピンにもタバコの強制栽培、専売制度の確立(1782)や王立フィリピン会社の設立(1785)など、プランテーション農業を基盤とした開発型植民地への転換を目指した政策が導入された。
(Wikipediaおわり)
1939年、マハリカ、サバ州の640,000トンのゴールドはバチカンに貸与された。
ゴールドは10年間にわたってバチカンに保有された。
欧州の銀行システムでは、そのゴールドからバチカンに巨大な利息がもたらされた。
カトリックに対してフィリピン人はここでキリスト教を維持するために十分な貸しをバチカンに与えた。
1949年、そのゴールドがマハリカに戻って来た。
再び世界の銀行システムを使用して、マルコスは、ゴールドやその他の宝物埋め、彼の手数料を確保した。
満期時には、それはこの国を豊かにし、マハリカを復興させ、先進国となるはずだった。
誰もそのお金を盗むことができなくなるように天才は安全なシステムを構築した。
今合法的にフィリピン人が所有しているすべてのゴールドと富は祝福であり呪いでもある。
それは、明確に、仕事で汗かくことなくこの国の富のほとんどの部分を集めている者たちのテーブルから溢れるパンくずで生活している人間からすれば、彼らの手、およびハートを汚しているということでは、これは呪いである。
一方では、それはこの国、貧しい大多数のための恩恵であるかもしれない。
それは、この国をきづきあげるために天国がもたらした、砂漠に咲く、奇跡の植物かもしれない。
苦痛を耐え抜いた我々は、地球および天国の神の永遠で豊富な愛情を受ける「真実の子供」にふさわしい存在になるからだ。
おわり
肝心なのは、このムーブメントを起こしているのが、誰なのかということです。
後日、記事にしますが、この本には、どう見ても、ベルファシの影響を受けたと思われる箇所があるのです。
彼らは上手いんです。
本質を突き、同情を誘って、嘘を吹き込むのです。
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【マハリカ国(フィリピン)の歴史⑤ フィリピンは自分のものだと主張する男】 (03/05)
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