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陰陽師の謎 23 蓬莱山と富士と霊能力 

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イッピーさんの陰陽師シリーズもやっときますかね。

陰陽師の謎 23 蓬莱山と富士と霊能力 
http://ameblo.jp/yippee-happy/entry-12015327550.html
霊峰富士・・・グッド!

秦の始皇帝は不死を求めていました。

徐福はこれに応え蓬莱山にあるという不老不死の果物を探すために戻ることのないはるかな旅に出ます。


モーゼがユダヤの民を引き連れて戻ることのない旅に出たように。


この徐福の物語には謎かけを感じます。


蓬莱山とはどこにある山なのか。


はたしてそれは山なのか。


あるいはまったく別物なのか長い間議論の対象でした。


さて・・・


徐福は迷うことなく日本を目指しています。


数千人の高貴な子供たちと技能集団を連れて。


前の章でご説明したように徐福は日本中を調べています。


そして富士山を日本のエネルギーの中心と定めました。


定めたというよりはおそらくそのエネルギーの巨大な力をすぐに見抜いたのだと思うのです。


それこそが始皇帝の求めていた「不老不死」の果物であり薬でありエネルギーでした。富士山の名前にそれを見たのです。


「富士」とは「不死」でありつまりこれこそが蓬莱山だったのです。


徐福が初めから日本を目指していたとするもう一つの根拠です。


さて話は変わりますが・・・


古代の為政者はなぜ皆霊能者だったのでしょうか。


古代人の松果体は現代人よりも2倍ほど大きかったという調査結果があるそうです。松果体とはヒトのスピリチュアルな活動をつかさどる脳の中枢部位です。通常小指の先程度の大きさの器官です。


松ぼっくりのかたちをしているところからこの名前がついています。


実は松果体が発達しているとそれほど食べ物を必要としないといわれています。古代には現代ほど食料が豊富にありませんでした。


その分松果体が現代人より大きかったのかもしれません。


同時に古代人は今よりもスピリチュアルだった理由がその不自由な食料事情にあったのかもしれません。


最近注目されているサン・ゲージング(太陽凝視法)と呼ばれるスピリチュアルな修行法があります。インドのヒラ・ラタン・マネク氏やウクライナのニコライ・ドルゴルキーさんという方がこれを提唱しており世界中に広がりつつあります。


ヨーロッパでは2万人ほどのブリザリアンと呼ばれる人たちが一切食べ物を捕らないで呼吸法だけで生きることに挑戦しているといわれていますがこれとは別です。サン・ゲージングとは朝夕の

日の出日没の30分程度の間紫外線が少ない時間帯に裸足で太陽を裸眼で凝視するだけで脳を活性化するという修行法です。


ほかにも網膜を痛めないために細かいアドバイスが定められていますので単純な太陽凝視は危険かもしれません。結果食べ物を以前より必要としなくなったと言う人が徐々に現れているそうです。


しかしこのサン・ゲージングの顕著な効果は松果体が、大きくなるかどうかは別として、活性化することにみられるといいます。


植物は太陽の光を光合成に利用しています。


その植物を人間や動物が摂取します。この動植物を食べるという中間を省いて直接人間が太陽のエネルギーを摂取しようという考えだそうです。松果体が活性化すると脳内にごく少量分泌されるメラトニンがより多く分泌されることになるといいます。


そう言えば弘法大師が若いころ悟りを開いたのは、四国の足摺岬の突端の洞窟で、毎日太陽を凝視しながら瞑想をしている時に突然太陽が第3の目に飛び込んできた時に起きたと伝えられています。


現代の時代でも知人に起きた不思議な話があります。


その男性は末期がんでした。ある時抗がん剤の治療が何の効果もなく死期が近づいていることを知ります。彼は抗がん剤治療をやめる決意をします。それまでは企業戦士でした。家族を顧みず会社のために毎日ものすごい形相で頑張っていたと言っていました。


しかし死を迎えるという運命を知った時にすべてを手放しました。


その病院の屋上で椅子に座りながら朝日を見る瞑想をしていました。


ある朝太陽が自分の胸に飛び込んできたという感覚になったそうです。


何故か分からないが涙があふれて止まらなかったと言っていました。


その時を境にして彼のがんは快方に向かいました。


今ではすっかり治ってしまいました。再発もまったくありません。


その後スピ全開になり彼はスコットランドのフィンドホーンの理事をしています。


古代人の太陽信仰とは実はこのことかもしれないと思うのです。


太陽がすべての命の源であるという観念的な事象もさることながらより直接的に人に影響を及ぼしたからこそ人は太陽にその不思議な力を見たと思うのです。


山岳信仰も山に登って雲の上から太陽とじっと対峙することにその深い意味があるのかもしれないと思うのです。


暗い夜明けに初めて上る太陽は言い知れぬ感動を与えます。


それこそすべてが眠りから覚め、命が朝日とともに復活します。


富士山も5合目を超えると雲の上です。


太陽と結びつくと俄然その「不死」の意味がはっきりと浮かび上がるのかもしれません。


富士山は蓬莱山であり不死山だったと思うのです。


松果体の活性化した人間は病とは無縁の世界のようです。


世界中の古代文明が教える太陽信仰とはこのことかもしれません。


それがまた古代の人々を東へ東へと駆り立てた理由のような気がするのです。


やまとの国はのぼる朝日に一番近い国だから・・・


続きはまたね・・・グッド!

 

(富士山に登る夢を見てるボク・・・汗




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