高度自給自足時代の夜明け 【先進国の未来像】 さん最新の、名無し先生情報、カラス、柳生一族、客家、参考になりますね。
資料、引用も膨大なんで、一部抜粋ですが。。Φ(^π^;)φ
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-231.html
★こんにちは、今回は名無し先生も頻繁にお会いし、お話をされるカラスのみなさまについてです。
最近、名無し先生は中国で進められている計画に度々触れておられます。
それが何を意味するのかというと、自分のつたないブログでも何か出来るのではないか?と思って来た次第であります。
おかげさまでアクセスカウンターは10万を越え、ランキングは10位あたりを維持しています。
読者の皆様には感謝いたします。
これを止める為に先生は私に教えていただいているのだという事を感じます。
何故、私なのかはさっぱりわかりませんが・・・
では本題。
さて、何故、日本人はこのような計画に乗せられてしまうのか?
また、ベルベット側が満州にこだわるのは何故なのか?
かの有名なベンジャミン・フルフォード氏は、書籍、講演会、ビデオなどで、国際情勢、陰謀論を語る事をお仕事にされているプロのライターです。
彼によりますと、日本の天皇家には世界最強のヤタガラスというのがいて、彼らが日本を守っているそうです。
しかし、これは間違いです。
彼はそう聞かされているだけらしいので、悪気は有るのか無いのか分かりませんが・・・
そこで今回は、カラスがどこから来たのか?について解説します。
まず、カラスたちは何者かというと、日本書紀、古事記に出てくる神達の子孫だとされています。
それは、実際には中国大陸の55の少数民族の事を指します。
漢民族とか大きな括りを細分化すると55の民族に分けられます。
少数民族の一覧(Wikipedia)
現在、「少数民族」として分類されているのは以下の55集団である(50音順)。
★このリストにある満州民族。これの前身が女真族です。
最近、名無し先生が何度も書かれている女真族です。
満洲民族の前身は、12世紀に中国の北半分を支配した金を建てた女真族であり、女真以前にこの地方にいた粛慎、挹婁、勿吉、靺鞨の後裔であると考えられている。
★女真族の宗教は景教です。
景教とは、キリスト教のネストリウス派のことです。
★弥勒信仰 というのがあります。
これはミロク(Miroku)=マイトレーヤ(Maitreya)であり、ミトラ教(Mithraism)で有る訳です。
★ペルシャ、ギリシャから中国まで伝播し、日本に渡って来たのがゾロアスター教です。
イエスに洗礼をしたヨハネですが、各地で水で洗礼を行い、こう言います。
「後から来る方はより強い洗礼を行う事が出来る、その方は火による洗礼を行い、邪悪なる物を焼きつくす」
後ろから来る人。
これがキリストを指しているんです。
要するに、キリスト教=ミトラ教なんです。
原始キリスト教の時代、イエスの弟子たちから結成されたエルサレム教団がありました。
原始キリスト教(げんしキリストきょう)は、最初期のキリスト教のことであり、イエスの直弟子(使徒)たちがユダヤ、ガリラヤにおいて伝道活動(布教)を始めた時代より、新約聖書の主要な文書が成立した後の西暦150年頃までをいう。
最初に書かれた福音書であるといわれる『マルコ福音書』が成立した頃の西暦70年頃以前を「ユダヤ教イエス派の運動」と呼ぶ聖書学者もいる[1]。キリスト教がローマ帝国で広まり、ローマ皇帝テオドシウス1世が380年に国教と定める以前に建てられたキリスト教会を「初代教会」又は「原始教会」と呼ぶ。
最初の教会は、エルサレムに成立したとされる。そして、ユダヤ教徒によるエルサレム教会に対する迫害を契機にし、ステファノのグループが福音をサマリア・シリアへと宣教しにいき、それにペテロやパウロが加わって、福音はエーゲ海周縁諸都市から遂には60年頃にはローマにまで達したといわれる。
これは当時ユダヤ教の時代、その中に違う宗教ができた=クーデターに匹敵する出来事です。
オーム真理教が出て来た時みたいな・・・
このエルサレム教団が、奥義として伝承していたのがミトラ教です。
これが日本に伝播していたのです。
日本に拝火教が多いのはミトラ教が元だからなんです。
このミトラ教の中でカバラを主体としたのがゾロアスター教。
ミトラ教とエジプト文明が混ざった物と言われています。
このゾロアスターが栄えた地がギリシャ。
ローマ帝国前の古代ギリシャの時代にこの勢力が根付いていた訳です。
古代ギリシャではミケーネ文化が繁栄していたが、『前1200年のカタストロフ(前1200年の破局とも)』をきっかけに崩壊、それまで使用されていた線文字Bも使用されなくなり文字資料が乏しくなった。この状況はギリシャ人とフェニキア人が接触することによりアルファベットが成立してエーゲ海地帯に普及するまで続く。
フェニキア人が接触するまでは暗黒時代で、接触後、繁栄して行く。
まさに天才的なユダヤ人じゃないですか・・・
ローマ帝国に支配される前の時代に地中海を支配したフェニキア人勢力です。
このギリシア帝国の交易に対する影響力を裏で宗教が操ったんですね。
この流れは客家人に受け継がれているんです。
そして後の日本の戦国時代にも。
この様子を日本側から諜報活動し、一族内の伝書を作っていた部族が居ます。
柳生一族です・・・
新井白石が作成した系譜の『藩翰譜』(または後世の『寛政重修諸家譜』)によると、柳生氏の姓は菅原姓とされ、菅原道真が祖先とも言われている。使用の家紋は、「地楡に雀」、替紋に「柳生笠」。
実際の柳生氏の事項が明らかになるのは、南北期の播磨守永珍(別名:宗珍、大膳亮永家の子とされる)の頃からで、柳生家の家譜である『玉栄拾遺』によると、元弘3年(1331年)に、南朝方として、六波羅探題の北条仲時・時益の軍勢と戦った永珍は戦功によって、後醍醐帝から賜った大和国小楊生(大楊生とも)庄の領主となり、柳生氏と名乗ったことから始まるとされる(ただし、『玉栄拾遺』の記述自体も伝承の域を出ないという)。
柳生家の発祥地は大和国添上郡柳生郷(現奈良市柳生地区)で、大和国北部にある。また「楊生」・「夜岐布」・「夜支布」・「養父」とも記され、いずれも「やぎう」と発音するという。
戦国期に、上泉信綱から新陰流を相伝された柳生宗厳(石舟斎)は、永珍(宗珍)から8代目の子孫に当たる人物である。
この柳生一族は客家人なんです。
もちろん、Wikipediaには、そんなこと書かれていません。
客家は大きく8流に分ける事ができ、言語も8つの方言があるそうです。
この分けられた「流」のそれぞれを「柳」と呼びます。
これが柳生という名の由来です。
客家人はシルクロードの各地、特に山岳地域に根を張って移動しましたので、情報ネットワークは繋がっていたんです。
したがって15~6世紀にオランダを含む欧州情報が、日本の柳生家まで届けられていました。
当時の日本の武将達は、こうした他の誰も知らない情報を入手できる一族を、取り立てないはずが在りませんね?
当然他の部族が持たぬ武器、戦術も持っていた。
こうしたシステムで様々な国で、客家人は国家の重要な地位に取りたてられている訳です。
要するにカラスの真のルーツはこれなんです。
朝廷側の重責を担う秘密機関がカラスで、将軍側が柳生だったんです。
両者ともに客家人。裏では通じていた・・・
しかし、こうした原理原則とかけ離れた、古事記や日本書紀の記述から、皆カラスを解析して議論するんです。
だから正しい答えは出て来ないのです。
それでは
付録:大本の節分儀式の様子
公にされず善行の為に作られたシステムも、絶えず悪用する者は現れる事例としてお知らせします。