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日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。

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日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。
http://rapt-neo.com/?p=33249
138001778569115626227_hIMGP6529昨日は、世界各地にあるドルメンも日本の神社も、全てはドルイド教の生け贄儀式の場であるというお話をしました。
 
古代ケルトのドルメンも日本の神社も同じドルイド教の生け贄儀式の祭儀場でした。
 
と同時に、「古代ケルト」でも「古代エジプト」でも「古代日本」でも、同じような生け贄儀式が行われていたというお話もしました。
 
しかしながら、イルミナティの連中はここの部分には絶対に触れられたくないので、世界中のマスコミや学者たちに絶えず強い圧力をかけ、このような史実を世間に伝えないように強く誘導してきたものと思われます。
 
実際、ドルメンと神社との関連性について、また「古代ケルト」と「古代エジプト」と「古代日本」の共通点について研究し、発表した学者は、皆無と言っても過言ではないからです。
 
しかも、この事実を火消しにしようとしてでしょう。昨日の私の書いた記事に対して、早くも陰湿な悪口コメントを書いてきた人が現れました。
 
恐らく彼らは、私の理論を何としてでも「トンデモ」にしてしまおうと、これから色んな対策を講じるに違いありません。まあ、RAPT理論がほとんど完成した今となっては、何をやっても無駄ですけどね。
 
なので、今日はまた昨日の記事の続きを書こうと思います。
 
皆さんは古代ケルトの中心地・アイルランドにある「ニューグレンジ」という古代遺跡をご存知でしょうか。
 
ニューグレンジ – Wikipedia
 

 
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ウィキペディアによると、この「ニューグレンジ」は今から約5000年前に作られたもので、ギザのピラミッドよりも500年ほど古く、ストーンヘンジよりも1000年ほど古いものだそうです。
 
で、この写真の「ニューグレンジ」の入り口は最近になって修復されたもので、元の形は以下のようなものでした。
 
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見るからに神社の「鳥居」と同じ形をしていますね。これまた日本の神社が、古代ケルトに起源があることを証明してくれているかのようです。
 
そもそも、私はこの「ニューグレンジ」を最初にパッと見たとき、すぐにあるものを連想しました。
 
日本の「古墳」です。例えば、奈良にある「藤ノ木古墳」がこれとよく似ています。
 
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〈藤の木古墳〉

 
しかも、日本の「古墳」の内部が「石室」になっていることは皆さんもご存知だと思いますが、「ニューグレンジ」もやはりその内部は「石室」になっています。
 
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〈ニューグレンジの入り口〉

 
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〈ニューグレンジ内部の石室〉

 
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〈古墳の内部の一例〉

 
このように、「ニューグレンジ」と「古墳」の作りはとてもよく似ているのです。
 
また、熊本にある「釜尾古墳」の内部は以下のようになっていますが、これまたアイルランドの史跡「ビーハイヴ・ハット」と石垣の積み方が瓜二つです。
 
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〈釜尾古墳の内部〉

 
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〈アイルランドの史跡ハイビー・ハット〉

 
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〈同上〉

 
日本の古墳時代に、古代ケルト(アイルランド)と何らかの交易があった……ということは、現在の通説からすると絶対にあり得ないことです。
 
なので、このような類似性を見ても、世間一般の学者たちは単なる偶然として片付けてしまうに違いありません。
 
しかし、はっきりと言いますが、何の交易もない二つの国でこれほど似たような文化が形成されるわけがありません。
 
古代ケルトと古代日本には間違いなく何らかの交易があったに違いないのです。
 
また、アイルランドの「ニューグランジ」周辺には、他にも幾つかの墳墓があるようなのですが、その墳墓の入り口は以下のようになっています。(出典はこちら
 
DSCN1353
 
この入り口はとても狭くて、這うようにして中に入らなければならないとのこと。
 
で、私はこの入り口を見て、またしてもあるものを連想してしまいました。
 
熊本にある地底遺跡「トンカラリン」です。「トンカラリン」については過去にも記事にしたことがあります。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。
 
この「トンカラリン」の入り口は以下のような形をしているのですが、アイルランドの墳墓の入り口ととてもよく似ています。
 
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で、この入り口を通って「トンカラリン」の中に入るわけですが、アイルランドの墳墓と同様、その入り口はとても狭くて、這うようにして入らなければならないとのこと。
 
しかも、この「トンカラリン」の通路は、古代エジプトのピラミッドの内部にある通路と全く同じ構造をしているとのこと。ピラミッドの専門家である「吉村作治」氏が言うのですから間違いありません。詳しくは以下の動画をご覧ください。
 

 
ということで、またしても「古代ケルト」と「古代エジプト」と「古代日本」との間に、新たな共通点が見えてきました。
 
要するに、これらのものは全て同じ人間によって作られたということです。
 
では、それは一体誰なのか。
 
まあ、古代ケルトのドルイド僧でしょうね。彼らが生け贄儀式を行う場所としてこれらのものを作ったに違いありません。
 
その証拠に、以下のような記事が見付かりました。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
本日、平成23年(2011)6月13日の帰路、午後六時半ころの車中TVニュース(NHK)で、桜井茶臼山古墳から「生け贄」を埋めた石室が橿原考古学研究所によって発見され、発表されたと言っていた。
 
(註 : 生け贄を埋めていたという時点で、この古墳はドルイド僧が作ったとしか考えられません。)
 
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〈桜井茶臼山古墳〉

 
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〈桜井茶臼山古墳の内部。これまたアイルランドの石垣とそっくりです。〉

 
「生け贄」と、耳が逆立った。
 
古代中国やマヤ・アステカじゃあるまいし、本邦の大王陵に生け贄があったとは、手塚治虫さんの名作にして、はなはだ古典的・史的遺物論に毒された火の鳥くらいしか、よく知らない(笑)。
 
兵庫の県立考古博物館館長をなさっている石野先生の名前が聞こえてきた。
 
で、どういう根拠で生け贄と? 白骨でも多数出てきたのだろうか? と、自宅に帰ってネットを探したが、気に入った記事が見あたらない。
 
もしかしたらNHKは新聞各社よりも発表が早いのだろうか~
 
あれこれ考えている内に、産経ニュースで、「奈良・桜井茶臼山古墳に2つの副室 橿考研「中身は不明」」という記事がでた。

 
本来ならこれにリンクすべきだが、ここ数年、リンクはすぐに切れるので(有料化)止めておく。
 
要するに二つの副室が見つかったが中身は分からない、とのことだった。
 
NHKが石野館長の生け贄・生き埋め説を流したのは、もう少し石野先生の話を聞かないと、分からない。
 
橿原考古学研究所は「副室調査は予算に組み込まれていなくて、調査許可を受けていないので、中身は分からない」と言ったようだ。
 
ともかく、本邦大王陵に生け贄・生き埋めの痕跡が明瞭になると、これは大変なことだな、と思って慌てたが、もう少し様子をみないとよく分からぬ。
 
副室は副葬品を埋める施設とも書いてあるし、あるいは生け贄を閉じこめる施設と考える人がいてもおかしくはない。
 
天皇霊の問題、ヘキジャ(邪を防ぐ)の問題、埋葬主体を守る意味、閉じこめる意味~、大王陵の意味意義は深くて錯綜しておるから、私の推論を越える。
 
さて、どうなんだろう。しばらく事の推移を待ちましょう。
 
----------------(転載ここまで)
 
これは完全にマスコミと学者に圧力がかかりましたね。
 
実はこのようなことはよくあることで、理研の笹井副センター長が亡くなったときにも全く同じようなことが起こりました。
 
マスコミは、それまで報道していたことを何の断りもなく取り消しにし、それまでとは全く違う内容を報道しはじめたのです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
理研・笹井氏の暗殺説の裏がとれました。松岡大臣のときと同じく、死因鑑定がわざと回避されたようです。
 
先に報道したことが間違いだったから、突如、内容を変更したというわけではありません。
 
もしそうであれば、マスコミは視聴者に対して、自分たちの誤りを伝え、きちんとお詫びをするはずだからです。
 
しかし、彼らはそのようなことを一切しませんでした。
 
下手にそんなことをして、先に報道したことが真実である、ということを人々に知られてはマズイと考えたからでしょう。
 
はっきりと言いますが、日本の「古墳」には間違いなく「生け贄」が埋められています。
 
マスコミや学者がいくら火消しに必死になったとしても、それがこの世の真実です。
 
なぜなら、中国の歴史書「魏志倭人伝」には、日本の古墳に「生け贄」が埋められていたこと、それをあるときから「埴輪」で代用するようになったことがはっきりと記述されているからです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
事例をみると、中国の歴史書『三国志』の魏志倭人伝に、「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」邪馬台国の女王卑弥呼が死去し塚を築いた際に100余人の奴婢が殉葬されたとあり、『日本書紀』垂仁紀には、野見宿禰が日葉酢媛命の陵墓へ殉死者を埋める代わりに土で作った人馬を立てることを提案したという記載が残っている。
 
----------------(転載ここまで)
 
念のために言っておくと、日葉酢媛命の陵墓とは「佐紀陵山古墳」のことです。
 
93101409
〈佐紀陵山古墳〉

 
この「佐紀陵山古墳」が作られるまで、日本の古墳には「生け贄」が埋められていたということです。いえ、この古墳が作られた後もずっと「生け贄」が埋められた可能性は高いでしょう。
 
なぜなら、その後もずっと日本では当たり前のように人身供養が行われてきたからです。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
 
京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。
 
徳川家康も紛れもない悪魔崇拝者でした。古代から現代まで当然の如く行われてきた「人身御供」について。
 
しかしながら、上のウィキペディアの元記事を見れば分かる通り、現在は「魏志倭人伝」のこの記述は考古学的に否定されているとのこと。
 
つまり、古墳での「生け贄」はなかったとされているわけです。
 
笑ってしまいますね。当時の記録よりも、現在の学者たちの言うことの方が正しいというわけです。
 
これでは誰が何を記録しても全く意味がありませんね。悲しいことに、これが現在のアカデミズムの実態なのです。
 
ちみなに、以下の画像も「ニューグレンジ」の中にある石垣の一部なのですが、これまた「高句麗」にある古墳の内部の石組みと似ています。
 
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〈ニューグレンジの内部・出典はこちら

 
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〈高句麗の古墳の内部・出典はこちら

 
このように朝鮮半島にも似たような古代の「古墳」があるわけですね。
 
まあ、天皇家一族は朝鮮半島から渡ってきたわけですから、当然のことではありますが。
 


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