特別編は、ナチスの隠れ家ということで、UFOなんかは、矢追さん特番で、もう、四半世紀以上も前に、有名ですが。
コブラや名無し先生説でも、出てますが。
ブリル、トゥーレ、アルデバラン、緑龍会、八咫烏、チベット、地底人、どんどん関係が暴露されますが。
コブラや何年か前の、セムメーソン八咫烏イルミナティ日本代表も記事にした、秘密結社のシンボルマーク、気になりますね。
ナチの隠れ家、アルゼンチンで発見か? (03/26)
http://kenbounoblog.blog.fc2.com/blog-entry-68.html
◆ナチスの隠れ家がアルゼンチンのジェングルの中でみつかったという事です。
これでまた、歴史の嘘が露見しましたね。我々が教わった事のほとんどが作り話なんでしょうね。
'Nazi Hideout' in Argentina Discovered by Archaeologists
考古学者によって発見されたアルゼンチンの「ナチの隠れ家」
考古学者は、彼らがアルゼンチンのジャングルの真ん中に、ナチスの隠れ家であると確信できるものを発見したと語った。
ブエノスアイレスとラプラタ博物館の大学の6人の研究者がアルゼンチンとパラグアイの国境近くの北部Teyu Cuare公園で、隠れ家だと思われる遺跡を発見したとチームリーダー、ダニエルSchavelzon今日はABCニュースに語った。
第二次世界大戦中、ナチスはTeyu Cuareなどの砂漠、山やジャングルなどの入手困難な場所で秘密のプロジェクトを構築する隠れ家を持っていたのではないかとSchavelzonは語った。
敗北に備えてナチスの高官や将校のための避難所として機能する隠れ家であった、と彼は付け加えた。
15日間の遺跡発掘でチームは、第二次世界大戦のドイツから3つの建物、石の採石場とさまざまな人工遺跡を発見したと、Schavelzonは語った。
我々は1938年と1944年の間に鋳造されたドイツのコインには、ナチス ドイツのシンボルが刻まれ、ドイツ語の碑文が入っている。
またマイセンの磁器の破片を発見した、と彼は言った。「「これが間違いなくナチスによって作られた現場である事を証明するのは難しいが、我々はこの仮説をサポートするために、より多くの証を発掘に取り組んでいる。
Secret Nazi lair found deep in Argentine jungle
隠れ家と思われる場所は厚い蔓と苔で覆われていたと、Schavelzonは付けくわえた。
そこで発掘作業をする事は非常に困難であった」と彼は語った。「何もかも密林に覆われており、通り抜けるためにナイフと山刀を使う必要があった。
Schavelzonは今までに、このような隠れ家にナチスが住んでいるなどと言う事を信じていなかったと述べた。
独裁者と言われたアルゼンチンの元大統領ファン・ペロンによって1946年から1955年に数千人のナチスが歓迎された。ペロン政権はクーデターによって倒されるが。1970年代に帰国して再び大統領に返り咲き、ナチスの残党を歓迎していた。
https://gma.yahoo.com/nazi-hideout-argentina-discovered-archaeologists-142743373--abc-news-travel.html
◆この話には続きがあります。
「第二次世界大戦を経て、どうやらナチスは崖の上、山中のジャングル、砂漠の真ん中など、落武者狩りができない場所に戦争責任者のための避難所を造る秘密のプロジェクトを持っていたのではないかと考古学者は語った。
しかしながらナチスがこのアジトを使用することは一度も無かったと研究者は信じている。
ヨーロッパで破滅を迎える頃、彼等はレーダーが使える都市や広大な草原パンパの牧場で快適な暮らしができるよう潤沢な黄金とお金を持ちだしていたのだ。
地元の人々は森の中の家は、ヒトラーの右腕マルティン•ボルマンのものであると信じているようだが、しかしダニエルSchavelzonはそれは都市伝説であるとブエノスアイレス大学が否定しているという。
1938年から1941年に作られたマイセン磁器やドイツ硬貨は、さらなる検査のために戻ってブエノスアイレスに送られている。
「しかしこのようなアクセスできない場所に隠れ家を建てるには莫大な費用がかかるであろうため、これらの構造物は、ナチスが潜伏する事を意図していること以外、他の説明はないように思われると、「Schavelzonは語った。
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2012年に、9000人及ぶナチス戦犯の秘密ファイルが初めて明らかにされ、第二次世界大戦後に南米に逃れたことが明らかになった。この情報を得た後、ドイツの検察は第三帝国の移民の本当の数を確認するため、ブラジルとチリの政府に秘密のファイルへのアクセスを要請し、これが認められた。
文書によると、推定9000人の戦犯、の逃走を支援したのはクロアチア人、ウクライナ人、ロシア人、そして他の西ヨーロッパ人が支援し、ナチスの殺人マシンは南米に脱出した。
多分最も多いのがアルゼンチンで約5000人がアルゼンチンに行っている。また、1500~2000人がブラジルに、そしてチリには500人から1000人が行き、残りはパラグアイとウルグアイに留まった。
これらの数字は、安全と思われる中東の右翼政権に逃げた数百名が含まれていない。
ナチスが南米に逃亡についての始めの推定数は5000人~300,000人という乱暴なものであった。
アドルフ•アイヒマンは、早ければ1952年にアルゼンチンでリカルドクレメントの偽名を使って潜伏した。彼は家族を養うために車の工場で働いていた。
ポーランドを占領中、ナチスの絶滅収容所で何百万人ものユダヤ人を運んだ列車運行を担当してい、アイヒマンは、第三帝国でのSSチーフ、ハインリヒ•ヒムラーの右手となる男だった。
アイヒマンは1962年にイスラエルで絞首刑にされた。
ヨーゼフ•メンゲレは、生きた赤ちゃんの解剖をしたり、囚人の目に色素を注入するなど強制収容所での彼の恐ろしい遺伝実験で知られるが、1979年に死ぬまであアルザンチンに潜伏していた。
チリに脱出した幾人かの中に、高位のSS将校、ヴァルター•ラウフがいる。彼は死のトラックを発明して、50万の囚人がアウシュヴィッツの致死ガス殺害に関わったが、 1950年に南米に到着している。 彼は刑務所で短い時間を過ごし、1984年にサンティアゴで死亡した。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-3007349/Hidden-depths-Argentine-jungle-secret-Nazi-bolthole-fleeing-war-criminals.html
◆ナチの高官たちが揃って南米に逃亡したという話は聞いていましたが、その中にヒットラー総統がいた事はあまり知られていません。公式には地下の総統室で愛人のエバ・ブラウンと拳銃銃殺したことになっていますが、本当は南米に逃げたのです。彼は南米か南極でヴリルという理想郷を創ろうとしていた事は周知です。
ヴリルとは地球内部に住む未知のエネルギーを使う民族のことで、ヒットラ―は彼等から絶大なパワーを得て超科学の力で世界を統一しようという野望に燃えていたのです。
◆ナチスドイツにはエイリアンが直接関与していたのは間違いないでしょう。
それはナチスドイツの時代に顕著になって、ナチスドイツの兵器は全てETのリバース・エンジニアリングであったと言われています。それは、当時ナチスが持っていた最新兵器を見れば一目瞭然です。
◆世界に例を見ないV2ロケットのような弾道ミサイルを創りだせたのもその御蔭です。このV2ロケットでロンドンは廃墟になっています。無重量装置で飛ぶハウニブーⅡという今で言うUFOも完成していたようで、これらの兵器を縦横無尽に使えばドイツが連合軍に負けることは無かったのでしょう。
◆しかし、ヒットラーはそれをしませんでした。欧州におけるユダヤ勢力とロマの民族浄化をあらかた終えた後は、ヒットラー・ユゲントによるヴリル・ヤ、即ち超人が支配する理想郷を創る事に興味が移っていたのではないかと推測されます。
◆これはナチスの幹部はヒムラーを始めほとんどがヴリル協会の会員で、オカルチストでした。ヴリル協会を設立したのはドイツの地政学者カール・ハウスホーファーでした。
彼はヒットラーの政治顧問を務め、地底世界シャンバラへの入り口を見つけるためにチベット探査を行わせ、超能力を持つチベット人を招聘しています。
◆またこのヴリル協会には数人のチャネラーの女たちがいて地球外生命体、或いはルシファーのような魔界の存在と交信して授けられた知識で、次々に最新兵器を創りだしたのです。
◆ナチスドイツの敗北は偽装であたのは間違いないようです。ヒットラーは自ら米国へ渡り、トルーマン大統領と終戦交渉をした形跡があります。
ドイツが降伏するのを条件にナチス一党が北米や南米に移住するという事で合意がなされたという事ではないでしょうか。これが、ペーパークリップ作戦と言われるもので、グレイタイプのETと共にフォン・ブラウンなど3000人を超える優秀な科学者達が米国に移動しています。
◆これで米国の軍事力は飛躍的に発展し世界最強の覇権国家となって行ったのです。後にアイゼンハワー大統領が軍産複合体に気をつけるべきだと云っていますが、これはネガテイブなETと貪欲な武器開発会社により米合衆国が乗っ取られてしまった事を意味しているのではないでしょうか。
◆ヒットラーはUボートで南極に行き地底に理想郷を創ろうとしていたそうですが、後にアルゼンチンに引っ越し、ジャングルの中にアジトを創ったのではないでしょうか。この度発見されたという隠れ家にはヒットラーの片腕と言う人物が住んでいたと現地の人たちが言っているのも都市伝説だとばかりは言い切れません。一時期ヒットラーもここに隠れていたのかもしれません。
◆しかしジャングルの中の暮らしは気温や湿度が高くじめじめしてとても快適とは言えません。それに毒蛇や害虫が沢山います。ドイツで暮らしてきた人たちには我慢が出来ない環境です。ヒットラーは自殺した事になっていますがその現場写真の顔はヒットラーにはまったく似ていません。オサマ ビン ラーディンの射殺死体同様、全くの別人でしょう。
噂によれば彼はヒットラーはハワイに住んでいたとか、米国内に潜んでいるという話もあります。また20年前まで生きていたという話もあります。いずれにせよ壮大でミステリアスな発掘でした。
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ナチの隠れ家、アルゼンチンで発見か? (03/26)
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