早朝尿出しタイムに定番巡回サイトチェックしとります。
猪瀬氏炎上御魔吊り騒ぎは、青い貴族と赤い盾の、決着まで、逝きますね。。Φ(´゜π゜`)φ
福島の生々しい声。~無関心は身を滅ぼすことにやっと気がついた!
http://www.k2o.co.jp/blog2/2013/11/post-1035.php
その2) 特定秘密保護法案が、なぜ、10月後半から急に議題になってきたのか、
私なりに、その理由が、分かりました。
今、これまでの日米パワーエリートに、日本とアメリカのそれぞれ内部で、新たな対立が生まれています。
2年前から、アメリカのハリウッド映画では、CIAの内部対立や、イスラエルに対し、その延命をめぐって、各国の諜報員が闇の資金を受け取り、その処分をめぐる抗争がテーマになるものが出ていたのですが、
これらが、本当の現実の暴露だったのであり、 さらに、
2013年の日本の夏に進んでいたのは、東京オリンピック誘致騒動で隠されていたのですが、
戦争屋の手下になっていたCIAと、 あたらな平和建設勢力になるCIA の 対立 の始まりでした。
さて、今の安倍政権は、果たしてどちら側なのか?
CIAの協力者(飼い犬)は、敗戦後の日本には、たくさんいましたが。
今年の9月から、CIAは日本要員を増やしていますが、彼らは、何を調べているのか、ということです。
新たに「天皇陛下のスパイ」になったものたちが、今、日本の官僚を調べ出した?
右翼を使って1億円要求した都知事w
http://blog.shadowcity.jp/my/2013/11/post-4028.html
猪瀬都知事がから受け取った5000万円の出所がヤバい 美千代容疑者が急遽虎雄氏の裏金から捻出か
東京都の猪瀬直樹知事(67)が昨年11月、徳田毅衆院議員(42)から現金5千万円を受け取っていた問題
習近平国家主席、李克強首相ら「チャイナ・セブン」は「体制崩壊の危機」、「外患」を演出し馬脚を現した
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/5a4e8c4647cb57e546f064129381c116
★ところが、こうした自作自演の「反日デモ、暴動」演出も、何度も繰り返していると、いかに愚民といえども北京政府に操られていることを気づかないはずはない。ついに「カラクリ」がバレバレになり、「その手は食わぬ」という人民が増えてきた。その挙句の果てが、「爆弾テロ事件」の発生である。
◆放っておくと、中国共産党1党独裁の北京政府が、維持できなくなる。中国はすでに「デモ→暴動→北京派・上海派の派閥闘争激化→内乱→人民解放軍軍区の内戦(核戦争含む)→体制崩壊→中国4分裂」の方向に向かって、驀進しているといわれており、習近平国家主席、李克強首相ら「チャイナ・セブン」の最高指導部は、必死で国内を引き締めようとしている。マスメディアに対する報道規制、治安維持の強化などをなりふり構わず行っているのだ。
しかし、「内憂」に対して、引き締めを強めるだけでは足らず、人民の目と意識を「外」に向けさせて、「内憂」を忘れさせようとしている。それが、日米同盟をターゲットにした「防空識別圏の設定」である。いかにも日本が「右傾化し、軍国主義化」して危険な国になりつつあるかという日本を敵視する「妄説」を作り上げて、新たな「反日意識」を高揚させようとしている。
これは当然、日本の同盟国である米国をも敵視することになり、「一触即発」の危機を演出していることになる。ホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)が声明を発表、ケリー国務長官、ヘーゲル国防長官もそれぞれ中国を批判する声明を出したという。日本経済新聞が報じている。
「中東からの足抜け」を進めているオバマ大統領の指令で、イランと欧米など関係6か国協議が交渉合意した
http://ameblo.jp/calseed/entry-11708962352.html
★明治維新の主要な立役者は、西郷隆盛を除き、ほとんどが阿修羅幹部によってすり替えられ、その結果、日本は間違った方向へ導かれたのです。
すり替えられたのは、明治天皇、三条実実、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、大熊重信、伊藤博文などです。
西郷隆盛もすり替えられそうになったのですが、何とか逃れ、最後まで抵抗したのです。それが西南戦争に繋がったのです。ちなみに、西郷隆盛の有名な写真や、銅像は偽物阿修羅の顔です。
★木下藤五郎は、足軽の息子として偽信長の一兵卒となり、そこからだんだん出世していきます。さすがに、本家信長だけのことはあり、武将の資質が備わっていたからです。
そして、偽信長を倒すべく、滝川一益や明智光秀と裏で通じていたはずです。
しかし、時に強い憑依に悩まされ、情緒不安定な状況にあったのも間違いないでしょう。
それを乗り越え、偽信長が家康の部下に暗殺された際に、正気に戻り、天下統一へ走りだすのです。
天下統一後は、増上慢家康の策略もあり、朝鮮出兵というまずい政策を実行し、その結果痛手を蒙り、政権が不安定になっていきます。
さらに、増上慢家康の手引きによって、秀吉は少しずつ食事に毒を盛られていき、病死のようにして1598年に没します。
これに乗じて、すかさず天下取りに動いたのが、増上慢徳川家康だったということなのです。戦国時代の天下統一、三英傑の史実は現在伝えられている歴史とは全く異なるのです。
前掲の三英傑のうち、豊臣秀吉だけが天津神の魂の流れなのです。残り二人は阿修羅だったのです。