早朝尿出しタイムに定番巡回サイト省エネピンポイントチェックしとります。
スーダン韓国日本の銃弾1万発は、ヤラセなんですかね。戦争屋の。2014年1月末までは、武装解除、待てませんね。Φ(^π^;)φ
安倍晋三首相は、野田佳彦前首相同様「ウソつき」で、国民有権者の声に耳を傾けず「聖人君子」に非ず
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/ab0e24c7cb64844170ede060e01d929a
「朴槿恵大統領は、迷惑顔」、スーダンの陸自が韓国軍に銃弾1万発を無償提供、「戦争国家日本」へ驀進中!
地震二連発!
http://blogs.dion.ne.jp/megumin/archives/11398700.html
★ライフラインを握られているということはそういうことなんです。
国に(政府)に命を預けていることになります。
でもその肝心の政府が人殺しをしているのですから、信用できるわけがありません。
食品添加物で殺し、医療で殺し、農薬で殺し、放射能や化学物質で人々を殺し続けているのですから、善人を装った悪魔です。
日記―エウロパの噴水
http://blog.livedoor.jp/akiranaoi/archives/52336101.html
先日新聞に、木星衛星のエウロパで水が空中に噴き上げられたという写真が出ていた。これはまさに急ピッチに例外を除く人類の受け入れが進んでいることを示すのだろう。
すでに現在これまでの霊魂の護送は進行していて、多層的な存在の知覚に達した人はそこで働く自分を見ることができる。見れる人というのはすでに四次元体まで進化しているので、護送する側であって護送される方ではない。
多くの霊界にいる霊魂はそのことを知らない―というより知らせない。彼らは以前前回の死後のように生によって培った慣習的想念に取り囲まれて生活している。時が来ると、護送のために呼び出しがくるのだろう。
これまでの暗黒期においては死後の世界は意図的に隠されていて、人生がすべてと思わされてきたという構図は今も霊たちを支配している。現在ほんの少数はその限定を外され始めている。
考えてみれば、どんなに肉体の次元で真理と思い込んだことも、四次元に通用しなければそれらは単なる思考ゲームであるということに気づけない。それらはだいたいは時間をかけて希薄化されてしまう。
真理というものがあるとしたらまさに法そのものであるはずだ。法への理解が神というものの理解―それは究極として理解はできないのかも知れないが―理解に通じる。
求道もいいが、もう無駄なことは排除したほうがよい。それは自己のなかで、これは思考ゲームかと問いかけることで可能になるのかも知れない。エウロパが受け入れ態勢に入っているならなおさらことだ。
アトランティスでは火星意識波の侵入で霊性が低下したため、人々は創造による破壊を感知できなかったとされる。そのため施工日の前日までパーティに興じていてとアグニヨガには書かれている。
これは現在の地球に酷似している。だれもが現在の現実が続くと信じている。しかし続くわけはないのだ!我々も前日まで無知でいるのだろうか。(エウロパでは言語は一切なくなる)
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-231.html#comment1151
と様
今回のアンケート主旨は、当に御指摘の二元論を駆使して、革命による国家単位の破壊と利権獲得を行ってきた勢力の現況を、皆さんがどう評価して居るのか?世界は当該勢力に支配され身動きが取れなくなってしまっていると言う、捨て鉢な妄想に取りつかれていないか?妄想から当該勢力に迎合してでも、優位性を勝ち取りたいという利己心が産まれていないか?と言う点を各々が自問自答して頂く事を目的に実行したものです。きっかけは、他のコメントに書いた通り、そうした思考回路に嵌っている官僚が、日本国の大手企業を危機に陥れる可能性がある方向に誘導している現場に遭遇したからです。
この企業の代表者は、当該官僚の勧めに乗るか乗らぬか結論を出し前進しなければなりません。その場は保留し後に熟考するとしても、どこかでYes or No の結論を出さなければならないのです。ビジネス、スポーツ様々な世界でYes or Noの結論の積み上げが、次のステップへの充分条件である事を否定する人はいないでしょう。一方、哲学、芸術等の分野に於いては、Yes or Noで割り切れない、割り切る必要がない、不条理こそが結論である場面が多々存在します。ピカソの「ゲルニカ」は原爆を憎んで書かれた作品の様に言われていますが嘘です。原爆というモチーフで、恐怖や悲惨さという無形の感情を表現したに過ぎません。つまり、この絵を見た人が「この絵は原爆を悪と言っていますか、いませんか?」と質問されれば、「分からない」が正解なのです。どちらとも言っていない、ただそこに在る非日常的感情を表現した芸術作品であるからです。
二元論とは、悪用すれば「マッチポンプ」にもなり得るし、善用すれば本来内在された能力の開発にも役立つ。論法自身に善悪が在る訳ではないのです。「と」様御指摘の二元論ユダヤ起源を唱えておられる方に、是非教えてあげて頂きたい事が在ります。もしこの世にユダヤ人が一人も存在しなかったとしても、二元論は間違いなく出現していました。なぜならば、人間の大脳皮質側のシステムが二元論で構成されているからです。人間が自己意思で操れる部分を顕在意識と呼びます。この顕在意識のスクリーンには一度に一つの映像しか映りません。この映った映像が大脳皮質で認識された事象になるのです。このスクリーンに映る像を決定するのは網状活性組織と呼ばれ、フィルターの様な機能を持ちます。一つの事象を残し、他事象を全て吸収してしまうのです。つまり、この時点で0-1という二元論が発生しているのです。例えば現在このコメントを呼んでいる方は、「文字」という視覚刺激から意味を理解するという行動を取っていますね?しかし、同時に部屋のライトや、窓の外の音、今着ている衣服が首に触れている触覚刺激など複数の刺激が同時に読者の方に加わっている訳です。それら多くの外部刺激の中から「文字」と言う視覚刺激の一つだけを選ぶプロセスを網状活性組織が行わせている訳です。つまり、大脳皮質側はアナログ機能と言う事です。これは二元論に支配されている事と同義なのです。
では、何故人間は歌を歌いながら涙したり、同時に手足を動かしながら踊り、呼吸をし、心臓を動かし、体温調節をし、感情の起伏を持つ事が出来るのでしょうか?答えは大脳皮質側でこれらの同時進行並列作業=デジタル作業を行っていないからです。こちらを司るのは脳幹側なのです。こちらの意識状態を称して潜在意識or下意識等と呼びます。文学的言い方をすれば本能が在る部分です。デジタル機能ですから二元論ではありません。しかし、言語活動をベースとした理性(顕在意識)ではコントロールが難しい部分です。コンピューターのCPUに例えるなら、こちら側が圧倒的にビット数が高いのです。デジタル作業を難なくこなすのですから明らかですね?潜在意識を上手く使いこなすのは、無意識下でも一定の方向性を持って働くよう、繰り返し訓練をする以外に在りません。
この潜在意識と顕在意識の相対もやはり二元なのです。従って、二元論とはユダヤ人が編み出した物でもなければ、カバラによって創造された物でもありません。人間本来の構造の事なのです。これら2つの意識状態の葛藤が「本能」と「理性」として現れる事が多く、「理屈では分かっているのに、つい・・・しちゃうんだよな・・・」という後悔の念となって発音される事が多々あります。これを称して「不条理」と人間はなずけたのです。この「不条理」をテーマとした哲学者は多く、サルトル、ヘンリーミラー・・・・ロレンスダレルに至っては英国で「黒い本」を出版し、読者に余りに多くの自殺者が出た為、発禁本となりました。少しシニカルに「不条理」を追求したフランソワーズ・サガンの様な作家も居りますが、いずれにしても人類の永遠のテーマと言う事です。
>私がここで言いたいことは、よく分からないことについては、「よく分からない」と答えることにも、場合によっては意味があるのではないかということです。。。
貴殿のおっしゃる通り、「よく分からない」と答えることが意味を持つ事象が存在します。しかし逆に、「よく分からない」で済ましてはいけない事象も存在するのです。その墨分けは、前文で説明した通りと考える次第です。
・・・on christmas night
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