宇宙人情報、本命のC組代表の、復習、先にやっときますかね。 属性についても同じことが言える。
真の課題を理解し、やり通す勇気のある人々を世界は必要としている
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いわゆる悪徳窃盗団が地球全体を踏みにじり、地球を食い物にするのを、ただじっと静観していることはできない。そうでなければ何百万人もの人々が新たに殺されることだろう。アリゾナ州、フォート・ファチュカの陸軍情報本部の特別作戦工作員と討論した時に、私は訊ねた。「ヒットラーとその親衛隊を、しかるべき手段を用いて抑制するためには、どの時点が適切だったのでしょう?」と。私の見解は「できるかぎり早い時点において」である。
私たち人間の中には狂犬たちもいる。
彼らの中のそうした者たちは、いかなる道理であれ霊的啓発にも決して従うことはないだろう。すると人は、「でも、私たちには何もできない」と言うのだろうか? 自衛権というのは本来普遍的なものなのだ。
これが私の立場であり、私は明らかに不戦論者ではない。
私は平和を信じており、高次の霊的能力の活用も信じているが、最終的には、本物の狂人が野放しになっている場合、私はそこへ介入して何の罪もない人々を保護する余地がある。ある意味私たちは、集団的精神異常が大きな部分を成している社会に暮らしている。それは気が狂った社会であり、そこには起こるべくして起こることがあり、それに対しては懲罰と断固たる行動が必要である。
だが復讐や怒りに走ってはいけないし、それは正しい動機の下に行なわなければならない。子どもを叱るとき、あなたは怒りや仕返しからそうするのではなく、子どもを教化し啓発するためで、子どもの将来のためにそうするのだ。我が家では、大きな期待と厳しい規律をもって子どもたちを育てた。私たちは子どものわがままを許さなかった。子どもたちにしてみれば、時に両親を厳しすぎると思うこともあったようだが、成長してからは、価値観と規律と愛をもって育てられたことに感謝している。
こうしたことは社会にも同じように当てはまる。
人は愛情深くもなれるだけでなく、同時に、介入して訓戒を必要とする事態を認めたり、さらにあるまじき振る舞いを大目に見たり、狂犬が平和な羊の群れを引き裂いている時に見て見ぬふりをするような真似(まね)はしない。
これには知恵が必要だ。
私たちの住んでいる世界は両極端に分かれており、一方は非現実的なニュー・エイジ精神と平和主義、他方は伝統的な「奴らと自分たち」で、「言うことを聞かない奴らは誰であれ殺してしまえ」という考え方だ。私たちは今生きている時代をよく認識する必要があり、そしてこの世界はまだ完璧な世界ではないのだ。
”アダム”に始まる40万年周期というのがあった。
”アダム”はその周期の最初のアヴァター(神の顕現)であるが、その周期は1800年代中期から後期の間に終わった。その時点から始まったのが50万年周期であるが、宇宙平和、人間と宇宙に存在する生命とが一つであること、地球上に真に啓発された文明の最終的な確立、これらがこの周期の特徴である。
それは平和が永続する時代であり、最初に政治的な平和が実現し、大戦争や紛争が地球からなくなる時代となるだろう。そうした一時期の後に大いなる平和、つまり地球とその全住民が霊的な一体性へと成長する、啓発された霊的平和の時期が出現する。そのとき、地球は途方もない啓発センターとして、あまねく全宇宙に知れ渡るだろう。
すべての手段と能力があったのに、人類は行動しないことを選択した
そして、今のところ状況はよくないように見えるが、だがこのままの状態が続くわけではない。こんな状態がいつまでも続くわけがない! 実は新しい時期、新しい時代への変化はすでに150年間進行してきているのだ。しかし50万年周期として考えるならば、夜明けはまだ始まったばかりである。一つの周期が開かれるとき、最大級の混沌の一時期が作り出される。これが理由で私たちは今、史上最大の混沌期に生きているのだ。だが間もなく、この時代は別の現実に取って代わられる。
世界平和のために必要な知識と霊的能力は、100年前に地球に住んでいた人々を通してこの世界に入手できている。そこにはコミュニケーションの手段もあり、”神の意志”と”神の計画”もあった。しかし人類は、行動しないことを選んだのだ。人間がそうしなかったから、それは為されなかった。
だから、今のこの事態は私たちが選んだのだ。
そして今日、この選択の結果から多数の問題が生じており、まさに今この瞬間が、私たちの選択にかかっている。それは集団的、個人的に関わらず私たちはみな選択している。そして、その自由意志の行使の集積が、今私たちが目にしているこの世界を作ったのだ。
1800年中期から後期にかけて起こった出来事とは、私が理解しているところでは普遍的なアヴァター(神の顕現)がその時期に現れ、その時期に姿を消したことである。つまり次の50万年間の神の顕現であり、新しい世界を霊的に創造した後、突然姿を消したのだ。その時に必要な情報や知識、そして新しい時代のための手段を、創造のもっとも精妙な圏内に創造していった。
それは全部、今ここにある。
見てみれば、それは見えるのだ! 人間としての私たちはそれを見て、真に理解し、現実化させなければならない。運ぶべき「水」は残っており、残りの「水」を運ばねばならないのは、今や私たちである。「水」は、未だそれを必要とするところへ届けられなければならない。それを運ぶのは私たちである。
そして実際に、今はそれをするのに最適の時である。
しかしほとんどの人が、自分たちが生きているこの時代についての認識を何も持っていないことを、私は信じて疑わない。彼らが待ち望んでいる出来事は、すでに起こってしまったのに。だから私は言っているのだ、その出来事のほとんどは、バックミラーで見る100年から150年前のことなのだと。そして宗教や政治やその他の指導者たちのほとんどが、後方を見ている。彼らは何かが起こるのを待っているが、それはすでに起こったのだ。
無知を調整するただ一つの道は、知識を共有すること
だから地球とそこにいる誰もが、ある意味でみな知恵遅れの状態にある。
それらの出来事はおもに無知が原因で、ハイジャックされてしまったのだ。その無知を調整するただ一つの道は、知識を共有するしかない。すでに述べたが問題の一つは、「ナイス・ピープル」が重大な欠陥を持っていることだ。彼らは「ナイス」だ。ピープル(人々)が「ナイス」だから、狂犬病の狼や気の狂ったイヌは彼らを引き裂くことができる。(「ナイス」の本来のラテン語の意味は「無知な・愚かな」の意)
私たちは相当量の眼力ある霊性と真の知識が、本当の勇気と結びつくことが是非とも必要な一時期に生きている。しかも不幸なことに私たちは、霊性というものが無抵抗と同等に見られてきた時代を生きている。これは非常に危険なことだ。なぜならそれは霊的志向で非常に「ナイス」だが、きわめて消極的で無力な人々を作り出すべく意図された、プロパガンダか洗脳であるからだ。だから彼らが消極的であれば、狂犬は完璧に彼らを支配できる。
ガンジーやマーチン・ルーサー・キング・ジュニアといった人々は、私たちの誰もがそうであるように完璧な人間ではないが、しかし彼らは霊的志向であり、信念に基づく勇気を持っており、そして行動した。彼らは脅迫され、危険を冒し、最後には殺害された。私は講演会でほとんど毎回のように、「怖くありませんか?」と聞かれる。それに対し私はこう答える。「そうですね。私は救急医師ですが、たった50セントのビールのことから殺されたような数知れない人々の面倒を見てきたんですよ」
ある時2人の男子高校生がコード・ブルー(仮死室)に運ばれてきた。
彼らは病院に到着すると同時に死亡し、私たちは救命に努めた。事の起こりは、1人がもう1人のガール・フレンドの尻を触ったことから、彼らはナイフを取り出し、互いの腸と心臓を刺したのだ。私はこういったつまらない些細なことで死んでいく多くの人々を見てきた。
真の課題を理解し、やり通す意欲ある人々を世界は必要としている
こうしたことがどのような問題を提起しているのかわかっていながら、責任を回避し、戦おうとしないなら、あなたは臆病者である。こういう意図に関わっている連中に、私はきっぱりと言ったことがある。「私を潰したいのか? やってみろ」と。ともかく、私はまだ生き延びている。臨床的には、17歳の時に死んで以後のすべてのことは、贈り物だと考えている。
課題は何であるかを理解し、最後までやり通す意欲のある人たちを、この世界は必要としている。私たちが生きているまさにこの時代こそ、人々がバランスを獲得する本当のテスト期間である。それは陰と陽、男と女といった属性のバランスだけでなく、霊性と慈悲を積極性や頑固さや鍛錬と結びつける必要がある。変化を起こさせるためには、こうした本質を結合させなければならない。それは鳥の左右の翼のようなものだ。
しばしば言われることだが、人類においては男性と女性は鳥の両翼である。
その一方が傷つくと鳥は決して真っ直ぐには飛べないし、決して空の高みに留まることはできない。これは基本的に平等であるというだけではなく、そうした調和を招来させるためには、こうしたことは人生ではっきりと表現されねばならず、また実行されなければならない。
私たちの今の世界では、女性は一般的に頑固であったり積極的であったりしてはならないと教えられ、男性は慈悲深い生き方というものを教えられてはいない。こうしたことは人間の本質から逸脱したことだ。これらの要素は男である、あるいは女であることとは無関係である。どちらかの性により優位な特質があるとしても、課題はそれらを調和させることにある。
つまり、「これか、あれか」の二元性は超越されなければならない。
これらの本質と属性の両方が、人生に持ち込まれて実を結ぶ必要がある。もしそうしないならば、この惑星に永続する文明を確立させることは成功しないだろう。
私たちが過去100年間においてそうしていたならば、平和的な世界文明がすでにここに恒久的に確立されていたはずであることを、私は少しも疑わない。1900年中頃までには、都市間の交通機関は電気・重力による輸送が可能であったに違いない。地球を流れるフリー・エネルギーと無公害エネルギーを利用できていたに違いない。
私たちは、自由意志を働かせることによって得られる力と、それに伴う新たな世界を創造できる知識を、集合的にも個人的にも行使してこなかった。私たちがそれを行使するならば、同時にこれらのテクノロジーが得られる。しかし私たちが実行しない限り、それは起こらない。
だから私はこうしたテクノロジーを未来の空想産物として見ないように、人々を励ましている。実は少しだけ追いつけばいいだけなのだ。私たちは未来について現実的に話を進めることができる。なぜなら、すべてに無害なテクノロジーを使って平和な文明を確立することは、すでに数十年も前に達成できたはずだからだ。それは地球における人類の住み方の全体的な変容であり、また宇宙へ向けての探検でもある。
HIDDEN TRUTH FORBIDDEN KNOWLEGE (原書のタイトル)
『UFOテクノロジー隠蔽工作』 スティーヴン・グリア著 めるくまーる抜粋