まだちょっとチェックしてないですが。名無し先生難問、解答シリーズ、続きですか。
2015年 宇宙人への旅立ち EP9 緑の再攻撃
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今回も引き続き、「緑」に関する洞察の続きになります。
さてさて、マグダラのマリアの下衣が緑色であるもう1つの可能性は緑龍会絡みでしょうか。つまり、緑龍会が「緑」を付けるのと同様な理由がマグダラのマリアにもあるということ。
これには緑龍会の起源を探る必要がありますね。
今までの洞察結果や情報からは、緑龍会(緑のカラス)はアジア全域を分断統治する客家(ペリシテ人)が主体勢力であり、これが本来のシルクロード商人。
先のアトランティス末裔と思われる「海の民」はサルディーニャ島...等の地中海に根付いた勢力であるが、ここから陸に上がりアジア方面に分岐していった勢力もある。これがペリシテ人や北&南王国の民ですね。しかし、この「海の民」は元々はバルト海に居たといい、この大元の勢力が北極圏を横断しカムチャッカを経由して日本に到達。これが天神系。今は443代目でバルト海で3000年、日本で7000年を経過し、日本の東北に居住し、十三湊から中国、ロシアの黒曜石を輸入して武器流通を一手に握って国内交易をしていたという。仙台に都を置き、1万年を越える王朝を自負しているという。
大元様や大元奉公衆の名の「大元」は、ここから来ているのだろうと睨む。
(まだ北極圏が暖かい頃の移動予想図)
まさに東北に封印されたウシトラノコンジンですね(笑)。客家末裔の九鬼氏が九鬼文書の中で祖を慕ったのが、このウシトラノコンジンで天神系の大元様のことかもしれません。
一般に海の民はデーン人だとされていますが、デーン人はデンマーク東部に居たノルマン人で基本的に金髪・碧眼の白人種。
で、デーンマークの国旗はというと、、、、、
(テンマーク国旗)
もろにマルタ騎士団、スイスと同じ赤地に白十字ですね。完全に「海の民」勢力です(爆)。
遥か昔、古代デーン人が3次に渡る大航海をして枝分かれして混血していったと考えられるのが、サーミ人、スラヴ人(ロシア系)、アイヌ、モン族(ミャオ族の支流)、大月氏や第二波、スキタイ人、サカ人、ヌビア人、モンゴル人ですが、これらの中で碧眼・金髪の者が多くいるが、これはデーン人の遺伝子によると云われる。
デーン人は別名ノース人とも呼ばれるが、バイキングの祖でもある。
そして、これがバイキングの有名ないでたち。
2本の角のある姿、、、、
まさに蚩尤ですね。蚩尤は牛頭天王とも兵主神とも云われています。
蚩尤を祖とするのが、中国の少数民族「苗(ミャオ)族」。ここから分かれていったのが、東南アジアに古くから居住する浅黒い肌にギョロリとした目をした「モン族」ですね。
古代デーン人は石器時代、神官として現生人類を支配、現生人類の職人に丸木舟を作らせ、太平洋の人々が現在でも使っているようなアウトリガーカヌーを製作させ、海岸伝いに大陸を行き来したと考えられる。これら少数民族はデーン人との混血であるといえる。
海の民はブリテン島から出撃し、ヒッタイト帝国・ミケーネ文明を滅ぼしたのが地中海ルートを取った勢力。これとは別にアフリカルートをとった勢力がいた。彼らはランカー島に拠点を築き、インド南部に勢力圏を築き、日本にも到達。ランカーからガンジス河を遡ってマガダ王国を建国。ここはマグダラのマリアの出身地ですね。
このデーン人の特色はそのままネアンデルタール人の特色と奇しくも一致する。
■ネアンデルタール人
基本的に碧眼・金髪の白人、彫りが深い →デーン人
■クロマニョン人
基本的に黒目・黒髪の肌は黒~褐色~白、彫りが深くない →現生人類
【ネアンデルタール人の特徴】
1)頭脳容量が1700ccと大きい(人類は1350cc)
2)後頭部の覆いが未発達(脳容量が限界なく肥大化の要因)
3)咽喉が下がっていない為、言葉を喋れない
4)肋骨は下にいくほど広い
5)胸式呼吸が出来ない為、遊泳が出来ない(潜り専門)
6)潜水の都度、脳の充血を繰り返す為、脳の発達が人類よりも遅れた
7)水圧で丸みを帯びた頭蓋骨と鼻孔保護のために鼻が長い
8)塩分を意図的に摂取しない為、持久力がない。行動半径が小さい。
9)犬歯が無い
10)腕が長い(下腿部の中間付近まである)
ここまで差異があると別種の生物となりますが、現世人類とある部位のDNA情報が共通である為、現在では人類とネアンデルタール人は交配できると考えられるようになり、実際にネアンデルタール人の遺伝子情報が人類に残っているという。それが金髪・碧眼のコーカソイド。
碧眼・金髪の白人(コーカソイド)が生まれたのは、クロマニョン人(新人)とネアンデルタール人(旧人)との混血からだというわけである。特に東アジアや欧州の人でこの度合いが高いことから、ヤペテ>セム>ハムの順にネンデルタール人の血が濃いということになる。何となく納得してしまう説ではある(笑)。
ネアンデルタール人との交配種である古代デーン人は、潜水が得意であることから「海の民」となったのであろうか。ただ現世人類の方が器用である為、淘汰されるのを怖れた彼らは、放牧の経験から「分割支配」と「リーダー排除」で獣を家畜化して管理できることを学び、更に人類を精神的に支配する為に「超自然的なものに対する現世人類の畏怖心」を利用して神という概念を作り、祀る宗教を考案した。
これが洞窟、樹木、蛇、牡牛、精霊、山岳、 地母神、巨石、月、星、太陽...等の様々な自然物への信仰であり、この信仰を元に彼らはドルイド神官団を作って各地を布教していった。そして宗教支配した地ではことごとく過去の歴史を消し、書き換えていったとあるサイトに書かれていた。確かに頷ける話ではある。
(ネアンデルタール人のドルイド神官)
で、その宗教支配を全世界に広めるために大航海を始めたのだろうか?
その最初に出発したのが日本に到達しアイヌとなっている。
※今回は今まで述べていたアイヌ=エドム人説はスルー(凍結)しています。
(アイヌはヤペテ【白人】系)
シュメール神話では、月からの監視団グリゴリ(あるいはイギギ)であるアヌンナキが、人類の女に欲情して女を強奪し「ヒマラヤ杉の場所」(今のウクライナあたり)で交配して生まれたのがコーカソイドであるという話がありますが、この宇宙人(ニビル人)の話自体がドルイド神官団の巧みな創作話かもしれませんねぇ~。
デヴィッド・アイクの爬虫類人(レプティリアン)の部分を「デーン人」に置き替えて読むと真実に肉迫することができるという話をネットで見かけたが、多分、そうなのかもしれない(笑)。
この古代デーン人が地中海ルートを取り暴れまわったが、彼ら拠点としたのがサルディーニア島やクレタ島やマルタ島だった。マルタ島崩落の際には、お得意の創作話で大西洋上の大陸「アトランティイス」の話にしてしまい、大風呂敷を引いたのだとも考えられる(ふふふふ)。
彼ら地中海ルート派の枝分かれにペリシテ人やザラトシュトラ(ノア)がおり、ノアから数世代経ってイサクの子としてエサウ(エドム人の祖)とヤコブ(イスラエル人の祖)が生まれた。ハム優勢の地にあってこのヤコブ子孫のダビデがペリシテ人を破って支配者層となり、ここに古代イスラエルが誕生。これが後に北イスラエルと南ユダに分裂した。
更に、紀元前722年、北王国の陥落を経てアッシリアから開放された北イスラエル族はスキタイと合流し東へ移動して中国北方の扶余国~加羅国に導びかれ、更に日本に渡来した。もう一方の海に向かった勢力はフェニキア人と合流し、スペイン、ポルトガルに上陸し、そこから東欧に移り、更にハザールに移動して、そこで南ユダ族発案の「ユダヤ教」に一斉改宗してアシュケナジー・ユダヤとなっている。
つまり、ネットで偽ユダヤと呼ばれているハザール人は実は本物のイスラエル人(ヤペテ系)であり、彼らは同祖の北朝(地祇系)と連携して動いているわけです。これが、かつて皇道派=北朝が進めていた「ふぐ計画」であり、現在の「ネオ満州国」と結び付いていくわけです。
※本義的には「ユダヤ人=ユダ族」であり、北イスラエル族はユダ族ではないので、彼ら北イスラエル出自のハザール人を「偽ユダヤ」と呼ぶ称号は実に相応しいのだが、、、
北朝派はイスラエルと同派閥でツーカーなのです。
また、奈良橿原市の古墳で発見されたローマン・グラスがそうであるように、エドム人&南ユダ海洋族はタルシン船で日本まで交易にたびたびやってきており、紀元前586年、南ユダ国の神殿破壊とバビロン捕囚を経た後、紀元44年、ローマ帝国属州となったの機に脱出して、各地を転々と移動し、5世紀頃、日本へ移住に来ている。これが平氏で南朝。
緑の始祖鳥が日本列島に北イスラエル族や南ユダ族、イエズス会やメーソン...等の反目する勢力をわざわざ誘導するのも、わざと争いを起こす為であり、これは相場用語でいうところのボラティリティを高めることと同じ。争いは最後には必ず収束するので、「強い方を買い、弱い方を売り」にすれば、ほとんどリスクなしに利益が得られる。利益は乖離幅で確定するが、両者の乖離が大きい程利益は大きい。このボラティリティが彼らのビジネスチャンスを生むのです。だから、常にどこかに火種を振りまく必要がある。
※ボラティリティ・・・変動の激しさを表すパラメータ
北王国のイスラエル十支族がアッシリア捕囚から開放され、逃げていった地が中東のアフガン、タジク方面ですが、ここで騎馬民族と合流し、3ルートあるシルクロードのうちステップルートを通って中国北方に到達。ここに扶余国を作っているが、彼らを案内していったのがシルクロード商人の客家(ペリシテ人)であろう。
この扶余国から半島経由で出雲に上陸したが、スサノオですが、このスサノオの子・イソタケルが熊野に下って樹木を植えている。これが木の国(紀の国)の名の由来。
この>植樹行為自体、樹木信仰の表れであるが、それは荒廃とした砂漠地帯に出自あった為、イスラム教徒と同じく緑に対する憧れがあったからだろうか? そして、この憧れは同様の荒廃した地にいたペリシテ人(ソグド人、月氏、後の客家)にもいえるのではないか?
シルクロードの中央アジアを通るルートにはオアシスがありますが、これは人工灌漑施設であり、山脈から下る伏流水を地下トンネルで集めて、ところどころに湧出させたもの。この人工施設を構築・整備したのがペリシテ人(ソグド人、月氏)ですが、元々はエジプトで発達した灌漑施設技術の横展開だった。このインフラ設備をペリシテ人が構築したからこそ、シルクロードが通商路として機能し、東西の物資と人が交流画可能となったわけです。
「海の民」末裔であった故か、ペリシテ人はパス(経路)に拘りを持つ特性がありそうです。
※この古くからの特性が通信網利権、電力利権...等の生活必需品の流通面を支配する動機。彼らが経路に拘るが故に、カバラ「生命の木」のパスの本数「22」を聖なる数字と看做しているのかもしれない。
(突如現れるオアシス)
実は、田んぼや畑に突如現れる神社もこのオアシスと同様なものかもしれません。
神社には鳥居が付き物ですが、中には朱色のものがある。
ただ朱色は全ての鳥居に施されているわけではなく、伊勢神宮などは逆に素の状態。日本最古の鳥居は石鳥居である。吉野の金峰山も銅の鳥居。朱色は稲荷系、山王系であり普遍的なものではなく、日本に稲荷社が一番多いのでそういう印象を持つに過ぎない。鳥居が赤いのは出エジプト時前夜の「殺戮の天使」からの災いを避ける為の印という話が日ユ同祖論から出ているが、そうであるならば赤く塗るのは個人の家の門でなければオカシイし、神社が「殺戮の天使」を怖れて塗っているのも変な話。完全にこじつけですね。
鳥居の色を何故、朱色に塗り始めたのか?
これは明らかに道教による影響です。陰陽五行説からは、赤色が生命の躍動を表し、邪悪を祓うことを期待して神殿などに多く使われた。その神殿に用いられた朱色がそのまま鳥居にも用いられただけのことです。
ただし、道教は濃い赤色ですが、神社はより高価な「辰砂(しんしゃ)」を使った朱色(黄色の混じった明るい赤)にしたという感じでしょうか。
辰砂は別名・賢者の石よも呼ばれ、そこから得られる水銀を使い、水銀アマルガム法で仏像に金メッキを施すことにも使われた。この蒸発した水銀が都に充満し病がたびたび起こり平城京からの遷都を余儀なくされたという説もある。
この水銀を不老不死の薬として用いていたのが徐福ら方士の道教ですね。道教では水銀朱の混ざった水を飲むことで若さが保たれると考えられていた。水銀中毒で亡くなった始皇帝は、自ら墳墓である始皇帝稜の地下神殿に水銀で満たされた海があるとの噂。このことから紀元前2世紀には既に水銀を作り出す技術が大陸にはあったということ。
さあ、そろそろ結論を書かねばなるまい。
この地中海ルートを経てきたペリシテ人は陸地に上がり東方面に向かって中央アジアルートやステップルートを進んだが、これが海の民の「ランド勢力」となった。緑(オアシス)への憧憬から「緑」をシンボルとしたのだろう。これが客家=ペリシテ人=緑龍会の「緑」の成り立ち。
一方、海洋族はそのままシー勢力であり、彼らは赤を旗印としていたのではないだろうか。平家が赤旗なのもこれ故であり、蚩尤が赤旗なのも同じ理由だろう。
※アフリカルートを回って来た勢力はマガタ国で南下してきた緑の勢力と合流したことから、緑と赤はマガタ国を表し、即ち、マガタ国出身のマグダラのマリアを示す配色となったのだろう。あくまでオイラの推測ですw
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2015年 宇宙人への旅立ち EP9 緑の再攻撃
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