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古代ケルトと古代エジプトと古代日本の幾多もの文化的共通点と、日本がドルイド教から誕生したという幾

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古代ケルトと古代エジプトと古代日本の幾多もの文化的共通点と、日本がドルイド教から誕生したという幾つもの証拠。
http://rapt-neo.com/?p=33437
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ここ数日、「古代ケルト」と「古代エジプト」と「古代日本」のつながりについてお話をしています。それらの記事が以下になります。
 
古代ケルトのドルメンも日本の神社も同じドルイド教の生け贄儀式の祭儀場でした。
 
日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。
 
RAPT×読者対談〈第41弾〉古代から現代まで世界を支配してきたのは古代ケルトのドルイド僧である。
 
「古代ケルト」の世界ではドルイド教が広く普及し、そのドルイド教の僧侶たちが民衆を支配していたのですが、このドルイド教の僧侶たちは紛れもない悪魔崇拝者であり、日常的に人々を生け贄として悪魔に捧げていたことが分かっています。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
島津家と毛利家が日本を支配していることの本当の意味。またはハロウィンが「国常立尊」を召喚するお祭りである可能性について。
 
で、このリンク記事を見てもお分かりになる通り、この悪魔教なる「ドルイド教」は我々現代人と何の関係もないわけではありません。むしろ、大いに関係があります。
 
なぜなら、現代の日本を支配しているのは、この「ドルイド教」の僧侶の末裔「島津家」と「毛利家」だからです。
 
しかしながら、「島津家」と「毛利家」はこの事実を隠蔽するために、これまで徹底的に歴史を改ざんし、我々庶民を煙に巻いてきました。
 
そのため、我々がどんなに日本史を学んでも全くのちんぷんかんぷん。
 
歴史の流れをはっきりと掴むことができず、誰も彼もがNHK大河ドラマなどを見て、これこそ歴史の真実であると勘違いしてしまうという有様でした。
 
しかし、この日本が古代から現代までドルイド教の僧侶によって支配されてきた、ということさえ分かってしまえば、日本史の全ての謎がスラスラと解けていきます。日本史が面白いぐらい理解できるようになります。
 
なので、今日はこの日本とドルイド教との関係について、また別の角度からお話したいと思います。
 
この日本で最も活躍したドルイド僧といえば、恐らく「秦氏」ではないかと思われますが、その「秦氏」の中でも特に日本の建国に大きく関わったのが「聖徳太子」です。
 
「聖徳太子」とは「秦河勝」のことであり、この「秦河勝」は見ての通り「秦氏」です。
 
「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
 
で、この「秦氏」と同じく、日本の建国に大きく関わったのが「蘇我氏」です。
 
蘇我馬子 – Wikipedia
 
で、この「蘇我氏」の中でも特に大きく栄えたのが「蘇我馬子」なのですが、この「蘇我馬子」は「飛鳥寺」を建立したことでも知られています。(最上の画像)
 
で、この「飛鳥寺」が実にクセモノなのです。
 
まず、この「飛鳥寺」から「聖方向(真北から20度西)」の角度に、「石舞台古墳」という古墳が作られています。(出典はこちら
 
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〈石舞台古墳〉

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〈石舞台古墳の入り口〉

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〈石舞台古墳内部の玄室〉

 
見ての通り、この古墳は古代ケルトの「ドルメン」と同じく、巨大な岩によって作られています。
 
しかも、その内部は古代ケルトの「ニューグレンジ」の内部とそっくりです。これが分からない方は、以下のリンクを御覧ください。
 
古代ケルトのドルメンも日本の神社も同じドルイド教の生け贄儀式の祭儀場でした。
 
日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。
 
念のために言っておくと、「聖方向」というのは真北から西に20度傾いた方角を示し、ゾロアスター教を国教としていた古代ペルシア、アケメネス朝でとても重視されていた方角です。(詳しくは以下のリンクをご覧ください。)
 
「神社」と「山」と「ピラミッド」と「空海」と「秦氏」と「ゾロアスター教」との切っても切れない関係。
 
で、実は当時のアケメネス朝ペルシャの首都・ペルセポリスもこの「聖方向」で建設されていました。(詳しくは以下のリンクをご覧ください。)
 
飛鳥寺と石舞台古墳と聖方位|旅行、美術館、書評
 
で、このゾロアスター教がドルイド教から派生した宗教であることは、これまで何度も書いてきましたね。(詳しくは以下のリンクをご覧ください。)
 
世界を密かに支配するドルイド教の歴史。ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながり。
 
なので、「蘇我氏」がこの「聖方向」にこの「石舞台古墳」を作ったということは、「蘇我氏」もまたドルイド教の僧侶だった可能性が高いということになります。
 
いいえ、これだけではありません。この「石舞台古墳」のすぐ傍には、「蘇我稲目」の墓とされている「都塚古墳」があるのですが、この古墳が紛れもない「ピラミッド」であることが分かったのです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
■明日香・都塚古墳で「階段状遺構」新たに発見、「ピラミッド」改めて裏付け…関西大など調査
 
8.09.57
 
蘇我稲目(いなめ)の墓の可能性が高く、階段ピラミッド状の巨大方墳とされる奈良県明日香村の都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半)で、新たに築造当初の階段状の墳丘のコーナー部分が見つかり1日、関西大と同村教委が発表した。
 
古墳が階段ピラミッド状の方墳であることが、改めて裏付けられたとしている。
 
都塚古墳は、昨年8月の発掘調査で墳頂部に近い墳丘東斜面から石積みの階段状遺構が4段分(長さ約6メートル)見つかり、築造当初は階段ピラミッド状の巨大方墳(東西41メートル、南北42メートル、高さ7メートル以上)だったことが分かった。
 
関西大などがその後、遺構が見つかった場所の南側を発掘したところ、築造当初の墳丘の南東コーナー部分の階段状遺構が3段分確認された。
 
関西大の米田文孝教授(考古学)は「階段状構造については疑問を持つ考えもあったが、少なくとも墳丘上部は階段状をしていたことが裏付けられた。高句麗の積石塚(つみいしづか)などの影響を受けた可能性もある」としている。
 
----------------(転載ここまで)
 
ちなみに、現在の「都塚古墳」はこんな形になっています。(出典はこちら
 
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〈都塚古墳の外観〉

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〈都塚古墳の内部〉

 
今さら説明するまでもないことだとは思いますが、これと同じような「階段ピラミッド」は古代エジプトでも作られていました。
 
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〈古代エジプト・ジェセル王の階段ピラミッド〉

 
つまり、日本の「古墳」は紛れもない「ピラミッド」そのものだったというわけです。この事実がアカデミズムの世界でも認定されつつあるというわけです。(といっても、この事実はいずれ帳消しにされるかもしれませんが。)
 
そもそも、先日も書きました通り、日本の地底遺跡「トンカラリン」の内部と、古代エジプトの「ピラミッド」の内部はほとんど同じ構造。
 
しかも「トンカラリン」の入り口と、古代ケルトの「墳墓」の入り口も見た目がまったく同じ。
 
なので、「古墳」も「ピラミッド」も同じ目的で作られたことは間違いありません。
 
では、その目的が何なのかというと、生け贄儀式を行うことです。実は「ピラミッド」も「古墳」も、生け贄儀式を行うための祭儀場だったのです。
 
さらに言うなら、このような「階段ピラミッド」は、日本の沖縄にも作られていたことが分かっています。詳しくは以下の動画をご覧ください。
 

 
あと、岡山県にも小型の「階段ピラミッド」があります。その名も「熊山遺跡」といいます。
 
熊山遺跡 – Wikipedia
 
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〈岡山県・熊山遺跡〉

 
あと、奈良県にはもうひとつ、こんな「階段ピラミッド」が存在します。その名も「奈良の頭塔」といいます。
 
頭塔 – Wikipedia
 
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「都塚古墳」は飛鳥時代に作られ、「熊山遺跡」と「奈良の頭塔」は奈良時代に作られたとのこと。
 
この時代、日本はエジプトとの交易はなかったはずですが、それなのになぜ「古代エジプト」と同じ形をしたピラミッドが日本各地で作られているのでしょう。(そもそも、こんなピラミッドの存在自体、ひた隠しにされているような……。)
 
しかも、沖縄の海底にある「階段ピラミッド」に至っては、海の底に沈んでいるわけですから、有史以前に建てられた可能性が高いということになります。
 
というか、そうとしか考えられません。有史より後に、沖縄が海の底に沈んだという記録はどこにもないのですから。
 
しかも、この沖縄のピラミッドの遺跡には、よく見ると、どこかで見覚えのある「渦巻き」マークが描かれています。
 


 
そうです。古代ケルトの「ニューグレンジ」にもこの「渦巻き」が描かれていましたね。
 
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〈ニューグレンジの内部の石室〉

 
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〈ニューグレンジの入り口〉

 
しかも、この渦巻き模様、実は日本の「古墳」にも同じように見られるものなのです。(出典はこちら
 
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〈清戸迫横穴の壁画〉

 
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〈同上〉

 
清戸迫横穴 – Wikipedia
 
このウィキペディアの記事を見れば分かる通り、「清戸迫横穴」も古墳時代に作られた古墳の一つです。
 
また、同じような「渦巻き」マークは、「縄文式土器(縄文時代)」や「銅鐸(弥生時代)」にも見られます。
 
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〈山梨県花鳥山遺跡出土の深鉢・出典はこちら

 
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〈国宝・桜ケ丘5号銅鐸・出典はこちら

 
縄文時代と弥生時代にも、日本人が「古代ケルト」の「渦巻きマーク」を使っていた……。
 
ということは、日本人は縄文時代からすでに「古代ケルト」と何らかの関係を持っていたということになります。
 
もっとも、歴史学者たちはこんなことは絶対に認めないでしょう。全てを単なる偶然として片付けるに違いありません。
 
それにしても、この「渦巻き」マークは一体何を意味しているのか。なぜ古代のケルト人や日本人はこんなマークを使ったのか。
 
結論から言うと、このマークは「とぐろを巻いた蛇」を意味しています。
 
というのも、古代エジプトには「メヘン」という盤ゲームがあったのですが、このゲーム盤が「とぐろを巻いた蛇」のデザインになっているのです。
 
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〈メヘン・出典はこちら

 
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ちなみに、古代エジプトではこんな遺物も発見されています。
 
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で、「蛇」といえば「悪魔」。「悪魔」といえば「ドルイド教」。
 
恐らくドルイド僧たちは、古代エジプトよりも遥か遠い昔から、こんな盤ゲームをして楽しんでいたのでしょう。
 
ということで、今日もまた「古代日本」とドルイド教との新たなつながりが幾つも見えてきました。
 
これでも、まだ「古代日本」と「ドルイド教」には何の関係もないという人がいたら、その人はまさに完全な盲人としか言いようがありませんね。
 


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