http://nowcreation.jimdo.com/2014/09/25/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%B1%B1/ 一方トゥーレ側は、この新しいエネルギーの利用の仕方を研究しながら、スペシャルSSユニットであるE-Ⅳに取り組んでいた。彼らは秘密の場所で、ホイネブルクという独自の円盤プロジェクトを持っていた。――それはテザーされて(繋がれて?)いなかった。彼らの円盤[写真]は1935年の初めに、H-Gerat
(ホイネブルク装置)、略してホイネブとして知られるようになる。1939年にはその円盤のTriebwerk(Thrustwork)エンジンが完成した。トゥーレによってホイネブ-1が、アラド-ブランデンブルクのテスト施設に移されるときはRFZ-5というコードネームで呼ばれた。トゥーレのTriebwerk
は電磁重力系エンジンだった。心臓部は、加熱水銀のはいったタンクと3つの平行ディスクだ。タンクは高速回転しており、平行ディスクはそれぞれ相対する方向に回っている。伝導体になった水銀に磁場との相互作用を起こさせる。水銀は超伝導体のように振る舞い、周囲の環境を局所重力の影響から隔絶する。
最近の考察では単原子ゴールドの反重力観測を、加熱水銀に生じているかもしれないことになぞらえている。他の原子との凝集結合に関わっていない原子 "solitary atoms"
は、通常なら結合に費やされるエネルギーを取り戻して加速し、核粒子の軌道を歪めることが知られている。この歪みが、なぜか重力の影響から原子を自由にする。
反重力エンジンは、航空機を重力から隔絶しただけだった。実際に浮揚させたわけではない。重力を除外することで必要とされるエネルギーが大幅に減少した
ものの、円盤が上昇し大気中を移動するには、依然としてパワーが必要だった。ジェットエンジンを搭載させた型もいくつかあり、時速2,900~12,000㎞に達した。トゥーレグループは最終的に磁気パルススラスタ(推進機)を設計した。それは、反重力状態になってから航空機を操縦し、推進させるのに役立った。こうした磁気スラスタは「爆発」原理ではないので、理想的な解決策だった。
1944年までに、トゥーレはホイネブⅠ-Ⅲシリーズを手掛けた。いくつかは実に巨大な円盤で、200部隊を収容できた。長さ139メートルの円筒形母船は
"Andromeda-Gerat"
(アンドロメダ装置)と呼ばれた。一方、ブリルグループの勝利は7つ目の輸送船、Vril-7で、惑星間旅行用に設計された。
戦況が連合軍側に優位になると、トゥーレは製造施設をポーランドの深部鉱山に移した。彼らは強制労働を使い、円盤の開発を続けていた。最後の最後まで。
――鉱山が洪水に見舞われ、連合軍側が近寄れないほど崩れた。この施設にあった円盤はすべて流されたものと信じられている。しかしなかには、少なくとも一
機か二機は無事に回収されたと考えている人もいる。跡地には巨大発電機の基礎が見える。電線管は、今日まで残っている大きなコンクリート・プラットフォームの中心まで引かれていた[写真右]。
ブリルもまた、退避する計画を立てていたが、こちらの方はもう少し手の込んだものだった。彼らには最高傑作「惑星間」円盤Vril-7
があったが、もっとも似つかわしくない安全の地に移す用意ができていた。マリア・オルシックがコンタクトを取って以来、ブリルメンバーは歳月をかけて、テ
レパシーの相手方であるエイリアンについてたくさん学んでいた。事実、ブリルが得たエイリアンの情報により、すでに潜水艦と補給船は戦争遂行のための資源
輸送から――よりによって――南極への資源輸送に移っていた。
アルデバラン文明:そこに行ったし、それもした・・・
ブリルの霊媒たちによると、テレパシーで通信していた種族は、アルデバランを回る二つの居住惑星のうちの一つの惑星の種族だった。おうし座のアルデバランは古い星で 68光年の距離にある。歴史的な遺物では、彼らは常に角(horn)
と共に描かれている[写真――角をかたどった頭飾り]。彼らがコンタクトしてきたのは、人間の行動、なかでも我々の好戦的な習性を観察してのことだった。
彼らは人類に「贈り物」(ブリルエンジン)を授けることにした。資源とエネルギー――人間の戦いの原因――を求める争いをなくすために。
数百万年前にアルデバランの人たちは「ブリルエネルギー」を利用するに至った。我々が電気を理解しているのと似ているが、もっと極めた使い方をしてい
た。彼らはメンタルな能力を発展させていたので、このブリルエネルギーと交流することができた。創造の目的にも破壊の目的にも利用していた。
彼らの太陽は自然の成り行きとして赤色巨星になった。居住惑星の環境条件は生物学的ストレスを引き起こし、ブリルを利用するだけのメンタルな能力を失う
まで退化したものもいた。彼らはこのことに気づき、ただちに純粋なアルデバラン種を、退化した系統から隔離した。そして劣等種を産んだり、関わったりする
ことに厳しくなった。彼らの太陽系の環境が悪化すると、「エリート」アルデバラン(人)は自分たちの種族を――純粋系統、劣等系統ともに――別の居住世界
に避難させた。地球もそのうちの一つだった。
ゼカリア・シッチン(1922-2010)がシュメールの伝説を広めるずっと前、前世紀の変わり目に、このようなことが報告されたのだが、古代シュメールの伝説に同じ物語をたやすく読み取れる。シッチン説のように、アルデバランたちは、3,600年ごとに我々の太陽系に入ってくる「黒い太陽」の破壊的影響に気づいていたし、地球に住めなくなることもわかっていた。アルデバラン人種は地表から退いて、南極大陸の下の「空洞」へ移った。そこから彼らは人類を観察し、その運命をコントロールしようとしてきた。
アルデバランは、このことが誰にとっても信じ難いことを理解していたが、自分たちが地表で暮らしていた証として、彼らは地球上のたくさんの巨石遺跡を指摘した。ともかく、彼らはブリルエンジンのプランに関しては100%の証拠を提供していた。ひとたびそれが完成し、テストされれば、世界は決して同じままではなくなる。
ドイチュラント…我々には問題がある。
ブリル側と同様、アルデバラン側にも「贈り物」が無分別に使用されていることが明らかになった。砲塔つきの円盤、遠隔操作用「兵器」円盤の製造は、もとも
との動機に反していた。ブリル側は、南極大陸地下のアルデバラン人居住者を訪ねた。十分な証拠書類で裏付けられている通り、彼らは地下にある島ニュー・スウェイビアに入植するプログラムを開始した。第二次世界大戦中の後半期に、SS(ナチス親衛隊)は特別繁殖計画を実行した。アルデバラン人種と同じように、子孫が、この南極大陸を征服するよう定めたのだ。
アルデバランに関するこのような事実が、本当か想像なのかは我々には知る由もない。だが、ブリルのテレパシー能力者が受け取った製造プランがとても正確だったから、"Jenseitsflugmaschine"
「あちら側への空飛ぶ機械」がうまく完成したのだ!
ブリルの目撃レポート
1957年のケースでは、デトロイトの諜報員らが、ある男と話したことが記録されている。その男は
「・・・1926年2月19日にポーランドのワルシャワで生まれた。1942年5月、戦争捕虜としてポーランドから、ドイツのGut Alt Golssen――ベルリンの東30マイル――に連れてこられた。彼は終戦の数週間後までそこに留まっていた。
'SS'の看守が現れ、トラクターのドイツ人運転手と簡単に話をしていた。5分から10分するとノイズは止み、トラクターのエンジンは正常にかかった。およそ3時間後、同じ湿地帯の道から外れたところで、作業班は草を刈っていた。ドイツ人の監督がいたし、乾いた場所には'SS'の看守もいたので、彼は盗み見るように円形の囲い地を観察した。広さは直径約100~150ヤード(約90~135メートル)、およそ50フィート(約15メートル)の高さの防水シート状の壁で中が見えないようにしてあった。そこから円盤がゆっくりと上昇し、壁よりも上にすっかり姿を現した。そして目の前を水平方向にゆっくり進んだが、木が遮って見えなくなった。
およそ500フィート(約152メートル)離れたところから見たその円盤は、直径75~100ヤード(約67~90メートル)、高さおよそ14フィート(約4メートル)、ダークグレイの固定型トップとボトム――それぞれが5~6フィート(約1.5~1.8メートル)の高さ――で成り立っていた。中間部分は高さ3フィート(約0.9メー
トル)で、急速移動コンポーネントと思われた。それは周縁部を、飛行機のプロベラのようにぼやけさせていたが、円盤を観察できるだけの輪郭は見えていた。
円盤が発しているノイズは先に聞いたものと似ていたが、ややピッチが低かった。このときトラクターはまたエンストしたが、ドイツ人運転手は音が止むまで何
もしようとしなかった。音が止むと、エンジンは正常にかかった」。
それからこんなケースもある:
「1967年4月26日、[目撃者]がマイアミオフィスに現れて、今では未確認飛行物体と呼ばれている、ある物体に関する以下の情報を提供した。伝えられるところでは、1944年11月に撮影したらしい。
1943年に彼はドイツの空軍士官学校を卒業し、ルフトバッフェ(Luftwaffe、ドイツ空軍)のメンバーとしてロシア戦線に配置された。1944年の終わり近くに、彼はこの任務を解かれ、オーストリアの黒い森でのトップシークレット・プロジェクトのテストパイロットを任じられた。この期間に彼は上記の航空機を目撃していた。直径約21フィート(約6.4メー
トル)の円盤形、無線操縦機で、外側部分の周りにいくつかのジェットエンジンが搭載されていた。彼の説明によれば、外側部分は中央ドームの周りを回転する
が、ドームは静止したままである。飛行中のその物体を撮影するのが、彼の任務だった。彼は、ある写真のネガを保持することができ、それは(高度?)7,000メートルで自分が作製した写真だと断言した。
彼によると上記の航空機[写真]は、あるドイツ人技師が設計、製造したもので、現在の居場所は彼にはわからないという。彼はまた、この航空機に関する機密情報は、連合軍が掴んでいるものと推測していた。このタイプの航空機は、少なくとも一機のB26爆撃機を墜落させる目的を負っていたと彼は言った。
同様の飛行物体に関する未確認情報と、このような航空機の所有を合衆国が否定しているために、彼はだんだん不安になってきたのだ。彼は、このような兵器がベトナムで役立ち、アメリカ人のさらなる死を防げるだろうと感じている。それが、彼が連邦捜査局(FBI)に連絡してきた主要な目的だった」。[Redfern, N and Downes, J]
彼らは今どこに?
戦争中、特に後半になると、ドイツのUボート(第一次、第二次世界大戦のドイツの潜水艦の総称)は頻繁に南極大陸、南アメリカ、オーストラリアに向かった。ドイツはまた、南極の海に気象ブイを浮かべ、南極と南米の先端の間にある島々に気象観測所を設けた。1942年にSS RuSHA(親衛隊人種及び移住本部)は、ウクライナからアーリア人女性をBase 211に移送する作戦を開始した。
ロシアに赴いていた2,500人の
Waffen SS
(武装親衛隊)と共に、金髪で均整の取れた体つきの17~24歳の女性、1万人が集められた。
この壮大な作戦の目的は、居住に適したコロニーをBase 211につくり、トゥーレ-ブリルの技術開発をそのまま続けることにあった。トゥーレとブリル、どちらのゲゼルシャフトも終戦時には、SSのカムラー将軍のもとで、そのテクノロジーをBase 211
に移転したと信じられている。カムラー将軍は、ドイツの最高機密兵器プログラムを担当していた。
戦後、アルゼンチンで降伏した2隻のUボートが、貨物とSS高官をBase 211に運んでいたとも信じられている。どちらのボートも降伏時には空になっており、乗員は貨物と目的地を明かさなかったという。
ハイジャンプ作戦・・・ナチ残党探しか?
1947年アメリカ海軍はバード少将のもとで、ハイジャンプ作戦を実施した。海兵隊員4,000人、13隻の巨大艦船、数機の大型航空機とヘリコプターを動員しての南極探検だった。目的は、南極大陸の沿岸線を地図に起こし、鉱物及び野生動物の目録、分布図を作ることにあった。遠征期間は6ヶ月に及んだ。
沿岸湾、リトル・アメリカに探検基地が置かれ、テント設営地もつくられた。そこでは調査用航空機の整備も行えた。チーム分けされた隊員たちは、写真によ
る調査のための大判カメラをもって、南極の隅々に散らばった。オーストラリア大陸南西の真向かいにある地域を撮影する隊員は、現地に到着したときショック
を受けた。彼らは、その沿岸部には氷がなく、水温が38F(約3.3℃)であることを、無線で報告した。彼らはそのまま撮影し続けてから、現像するために戻った。
この画像はグーグルアースに座標を合わせれば誰にでも見ることができる。(訳者:2014年9月30日現在では、雪で覆われている画像になっていました)。垂直に接近するよりは少し角度をつけて、真北を維持するといいだろう。幅およそ180フィート(約55メートル)、高さ230フィート(70メートル)の入り口が見える。外には、表面が平らになっているところあり、いかにも人工的だ。
この件の後、ただちに遠征は中止され、すべての艦船と海兵隊員は合衆国に帰還させられた。このミッションの成果は、60年
経っても機密とされている。バード少将だけが、遠征からの帰還中にチリのジャーナリストからのインタビューを受け、突然の帰還についてコメントしている。
彼は今回の遠征で、ある危険に遭遇し、それは自由世界のすべての国を脅威にさらす原因になると述べた。彼はこれに関する詳しい説明は避けた。
[後半に続く]
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後半 コブラ ウンタースベルク山 追伸 アルデバラン人
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