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前半 ヨシュア:闇のふたつの種類 [イエス:ヨシュア]

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カバルの記事の後は、チャネリングですが。かなり、長文のヨシュア最新も参考になりますね。2分割になっちゃいますが。Φ(^π^;)φ


ヨシュア:闇のふたつの種類 [イエス:ヨシュア]

http://twinkle-star999.blog.so-net.ne.jp/2013-12-18

親愛なる仲間達、わたしはヨシュア、この午後を皆さんと共有し、単純に愛と統合のエネルギーの中で一緒にいることが大好きな、ひとりの古い友人です。

皆さんは極めて頻繁に地球上の人生の中で漂って道に迷ったように感じるため、この話しは、皆さんがこれほど強く願うものです。

わたしは今ここにいて、皆さんの内部で、皆さんの魂の中で生きる真実を、皆さんに気付かせます。

それは裸眼では観察できず、そして皆さんが多忙で皆さんの数多くの活動や義務や責任に深入りする時には、皆さんは頻繁にその真実と遊離します。


どうか少し時間を取って、静かになり、そういった外部のすべての圧力から離れてください。

皆さんの内部の奥深くの静寂を、感知してください。

皆さんのこころの中のその静寂は、ひとつの虚空ではなく、もしも皆さんが日々の暮らしの喧騒から一歩退くなら皆さんが唯一感知することができる、ひとつの完全な存在感です。

わたし達は今日ここにいて、皆さんが皆さんのありのままの姿を思い出すように、そして皆さんのこころの中の完全な静寂で皆さん自身を再び活性化するように、一歩退きます。

これは、皆さんが再び生き始めることを可能にしますが、しかし今はより簡単で多くの歓びが伴います。


人生は、時にひとつの戦いのように見えますが、しかしそれは、そうなるように意図された姿ではありません。

皆さんは本質的に、皆さん自身を経験し、光り輝く光の天使達としての皆さんの強さと皆さんの美しさを思い出し、そしてその光を他の人々と共有するために、今ここにいます。

それをすることによって、皆さんは地球上で寛ぎを感じることになるでしょう。

人生は再び単純になり、簡単で歓びに溢れるものになるでしょう。


そのため、わたしと伴に内面に向かい、皆さんがそこから現れたその根源を思い出してください。

不滅で永遠の光であり、絶えず動き、変化しながら、新しい数々の姿を選び、そして依然としていつも分裂せずにひとつです。

皆さんはその流れの一部であり、そして実際に、皆さんに対して何も引き起こすことはできません。

皆さんは、皆さんの地上の身体の中に宿っている今でさえ、安全です。

皆さんは、葛藤と対立によって支配されているように見えるこの世界の中でさえ、安全です。


わたし達は今日、光と闇について、そして闇に光をもたらすことについて、伝えます。

そして闇とはなんでしょうか?

それは、ひとりの人間としての皆さんの中で、抵抗を誘い出すものです。

誰ひとりとして、闇を経験することは望みません。

誰ひとりとして、痛み、悲しみ、あるいは怖れに苦しむことを望みません。

それにもかかわらず、それはわたし達の人生の一部です。

それでは、何故その闇はそこにあるのでしょうか?


人々は、この質問を何世紀もの間尋ねてきました。

今、まず第一に、多くの物事が、皆さんがその質問を尋ねる姿に依存します。

皆さんはひとつの開放的な態度からその質問を尋ねるでしょうか?

何故闇はそこに在り、何故これがわたしに起り、わたしはそれに対して何をしなければならないのか?

あるいは皆さんは、怖れ、怒り、そして抵抗からその質問を中断しますか?

いったい何故その闇はわたしの人生の中に在り、そしてどうすればわたしはその闇を打ち砕くか回避することができるのか?

後者の質問が表現する、その絶望と抵抗を感じてください。

そして皆さん自身の内部のそういった情緒を認めてください。

何故なら、それは闇と感じるもの、不健全または困難を感じるものに抵抗する、人間のひとつの反応になるからです。


ひとりの人間としての皆さんに対する最も深い難題は、皆さんが最初に受け入れることを拒絶したその状況にその通りと伝えることです。

皆さんがどのような代償を払っても回避することを望むものに対して、その通り、と伝えることです。

闇の姿で皆さんの人生に入ってくるものに対してその通りと伝えることは、大いなる内面の強さが必要になります。

もしも皆さんが理解することができるその強さに気付くことができず、そして皆さんがいいえと口にするなら、皆さんは、起ることに反対して、硬直化します。

そしてその闇はさらに深くなり、その絶望は高まります。


人生の中には、実際に2つの種類の闇があります。

最初の闇は、皆さんの人生の中の道筋の上で皆さんに起る外部のものです。

それは、皆さんが愛する誰かからの離婚、最愛の人の喪失、病気または事故、皆さんを深く苦しめる何らかの物事になり得ます。

ひとつの危機、ひとつの主要な挫折です。

わたしはこれを第一の闇と呼ぶことにします。


そして次に、それに対する皆さんの反応、皆さんの情緒的な反応があります。

あらゆる人間が、当初は運命に抵抗し、闇を激しく非難する傾向があります。

しかしもしも皆さんが皆さんの抵抗を維持して閉じこもり、皆さんの人生の中で起り続けているものについて批判することによっていいえと言い続けるなら、その結果ひとつの追加の闇の階層、二番目の種類の闇が存在します。

わたしはこれを第二の闇と呼ぶことにします。

それは、第一の闇を取り囲みます。


第一の闇は、皆さんをひとつの強烈な深い情緒の水準に連れて行きます。

皆さんの人生の中で、多くの悲しみ、怖れ、そして痛みをもたらす何かが起ります。

そして皆さんがそういった情緒を経験する時、皆さんは非常に活き活きとします。

人生は、雷鳴轟くひとつの波のように、皆さんを通して流れます。

皆さんは、これが起ることを許すことができますか?

深い情緒の負荷が皆さんを襲います。

それは、皆さんを墳慨させます。

そしてその結果それは、その経験の中には今後皆さんを何処かに連れて行くものが存在することを信頼するための強さを皆さんが持つかどうかという、ひとつの疑問になります。

たとえわたし達が人間として頻繁にその意味を理解しないとしても、人生が意味を持つことを皆さんが信頼することです。


絶えずさらに強い言葉でそれを口にすること、皆さんの魂がこの経験を積むことを既に選択した可能性があることを受け入れること、おそらく隠されている何かを表面化すること、癒しが必要なことを皆さんが認識しなかった何かを癒すことです。

皆さんが強い数々の情緒で行く手を阻まれる時、次にひとつの選択の瞬間があります。

容認と帰順、あるいは抵抗と遮断です。


いいえと口にすることを望むのは、最も人間らしいことです。

それは間違っているとわたしは言うことはありませんが、しかしそう口にすることで、皆さんは既に存在するその闇に、余分な闇の層を置くことになるでしょう。

わたしはこの層を第二の闇、二番目の種類の闇と呼ぶことにします。

この闇は、内部から現れます。

それは、第一の闇に対する皆さんの反応です。

もしも皆さんがいいえと口にすることに固執するなら、皆さんの情緒の流れは停止し、皆さんは行き詰ることになるでしょう。

いいえ、わたしはこれを経験することを望まない。わたしは拒否する。

わたしはそれを受け入れることはできない。

もしも皆さんがそう言い張るなら、皆さんは恨み、怒り、そして苦汁に溢れることになるでしょう。


こうした気持ちは実際に情緒ではなく、それは皆さんの内面の情緒の自然な流れを凍結する判断です。

第二の闇は、生命力が皆さんを通して流れることを妨げます。

皆さんは数々の壁や防御を築き上げます。

結局これが、深い絶望、疎外感、そして抑鬱のような、闇の重苦しい姿を皆さんに引き寄せます。

皆さんが鬱状態になっている時、生命力の流れはほとんど停止しています。

皆さんは、内面で死を感じます


人生はいつも変化にさらされます。

もしも皆さんが基本的な水準で生命を信頼するなら、人生は新しい誕生のために、本質的に成長と癒しの可能性を維持します。

しかしもしも皆さんがいいえと口にすることに固執するなら、皆さんはその可能性を遮断します。

皆さんは、人生はそうなるべきものとしてあるのではない、と主張し続けます。

そして皆さんがこのように人生を判断するため、皆さんは皆さん自身を人生から引き離します。

このようにして皆さんは、人間が経験することができる最も深い闇に到達します。

それは人々の最も深い闇の水準をもたらす第一の闇(外的な状況)ではなく、第一の闇から現れる数々の情緒を受け入れることの頑固な拒絶です。

これが第二の闇です。

内面の硬直化、皆さんの感覚の特質の遮断です。


人はどのようにしてこの種の闇に光を持ち込むのでしょうか?

もしも誰かが最初の種類の闇に到達して、とても悲しく、不安で、苦しくなるとすれば、皆さんはまだその人々に手を差し出すことができます。

彼らは依然として生きていて、彼らの身体と精神を走り抜ける情緒と触れ合っています。

そして彼らは彼らに起り続けているものの背後の意味を積極的に探し求めます。

この個人は、たとえ彼らが非常に深刻な状況に直面しているとしても、心理学的な観点からすると依然として健全で健康です。

第一の闇に取り組んでいるひとりの個人は、慰めと思いやりが必要であり、そして彼らは別の人からの愛に溢れる身振りを受け止め、感謝することができます。

彼らは依然として非常に活動的です。


しかし、自分達の受け入れの拒絶に固執し、いいえと言い続ける人物は、愛を受け取ることから隔絶する、ひとりの個人です。

彼らは、自分達の内面の光に対してだけではなく、他の人々を通して他の人に現れることを望む外部からの光に対しても、遮断します。

それは孤独であり、それは道に迷っている状態であり、それは地上の地獄です。

そしてひとりひとりの皆さんが、内面からこの地獄を認識していることを、わたしは皆さんに伝えます。

もしかすると皆さんはそれを余り自覚していないかもしれませんが、しかしほとんどの人々にとって、ひとつの遮断の過程は既にその幼児期の間に始まりました。


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