原田説に続いて、名無し先生的考察の、煩悩くんフルスロットルさんも、久々の更新、参考になりますね。Φ(´゜π゜`)φ
真の日本のスーメタル(スメラのミコト)は誰?
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2802.html
京都太秦の蚕の社の元糺の森には三鳥居がある。
この京都太秦は平安京創建以前からある聖徳太子信仰の広隆寺もあり、またこの近くの商店街には大魔神像もあって、大魔神フェチのオイラには決して看過できない地でもある。
(2人の童子をサイドに配した聖徳太子図)
蚕の社(養
蚕神社)は木嶋神社の摂社ですが、どちらかというと摂社の方が有名ですね。木嶋神社は秦氏の広降寺の近隣にあることから秦氏との関連が深く、この三鳥居が
立てられた理由は、時期をおいて日本に渡来してきた天神系、地祇系、天孫系の3つの派閥勢力が力を合わせ一体となって国体運営していくことを誓った記念碑
的なものであるという。
(神池の中の三鳥居)
まぁ、これがベビメタちゃんが暗示している内容でもあるのですが、、、
(I.Z.Dでは三鳥居が立った後、ユイメタルとモアメタルの壮絶なバトルが始まる。そして、そのバトルを制するようにスーメタルが登場し、2人を薙ぎ倒して最後は3人仲良くダメジャンプを決めるという流れ。)
さてさて、日本人の顔をした3派閥の渡来人のそれぞれの出自詳細は何度も書いていますが、、、
■天神系
バルト海沿岸(3000年)から伊平島経由で本州に渡り青森に渡来(7000年)
東北の十三湊を拠点に大陸産出の黒曜石貿易を営む
巨石文明のドルイド教団を根幹に持つ現在443代目を誇る1万年の王朝 【第1陣】
(日本で7000年続くウガヤフキアエズ朝か?)
他の2つの派閥とは別にもっと広い視野で物事を構想
BC2850年エドム人はエラム人に出会って「ドルイド教団」を発足
内陸拠点に「ドルイド」の名を冠したのがダルダニア(バルカン半島のコソボ)
ダルダニア人は後にアナトリア半島に進出し伝説の都市「トロイア」を建設
古代デーン人、エラム人、エドム人が該当か?
ドルイド神官は「オガム文字」(線文字)を駆使する
■地祇系
ローマ近郊から中国北部~新羅~伽耶経由で渡来した北イスラエル族 【第2陣】
地祇系=縄文人=「天孫系にやっつけられた同和」=大本教=緑のカラスの一部
緑のカラスの親分が日本貴族の青森の姫、◯◯子さま(津軽氏・大浦氏→H宮妃)
九鬼を始め、蜂須賀・前田・鍋島...等の「松平姓」を名乗れる大名家、棟梁格は徳川家
北朝鮮に核実験をさせ核開発を推進
ユダヤ国家の「ネオ満州国」建国を画策し、日中韓に跨る国家建設を描く
(東アジア共同体構想はその先駆け、綾部の世界連邦運動協会)
女性天皇・女性宮家創設推進はこの勢力
北朝-藤原北家-源氏勢力-帝国陸軍-皇道派-大本
三井財閥、日本経済新聞=テレビ東京
スペイン、オランダ、カソリック系
【イエズス会系列】
■天孫系
一番遅れて百済経由で渡来した海洋民族の南ユダ族 【第3陣】
南朝-藤原式家-平家勢力-帝国海軍-統制派
住友財閥、欧米産軍複合体がスポンサーの三菱財閥とも連携
英国、オランダ、プロテスタント系
【メーソン系列】
で、現在は天孫系の南朝皇統(メーソン系)が表の顔になっているとか、、、
※
未だに天神系、地祇系、天孫系の分類内容に四苦八苦。語り部説との整合性で問題が生じている。つまり、仏教系=百済=後期大王族=天孫族とした場合、北朝
が天孫族となってしまうのだが、、、、江戸期のどこかで一度南朝系にでも変わったのか? それ以外にも天神系と地祇系のくくりが名称の意味から逆になって
しまい、三輪氏族、高鴨氏族の扱いで頓挫する。
うっ、、、青森の姫は【地祇系】だったか、、、迂闊だった。東北に天神系が定住したので、前記事ではうっかり【天神系】と書いてしまった。ここで訂正しておきます。m○m
北イスラエル族はバビロン捕囚時
の亡国時には、以前からタルシン船貸与で付き合いのあったフェニキア人に合流して国外脱出していたので、「緑のカラス=フェニキア人」という見方も出来な
いこともない。尚、海洋民族フェニキア人は海を挟んだ近隣諸国の海の民=商人が連携して出来た商人連合のようなもので、その前身は500年前の「海の民」
ペリシテ人であったとオイラは睨んでいる。
「客家に見える漢人」が大本らの東漢氏ですが、その大本が手法を学んだのが慶州客家。これが大本が「緑のカラス」を尊している理由なのですが、ここからも「緑のカラス=客家=ペリシテ人」であることが分かりますし、実際、緑のカラスが自らをハム系ミツライム出自と暴露している。
■地祇系裏組織
緑のカラス=ペリシテ人(客家)+北イスラエル族
※農産・漁業の既得権で資金運用
これ以外にも黄やら黒やら青や
らのカラスがあるようですが、エネルギー分野、武器分野...等資金の運用先が異なるようです。これらの資金運用で得た利益(100~200%の利回り)
のうち1割が宗教団体に流して傘下にすることで、皇胤隠し子を匿ったり、庶民をコントロール...等、様々な裏操作してきたというわけです。このように宗
教団体を使役し「戸籍を持たない人」を養って裏組織とし、古代から自らが忠誠を誓うトップを守護するフリをしながら、裏面から経済支配してきたのが「カラ
ス」と呼ばれる渡来人アイデンティティを保持する組織。それ故に「日本人」という国士感覚がないのだろう。
う~む、ゴレンジャーこそが日本の裏側だった。
こちらは北朝【地祇系】の裏組織ですが、南朝【天孫系】には南朝の裏組織がある?
(赤をトップに四神相応で守護 黒のカラス=ピンクかw)
日本人の出自はすべて渡来系な
のですが、「日本人の顔をした渡来人」という未だ日本に帰属意識を持たない心根を持たれた方たちが、この日本の支配者層を形成しているのが日本の真実の姿
であり、日本最大の問題点。3.11の対応ぶるを見ているとそのことが良く分かります。この外国人による支配構造はフィリピンと同じですが、日本はそれが
遥か昔から行われ、一応、血の交流があり、日本人と同じ姿形となってしまい見分けがつかないという違いがあるだけ。
このカラスは「戸籍を持たない」が故に様々な名を使い分け72変化が可能だが、通常はコードネームで呼ばれる。
(「看我七十二変化(私の72変化を見て)」を唄う少年キラーこと蔡依林も客家末裔)
さてさて、問題は天神系の443代目の天皇が誰か?ということですが、、、、これを論じる前に天神系を精査しなくてはならない。今現在、オイラの洞察結果からは、、、、
天神系=ドルイド教団=エドム人
うんうん、コレだすな。
この線だけはガチだと思う。
少し前、天神系の1万年の王朝中枢は秦氏と合体した賀茂県主の社家筋(特に下鴨社家)だろうとオイラは比定したが、果たしてどうなのだろう。今回、この辺のことを語り部説を参考に深く掘り下げてみる。
※語り部説は通常の家系図とは異なる内容です。
ヤタガラスのトップ「大烏」は別名「金烏」と
呼ばれる三人だと言われるが、これがサンカの棟梁アヤタチである。下鴨神社大宮司、鎌倉八幡宮大宮司、熱田神宮大宮司曾孫(フリーメーソン33位階)がそ
うだとも言われる。これらを束ねるのが下鴨神社。かつて虚無僧が集めた全国の情報は精査され、最終的にここに集められたともいう。
八咫烏神社の摂社があるように賀茂県主の京都下鴨神社がヤタガラスの中枢であることに間違いは無い。
一方、上賀茂神社は
賀茂氏祖先を祀る神社で、国内唯一、本殿扉に一角獣と獅子が描かれている。どうもコチラの方がレビ族色たっぷりという感じです。ちなみに賀茂も鴨もカムイ
(神)から来る言葉でエジプトにはカモゥウというレビ族の家名もあるというが、果たして、、、秦氏祭祀を譲渡され創建された下鴨神社が裏神道の中枢的に振
舞っているのも秦氏から譲渡信認を得ているからでしょう。
(上賀茂神社本殿 獅子はユダ族の紋章であり、一角獣は北イスラエル王国の王族であるヨセフ族の紋章。)
(同じ構図の置物が京都御所の天皇玉座にもあるが、神社の狛犬はこの獅子と一角獣。)
八咫烏が飛鳥A雄氏に語った言葉に、、、
「伊勢神宮が蘇った後、地上に天照大神が降臨する。その時、誰もが天照大神の御姿をその目で見ることになる。そして伊勢神宮の使命もまた、それをもって終焉となる!」
と
いうのがありますが、これこそがキリスト教の宗教としての優れた点(絶対的な恭順化)に着目した秦河勝が景教に改宗し、その後、秦氏と婚姻を通じて合流し
た賀茂氏が神道とキリスト教を融合した天照大神を頂点とする「表の神道」という庶民向け神道=伊勢神宮を創建したが、この救世主登場話はキリスト教的な神
道に施された演目なのである。
※
秦河勝は庶民にはキリスト教徒的従順さが必要と考え百済系の護教の仏教にキリスト教的エッセンスを取り込む為にキリストを弥勒菩薩と見立て、イエスを彷彿
とさせる聖徳太子信仰を篤く尊ぶ広隆寺を創建した。秦氏領地を提供して平安京を造成させたのも仏教の持つ怖さをキリスト教でマイルド化させる必要があった
からで、それ故、平安京遷都に伴い桓武天皇を諭して空海と最澄を中国に派遣し、キリスト教的な仏教を創作させ、平安仏教を新たな国教とした。一方、扶余系
百済系が奉じるユダヤ式典満載の神道へは賀茂氏との婚姻で取り込んだのだろう。
この賀茂県主に祭祀を
引き継がせたのが秦氏であるが、それは婚姻を通じて行われた。賀茂氏(レビ族)の持つ宗教儀式の秀逸さに目を付けたのだろう。つまり賀茂氏は秦氏の支流の
1つに過ぎず、1万年の王朝中枢とはいえない。祭祀譲渡の事例が先の蚕の社にあった「糺の森」の下鴨神社への移動であり、また、この時から賀茂氏による伏
見稲荷創建で稲荷社や新羅系(北朝)の八幡社の全国展開がされ、「賀茂が禰宜をしょって来る」と揶揄される神社の支配化が始まる。
※稲荷の総本山は京都の伏見稲荷大社を創建したのは秦伊侶具=賀茂伊侶具。
(伏見稲荷大社 INRIを神道系と仏教系(豊川稲荷)の2つを用意したのは地祇系と天孫系向けの為か?)
(キツネを使った稲荷信仰 実は稲荷はINRI)
この秦氏の名は邇波広高(広隆)から始まるが、これが歴史に登場する有名な「秦河勝」のことであり、広隆寺の名の始まりでもある。
邇波広高は邇波氏傍流・縣君塩古(出
雲王朝最後の王・邇波荒田別の子、諏訪の洩矢氏は兄弟)末裔であり、塩古から数代前の時代、徐福移住、邪馬台国の伸張...等で列島の漢人化を阻止する為
に邇波氏が大陸から招いた扶余国出自の倭旨(扶余依羅・金首露王)末裔の【地祇系】倭興と百済出自【天孫系】の入り婿・倭武(百済コンキ)によって三川徐
福国が討伐された。
徐福国亡国後、縣君塩古が三川に伝わる養蚕、機織、酒造、製銅、製紙、製薬...等の進んだ大陸技術を継承。この養蚕が藤原京の天指山で大々的に行われたが、後に移った場所が京都の「蚕の社」である。
つまり、秦氏の家業の1つが養蚕であったということ。
※
松尾大社も秦忌寸都理(とり)=秦伊侶具の弟が社殿造営した秦氏創建の神社ですが、ここは酒造の神を祀ることで全国の酒造家の信仰が篤い。酒造も秦氏の家
業の1つだった。この秦忌寸都理(松尾大社創建)も秦伊侶具(伏見稲荷創建)の兄弟は秦河勝末裔で賀茂氏と婚姻を結んだ時の子。賀茂氏(北イスラエル族の
レビ族)の協力を得て、自らの家業を宗教で囲い守護した。
秦河勝で有名な話の1つに常世神退治の
話がありますが、この逸話は『日本書紀』によると、皇極天皇3年(644年)、東国の富士川の近辺の人・大生部多が村人に虫を祀ることを勧め、「これは常
世神である。この神を祀れば、富と長寿が授かる。」と言って回った。巫覡(かんなぎ)等も神託と偽り、「常世神を祀れば、貧者は富を得、老人は若返る」と
触れ回った。さらに人々に財産を棄てさせ酒や食物を道端に並べ、「新しい富が入って来たぞ」と唱えさせたという。やがて信仰は都にまで広がり、人々は「常
世虫」を採ってきて清座に祀り、歌い舞い、財産を棄捨して福を求めた。しかし、全く益することはなく、その損害は甚大だった。ここにおいて、山城国の豪
族・秦河勝は、民が惑わされるのを憎み、大生部多を討伐したという話。
この常世虫の
正体は「この虫は、常に橘の樹に生る。あるいは山椒に生る。長さは4寸余り、親指ぐらいの大きさである。その色は緑で黒点がある。形は全く蚕に似る」と記
されることからアゲハチョウの幼虫だと考えられるが、これは富士川に広がった「ニセ養蚕」を養蚕業を仕切る秦河勝が取り潰したということだろう。
※
蚕は蛾の幼虫で繭を作りますが、この繭をほぐすと絹が出来る。アゲハチョウの1種ウスバシロチョウの幼虫も蝶の中では繭を作る珍しい種ですが、この幼虫を
常世神(常世虫)と称して絹を生産して儲けることが出来るとした詐欺事件だと睨む。殖産興業を旨とする秦氏の秦河勝にとって退治しなくてはならないもので
あったのだろう。
(常世虫=アゲハチョウの幼虫)
(蚕)
縣君塩古末裔・邇波広高は波斯教(ペ
ルシャ経由のキリスト教)に改宗していたが、これと仏教をミックスし弥勒菩薩を祀る広降寺を創建。更に地祇系レビ族出自の者と手を結ぶこと(婚姻)によっ
て稲荷社や八幡社を次々と創建していった。これが天神系と称される賀茂県主。稲荷社や八幡社にキリスト教的なエッセンスがあるのはこういった理由から。こ
の技術と引換に布教するという政策は大成功し、布教された人民は秦氏を名乗るようになったが、この功績故に邇波広高は秦氏の名を賜ったという。
(三鳥居、稲荷、十字架...ベビメタちゃんには洞察ヒントがテンコ盛り)
つまり、秦氏とは、いづれも滅亡してしまったが、三川徐福国由来の技術継承と扶余~加羅国経由で渡来した北イスラエル族の王族(初期大王家)を束ねて接続した架空の家系名である。
※扶余系の初期大王家は長屋王の自害で滅亡。勢力下の家は新しい中枢を求めて物部氏-藤原式家に合流していったと睨む。
縣君塩古末裔と婚姻して同族化した故に賀茂県主と
呼ばれるのであり、天神系(邇波氏)と称されるわけですが、賀茂氏の大元は北イスラエルのレビ族(忌部氏)だろう。ここともうひとつ別に地祇系賀茂氏(高
賀茂)というのがある。地祇系賀茂氏の家系は葛城氏直系の鞍作毛人(蘇我入鹿)末裔であることから、どちらかといえば邇波氏本流。この家系からは神虫麿
(鴨蝦夷・賀茂毛人)=役小角、賀茂忠行、賀茂保憲(安倍清明の師)、慶滋保胤らを輩出しているが、この地祇系賀茂氏は名のように地祇系と同化していった
のではないかと睨む。地祇系賀茂氏(高鴨氏)末裔が松平氏であるのも納得がいく。
※同族には長屋王正妻の吉備皇女・由利、用明天皇の孫と婚姻した犬養三千代(橘氏の祖)がいる。このように扶余系王族(地祇系)と縁が深いことから「地祇系賀茂氏」と呼ばれるようになったのだろうか?
安倍清明が桔梗紋(五芒星)、蘆屋道満が九字を使用していることから分かるように、これは表の陰陽道であり、1を引いた「陽化」させた陽動のようなもの、裏の陰陽道はそれぞれに1つ足した「六芒星」「十字」であり、こちらが本当の「真」であり、それが漢波羅である。
そして秦氏のトーテムは鷹だそうですが、古事記でいう神武の弓に止まって敵を蹴散らした「金鵄(金トビ)」のこと。つまり、秦氏(邇波氏)が神武側に味方についた事跡を示している。ヤタガラスは神武軍が熊野を抜ける為の道案内をしたに過ぎない。
※飛鳥A雄氏の「大烏=金烏=金鵄」説は正しくはない。またヤタガラスもイエスの12使徒を模しているが、その出自は徐福国近辺に居住した3マンセルで行動する鵜飼が発祥。三川徐福国討伐時に秘密裏に食料調達・供給した黒子的な働きによる。
(神武と金鵄)
日本の国旗は白黒の旗竿に金玉を掲げたものが正式だそうですが、これは白黒の旗竿がヤタガラス(賀茂氏)を示し、その上には金玉の秦氏(邇波氏)がいることを示しているという。
その旗竿(ヤタガラス)に結び付けられたのが日本の国旗ですが、この国旗は定規とコンパスで
描かれるものであり、上三角形△の「コンパス」と下三角形▽の「定規」が各々「天孫系」と「地祇系」を示している。また国旗は赤と白で染め抜かれている
が、コンパスで描かれる赤い●は「平家(藤原式家、南朝、天孫系)」、定規で描かれる白い□は「源氏(藤原北家、北朝、地祇系)」を表現している。
つまり、トップに金玉(秦
氏)がいてそのアンダーにヤタガラス。そのヤタガラスに支えられて表の顔の天孫系(南朝)、地祇系(北朝)がいるという構造。秦氏(邇波氏)が院政を敷い
ているわけ。この2つの勢力を操って国家運営をしているのが日本の「真の国体」であり、それを国旗で明確に示していたわけです。
(中央の「G」はGOD ですが、日本国旗ではGOLDENBALLの秦氏(邇波氏)に相当か?)
実は、この双頭構造はイエズス会とメーソンの二極を操って君臨しているヘッセン=ナッサウと全く同じ構造。日本文明が他のアジアとは一線を引き、欧州型文明(古くからの貴族身分制と搾取型経済構造)と分類される所以でもある。
(対立する二勢力を操るのが本当の黒幕)
エドム人のエドムには「赤い」と意味がありますが、エドム人=邇波氏=秦氏であり、ここが日本の真の黒幕というか「奥の院」であり、天神系王朝の中枢。ただ決して表には出てこないが、、、(汗)
※エドム人の祖エサウの全身が赤色多毛だったという話やエサウが赤い煮物と引き換えに自分の長子権を売り渡したことからこの名が付けらたともいう。
やはり、赤がトップでリーダーであっただすな。
(常に赤がリーダーであるのは、この国の約束事w)
だが、この国仕掛けには仕掛け人がいる。
それは川上明国彦(川
上振熊、川上梟帥、熊襲の首領、ナガスネヒコのモデル)の末裔。語り部説によると、川上明国彦は出雲王朝最後の王・荒田別の父である先代・御諸別(葛城
円)と兄弟であり、百済系から婿を取ることに反対した葛城円の陰謀(妃を使った暗殺)を知った倭武の葛城円邸焼き討ちに怒り、倭武討伐軍を送った猛者でも
ある。
※奈良県
御所市の極楽寺ヒビキ遺跡が雄略天皇に焼き討ちされた葛城円(つぶら)の館跡だと言われているが、語り部説でいう出雲王朝3代目の王の邸宅が何故、奈良に
あるのか理解に苦しむ。ただ、三輪山の背後のダンノダイラには出雲族が住んでいたので何か関係があるようにも思える。富氏の伝承によると、国譲り後、天孫
族と出雲王朝(天神族)との間に出雲王朝は永久に天孫族の政治に関わらないという協定が結ばれ、出雲王族は身柄を大和に移され、三輪山の側に住んだという
が、、、これだと出雲王朝閉朝後のことになる。
(Kwkmは川上明国彦か?)
川上明国彦は海部氏(籠神社宮司家)や渡会氏(外宮宮司家)の祖でもあるが、この末裔ラインがこの国仕掛けを発動させようとしている。それが先に八咫烏が語った天照大神の降臨話。そのキーになるのが籠神社と伊雑宮ですが、この阿と吽、AとZ 、αとωが合する時が天照大神降臨の始まりだとされている。
これは2つの天皇家、地祇系、天孫系を差し置いて、真のオーナーである天神系自らが出動し始めることを意味するかもしれないが、あるいは3人仲良く共同統治かもしれんが、、、、秦氏が一番という声が多いが、ただ塩古末裔の秦氏にしろ、川上明国彦末裔の海部氏・度会氏にしろ、あくまで天神系の傍流に過ぎない。
邇波氏直系の葛城氏本家本筋は「我、蘇り」を名に持つ蘇我入鹿(鞍作毛人)の嫡流しかいないのだが、、、、
となると、橘三千代末裔の橘氏か、宗形姓から強制改姓を受けた難波氏か? 長子継承を考えるなら、鞍作毛人の長男である林太郎(林浜麻呂)末裔の和気氏ではないだろうか!
和気氏は
「宇佐八幡宮神託事件」、所謂、「道鏡事件」に功があった和気清麻呂がよく知られているが、この事件で清麻呂は流罪となったが、称徳天皇崩御して道鏡失脚
後、桓武天皇の時に復職。桓武天皇に平安京遷都を密奏したのが和気清麻呂であり、都造りの総責任者(造宮大夫)となった。この和気氏を支えてきたのが殖産
氏族「秦氏」であるが、本家(和気氏)と分家(秦氏)という同族関係から当然ですね。
※
本来は姉の和気広虫が宇佐八幡宮に勅勅使として神託の詮議をしに行く筈だったが、病弱を理由に固辞し弟の清麻呂(広貞)が代行したという。語り部による
と、姉・広虫はキリスト教徒で孤児93名を養育したというが、、、、岡山県和気郡には和気神社があり、この社家(小森家)は清麻呂末裔と伝わる。清麻呂の
姉・広虫が孤児を育て子供を守った事に因んで、孝明天皇より「小森(子守)」姓を賜ったという。
戦国時代から江戸時代にかけて代々宮廷医官をつとめた医家半井家(なからいけ)が和気氏の直系子孫だというが、医家が日本の真のオーナーというのも地味な話ではある。その他にも和気神社社家の小森氏もある。
※まだ確証ある内容ではない。あくまで推測段階です。
しかし、元外交官の
原田武夫氏の本『最もリアルなアメリカ入門』によると、英国植民地として始まった米国を最初から作り上げてきた人たちの末裔が閥族集団を形成して固く結び
付き「奥の院」を構成してるという。このことは広瀬隆氏・著『アメリカの経済支配者たち』でも触れられている。この家柄はロックフェラーも及ばない大富豪
の名家であるが、「奥の院」の当主たちは非常に慎み深く、世間にさらされることを極端に嫌う。これが彼らの伝統的なモラルでもあり、同時に金融資本主義の
中で最も効率的に収益を上げていく方法でもあるという。
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確かに目立つことによってリスクを 高め、それによってかりそめの名誉や地位を得ることで満足するのは、別の者がすればよい。彼らはそう考えているという。そこで「支配階層役」を努める人物 を彼らは敢えて選ぶことになる。その一方、彼ら「奥の院」の一族は「通訳」、「会計士」「ファイナンシャル・プランナー」など、一見したところそれとは分 からない地味な職業を名乗っているという。つまり、ロックフェラーなどは対外交渉役の案山子に過ぎない。リチャコシどんが聞いたら脱糞してしまうような話 ですが、この「奥の院」話は最もな話だと思う。ですから、日本でも代々の医者家系がそうだといっても納得できるのではあるが、、、、米国「奥の院」は大富 豪なのだが半井家が大富豪なのかは知らんw
※通常、大富豪でなければ支配統治などは出来ない。
ただ、鞍作毛人子 孫は、これら二家以外にもある。堂上家である勘解由小路家(かでのこうじけ)もその1つ。天文道の土御門家(安倍氏)に対し、暦道を教える高鴨氏が勘解由 小路家ですが、戦国時代には廃絶してしまっている。唯一、庶流の幸徳井家(かでいけ)という地下家が残っているが、明治維新後、地下家であるが家系から公 卿を6名輩出している実績を根拠に華族への取立てを請願するも、明治政府より却下されている。明治の社会主義者・幸徳秋水は幸徳井家の傍流の子孫だが、明 治期を境に地下家が台頭し、天皇権力を背後から操作していると言われるが、幸徳井家もそうなのだろうか?
う~む、今のところ何も決め手が無い状態だす。
天神系王朝443代目の特定はハッキリ言ってよく分からないだす(滝汗)。