イッピーさん最新も参考になりますね。
やまと大陸の記憶 13 東へと駆り立てるもの
http://ameblo.jp/yippee-happy/entry-12000388964.html
東に何かがあった・・・
モーゼと徐福には多くの共通点があります。
その共通点とは二人とも海を越えて希望の国を求めています。
二人とも東に向かいました。
二人が向かった先は共に未知の世界でした。
二人とも多くのの民を引き連れています。
二人とも一端旅に出たら二度と故郷をふりかえりませんでした。
二人が向かった先は夢と希望にあふれていました。
モーゼが後にしたエジプトは地下にたくさんの秘密がありました。
一方徐福が後にした秦国も地下にたくさんの秘密がありました。
兵馬俑や始皇帝の陵墓はすべて地下に眠っていました。
モーゼが向かったのは「約束の地カナン」でした。
徐福が向かったのは「カンナガラの地」でした。
モーゼの末裔は中国大陸で国を作り繁栄しました。
秦の国はユダヤの末裔であるいくつかの証拠があります。
徐福はその秦の国の民です。
さらに徐福の末裔は日本に農作を伝え繁栄しました。
始皇帝は自分が古代ユダヤの民であることにこだわってはいません。
過去の栄光よりも未来志向をしています。
徐福も秦の国の過去の栄光よりも未来志向です。
この両者にはあたかも見えざる何かの意志が働いているように歴史が繰り返している映像を見ているような観があります。
なぜ二人は東に見果てぬ夢を見たのでしょうか。
二人は確信を持って東に移動しています。
全くの未知の世界に踏み出したような印象とは明らかに違います。
モーゼも数万とも言われる民を引き連れていますが、徐福も一万に近い人を始皇帝に託されて日本に向かいました。
数千ともいわれる高貴な出自の子供たちもその中にはいました。
決して無謀な旅をしようとしていたのではありません。
信じるに足る情報があったと考えるのが自然です。
しかもその情報は希望に満ちていたんです。
太古の昔日本の太平洋の南海上には何かがありました。
それが二ライカナイであり、叡智のみなもとでした。
「指南」を求めると与える事ができる何者かがそこにはいました。指南とは叡智を意味します。
進んだ文明があったんです。
中国には古い伝説で日本から多くの技術が伝えられたという話があります。
今は忘れられた「さびない鉄」もその一つです。
ある日本の若者が中国の東北地方を旅した時のことです。
旅の途中で知り合った土地の古老と話をしていました。
するとその老人は不思議な物を持って来て日本の若者に見せました。
今では見ないような古い鉄瓶です。老人はその鉄瓶が年代も分からないほど古いものだといいます。
おそらく数千年は経っていると言うのです。
若者はその事の意味を悟ります。
彼は大学で金属学を学んでいました。
その鉄瓶にはいつまでも錆びない技術がほどこされていたんです。
老人は若者に言いました。
「いまでこそ日本はすべて西洋の真似をしようとしているが日本にはとても素晴らしい文明があったんだ。
もうだれもそのことを覚えてはいないがね。」・・・と。
文明は今でこそ西から伝わって来た事になっていますが本当にそうでしょうか。
そうだとするとなぜモーゼを始め古代イスラエルの民が東を目指したのかの説明がつかないんです。
ちょうど徐福のように・・・
時代が下りますが、隋の国が当時東の極く小さな国である日本に一目おいた理由の説明が付かないんです。
「日いずる処の天子、日没する処の天子に申す。つつがなきや・・・」という旧約聖書の一節を知っていたというだけでは。
遣隋使は今で言う所の最恵国待遇(対等の立場の貿易相手国)という条件を勝ち取っています。
さらには・・・
日本を統一し日本という国の土台を築いたスサノオとニギハヤヒも古代ペルシャと深いつながりを持っていました。
しかし彼らは日本に理想の国を作ろうとしました。
これらの人々は新たな冒険の地に降り立ったのではなく祖先の魂が宿る懐かしい故郷に帰ってきたと思う方がより自然なのです。
続きはまたね・・・