今日のraptさんも飛ばしてますね。
ナチスとチベットと緑龍会との関係について。そこには地底都市シャンバラの存在がありました。
http://rapt-neo.com/?p=24017
一昨日と昨日の二回に渡って、ナチスドイツがいかにして「天皇派」の推進する日本中心のNWO計画に荷担し、いかにして「教皇派」との戦いに敗れていったかについてお話をしました。
○ヒトラーとオカルトの関係について。またはヒトラーの背後で見え隠れする「天皇派」の影。
○ナチスドイツが戦争に負けた真のカラクリ。またはヒトラーを操った「緑龍会」について。
ヒトラーは「天皇派」と手を組み、日本中心のNWO計画を実現するために戦争を起こしたわけですが、「教皇派」による情報攪乱によって自分を見失い、最終的には「天皇派」の計画を潰すことになってしまいました。
恐らくヒトラーのように裏社会のコマとして使われるような人物は、それだけ敵からの攪乱工作にさらされる機会も多くなるはずですから、最悪の場合、何が正しくて、何が間違いであるのかもはっきりと分からなくなってしまうことも多いのでしょう。
ヒトラーの場合、最後まで「天皇派」の言うことを聞くべきだったのですが、自分の部下の中に「教皇派」のスパイが混じっていて、「イギリスを攻撃してはいけない。ソ連を攻撃すべし。でないと、ドイツがやられてしまう」と絶えず耳元でささやかれていた。
そんなことをされれば、誰でも普通は不安になります。で、そんな不安が極度に達して、「天皇派」から「ソ連を攻めてはいけない」と言われても耳を貸さなくなってしまった。それどころか、そんな話をしてくる人のことを自分の敵ではないかとすら疑いはじめたのでしょう。
恐らく日本の首相も、普段からこういった攪乱工作にさらされているのでしょう。「教皇派」のエージェントたちが「天皇派」の振りをして、「これは天皇のご命令だ」とか何とか嘘をついて、頭を混乱させ、不安がらせて、「天皇派」の計画が実現しないように仕向けていくわけです。
私のところにもちょくちょく攪乱工作をしにくる人がいますが、現首相・安倍晋三のところには普段からもっと沢山のエージェントが群がってくるのでしょうね。
ヒトラーの生き様を調べていくうちに、なんとなくそんな裏社会の実態のようなものが透けて見えてきたような気がします。
ということで、今日の本題に入ります。昨日の予告通り、今日は怪しげなチベットの謎に迫ってみたいと思います。
昨日も書きました通り、ナチスドイツは日本の秘密結社である「緑龍会」と深いかかわりを持っていて、このナチスも「緑龍会」もチベットとかなり深いかかわりを持っていました。(詳しくはこちらをご覧ください。)
そしてその事実は、こんな奇妙な出来事から発覚したようです。
----------------(以下、ナチスとチベットの妖しい関係より転載)
●1945年4月末。ナチス・ドイツの首都ベルリンは、瓦礫と死体の散乱する廃墟と化していた。
血なまぐさいヒトラーの野望は、連合軍の総攻撃の前に打ち砕かれた。6年間にわたる忌まわしい狂気が、もうすぐ終わろうとしていた。激しい爆撃で破壊された街の中を、連合軍の戦車が、砂煙を舞上げながら走っていた。
ドイツ兵らしき人影が、ちらっとでも見えたら容赦なく発砲した。上空にはソ連軍の戦闘機が飛び回り、たえず地上の動向を監視していた。
●その日、連合軍の兵士たちは、東ベルリン地区の壊れたビルの中をパトロールしていた。隠れているドイツ兵を摘発するためであった。
彼らは崩れかけた部屋を一つ一つ見て回った。1階のある部屋に踏み込んだ彼らは、そこでSS(ナチス親衛隊)のマークを付けた7人のドイツ兵らしい死体を発見した。
ありふれた光景だった。変わっている点といえば、6人の死体が円を描くように横たわっており、中央に1人の死体があることだった。彼らはそのまま通り過ぎようとした。
●しかし、そのとき兵士の1人が、死体の様子がおかしいことに気付いて、仲間を呼び止めた。
彼らは改めて7人の男の死体を眺めた。円の中央にあおむけに倒れている男の両手は祈るようにしっかり組まれていた。その手には不気味な「緑色の手袋」がはめられていた。
しかし何より彼らを驚かせたことには、男の顔がまぎれもなく東洋人、それもチベット人のものだったことである。中央の男ばかりではなかった。ドイツの軍服を着てはいるが、周りの男たちもみなチベット人であった。
「これは、いったい……」
連合軍の兵士たちは、説明のつかない目の前の光景に声も出なかった。
ただ明らかなのは、チベット人たちは、殺されたのではなく何らかの儀式的な自殺を図ったらしいということだけだった。
それらの死体は、いずれもドイツ軍の制服を着てはいるものの、認識票もなければ、身分証明書も所持していなかった。遺体は整然と地面に横たわり、それぞれが儀式用の短剣で自分の腹を貫いていたのである。
●この事件を皮切りとして、ベルリンの至る所で、数百体にものぼるチベット人の死体が続々と発見された。
また、ヒトラーが自殺したとされる日以降も、ベルリンにおいて最後まで頑強に抵抗する部隊があったが(特にベルリンの通信管理センターでの戦闘は激しかった。全てが倒され、最後の死守がなされていた)、この通信管理センターの廃墟から発見された兵士1000人の遺体はチベット人だった。
彼らはヒトラーの近衛兵でもなく側近でもないのに、最後の最後まで命を賭して戦っていたのである。
●これはコーネリアス・ライアンの『ヒトラー最後の戦闘』にも記述されている広く知られた事実である。いったいチベット人たちは第二次世界大戦下のベルリンで何をしていたのか? ナチス・ドイツとチベットの間には、どのようなつながりがあったのか? 謎は深まるばかりであった。
そして、この謎の鍵を握っているはずの最大の人物アドルフ・ヒトラーは、ナチス帝国崩壊とともに姿を消しており、チベット人の死体の謎を解く手掛かりは何もなかった。
しかし戦後、ナチスの「影の部分」についての研究が進むにつれ、意外な事実が明らかになる。
----------------(転載ここまで)
一体、ナチスとチベットにはどんな関係があったというのでしょう。
ナチスと日本の秘密結社である「緑龍会」とをつなげた人物がカール・ハウスホーファーだった、という話は昨日もしましたが、このカール・ハウスホーファーは生前、ある一つの書物をとても熱心に読みふけっていました。
しかし、その書物が実はかなりのくせ者なのです。
----------------(以下、ナチスとチベットの妖しい関係より転載)
●かのカール・ハウスホーファーが夢中になっていた本に『来たるべき民族』があった。
彼はこの本をヒトラーに貸し与えたが、案の定、ヒトラーもまた夢中になった。
この『来たるべき民族』は、1871年にイギリスの小説家ブルワー・リットンによって書かれたSF小説であるが、この物語はヒトラー世界観に決定的な影響を与えたのであった。
この本は、チベットの「シャンバラ伝説」とナチスとを結び付けるうえで、非常に重要な役割を果たしたのであった。
●では『来たるべき民族』とは、具体的にどのような内容の小説なのだろうか。
ひとことでいうなら、地底に栄える高度な文明社会の秘密を描いた物語である。
そこで描かれた地底民族「ヴリル・ヤ」は、もともとは地上に住んでいた民族の一部族だったが、大洪水などの天変地異を逃れて、山中の洞窟に避難し、最終的に地底に都市を建設するまでになる。
そして、そこで凄まじい未知エネルギー「ヴリル・パワー」を発見したことにより、地上の人類より遥かに進んだ超科学を駆使するようになった。更に人々は「ヴリル・パワー」に基づいたサイキック能力を開花させるようになった。
もちろん、この地底民族はいつまでも地底に住み続けるつもりはなく、ある時期が来たら地上に戻って、地表民族を滅ぼして地球全体を支配することを目的にしているという。
著者ブルワー・リットンは最後に、この恐るべき地底民族が地上に現れるのが、少しでも遅くなるようにという願いを書き付け、人類への警告として、この物語を結んだのであった。
●『来たるべき民族』が発表された当時、この物語の真偽を巡って、イギリスの秘密結社「黄金の夜明け」団の会員たちの間では何度も議論が行なわれた。
著者のブルワー・リットンは、この物語はフィクションであると主張していたが、ブルワー・リットン自身、神秘主義に深く通じていて、実際に薔薇十字系の結社の会員であったという事情もあり、「黄金の夜明け」団の会員の多くは、ブルワー・リットンが実際に地底の超人たちと接触をもっているにちがいないと考えた。
この「黄金の夜明け」団ドイツ支部の草創期からのメンバーに、カール・ハウスホーファーがいた。彼は軍人時代に参謀本部の一員として、インド、アジア、日本を訪れていたが、この時、アジアの神秘主義を深く研究し、「シャンバラ伝説」についても知識を得ていたのであった。
彼は「地政学」のドイツの代表的エキスパートであったが、彼は「地政学」に独自のアイデアを加えて、ナチス政権の政策・理論の基礎として重用されたのである。
●ハウスホーファーは、地底王国(アガルタ)は「瞑想の場、神の隠れた都市、世界のどんな人間も入れない場所」であり、その首都シャンバラは「その力が個々の人間や集団に命令を下し、人類が時代の転換点へと達するのを助ける町」であると述べている。
更にハウスホーファーは、アガルタを中心とした中央アジア地域こそ、ゲルマン民族発祥の地であると信じた。
そして、ドイツ人の究極目標は、この地域(ハートランド)を完全に支配することによって、世界をユダヤの支配から解放し、ひいてはゲルマン人による世界制覇を達成することであると主張するに至った。地政学の観点から「ハートランド」を制する者はすなわち世界の覇権を握るのである、と強調した。
(註:このカール・ハンスホーファーが日本を中心としたNWO計画を推進したことは昨日もお話した通りです。そしてこの人物は、なぜかアガルタという高度な文明をもつ地底王国が存在していると大まじめに信じていたというわけです。)
この点で、ブルワー・リットンの『来たるべき民族』は、彼がアジアで得た信念と一致した。つまり、地底民族「ヴリル・ヤ」とアーリア人は共通の祖先を持つがゆえに、自分たちも全生命力の源泉「ヴリル・パワー」を用いる能力を持っているという確信であった。
そしてその確信に基づいて「ヴリル協会」なる団体が組織されていたが、ハウスホーファーはこの団体にも参加し、重要な役割を演じていた。「ヴリル協会」はヴリルの制御技術を開発することを目的としていたが、彼はヴリルを自由に操る者が世界を制覇する、という『来たるべき民族』の思想を、そのまま信じていたのである。
●ハウスホーファーとヒトラーの運命的な出会いは、第一次世界大戦後のランズベルク刑務所であったことは、既に紹介したが、ハウスホーファーがヒトラーに『来たるべき民族』を貸し与えたのはこの時であった。
独房の中でページをめくるヒトラーは、強い興奮を覚えたという。ハウスホーファーの解説により、この奇書が事実に基づいて書かれたものだと知らされたヒトラーは、自分たちこそこの小説に書かれた「来たるべき民族」にほかならないと信じたのである。
更に、1925年、中央アジアを探検したポーランド人の地理学者F・オッセンドフスキーの『獣・人間・神々』が出版されるにいたり、地底の超人たちの存在に関するヒトラーの確信は不動のものとなった。
●ヒトラーは学者たちに命じて、著者ブルワー・リットンの生活を詳しく調査させ、ブルワー・リットンが「ヴリル・ヤ」にいたる坑道を発見したと思われる鉱山の正確な場所、そして訪れた日時までを割り出させた。
一方でヒトラーは、シャンバラと深いかかわりがあるはずのチベットの僧侶たちを大勢ベルリンに迎え、彼らが受け継ぐはずのヴリルの技法によって、軍事政策を支援させようとした。
彼らは、ベルリンの随所に配置され、ナチスの勝利を祈る儀式を行なったという。そして、ヒトラー自身も、政策を進める上で、高位の僧侶に意見を求めることがしばしばだったという。また、ヒトラーは軍事行動を起こす時、特殊なチベットの秘教カードを用いて、一種の易を立てたとも言われている。
この方法は、ナチ党の母体となった「トゥーレ協会」で用いられたものだが、ヒトラーはこの易に熟達していたという。
(註:この「トゥーレ協会」も、もちろん悪魔崇拝者の組織した秘密結社です。)
また、アーリア人=チベット人起源説を実証するために、ナチスの科学アカデミー「アーネンエルベ」の傘下に「スヴェン・ヘディン協会」が設立され、チベットに調査団を送り出している。
----------------(転載ここまで)
皆さんの中にも「シャンバラ」という地底都市についての伝説を耳にしたことのある方がいらっしゃると思います。
私もこれまでに何度かそういった話を聞いたことがあります。
しかし、「まさかそんなものが本当に存在しているわけがない」と思って、これまで全く相手にしてきませんでした。というか、普通の人ならそうなりますよね。
ところが、ヒトラーはなぜかこの地底都市の存在を大まじめに信じ、この地底都市について大まじめに調査をしていたというのです。
さらには、上の記事にもある通り、シャンバラと深い関係があるとの理由から、チベットの僧侶たちをドイツに迎えて、彼らとともにナチスの勝利を祈る儀式を行ったとのこと。もちろん、その儀式とは悪魔崇拝に他ならないでしょう。
そのため、ドイツが敗戦した後、ドイツに何人ものチベット人の死体があるのが発見されたわけです。まあ、なんとも気味の悪い話です。
で、このような事実があったため、この世の多くの人たちがこの「シャンバラ」なる地底都市の存在を信じているわけですが、なぜか彼らの大半がこの「シャンバラ」について、まるで人類にとっての理想郷であるかのように話しています。
少なくとも、ネットには「シャンバラ」のことを否定的に書いているサイトは余り見受けられません。
「シャンバラ」の存在そのものを否定しているサイトはいくつか見受けられますが、この「シャンバラ」の存在を信じている人の中で、この「シャンバラ」のことを否定的に話す人はあまりいません。
むしろ彼らの大半が、なぜか「シャンバラ」のことを平和の象徴、神の住む理想郷であるかのように主張しています。まるで一つの宗教のようです。
しかし、本当にこの「シャンバラ」は彼らの考えているような理想世界なのでしょうか。
どうやらその答えは「ノー」のようです。
しかし、「ノー」だったからこそ、逆にヒトラーはこのシャンバラ伝説に夢中になっていったのでしょう。
----------------(以下、ナチスとチベットの妖しい関係より転載)
●1937年、ナチス政権下のドイツで、従来の善的なシャンバラ観を覆す衝撃的な探検記が発表された。
そのショッキングな体験記録は各国のラジオ・新聞などで大々的に報じられ、同じ年にドイツの出版社から本となって出版された。
著者はドイツの探検家テオドール・イリオンである。チベット領内に外国人がいることは違法とされていた1930年代初頭、この神秘なる地に足を踏み入れた数少ない西洋人の一人であった。
●テオドール・イリオンは1932年に「チベット踏査計画」に着手し、1934年にチベットに単身入国した。
外国人だとわかれば殺される恐れがあるので、顔と頭髪を茶色の染料で染めてチベット人に変装し、ロシア南東部から潜入したという。目的はチベットに伝わる楽園伝説「シャンバラ」の発見であった。
彼はチベット内で地下都市を探して2年も孤独な旅を続け、ついにサンポ渓谷に地下都市があるとの情報を耳にする。しかし村人はみな、そこには近づかないほうがいいと忠告したという。
「神秘の谷に行っちゃいけねえ。おらの仲間はあの谷へうっかり入り込み、帰ってきたが、口がきけなくなった。それに3歳もふけちまった。あそこは恐ろしいところだ。行かねえほうがいい。」
しかしそう言われると、逆に好奇心が燃えるのが探検家の心というもの。テオドール・イリオンは村人のそんな忠告を無視して、さっさと目的のサンポ渓谷(別名「神秘の谷」)に潜入する。
●サンポ渓谷の奥まで来ると、巨岩の壁が横に3つ並び、その壁の間を抜けると中央に大きな通風孔のようなものを発見。その通風孔を中心に、半径約100mの円上に等間隔に並んだ7つの木製棚があった。
ほどなくして、地下の出入口から木綿製の粗末なガウンを着たチベット人の集団が地上に出てきて、テオドール・イリオンは「ゾンビのような目」をした無表情な女に導かれて、地下の聖都へ入る階段を降りたという。
彼女はこの地下都市には約100名の住人がいると説明したという。そして、翌日、彼は「光の王子」と名乗る最高位の人物と接見することに成功。この男は長身で白いヒゲを長く垂らしていたそうだ。
しかし、テオドール・イリオンは次第にこの地下都市が、聖なるシャンバラどころか、人肉食の習性を持ち人間の魂を奪い取る「闇の霊団」の国であると判断し、決死の脱出を図る。そして幾多の困難を乗り越えて、チベット潜入から2年ぶりに奇跡的生還を果たしたということだ(1936年)。
彼は地下都市には3日間しか滞在しなかったのだが、この3日間は数十年に匹敵するほどの思いだったという。
●このチベットでの恐怖体験が綿々とつづられたテオドール・イリオンの著書は、当時のヨーロッパで波紋を広げ、「シャンバラ魔国」説を作った。
シャンバラは一般に想像されていたような「神の楽園」ではなく、堕天使の世界だというのだ。
しかしこの「シャンバラ魔国」説は長くは続かなかった。
というのも1941年から1991年の50年間、まるで封印されるかのように、著書は大英博物館に所蔵され、各国での翻訳の機会を失うのである。(※1991年、アメリカの世界的探検家デビッド・チルドレスにより大英博物館から掘り起こされ、50年ぶりに復刻出版された)。
●一説に、ヒトラーをチベットに駆り立てたものは、このテオドール・イリオンの書いた探検記だともいわれている。
しかし、既にお分かりのように、ヒトラーのチベットへの関心はハウスホーファーによる影響が大であり、テオドール・イリオンが登場する以前からあった。
また、テオドール・イリオンの探検記が発表された時期は、ちょうどナチスが政権を握った時期と重なり、毎年、ヒトラーによってチベット探検隊が組織されていた時期でもある。
そのため、テオドール・イリオンの情報は、シャンバラを独占したいヒトラーが世界に対して仕掛けた「ニセ情報(情報操作)」との見方もあるが、真相は謎に包まれている。
----------------(転載ここまで)
普通の人なら、このテオドール・イリオンの著書を読んだとたん、シャンバラ伝説に興味を失ってしまうことでしょう。それどころか、二度とチベットに近付こうとすらしないのではないでしょうか。
ところが、ヒトラーはこのテオドール・イリオンの著書を読んで、ますますチベットにのめり込み、チベットの調査にますます熱中していったとのことです。
もちろん、そんな話をされても、普通の人なら誰も素直に信じられないでしょうね。いくらなんでもヒトラーもそこまでバカじゃないだろうと思うはずですから。だからこそ、この上の記事を書いた人も、この話の信憑性を疑っているわけでしょう。
しかしながら、我々はヒトラーが悪魔崇拝者であることを知っています。で、この記事を読めば分かる通り、この「シャンバラ」は明らかに悪魔崇拝と深い関わりがありそうです。
というより、この「シャンバラ」こそがもしや悪魔崇拝の発祥の地なのではないかとすら疑いたくなるほどです。
だからこそ、ヒトラー(とカール・ハウスホーファー)はシャンバラ伝説に夢中になり、シャンバラの調査に夢中になり、チベットの僧侶たちとも交流を持つようになったのではないでしょうか。
もちろん、チベットの僧侶とてそれは同じです。彼らが悪魔崇拝者であったからこそ、同じ悪魔崇拝者であるヒトラーと意気投合し、ナチスドイツと手を組むことにしたのでしょう。
チベットの僧侶が、我々の考えるようなしごく善良な僧侶であるならば、まさかナチスのような極悪人たちと手を組むはずがないからです。
しかも、この「シャンバラ」。その内部構造はおおよそ以下のようになっていると噂されています。
人によって説明の仕方にばらつきがありますが、その辺のことを話していると長くなるので、詳しい説明は次回以降に譲ります。
とにかく彼らが言うには、地球の内部は実は空洞になっていて、その空洞に「シャンバラ」なる地底都市があるとのこと。しかも、その都市は四次元空間になっていて、かなり広いとのことです。
さらに驚くべきことに、その空洞の中央には巨大な太陽が光り輝いているとのこと。
このブログの読者の方なら、「太陽」と聞けば、すぐにピンとくるはずですよね。
この話を聞いて、もしや「天皇派」がシンボルとして使っている「太陽」とは、宇宙に浮かぶあの太陽のことではなく、この地球の内部に存在する太陽のことだったのではないか、と私はふと考えざるを得ませんでした。
そして、その可能性は大いにあります。
しかも、「地底」都市ですからね。「地底」については、これまで何度も記事にしてきました(例えばこちら)。
余りにも怪しげな「シャンバラ」伝説。もしやここにこそ「悪魔崇拝」の謎を解く鍵があるのではないでしょうか。
○こちらの記事もどうぞ理研・笹井副センター長が自殺。これまた金融ユダヤの暗殺の疑いが濃厚です。 「悪魔」と「悪霊」の違いについて。「イルミナティ」と「フリーメーソン」の違いについて。(2) 「エボラ熱騒ぎはロスチャイルドのダイヤモンド利権のため」という記事を書いてから、やたらと当ブログへの攻撃が激しくなっています。 朝鮮人。キリスト。天皇。ネット工作員。どんなことでも私に反論があるなら、きちんと信憑性、論理性のある話をしてください。 悪魔崇拝者たちが日本中心のNWO計画にこだわる理由。日本こそが世界最古の悪魔崇拝の聖地だったのでしょう。 「バベルの塔」がNWOの象徴であるという証拠。または日本に建設された「バベルの塔」について。 東大の地下に眠る秘密の核施設。首都直下型の大地震を起こすには申し分ないものです。
○ヒトラーとオカルトの関係について。またはヒトラーの背後で見え隠れする「天皇派」の影。
○ナチスドイツが戦争に負けた真のカラクリ。またはヒトラーを操った「緑龍会」について。
ヒトラーは「天皇派」と手を組み、日本中心のNWO計画を実現するために戦争を起こしたわけですが、「教皇派」による情報攪乱によって自分を見失い、最終的には「天皇派」の計画を潰すことになってしまいました。
恐らくヒトラーのように裏社会のコマとして使われるような人物は、それだけ敵からの攪乱工作にさらされる機会も多くなるはずですから、最悪の場合、何が正しくて、何が間違いであるのかもはっきりと分からなくなってしまうことも多いのでしょう。
ヒトラーの場合、最後まで「天皇派」の言うことを聞くべきだったのですが、自分の部下の中に「教皇派」のスパイが混じっていて、「イギリスを攻撃してはいけない。ソ連を攻撃すべし。でないと、ドイツがやられてしまう」と絶えず耳元でささやかれていた。
そんなことをされれば、誰でも普通は不安になります。で、そんな不安が極度に達して、「天皇派」から「ソ連を攻めてはいけない」と言われても耳を貸さなくなってしまった。それどころか、そんな話をしてくる人のことを自分の敵ではないかとすら疑いはじめたのでしょう。
恐らく日本の首相も、普段からこういった攪乱工作にさらされているのでしょう。「教皇派」のエージェントたちが「天皇派」の振りをして、「これは天皇のご命令だ」とか何とか嘘をついて、頭を混乱させ、不安がらせて、「天皇派」の計画が実現しないように仕向けていくわけです。
私のところにもちょくちょく攪乱工作をしにくる人がいますが、現首相・安倍晋三のところには普段からもっと沢山のエージェントが群がってくるのでしょうね。
ヒトラーの生き様を調べていくうちに、なんとなくそんな裏社会の実態のようなものが透けて見えてきたような気がします。
ということで、今日の本題に入ります。昨日の予告通り、今日は怪しげなチベットの謎に迫ってみたいと思います。
昨日も書きました通り、ナチスドイツは日本の秘密結社である「緑龍会」と深いかかわりを持っていて、このナチスも「緑龍会」もチベットとかなり深いかかわりを持っていました。(詳しくはこちらをご覧ください。)
そしてその事実は、こんな奇妙な出来事から発覚したようです。
----------------(以下、ナチスとチベットの妖しい関係より転載)
●1945年4月末。ナチス・ドイツの首都ベルリンは、瓦礫と死体の散乱する廃墟と化していた。
血なまぐさいヒトラーの野望は、連合軍の総攻撃の前に打ち砕かれた。6年間にわたる忌まわしい狂気が、もうすぐ終わろうとしていた。激しい爆撃で破壊された街の中を、連合軍の戦車が、砂煙を舞上げながら走っていた。
ドイツ兵らしき人影が、ちらっとでも見えたら容赦なく発砲した。上空にはソ連軍の戦闘機が飛び回り、たえず地上の動向を監視していた。
●その日、連合軍の兵士たちは、東ベルリン地区の壊れたビルの中をパトロールしていた。隠れているドイツ兵を摘発するためであった。
彼らは崩れかけた部屋を一つ一つ見て回った。1階のある部屋に踏み込んだ彼らは、そこでSS(ナチス親衛隊)のマークを付けた7人のドイツ兵らしい死体を発見した。
ありふれた光景だった。変わっている点といえば、6人の死体が円を描くように横たわっており、中央に1人の死体があることだった。彼らはそのまま通り過ぎようとした。
●しかし、そのとき兵士の1人が、死体の様子がおかしいことに気付いて、仲間を呼び止めた。
彼らは改めて7人の男の死体を眺めた。円の中央にあおむけに倒れている男の両手は祈るようにしっかり組まれていた。その手には不気味な「緑色の手袋」がはめられていた。
しかし何より彼らを驚かせたことには、男の顔がまぎれもなく東洋人、それもチベット人のものだったことである。中央の男ばかりではなかった。ドイツの軍服を着てはいるが、周りの男たちもみなチベット人であった。
「これは、いったい……」
連合軍の兵士たちは、説明のつかない目の前の光景に声も出なかった。
ただ明らかなのは、チベット人たちは、殺されたのではなく何らかの儀式的な自殺を図ったらしいということだけだった。
それらの死体は、いずれもドイツ軍の制服を着てはいるものの、認識票もなければ、身分証明書も所持していなかった。遺体は整然と地面に横たわり、それぞれが儀式用の短剣で自分の腹を貫いていたのである。
●この事件を皮切りとして、ベルリンの至る所で、数百体にものぼるチベット人の死体が続々と発見された。
また、ヒトラーが自殺したとされる日以降も、ベルリンにおいて最後まで頑強に抵抗する部隊があったが(特にベルリンの通信管理センターでの戦闘は激しかった。全てが倒され、最後の死守がなされていた)、この通信管理センターの廃墟から発見された兵士1000人の遺体はチベット人だった。
彼らはヒトラーの近衛兵でもなく側近でもないのに、最後の最後まで命を賭して戦っていたのである。
●これはコーネリアス・ライアンの『ヒトラー最後の戦闘』にも記述されている広く知られた事実である。いったいチベット人たちは第二次世界大戦下のベルリンで何をしていたのか? ナチス・ドイツとチベットの間には、どのようなつながりがあったのか? 謎は深まるばかりであった。
そして、この謎の鍵を握っているはずの最大の人物アドルフ・ヒトラーは、ナチス帝国崩壊とともに姿を消しており、チベット人の死体の謎を解く手掛かりは何もなかった。
しかし戦後、ナチスの「影の部分」についての研究が進むにつれ、意外な事実が明らかになる。
----------------(転載ここまで)
一体、ナチスとチベットにはどんな関係があったというのでしょう。
ナチスと日本の秘密結社である「緑龍会」とをつなげた人物がカール・ハウスホーファーだった、という話は昨日もしましたが、このカール・ハウスホーファーは生前、ある一つの書物をとても熱心に読みふけっていました。
しかし、その書物が実はかなりのくせ者なのです。
----------------(以下、ナチスとチベットの妖しい関係より転載)
●かのカール・ハウスホーファーが夢中になっていた本に『来たるべき民族』があった。
彼はこの本をヒトラーに貸し与えたが、案の定、ヒトラーもまた夢中になった。
この『来たるべき民族』は、1871年にイギリスの小説家ブルワー・リットンによって書かれたSF小説であるが、この物語はヒトラー世界観に決定的な影響を与えたのであった。
この本は、チベットの「シャンバラ伝説」とナチスとを結び付けるうえで、非常に重要な役割を果たしたのであった。
●では『来たるべき民族』とは、具体的にどのような内容の小説なのだろうか。
ひとことでいうなら、地底に栄える高度な文明社会の秘密を描いた物語である。
そこで描かれた地底民族「ヴリル・ヤ」は、もともとは地上に住んでいた民族の一部族だったが、大洪水などの天変地異を逃れて、山中の洞窟に避難し、最終的に地底に都市を建設するまでになる。
そして、そこで凄まじい未知エネルギー「ヴリル・パワー」を発見したことにより、地上の人類より遥かに進んだ超科学を駆使するようになった。更に人々は「ヴリル・パワー」に基づいたサイキック能力を開花させるようになった。
もちろん、この地底民族はいつまでも地底に住み続けるつもりはなく、ある時期が来たら地上に戻って、地表民族を滅ぼして地球全体を支配することを目的にしているという。
著者ブルワー・リットンは最後に、この恐るべき地底民族が地上に現れるのが、少しでも遅くなるようにという願いを書き付け、人類への警告として、この物語を結んだのであった。
●『来たるべき民族』が発表された当時、この物語の真偽を巡って、イギリスの秘密結社「黄金の夜明け」団の会員たちの間では何度も議論が行なわれた。
著者のブルワー・リットンは、この物語はフィクションであると主張していたが、ブルワー・リットン自身、神秘主義に深く通じていて、実際に薔薇十字系の結社の会員であったという事情もあり、「黄金の夜明け」団の会員の多くは、ブルワー・リットンが実際に地底の超人たちと接触をもっているにちがいないと考えた。
この「黄金の夜明け」団ドイツ支部の草創期からのメンバーに、カール・ハウスホーファーがいた。彼は軍人時代に参謀本部の一員として、インド、アジア、日本を訪れていたが、この時、アジアの神秘主義を深く研究し、「シャンバラ伝説」についても知識を得ていたのであった。
彼は「地政学」のドイツの代表的エキスパートであったが、彼は「地政学」に独自のアイデアを加えて、ナチス政権の政策・理論の基礎として重用されたのである。
●ハウスホーファーは、地底王国(アガルタ)は「瞑想の場、神の隠れた都市、世界のどんな人間も入れない場所」であり、その首都シャンバラは「その力が個々の人間や集団に命令を下し、人類が時代の転換点へと達するのを助ける町」であると述べている。
更にハウスホーファーは、アガルタを中心とした中央アジア地域こそ、ゲルマン民族発祥の地であると信じた。
そして、ドイツ人の究極目標は、この地域(ハートランド)を完全に支配することによって、世界をユダヤの支配から解放し、ひいてはゲルマン人による世界制覇を達成することであると主張するに至った。地政学の観点から「ハートランド」を制する者はすなわち世界の覇権を握るのである、と強調した。
(註:このカール・ハンスホーファーが日本を中心としたNWO計画を推進したことは昨日もお話した通りです。そしてこの人物は、なぜかアガルタという高度な文明をもつ地底王国が存在していると大まじめに信じていたというわけです。)
この点で、ブルワー・リットンの『来たるべき民族』は、彼がアジアで得た信念と一致した。つまり、地底民族「ヴリル・ヤ」とアーリア人は共通の祖先を持つがゆえに、自分たちも全生命力の源泉「ヴリル・パワー」を用いる能力を持っているという確信であった。
そしてその確信に基づいて「ヴリル協会」なる団体が組織されていたが、ハウスホーファーはこの団体にも参加し、重要な役割を演じていた。「ヴリル協会」はヴリルの制御技術を開発することを目的としていたが、彼はヴリルを自由に操る者が世界を制覇する、という『来たるべき民族』の思想を、そのまま信じていたのである。
●ハウスホーファーとヒトラーの運命的な出会いは、第一次世界大戦後のランズベルク刑務所であったことは、既に紹介したが、ハウスホーファーがヒトラーに『来たるべき民族』を貸し与えたのはこの時であった。
独房の中でページをめくるヒトラーは、強い興奮を覚えたという。ハウスホーファーの解説により、この奇書が事実に基づいて書かれたものだと知らされたヒトラーは、自分たちこそこの小説に書かれた「来たるべき民族」にほかならないと信じたのである。
更に、1925年、中央アジアを探検したポーランド人の地理学者F・オッセンドフスキーの『獣・人間・神々』が出版されるにいたり、地底の超人たちの存在に関するヒトラーの確信は不動のものとなった。
●ヒトラーは学者たちに命じて、著者ブルワー・リットンの生活を詳しく調査させ、ブルワー・リットンが「ヴリル・ヤ」にいたる坑道を発見したと思われる鉱山の正確な場所、そして訪れた日時までを割り出させた。
一方でヒトラーは、シャンバラと深いかかわりがあるはずのチベットの僧侶たちを大勢ベルリンに迎え、彼らが受け継ぐはずのヴリルの技法によって、軍事政策を支援させようとした。
彼らは、ベルリンの随所に配置され、ナチスの勝利を祈る儀式を行なったという。そして、ヒトラー自身も、政策を進める上で、高位の僧侶に意見を求めることがしばしばだったという。また、ヒトラーは軍事行動を起こす時、特殊なチベットの秘教カードを用いて、一種の易を立てたとも言われている。
この方法は、ナチ党の母体となった「トゥーレ協会」で用いられたものだが、ヒトラーはこの易に熟達していたという。
(註:この「トゥーレ協会」も、もちろん悪魔崇拝者の組織した秘密結社です。)
また、アーリア人=チベット人起源説を実証するために、ナチスの科学アカデミー「アーネンエルベ」の傘下に「スヴェン・ヘディン協会」が設立され、チベットに調査団を送り出している。
----------------(転載ここまで)
皆さんの中にも「シャンバラ」という地底都市についての伝説を耳にしたことのある方がいらっしゃると思います。
私もこれまでに何度かそういった話を聞いたことがあります。
しかし、「まさかそんなものが本当に存在しているわけがない」と思って、これまで全く相手にしてきませんでした。というか、普通の人ならそうなりますよね。
ところが、ヒトラーはなぜかこの地底都市の存在を大まじめに信じ、この地底都市について大まじめに調査をしていたというのです。
さらには、上の記事にもある通り、シャンバラと深い関係があるとの理由から、チベットの僧侶たちをドイツに迎えて、彼らとともにナチスの勝利を祈る儀式を行ったとのこと。もちろん、その儀式とは悪魔崇拝に他ならないでしょう。
そのため、ドイツが敗戦した後、ドイツに何人ものチベット人の死体があるのが発見されたわけです。まあ、なんとも気味の悪い話です。
で、このような事実があったため、この世の多くの人たちがこの「シャンバラ」なる地底都市の存在を信じているわけですが、なぜか彼らの大半がこの「シャンバラ」について、まるで人類にとっての理想郷であるかのように話しています。
少なくとも、ネットには「シャンバラ」のことを否定的に書いているサイトは余り見受けられません。
「シャンバラ」の存在そのものを否定しているサイトはいくつか見受けられますが、この「シャンバラ」の存在を信じている人の中で、この「シャンバラ」のことを否定的に話す人はあまりいません。
むしろ彼らの大半が、なぜか「シャンバラ」のことを平和の象徴、神の住む理想郷であるかのように主張しています。まるで一つの宗教のようです。
しかし、本当にこの「シャンバラ」は彼らの考えているような理想世界なのでしょうか。
どうやらその答えは「ノー」のようです。
しかし、「ノー」だったからこそ、逆にヒトラーはこのシャンバラ伝説に夢中になっていったのでしょう。
----------------(以下、ナチスとチベットの妖しい関係より転載)
●1937年、ナチス政権下のドイツで、従来の善的なシャンバラ観を覆す衝撃的な探検記が発表された。
そのショッキングな体験記録は各国のラジオ・新聞などで大々的に報じられ、同じ年にドイツの出版社から本となって出版された。
著者はドイツの探検家テオドール・イリオンである。チベット領内に外国人がいることは違法とされていた1930年代初頭、この神秘なる地に足を踏み入れた数少ない西洋人の一人であった。
●テオドール・イリオンは1932年に「チベット踏査計画」に着手し、1934年にチベットに単身入国した。
外国人だとわかれば殺される恐れがあるので、顔と頭髪を茶色の染料で染めてチベット人に変装し、ロシア南東部から潜入したという。目的はチベットに伝わる楽園伝説「シャンバラ」の発見であった。
彼はチベット内で地下都市を探して2年も孤独な旅を続け、ついにサンポ渓谷に地下都市があるとの情報を耳にする。しかし村人はみな、そこには近づかないほうがいいと忠告したという。
「神秘の谷に行っちゃいけねえ。おらの仲間はあの谷へうっかり入り込み、帰ってきたが、口がきけなくなった。それに3歳もふけちまった。あそこは恐ろしいところだ。行かねえほうがいい。」
しかしそう言われると、逆に好奇心が燃えるのが探検家の心というもの。テオドール・イリオンは村人のそんな忠告を無視して、さっさと目的のサンポ渓谷(別名「神秘の谷」)に潜入する。
●サンポ渓谷の奥まで来ると、巨岩の壁が横に3つ並び、その壁の間を抜けると中央に大きな通風孔のようなものを発見。その通風孔を中心に、半径約100mの円上に等間隔に並んだ7つの木製棚があった。
ほどなくして、地下の出入口から木綿製の粗末なガウンを着たチベット人の集団が地上に出てきて、テオドール・イリオンは「ゾンビのような目」をした無表情な女に導かれて、地下の聖都へ入る階段を降りたという。
彼女はこの地下都市には約100名の住人がいると説明したという。そして、翌日、彼は「光の王子」と名乗る最高位の人物と接見することに成功。この男は長身で白いヒゲを長く垂らしていたそうだ。
しかし、テオドール・イリオンは次第にこの地下都市が、聖なるシャンバラどころか、人肉食の習性を持ち人間の魂を奪い取る「闇の霊団」の国であると判断し、決死の脱出を図る。そして幾多の困難を乗り越えて、チベット潜入から2年ぶりに奇跡的生還を果たしたということだ(1936年)。
彼は地下都市には3日間しか滞在しなかったのだが、この3日間は数十年に匹敵するほどの思いだったという。
●このチベットでの恐怖体験が綿々とつづられたテオドール・イリオンの著書は、当時のヨーロッパで波紋を広げ、「シャンバラ魔国」説を作った。
シャンバラは一般に想像されていたような「神の楽園」ではなく、堕天使の世界だというのだ。
しかしこの「シャンバラ魔国」説は長くは続かなかった。
というのも1941年から1991年の50年間、まるで封印されるかのように、著書は大英博物館に所蔵され、各国での翻訳の機会を失うのである。(※1991年、アメリカの世界的探検家デビッド・チルドレスにより大英博物館から掘り起こされ、50年ぶりに復刻出版された)。
●一説に、ヒトラーをチベットに駆り立てたものは、このテオドール・イリオンの書いた探検記だともいわれている。
しかし、既にお分かりのように、ヒトラーのチベットへの関心はハウスホーファーによる影響が大であり、テオドール・イリオンが登場する以前からあった。
また、テオドール・イリオンの探検記が発表された時期は、ちょうどナチスが政権を握った時期と重なり、毎年、ヒトラーによってチベット探検隊が組織されていた時期でもある。
そのため、テオドール・イリオンの情報は、シャンバラを独占したいヒトラーが世界に対して仕掛けた「ニセ情報(情報操作)」との見方もあるが、真相は謎に包まれている。
----------------(転載ここまで)
普通の人なら、このテオドール・イリオンの著書を読んだとたん、シャンバラ伝説に興味を失ってしまうことでしょう。それどころか、二度とチベットに近付こうとすらしないのではないでしょうか。
ところが、ヒトラーはこのテオドール・イリオンの著書を読んで、ますますチベットにのめり込み、チベットの調査にますます熱中していったとのことです。
もちろん、そんな話をされても、普通の人なら誰も素直に信じられないでしょうね。いくらなんでもヒトラーもそこまでバカじゃないだろうと思うはずですから。だからこそ、この上の記事を書いた人も、この話の信憑性を疑っているわけでしょう。
しかしながら、我々はヒトラーが悪魔崇拝者であることを知っています。で、この記事を読めば分かる通り、この「シャンバラ」は明らかに悪魔崇拝と深い関わりがありそうです。
というより、この「シャンバラ」こそがもしや悪魔崇拝の発祥の地なのではないかとすら疑いたくなるほどです。
だからこそ、ヒトラー(とカール・ハウスホーファー)はシャンバラ伝説に夢中になり、シャンバラの調査に夢中になり、チベットの僧侶たちとも交流を持つようになったのではないでしょうか。
もちろん、チベットの僧侶とてそれは同じです。彼らが悪魔崇拝者であったからこそ、同じ悪魔崇拝者であるヒトラーと意気投合し、ナチスドイツと手を組むことにしたのでしょう。
チベットの僧侶が、我々の考えるようなしごく善良な僧侶であるならば、まさかナチスのような極悪人たちと手を組むはずがないからです。
しかも、この「シャンバラ」。その内部構造はおおよそ以下のようになっていると噂されています。
人によって説明の仕方にばらつきがありますが、その辺のことを話していると長くなるので、詳しい説明は次回以降に譲ります。
とにかく彼らが言うには、地球の内部は実は空洞になっていて、その空洞に「シャンバラ」なる地底都市があるとのこと。しかも、その都市は四次元空間になっていて、かなり広いとのことです。
さらに驚くべきことに、その空洞の中央には巨大な太陽が光り輝いているとのこと。
このブログの読者の方なら、「太陽」と聞けば、すぐにピンとくるはずですよね。
この話を聞いて、もしや「天皇派」がシンボルとして使っている「太陽」とは、宇宙に浮かぶあの太陽のことではなく、この地球の内部に存在する太陽のことだったのではないか、と私はふと考えざるを得ませんでした。
そして、その可能性は大いにあります。
しかも、「地底」都市ですからね。「地底」については、これまで何度も記事にしてきました(例えばこちら)。
余りにも怪しげな「シャンバラ」伝説。もしやここにこそ「悪魔崇拝」の謎を解く鍵があるのではないでしょうか。
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