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【ロッキード事件の真相 日本は誰のために東南アジアから列強を追い出したのか?】 (03/07)

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名無し先生関係、フィリピンシリーズ、とりあえず、参考ですね。Φ(´゜π゜`)φ

【ロッキード事件の真相 日本は誰のために東南アジアから列強を追い出したのか?】 (03/07)

http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-303.html
音声アイル
こんにちは

今回もフィリピンについて。

フィリピンは客家+イエズス会が仕切っています。

客家はどんな勢力でも折り合いをつけ、ナンバー2みたいに振舞うので、ある意味優秀です。

客家の力は年々増していき、今では名門スペイン・アヤラ一族をコーナーに追い詰めています。

が、そのスペイン勢力にも入り込んで、これを潰さずに寄生するのでしょう。

アヤラのインフラを壊すのはもったいないですからね。

アヤラ・グループがどれだけ凄いかと言いますと、所有する企業の規模と種類がものすごい。

デパート、不動産、金融、電話会社(GLOBE)、学校、マニラ水道局、電力会社、IT企業、ホンダフィリピン、いすゞフィリピン、フォルクスワーゲンフィリピン、その他多数

最近ではフォートボニファシオという、マニラの隣にあった軍用地を買収し、東京でいうと新宿みたいな一つの街を作ってしまいました。

このアヤラ一族のルーツはスペインのバスク地方。

11世紀からの大地主で、マドリッドのアルバ・ド・ブルボン公爵と血縁関係にあります。

私は日本の既得権益の記事は多く書いてきましたが、フィリピンにおけるそれを調べれば調べるほど、嫌になり、気分が悪くなったので止めてしまいました。

このニュースだけ貼っておきます。

2013年の富豪上位50人合計の純資産額は658億ドルで、フィリピンの第1四半期GDPを上回った。純資産10億ドル以上の富豪(ビリオネア)は17人に達し、2012年の15人、2011年の11名か増加とした。これは、フィリピン景気拡大(第1四半期実質GDP成長率7.8%)、不動産価値上昇、株式市場上昇による保有株式時価総額増加などによる。

まだフィリピンは目に見えますからマシなのかもしれません。

日本の既得権益システムはフィリピンより巧妙です。

例えば一番クリーンでなければならない学校。

教材、制服、指定業者があり、値段が高すぎる。

学校ですら既得権益システムがちりばめられているわけですから、私たちの知らない世界では想像もつかないことが起こっています。

あまり驚かないでしょうが、フィリピンは戦後賠償で日本国内の一等地の所有権を多く持っています。

例えば、フィリピン大使館は六本木にあります。

ここはフィリピンが所有権を持っています。

駐日フィリピン大使というポジションは、利権が大きいですから、ロペス駐日フィリピン大使はメラルコという、フィリピンでいう東京電力みたいな規模の電力会社の一族の御曹司ですが、それを放っておいてでも、日本の大使になったのです。

(ちなみに、フィリピンの電気代は日本の二倍ですからね、私は電気代を毎月4~5万円払ってますよ。)

そんな金持ちでも、駐日大使というのは魅力的なのです。

その代わりにフィリピンの電力業界に丸紅が入っています。

例えば、日系企業がたくさん入るであろう工業団地を丸紅が作ります。

その工業団地に供給される電力はすべて丸紅ルート(ロッキード事件か!)です。

まあ、こんなの数百億円程度の小さな話ですが。

もっと大規模に電力利権を獲得するのが、我々がよく目にするニュース、日本企業の海外進出事業です。

これと同じことを世界中でやってるわけです。

http://www.marubeni.co.jp/business/power/summary/

だから、世界各国の駐日大使が全員そうだとはいいませんが、一人一人のバックグラウンドを調べれば、何かしらの利権を持っています。

私は、これらすべてが悪とは思いません。

お金は悪とは思いません。

しかし、一部の強欲な輩の、例えば、企業の過剰な内部留保が、既得権益教授者に渡ることを非難します。

以前、アルビントフラーの記事で書いたことは、こういうことです。

企業のIT化は、劇的にコストを減らしたわけです。

しかし、そのコストダウン分は価格に反映されず、既得権益享受者に渡ります。

これがダメだと言っているのです。

いや、渡ったとしても、どのように社会に還元するか?

そこです。

ここで、まったく関係がないのですが、ロッキード事件で、しばらくコメントを控えていた故・田中角栄元首相が、発表した釈明を貼ります。

皆様の感想をお待ちしております。

(転載開始)

【角栄の「ロッキード釈明」弁明】

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/rokiido_zikennogaiyo.htm

4月2日、田中は、砂防会館で、田中派7日会の臨時総会で「私の所感」を発表し疑惑を否定。「ロッキード釈明」をしている。が、この田中の釈明も掻き消されてしまった。

 角栄の「ロッキード釈明」

 ロッキード釈明   昭和51年4月2日

 一、国際通貨危機や石油問題の発生によって、国際的にも、国内的にも、激動が4、5年続きました。経済の安定、不況からの脱出など、国民が今国会に期待したものは、たくさんあります。我々は戦後20年に終止符を打ち、新しいスタートを切るよう強く求められています。その意味で、私は今こそ、与党、野党を問わず、内外に山積する諸問題と正面から取り組み、具体的な施策を国民に打ち出すべき国会にしなければならないと考えておりました。

 二、しかるところ、ロッキード問題によって、国会審議は完全に停滞し、政局は予想もできない混迷に陥りました。いうまでもなく、ロッキード問題は、徹底的に究明されなければなりません。また私は、真理の解明が必ず為されるものと確信しており、それを心から望んでおります。本件については、すでに日米両国政府の間で、資料の提供など相互協力について合意が得られました。国内捜査権は、すでに発動されております。今後の問題の解明は、挙げて当局の努力に待つべきであり、それが三権分立を基本とする民主国家の原則であります。我々もまた当局を信頼すべきであります。

 三、政治は今、経済的混迷の中で、景気の回復を軌道に乗せるよう、国民から緊急に求められています。一部では雇用不安、社会不安の発生も予想されております。我々は国民の要請に応えなければなりません。今為すべきは昭和51年度予算案、及び関係法案を一日も早く成立させるため、全力を傾けることであります。このため党執行部が明確なる方針を打ち出し、行動に出れば、我が7日会は率先して、これに全面協力すべきであります。

 政府、自民党は、今こそ一体になって、この難局処理に当たるため結集しなければなりません。議員個人の立場や派閥の思惑を先行させることは厳に慎むべきであります。政府、自民党に課せられた政治責任を、いかに果たすかという責めに対してのみ、我々は決断し、行動すべきであると考えます。

 四、今日、ロッキード問題を廻り、あらゆる揣摩臆測(しまおくそく)が乱れ飛んでいることは、きわめて遺憾であります。しかし真相は、必ず解明されます。また、私は自分自身に対し、ひそかに誇りを持っております。各位に置かれましても、今後の政局に臨むに当たっては、自信を持って、堂々と行動されるよう願いたいので有ります。

 五、ロッキード問題に関連して、私のことがいろいろ取沙汰され、各位にも少なからず迷惑を掛けていることと思います。私が今日まで発言に慎重であったのは、一党の総裁、とくに一国の代表として公的な立場にあった者は、その職を離れてからも言動に慎重を期さなければならないと判断していたからで有ります。

 しかし、今日の状況からみて、私がこれまでの状態を続けることは、私自身、政治家としての責任を果たす上で障害になるばかりでなく、各位の今後の政治活動に影響を及ぼしかねないと考えるに至りました。従って、このさい若干の発言をしたいと思います。

 六、昭和47年8月、ハワイで行われた日米両国首脳会談で、ロッキード問題に関して何らかの取引があったのではないかとという言動が見受けられます。この会談に就いては、当時発表された「日米共同声明」に、すべてのことが盛り込まれており、私として、これに付け加えるものは何も有りません。また航空機の問題については、鶴見・インガソル会談に関する発表がすべてであります。互いに一国を代表する首脳会談の席で、一民間航空会社の問題が議論されるなどあり得るはずもなく、事実、まったくなかったことをあきらかにしておきます。

 七、いわゆる久保発言についていえば、四次防大綱を読み、これを二次防大綱と比較して分かるように、政府がPXLの国産化を決めたことは一度も有りません。PXLの輸入か国産かの問題は、我が国最高の専門家が英知を傾けて決定すべきものであります。政治が介入する余地の全く無い問題であることは、2月21日、坂田防衛庁長官の「久保発言は事実誤認」という発言によって明確になったと思います。

 小佐野賢治君は、私の古くからの友人ですが、互いの交際の中で、公私のけじめをはっきりさせてあります。今回の問題は一小佐野君との関連はまったくありません。なお私は、この15、6年間、児玉誉士夫氏と会ったこともなく、公私いずれの面に於いても付き合いが無いことは、世間衆知の通りであります。

 八、今回の問題が発生して以来、巷(ちまた)には憶測や独断にもとづく無責任な言動が横行しております。憲法に保障された基本的人権、プライバシーの権利などを論ずるまでもなく、こうした風潮は、真の民主体制を維持し、発展させていく上で、はなはだ憂うべき現象で有ります。しかし、伝聞、風説、噂、デマなどにもとづく奔流のような言動に対し、ひとつずつ反論を加え、完璧な対応をすることは困難なことであります。時の流れの中で真実が明らかにされることと思います。

 しかるところ、先日、社会党の石橋書記長が遊説先で演説し、私の名誉を傷つける発言をしたことが一部に報道されたことは、ご承知のことであります。一党の責任者の発言として黙過できないので、二階堂代議士を通じ、ただちに抗議したところ、同書記長から、「報道は事実を伝えていない」旨の釈明がありましたので申し上げておきます。

 九、この際、私のいわゆる資産形成について一言いたします。この問題については、公正な第三者による事実調査と確認などの作業が続けられておりますので、結果が確定すれば、これを明らかにし、世の指摘に応え得るものと考えます。

 十、現在、政府も党執行部も局面の打開に尽くしておりますが、本年度予算成立のメドさあ立っていないのが国会の実情であります。我が7日会も、政府、党執行部と渾然一体となり、難局の打開に全力を傾けるべき時を迎えました。国権の最高機関たる国会は、いまや、その責任を果たし、国民の負託に応えるべき関頭(かんとう)に立っておると思います。

 我々は、戦後30年の長い間、困難な国政処理に当たり、今日の我が国を築きあげてまいりました。我々は、そうした実績と誇りの上に立ち、全党員一致結束して、限りない前進をすべき時であります。ご清聴を感謝いたします。

(私論.私見) 「角栄の『ロッキード釈明』」について

 今日冷静に見るに、角栄は終生疑惑を否定している。それを居直りと受け取る向きもあろうが、この強い否定の仕方から見て冤罪説は傾聴するに十分に値するのではなかろうかと思われる。

 今日角栄を擁護する者の中にも、5億円授受をあったとしてそれでも角栄を支持するというスタンスの者が多い。しかし、真実角栄は貰っておらず全くの濡れ衣的冤罪として見直してみる余地があり過ぎるのではなかろうか、というのがれんだいこ見解である。もしこれが真相だったとなると、角栄政界追放過程に荷担した者は、相応の責任を負わねばならないであろう。少なくとも坊主ザンゲで済まそうとするのは虫が良すぎよう。

 考えて見れば、角栄は、民族派的誇りの強い党人派政治家であり、国内の金はともかく外国のエージェント機関から金を貰うことに対しては慎重であった、と考えることが十分可能である。確かに角栄は、金配りの名人であった。しかし、金の集め方にはナイーブであり、それが証拠に財界に頭を下げて出向くことを良しとしなかった。ある種の拘りを持ち、筋道の通らない金の調達を避けており、秘書軍団にも徹底させていたことが明らかにされている。児玉の如き口と腹が異なる作風を最も軽蔑する人士でもあった。こういうことを勘案すると、角栄の否定にこそ真実があり得る、と私は考えている。

 ロッキード社からカネがばら撒かれたことが事実だったとしても、それが誰に渡ったのかまではコーチャンは証言していない。私には、角栄には渡っていない可能性のほうが高いように思われる。後に見るが、現金授受の様子は漫画的且つスリラーもどきであり、当時そのような危ない目をして金を貰う作法は角栄及びその秘書軍団にはなく、仮にそのような受け渡しがあったとしても、意図的に角栄にすりかえられている可能性がある。これが、ロッキード事件の胡散臭さ第13弾である。

2005.1.11日 れんだいこ拝

(転載終わり)

なんだか、故・田中角栄元首相が言ったことは、”簿外資金の意味”を言ってるようですね・・・

この事件の真相は、本来は民間機ではなくF-104の購入で、自衛隊に簿外資金から歳入する分をめぐる話だったんです。

田中角栄をはめたのが、中曽根、後藤田です。

児玉に鎮静剤やら、何やら注射して、証人尋問にも出れなくして、中曽根が裏で仕組んでいた訳です。

でもね、こういうネコババしたお金はどうなると思いますか?

凍結されるんです。

お札には番号が入っています。

みなさんは、台湾に行ったことはありますか?

台湾はガチガチの客家の国です。

ここが、フィリピンを食い物にしていますってのは言い過ぎですが、台湾は国土に対し、金持ちが多いのはご存知だと思います。

台湾でドルを交換しようとすると、最初に番号を確認されます。

で、指定されている番号だと交換できません。

台湾だけではないと思いますが、私は当時(2003年ぐらいかな?)、何で?と思っていました。

偽札ではないのだけど、イヤな札があります。

つまり国際協定上不当な輩の、ネコババ分は全世界で凍結されているのです。

と云うより、国際情勢維持側か共産勢力傀儡目的で動いた物かどうかです。

マルコスの多くの証書の中でも、不当判断され凍結された分と、そうでない物に分かれます。

例えばIMF,日銀を通って⚪️⚪️⚪️の⚪️⚪️⚪️駐屯地設立に供された分は正当です。

世界の経済発展とは、正しい産業振興を目的とした企業のために投資が行われ、そうでなければ沙汰される。

現在の日本企業に資金が集まらないのは、そういうことだということです。

シンプルですが、説得力が有ると思います。

さてと、今回の記事はバラバラですよ(笑)。

フィリピンは客家に支配されていると、何度も書きましたが、先日、数回にわたり訳したあの本にはどのように入り込んだのかは書かれていません。

オランダがインドネシアを乗っ取ったやり方が良い例なのですが、インドネシアの民族を互いに戦わせ、オランダは高みの見物をした訳です。

行政の実行役として華人(客家を含む)と、オランダ人がインドネシア人を強姦して作った混血児を使ったので、オランダ人に対する憎しみは生まれにくかったのです。

最初はスペイン同様、残虐の限りを尽くしたそうですが、そうやって、すでにあの時代から、ベルベットにインドネシアを支配しました。

そんなオランダ支配下であえぐインドネシア人にとって、願ってもないチャンスが訪れます。

日本軍が来てオランダをやっつけてくれたのです。

日本は敗れましたが、やがてオランダ統治は無くなり、独立しました。

オランダからは・・・


しかし、客家支配になりました。


日本人は客家のために戦ったようなものですね?


それよりもっと古い時代の話をします。

1603年、オランダ東インド会社がオランダ商館をジャワ島のバンテンに設置。

1609年、アユタヤと日本の平戸にもオランダ商館を設置。

1619年、ジャカルタに拠点を確立。

オランダ商館はなぜ、平戸だったのか?

時代をさらに遡ります。

(Wikipediaより)

平戸城下には明の商人や(中国商人を庇護する)中国人の海賊(後期倭寇)が多く住んでいたが、勝尾山に邸宅を構えた海賊王に「五峯」を称した王直がおり、伝承ではこの人物がポルトガル船を水先案内して初めて平戸に来航させたと言われる。隆信はこれを主君筋にあたる大友義鎮に報告して互市の許可を得て、ポルトガル貿易(南蛮貿易)が開始された。

さらに天文19年(1550年)、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが布教を断られた鹿児島から平戸にやってきた。

松浦隆信は宣教師の同地での布教活動を許したので、1553~1561年までの間、ポルトガル船は毎年来航するようになり、平戸は中心交易地として栄えた。隆信は鉄砲や大砲などの武器を率先して購入した。

しかし宣教師を厚遇したが、隆信(=熱心な曹洞宗宗徒)自身はキリスト教には馴染まず、信者の拡大は地域に軋轢を生んだ。

永禄元年(1558年)、隆信は宣教師ガスパル・ヴィレラに平戸からの退去を命じ、これに乗じた仏教徒が教会を焼討する事件が起こった。

さらに永禄4年には商取引の揉め事でポルトガル人が殺傷される事件(宮ノ前事件)もあり、ポルトガル船は大村純忠の支配する横瀬浦に移ってしまった。

しかし横瀬浦でも焼討があったため、永禄7年(1564年)に隆信が請うてポルトガル船の再入港を促し、教会も再建されたが、翌年にはルイス・フロイスらの周旋で自らキリシタン大名となった大村純忠の領土の福田浦にポルトガル船は去ってしまい、長崎港が本格開港されるに及んで平戸のポルトガル貿易は終焉した。

(Wikipediaおわり)

平戸には多くの客家人が住んでいた。

彼らはイエズス会と手を組んでいた。

王直とは、倭寇の頭目で、要はヤクザ及び海賊で、歴代頭目には兪大猷(福建省出身)、胡宗憲(胡錦濤の先祖と言われている)がおり、ポルトガル人(イエズス会)を日本に連れてきて、鉄砲を伝来させた連中です。

松浦隆信は豊臣秀吉に中国(客家)と朝鮮方面の貿易を任され、イエズス会のフランシスコ・ザビエルに布教を許可し、当然、鉄砲をバンバン買って、各国の大名に売ったわけです。

その後、関ヶ原の戦いで東軍に与した平戸松浦氏は徳川家康より6万3千石の所領を安堵され、平戸藩が確立した。

一方、和泉松浦氏は西軍に付いて改易されました。

余談ですが、源平合戦の時代、安倍季任は松浦氏の娘婿となり松浦を名乗るようになりました。

これが、現在の日本内閣総理大臣、安倍晋三の先祖です。

(Wikipediaより)

安倍宗任の系譜

平家物語・百二十句本(国会本)剣の巻によれば、安倍宗任が前九年の役で敗れたあと、治暦3年(1067年)に太宰府に流されるが、子孫繁栄して、松浦党となった。この伝えは、百練抄、前太平記、歴代鎮西要略でも記されている。

安倍宗任は、宗像氏の配下となり、筑前大島の統領となる。宗任の三男・安倍季任は肥前国の松浦に行き、松浦氏の娘婿となり松浦三郎大夫実任と名乗る。その子孫が九州水軍松浦党を構成したともされる。

なお松浦実任(安倍季任)の子孫の松浦高俊は、平清盛の側近で平家方の水軍として活躍し、その為、治承・寿永の乱により、現在の山口県長門市油谷に流罪となった。その後、高俊の娘が平知貞に嫁ぎ、源氏の迫害から逃れる為に安倍姓を名乗ったとされ、その子孫に政治家の安倍晋太郎・安倍晋三親子がいる。

(Wikipediaおわり)

いけないと思いつつも、すぐに家系図関係に走っちゃうんだよね・・・

家系に関わらず、良いやつも、悪いやつもいるということが、名無し先生の教えです。

なので話を戻します。

前にも書きましたが、最新の武器や情報をもたらした柳生=客家は大変重宝されます。

日本は鎖国中も、オランダと中国だけは貿易を続けていた。

言い換えれば、オラニエと客家だけは貿易を続けていた。

オラニエは、オランダ国王を装って日本と交易をしていたんです。

(Wikipediaより)

オランダ総督、オラニエ公、マウリッツ・ファン・ナッサウ(1567年11月13日 - 1625年4月23日)

1609年(慶長14年)、日本(江戸幕府)に進出したオランダ東インド会社は、マウリッツをオランダ「国王」とする書簡を駿府で前将軍(大御所)徳川家康に提出し、朱印状による交易を認められた。以後、オランダ東インド会社はオランダ総督を「国王」とするフィクションを維持することになる。

(Wikipediaおわり)

イエズス会の存在感が薄れていく時代です。

その代わりフリーメイソンの存在感が増してくるのです。

どっちもヘッセンなのですが。

その両方にまたがって日本と彼らのつなぎ役になったのが客家。

スペイン・ポルトガルの時代も客家、オランダの時代も客家。

時代はドドドド・・・と流れ、大東亜戦争の時代。

もうこの頃にはオランダ東インド会社は解散しています。

そう、イギリスの時代ですね。

それでも列強たちは東南アジアに多くの植民地を維持していました。

ネットでよく言われるように、この植民地から結果的に列強を追い出したのが日本。

大日本帝国軍がオランダを追い出し、その後、インドネシア独立につながります。

その後のインドネシアは華人(客家)の天下、いや、客家の国になりましたとさ・・・

これを東南アジア全体、フィリピン、タイ、マレーシア・・・といった国々に当てはめてください。

ね、全部、客家が乗っ取っちゃったでしょ?

300万人の日本国民は利用され、命を落としたんです。

客家のアジア支配達成の為に・・・

フィリピンの場合、アキノに代表される中国系フィリピン人です。

その他の政財界にも多くの客家がいます。

コリー・アキノはコファンコという大地主で客家の家系。

今ではフィリピン最大のビール及び食品会社サンミゲールビールの実権も握っています。

ビール会社ぐらいと思うなかれ、サンミゲールはビール以外の金融ビジネスで莫大な利益を上げています。

政界ではコファンコのオンパレードです。

ここに書くと、記事が間延びしますので、記事の最後に参考データを貼っておきます。

(Wikipediaより)

コファンコ一族は1861年、クー・クアン・クーの一族がフィリピンに移民、1865年にローマンカソリックに改宗し、ホセ・コファンコとなった。

彼の父、メレチオ・コファンコ・エステレリアは優れた大工で、数々の教会を建てた、中国移民のエル・チノ・ホセだった。

メレチオの母はガパンのアンテラ・エステレリアで、スペイン人フィリッペ・エステレリアとマルティナ・クルーズという現地人の間の娘だった。

エステレリア(スペイン人)との関係で、コファンコは広大な土地を手に入れた。

メレチオの妻は中国人チチオコとスペイン人のヴァレンズエラ一族の血を引いていた。

中国人のチチオコ一族は、日本人の末裔の農園主、カピタンガンのジュマキオ一族、ドニャ・テクラの血統である。

ドニャ・テクラはドン・ティブルチオ・フマキオとウルズラ・ギテレスというカピタンガン、ブラカン、パオボンの農園主であり商人でもあった人物や、その他多くの支配層の血統である。

メレチオの兄弟はイシドラで、コファンコの大規模なサトウキビ農園や不動産を手に入れた。

(Wikipediaおわり)

上記はすべて英語版Wikipediaからの抜粋いです。

コファンコはスペイン系と婚姻関係で結びつき、サトウキビの生産等に始まり、現在の超権力者になりました。

ということで、西洋の王家と同じく、婚姻関係を繰り返しスペイン支配者と同化したわけです。

よほど優秀だったのでしょうね。

しかし、深追いし過ぎて、日本人の血が入っていることまで知る羽目になりました。

どうりで、石原ファミリーとアキノは仲良しなんですね。

こうして、スペイン人と中国人(客家)の混血となり、アキノ(コファンコ)は、たった数世代で、フィリピンを支配する側に回るのです。

これは、スペインからアメリカ統治に移行する時代の話ですから、大したものです。

そこへ、待ってました、日本軍が来て、アメリカを蹴散らしました。

1945年4月から、時の大統領ラウレルとベニグノ・アキノ・シニアは日本の奈良に疎開していました。

ベニグノ・アキノ・ジュニアのお父さんです。

ラウレルは日本軍の協力者、つまり、日本に独立を援助してもらおうとしていた大統領です。

ということで、日本をフィリピン独立に協力させて、その側近の息子はコファンコと結婚した。

いや、コファンコがアキノと結婚した。

さすが、客家。

あっぱれです。

そして、マルコスを前回の記事で書いたように追放し、現在に至るわけです。


これを深追いしていくと、加賀藩の前田、キリシタン大名家につながるのです。

前田利家は秀吉の禁教令により、改易されたキリシタン大名の高山右近を庇護し、築城術や科学の知識豊かな右近を高く評価し、屋敷や3万石の禄を与えたりなどをしている。小田原征伐、文禄・慶長の役の後には嫡子・利長が金沢城の整備などを命じるなど、右近をブレーンとして重用し、親しい関係が続いた。また、利家自身がキリシタンだったという説があり、洗礼(名:オーギュスチン)を受けたとも言われている。

この頃はイエズス会仕切りです。

その後、フリーメイソンです。

前田と婚姻関係を持った時から、近衛家はベルベット路線に入るのです。

前田慶寧の五女、さわと近衞 篤麿の息子が近衞 文麿ですからね。

ウインザー家が日本の南朝側と組んで、逆に対立していた風に見せてフランスが近衛家をサポート。

これは第二次世界大戦に突入する時代の話。

もっと昔のことを書くと、前田家は押小路(おしこうじ)家が出自です。

前田玄長から始まります。

藤原北家。江戸期の右大臣三条西実条が前田玄以(豊臣政権五奉行の一人、丹波亀山藩主)の娘を正室としていた縁により、武家名字である前田を名乗る。

前田家(押小路)の方は明治維新で子爵になった家柄です。

前田家は、公家としての利権分配にいろいろな処で在り着いています。

日本の既得権益者と言うのは、この公家を頂点に全国利権分配された姿。

話が既得権益の話に逸れそうなので戻します。

そして、水戸光圀=水戸黄門です。

近衛 尋子は、水戸藩第2代藩主・徳川光圀の正室。

徳川光圀は徳川家康の孫。

そして、織田、豊臣、徳川の時代をまたいで活躍していた柳生。

柳生宗矩は有能な官吏・為政者として辣腕を振るい、多くの大名家に恐れられ、また頼られた。伊達氏(伊達政宗)、鍋島氏(鍋島勝茂、鍋島元茂)、細川氏(細川忠興、細川忠利)、毛利氏(毛利秀就)などと親交があった。

柳生は客家だということは何回も書きました。

柳生家は1915年を最後にWikipediaから姿を消すのである。

img_2.jpg

唯一、柳生博だけが、ヒットするのである(笑)。

柳生(客家)は、九鬼(客家)と婚姻関係を結びます。

九鬼水軍を率いた水軍武将、九鬼 嘉隆は関ヶ原の戦いで徳川家康にはつかず、西軍側に付いたため、息子の守隆は徳川家康に父の助命を嘆願し、認められるのだが、豊田五郎右衛門が独断で嘉隆に切腹するよう促し、これを受けて嘉隆が自害。

息子、九鬼守隆は九鬼水軍を率いて大坂の陣を戦い、江戸城の築城時は木材や石材を海上輸送して江戸幕府に協力。

その後、守隆が死去すると、家督争いが起こり幕府の命令によって久隆が跡を継いだ。

しかし、幕府にとって危険な勢力となりそうな大名を騒動に乗じて転封するという、勢力削減政策で祖父嘉隆以来の水軍力を九鬼氏は失った。家系を長男の隆昌が継いだ。

九鬼久隆の娘は大和国柳生藩の世嗣、3代藩主柳生宗冬の長男、宗春に嫁ぎ、子に柳生俊方(長男)、九鬼副隆(次男)を出産。

ここから柳生と九鬼の家系が始まります。

地祇系側では、特に九鬼氏が公家の番頭として活躍しました。

しかし、九鬼家は公家の仕組みの中では従五位下ですから、下っ端です。

日本の外位制は、新羅の制度をまねて遅くとも天武天皇の時代には成立していた。主に古くからの豪族に出自を持たない渡来人系や壬申の乱功労者への追贈のために設定されたものとされている。

京都府綾部市(あやべ=あやうじ)

福知山盆地東部を占める、東部は福井県に接する。JR山陰本線と舞鶴線が分岐する交通の要衝。江戸時代は九鬼氏2万石の城下町。古く渡来人による養蚕の地として知られた。

客家に代表される日本古代に朝鮮半島から渡来した古い中国系の帰化氏族。漢氏(あやうじ)と秦氏(はたうじ)が3世紀から6世紀にも、日本へ渡ってきており、日本史の教科書では日本の始祖の様に教えられ、受験勉強では強制暗記をしなければ落ちてしまうという実情です。

九鬼・柳生はその後、真田家、松平家、武田家、小笠原家、etc….と婚姻関係を結びます。

小笠原 長育は、日本の子爵。明治天皇と大正天皇の東宮侍従を務めた人物。

子爵とは、中国で儒教の経典によって古代より用いられたと主張された爵位(五爵)の第4位。伯爵の下位、男爵の上位に相当する。近代日本の華族の爵位にも取り入れられた。

客家の宗教・・・大乗仏教、儒教、道教が支配的。少数のキリスト教。(Wikipediaより)

客家は日本の名門と血縁を結び、現在に至ります。

他にもいろいろな家系に入るのですが、とめどなく続いてしまうので、今回はここまで。


すみませんが、最近、励ましが欲しくなっています(笑)。

フィリピン第3工場を建設中なので、疲れています。

ブログランキングのボタンの位置を変えましたので、よろしくお願い致します。


それでは



(参考データ)

(Wikipediaより)

コファンコファミリー(タルラック)

メレチオ・コファンコ(旧代表、第一フィリピン議会)

エドゥアルド・コファンコ・シニア(元知事)

エドゥアルド・コファンコ・ジュニア:代表、1区、タルラック(1969から1972)

カルロス・コファンコ:エドゥアルド·ジュニアの息子; 代表、4区、ネグロスオキシデンタル(1998年から2007年)

ロサリオ・D・コファンコ:カルロスの妻、副市長、ポンテベドラ、ネグロスオキシデンタル(1998から2001)

マルコス・コファンコ:エドゥアルド·ジュニアの息子; 代表、5区、パンガシナン(2001年から2007年)

エンリケ「ヘンリー」コファンコ(代表、タルラックの1区、2012年~現在)

ドン· ホセ「ペペ」コファンコ、シニア(元代表、10日フィリピンのアセンブリと、の父コラソン·アキノ)

ホセ「ピピン」コファンコ、ジュニア(食料安全保障に関する大統領顧問、かつての代表、衆議院、現在の社長、フィリピンオリンピック委員会)、コラソン·アキノの弟

マルガリータ「ティン·ティン」コファンコ(インテリアと地方政府のための次官前者知事、ホセ·ジュニアの妻)

コラソン・コファンコ·アキノ - 第11代 フィリピンの大統領(1986年から1992年)

ベニグノシメオン·アキノIII - 第15代 フィリピンの大統領(2010- 現在)。上院議員(2007-2010)。タルラックの第二地区下院議員(1998年から2007年)

メルセデスコファンコ·テオドロ - タルラック、暫定Batasang Pambansaを表す旧Assemblyperson

ジルベルトテオドロ、シニア -管理者、社会保障制度( - 1986)とメルセデスの夫

ジルベルト・テオドロ·ジュニア -かつての国会議員、タルラックの1区。国防省元秘書。2010年5月10日の選挙のための大統領候補。メルセデスコファンコ·テオドロの息子

コング・モニカ・プリエト·テオドロ -議員、1区タルラック。ギルバートテオドロの配偶者
市長ミゲルコファンコRivilla(タウン
市長、市のPaniqui、タルラック)


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