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2015年 宇宙人への旅立ち EP8 緑の攻撃

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深夜尿出しタイムに、煩悩くんフルスロットルさん最新、名無し先生難問解読シリーズ、途中、raptさんの記事、連想する神社関係の御魔吊りもありますが、参考になりますね。

2015年 宇宙人への旅立ち EP8 緑の攻撃
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2911.html
さてさて、今度はを洞察する番です。

何故、マグダラのマリアは緑色の下衣を着ているのか?

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ここが最大のポイントでしょう。

それにはマグダラのマリアについて、もっとよく知らねばなりませんね。

「最後の晩餐」では、イエスの左側に描かれる女性っぽい人物は「使徒ヨハネ」だと言われるのが一般的な説明ですが、これをどう見ても男には見えない。これをイエスとヨハネで形成するM字構図の中にマグダラのマリアの「M」を暗示させているというのが『ダヴィンチ・コード』での推測でしたね。

マリア03
(ダヴィンチ作「最後の晩餐」)

使徒ヨハネは「イエスの愛しておられた弟子」として『ヨハネによる福音書』のみに登場する使徒ですが、伝統的に使徒ヨハネは髭の無い女性的な少年の姿で描かれ、イエスの隣に置くことが通例となっています。

下の絵では溺愛ぶりが伝わってきます。

マリア04

イエスは衆道者では?と疑ってしまうぐらいです(爆)。

マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝の共観福音書には、しばしば重要な場面ではペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人がイエスに同行しており、使徒ヨハネは弟子たちの中で重要な人物であることが分かります。

また、他の絵では緑色の下衣と赤いマントを着て、前に聖杯が描かれている。このことからこの人物はイエスの子種を宿した者であることを暗示しており、これは間違いなくマグダラのマリアである。

マリア01

つまり、、、、

使徒ヨハネ=マグダラのマリア
※ヨハネ黙示録によると、十字架に架けられたイエスは傍らにいた弟子・ヨハネに母・マリアを託したため、ヨハネは母マリアとともに暮らしたという。その後、ヨハネはエフェソス方面の布教を担当(エフェソス会衆)したとされるが、東方教会の伝承ではマグダラのマリア、聖母マリアはエフェソスで暮らしたとある。間違いなく「使徒ヨハネ=マグダラのマリア」なのである。但し、正教会ではマグダラのマリアは亜使徒扱い。これは主流派だった派閥がエフェソス公会議で異端落胤を押され追い出されたことに絡んで、その後のバチカンとの教義摺り合わせによると睨む。いづれにしろ、原始キリスト教団に関する真実はより東方教会にあることだけは間違いない。

これが稀代のオルガナイザー・パウロ派(バチカン)が隠し通してきた最大の秘密。マグダラのマリアも使徒の一人であったということです。しかも使徒の中でイエスの最高の教えを継ぐ者であった。

マリアヨハネ
(祈りを捧げる使徒ヨハネ(19世紀) 緑の衣と赤いマントはマグダラのマリアを暗示)

イエス磔刑後、マグダラのマリアは地中海を渡り、フランスのマルセイユの近くサント・マリー・ド・ラ・メールに上陸。ここで分かれて福音の伝道に出かけたという伝承がある。これは「海の民」の手引きなしには不可能であったことでしょう。マグダラのマリアが「赤いマント」を羽織るのは「海の民=赤の民」の関与がったことの暗示かもしれませんね。

マグダラのマリア頭蓋骨
(バチカン公認のマグダラのマリアの頭蓋骨 祭日には黄金仮面を付けて御輿が練り歩く。ただ頭蓋骨が本物のマグダラのマリアなのかどうかは疑わしい。)

しかし、実際にはマガタ国出自(現インド)のマグダラのマリアが、当時はまだ未開の地であるフランスにまでわざわざ出向くとは考えられず、やはり東方教会の伝承通り、一旦、聖母マリアが住んでいたエフェソス(現トルコ)に戻り、かの地で亡くなったと考える方が無難だろう。

さてさて、緑色を「聖なる色」と看做す勢力はイスラム勢力ですが、中近東の荒涼とした土地で緑は植物などの生命、繁栄を表わすのシンボルとなっている。イスラム教を起こしたマホメット(ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ)のターバンの色が緑だったことからイスラム教では緑は神聖な色とされているらしいが、実はコーラン(シュラー18:31)には「天国に住んでいる者は上等な絹の緑色のガウンを羽織っている」 とある。

つまり、マグダラのマリアに緑を着せる理由は「異国の神々」に通じている者という扱いからであり、緑色には蔑称が含まれていると睨む。

このことから神殿巫女(神殿娼婦)ではなかったかというのがオイラの洞察。マグダラのマリアが香油を塗るという行為も、古代の儀式「ヒエロス・ガモス(聖なる結婚・聖婚)」であり、王=祭司と女王=女祭司とが性的な結合をすることで「王」として認知されるのと同じもの。古代メソポタミアの巫女は寄進を受けた者に神の活力を授けるために性交渉を行う風習(神殿売春)があったというが、マグダラのマリアはこの神殿巫女の系譜ではないかと睨んでいるわけです。
※ヒエロス・ガモス・・・創世神話において世界の創造をもたらした天の神と地母神の交わり、豊穣をもたらす男神と女神または神と人の結婚を模倣した祭儀。中世ヨーロッパにおいて修道女が「神の花嫁」と呼ばれ、男性原理優位で女性蔑視の敵愾心を持つカトリックの中で女性修道会が存在するのも、背後に「聖婚」思想が隠されているからです。

実は、この聖婚はかつて日本でも行われていた。それが巫女制ですね。卑弥呼のような大巫女と同衾することで男性は「王の君」となり、「王君」と呼ばれた。皇族は幼い頃には何故か女の子の格好をさせられますが、これは天皇制の本質は巫女制であり、その名残ではないかと睨む。

皇族衣装
(昭和の大御所・幸飲み屋)

その巫女(女王)を供給していたのが神祇を継承する尾張氏だった。メインは血胤継承となっているが、「中継ぎの巫女」というサブシステムも伴っていた。これは有る意味、「女系天皇」ですね。

この「中継ぎの巫女」が用いられたのは、用明天皇-崇峻天皇-高向王(聖徳太子モデル)-天武天皇へと続くカド族系(上宮)から欽明天皇-敏達天皇-舒明天皇-天智天皇へと続くエフライム族系(下宮)に皇位継承する際であった。「中継ぎの巫女」は一旦天皇(女性天皇)として立てられ、次帝候補者と同衾することで皇位継承が為されたわけです。その例が、高向王→舒明天皇への中継ぎとして機能したのが孝明天皇の娘である宝女王(佐富サトミ)であり、一旦、宝女王を皇極天皇として立て、その後、舒明が同衾して皇統が継承された。

その後も皇統本流である上宮の大海人皇子(後の天武天皇)の后である額田女王(佐富の姪)を取り上げた天智天皇は、額田女王を斉明天皇として即位させ、同衾して皇統継承を図った。しかし、それ以前にも皇位継承を焦っていた中大兄皇子(後の天智天皇)は実母の佐富と同衾し、孕ませた佐富を「乙巳の変」で上宮擁立の強力な推進者であった蘇我入鹿を図って一緒になって暗殺した百済王子である中臣鎌足(扶余豊璋)に下賜している。ここから生まれたのが不比等ですが、これらの所業が天智天皇に問題があるとされ即位が遅れた理由でもあった。
※天武、天智、不比等は異父同母の三兄弟。

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日本における金精様などの生殖器崇拝の起源も、農作物の豊穣祈願である。交接を伴う祭祀も多く見られ、各地の闇祭のほとんどが性交の儀礼を伴なっていた。筑波山にはカガイと称する性の解放祭があり、宇治には闇祭(別名:種もらい祭)という露骨な性の取引があったという。また白拍子や加賀女等の遊女が主役の祭りも多く、中山太郎は「巫女が日本における遊女、遊郭の起源である」と書いている。祇園八坂神社の「神輿迎え」、沖縄の尾類馬、遊女供養の下関の赤間宮の先帝祭などでは遊女が舞いを奏し、播磨の鎮守賀茂神の祭りや摂津の住吉大社では遊女が祭りの主役であり「この地こそ神功皇后の勅許以来日本最初の遊郭であった」と唱えられているという。ゆえに各地方の遊郭は神社を中心に発達した。伊勢の古市に遊郭が整備されたのは決して近年の話ではなく、「大昔から全国に渡り『夫婦連れての伊勢参宮したのでは御利益がない』という諺が行われている裏面には、道者は必ず古市で遊ばなければならぬように仕向けられていたのである」と述べている。
(Wikipediaより抜粋)

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伊勢神宮も神殿娼婦システムの横展開だった。
※神殿娼婦は南インドの風習「デーヴァダーシー」として現在でも残っている。思春期前・初潮がくる前の少女の中から「神に嫁がせる」として選ばれる。デーヴァダーシーは「ヨーギニー」とも呼ばれ、神(デーヴァ)の妻となるかわりに通常の結婚を禁じられるが、実際は上位カーストや土地の有力者の所有物にされ性の奴隷となることを強要されているという。1988年に法律で禁止されたが、現在もなお続けられている。政府調べでは風習の盛んなカルナータカ州など七つの州には二万五千人のデーヴァダーシーがいるという。この「ヨーギニー」が「ダーキニー」の起源ではないかと睨んでいる。

長々と述べたが、つまり、古代メソポタミアの神殿巫女同様のシステムを日本に持ち込んだ者がいたということ。これが「緑の始祖鳥」ではなかというのがオイラの睨みです。

エジプトから発掘されたグノーシス派のナグ・ハマディ文書は紀元4世紀頃に書かれたものですが、その中の「フィリポ福音書」にはこうある。

三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母マリヤと彼女の姉妹と彼の伴侶と呼ばれていたマグダレーネーであった。なぜなら、彼の姉妹と彼の母と彼の同伴者はそれぞれマリヤという名前だからである。」

イエスにはベタニア村に住む姉妹(女性信者の意味)であるマルタ(姉)とマリア(妹)がいた。後者がベタニアのマリア。ぺタニアのマリアとマグダラのマリアを同一人物として習合してしまったのは第64代ローマ教皇のグレゴリウス1世(591年)。パウロ以来の法統を引き継ぐバチカンにとって、イエスの正統継承者であるマグダラのマリアはどうしても隠蔽したい存在だった。

これは共観福音書が述べる三人であるペトロ、ヤコブ、ヨハネとは全く異なる内容であるが、この主に付き従う三人というのが皇統奉公衆が3トップとなっている理由だといわれている。だが、A鳥A雄氏は三位一体の大烏として「裏天皇」にまで格上げしてしまっている。北朝派(イエズス会派)の吹聴をそのまま信じ込んだ形となっている。

「主はマリヤをすべての弟子たちよりも愛し、しばしば彼女の口に接吻した。他の弟子たちは 主がマリヤを愛しているのを見て感情を害した。弟子たちは『あなたはなぜ、私たちすべてよりも彼女を愛されるのですか?』と尋ねた。救い主は『どうして私は、君たちを彼女のように愛せないのだろうか』と答えた。」

2人だけの世界

愛 あなたと二人

花 あなたと二人

恋 あなたと二人

夢 あなたと二人
※先頭文字が「あはれむ(憐れむ)」というアナグラムなっていたのを御存知でしたでしょうか?

二人のため~ 世界はあるの~♪
二人のため~ 世界はあるのぅ



(山瀬まみ似の○良○美の実家(巴○業)は、戦前からアメリカの世界的化学産業U.C.C.(ユニオンカーバイド)社と太いパイプで結ばれ、巴○業が開発した遠心分離機がマンハッタン原爆製造の最後のツメになっていて、それが米国に渡されるコトでリトル・ボーイが完成。米国から朝鮮経由でB29で日本に運ばれ地上起爆。この秘密を知るのが京都白足袋族(皇室・旧皇族・旧華族の日本のバチカン市国の京都府)だと榎本東洲は述べるが、ウラン濃縮可能な遠心力分離機が原子力の基礎技術であることは間違いなく、これが今話題となっている天○家が持つ原子力関連の基本特許なのであろうか? 3.11で被災しても尚、日本政府が原子力政策を維持するのもこの秘密故か? だとしたら実に日本人は憐れである。)

実は、マグダラのマリアはイエスのが愛人という考えは、南フランスでも同様の信仰があったという。これはカタリ派(アルビジョワ派)として知られているかつて異端認定された派閥ですが、十世紀ブルガリアを中心にバルカン半島で信仰されたキリスト教の一派ボゴミル派(マニ教的な善悪二元論と現世否定)同様のグノーシス思想を持ち、「現世は本質的に悪であり、汚れた肉体に囚われている霊魂を解放する唯一の手段が完璧な霊魂と神の智にいたる個人的な黙示であるグノーシスを得ることである」という世界観を持つ。性行為は否定され、菜食主義を貫くのがカタリ派の特徴。
※WW2は戦争を通じて技術革新を大幅に進めた原爆開発競争でもあったというが、この究極兵器は「汚れた肉体から霊魂を開放」する為にを開発させたともいえなくもない。これがカバール(サバタイ派マルキスト)が考える「人類補完計画」のシナリオなのか?

まぁ、パウロ派とマリア派のどちらが正統かということは、実は大した問題ではない。このことはエフェソス派とカタリ派も同様です。単なる宗教組織内の内輪もめに過ぎない。「海の民」がこの反目する2つの勢力に取り入って、裏で何かを画策していたことの方がより重要ですね。

実は、このグノーシスは仏教の仏知見(ぶっちけん)のこと。
※大まかには凡夫の目ではなく仏の目で世の中を見るという意味ですが、諸仏が世に出現する最も重大な目的(一大事因縁)を明かしたものとして、開仏知見・示仏知見・悟知見・入仏知見の4つを特に「四仏知見」という。

イエス属したエッセネ派は仏教の影響を受けたグループであり、エッセネ派が後にグノーシス派と呼ばれるようになったのです。そして、追い払われたグノーシス派はインドで仏教にキリスト教的エッセンスを入れ込み、大乗仏教を誕生させていった。哲学、修行法であった仏教が宗教に変わった瞬間でもあった。ただ、根幹が同じものなので習合化は意外と簡単だったのかもしれない。一方、北廻りで向かったものが、途中でマニ教となったり、そのまま中国に入って景教となった。

このカタリ派の高位伝承者には「マグダラのマリアがイエスの恋人」という事実が明かされており、カタリ派の人々は福音書のヨハネを尊敬し、洗礼者のヨハネを激しく嫌っていたという。「ヨハネ=マグダラのマリア」なので、カタリ派の思想は充分納得がいきますね。

ドミニコ派の大司教・デ・ウォラギネは1250年「黄金伝説」の本の中で彼女を「イルミナトリクス」-光を受ける被伝授者かつ・・光を与える伝授者―と書いているが、これはマグダラのマリアのみがイエスから秘法を授かっていることに起因する。

ナグ・ハマディ文書群の「マグダラのマリアによる福音書」には、、、、

ペトロがマグダラのマリアに対し、「救い主が他の女性たちにまさってあなたを愛したことを、私たちは知っています。」として、彼女が救い主から授かった秘伝を他の人々にも話すよう求める。マリアは幻の内に見た救い主の啓示について話す。アンデレ、ペトロはその内容を信じない。マリアは泣いて抗弁する。

とあり、マリアが何らかの秘法をイエスから授かっていることが分かる。その内容に触れたのが下記のものです。

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魂は第三の権威にうち勝ったとき、上の方に去って行った。そして第四の権威を見た。それは七つの姿をしていた。第一の姿は「闇」であり、第二のは「欲望」、第三のは「無知」、第四のは「死ぬほどの妬み」であり、第五のは「肉の王国」であり、第六のは「肉の愚かな知恵」であり、第七のは「怒っている人の知恵」である。これらが怒りのもとにある七つの権威なのである。

・・・・・(欠落)・・・・・・・・

彼らが魂に「人殺しよ、お前が来るのはどこからなのか。それとも場所にうち勝った者よ、お前が行こうとしているのはどこへなのか」と尋問すると、魂は答えて言った。

「私を支配するものは殺された。私を取り囲むものはうち負かされた。そして私の欲望は終りを遂げた。また無知は死んだ。世にあって、私が解き放たれたのは世からであり、また範型の内にあって私が解き放たれたのは天的な範型からであり、一時的な忘却の束縛からである。今から私が沈黙の内に獲ようとしているのは、時間の、時機の、そして永久の安息である。」

マリアは以上のことを言ったとき、黙り込んだ。

救い主が彼女と語ったのはここまでだったからである。・・・・・・・・・・

***********************************************

まったく意味不明な内容ですが(爆)、何となくカバラの「生命の木」のダアトを通過する際の魂のことを述べているような感じがします。あくまで感じです(笑)。後半で「私を支配するものは殺された」「無知は死んだ」とあるように、「自我の終焉」と「仏知見」を得る時のことを述べているのかもしれません。

この秘儀を行ったマグダラのマリアは神と等しいもの(神人)となったという話があり、これがタロットカードの大アルカナ「世界」の中に描かれる女性ではないかという説もある。被昇天伝説は聖母マリアだけでなく、マグダラのマリアにもあり、スッポンポンの裸婦を描くとしたらマグダラのマリアしかいない。

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(大アルカナ「世界」)

マグダラマリア02
(昇天するマグダラのマリア)

そして西方教会(カトリック教会、聖公会)でのマグダラのマリア記念日(聖名祝日)は7月22日。大魔神コード「22」に関係しているのです。

この「イルミナトリクス」が東洋のイルミナティの発祥だと睨んでいますが、これは近年発祥したアダム・ヴァイスハオプトによって起こされ、閉鎖によってメーソンを乗っ取ったバーバリアン・イルミナティとは異なるものです。

東ローマからエフェソス公会議で異端とされ離脱したアナタシウス派は中東ペルシャ、インドに逃れ、景教として生き残っていったが、その景教も仏教の中に潜り込み、日本へ入って行ったと見ている。最初がカド族が渡来時に持ち込んだ波斯教。2度目が秦河勝が奉じた景教。3度目が中国で密教を学び大日如来を奉じる天台と真言の密教ですね。もう一つの流れはマルセイユに到達して布教されたカタリ派ですが、ことらはエジプトからの枝分かれと見る。というのも黒い聖母像(イシスの地母神像)を崇めているからです。これが後のテンプル騎士団の思想面に影響を与えていった。

とにかく、マグダラのマリア信仰の本流は日本に流入してきたわけです。

もう感のいい方は分かったでしょう(ふふふふ)。

マグダラのマリア=摩多羅(マダラ)神

マダラとはマグダラから来ているのです。太秦の牛祭りで牛に乗った姿で登場する摩多羅神は「後戸の神」として知られていますが、これは「牛を屠るミトラ」と同じく、次に来る救世主という意味。それはイエスの次に神として昇天したマグダラのマリアを指しているのですね。また大魔神コード「22」との関連からも聖名日の7月22日はビンゴなのです。
※東方教会(正教会)では8月4日が携香女・亜使徒として記憶されるが、修正ユリウス暦を使用する正教会では西方と同じく7月22日なのです。

そして、マグダラのマリアは神殿巫女(神殿娼婦)=ダーキニーであり、毎月「22」日が縁日の豊川ダキニ天とも関係してくる。ダキニ天・聖天・弁財天が一体となった三面摩多羅神が稲荷神の本地というのにも繋がってきますね。和合仏として有名なのが聖天様、裸で昇天したマグダラのマリアと裸弁天の弁財天様、神殿娼婦のダキニ天...全てはマグダラのマリアへと繋がる。

また、摩多羅神が天女(空行母)を表す北斗七星の頭巾を被っているのも、チベット仏教でダーキニーが「空行母」として崇められるようになったのも、実に、このマグダラのマリアの被昇天の事跡から来ているのです。

思わぬところで、大きな収穫を得ました(ふふふふ)。

だが、この太秦の「マグダラのマリア信仰」が真に意味することは、、、

太秦は東ローマ帝国の主教座であるということが導かれる。だからこそ、ローマの漢語訳「大秦」と似た「太秦」という地名にされたと睨む。

(つづく)


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