RAPT×読者対談〈第84弾〉自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。
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前回の対談で「スピリチャル系」と呼ばれるものが、いわゆる悪魔崇拝と大きな関わりがあるという話に少し触れましたので、今回はその「スピリチャル系」と悪魔崇拝の関係について、具体的にお話することにしました。前回の対談は以下のなります。
○RAPT×読者対談〈第83弾〉アーシング、イヤシロチ、ヨガ……。余りに巨大な悪魔崇拝への入り口。
今回の対談は先ず、「20世紀の4大発見」の話から始まっています。
「20世紀の4大発見」とは、以下の4つだそうです。(出典はこちら)
・ダーウィンの進化論
・アインシュタインの相対性理論
・マルクスの共産主義国家
・フロイトの潜在意識の証明
で、このうちのアインシュタインの「相対性理論」が真っ赤な嘘だったということは既に分かりました。例えば、以下のリンクをご参照ください。
○RAPT×読者対談〈第71弾〉嘘と矛盾だらけの核技術。
で、ダーウィンの「進化論」も、今では世間一般でも真っ赤な嘘だったという話になりつつあります。
マルクスの「共産主義」については言うまでもありません。(若い人たちは学校で「マルクス」のこと自体、習わないみたいなので、よく分からないかも知れませんが。)
そして、「進化論」も「共産主義」もどちらも「神の存在」を否定するところから始まりました。
アインシュタインの「相対性理論」については、「神の存在」を否定するところから始まったというわけではありませんが、つい最近、この「相対性理論」が古代の文献「カタカムナ」の焼き写しであるということ、そしてこの「カタカムナ」がルシファー信仰の源流であるということが分かってきました。(詳しくは以下のリンクをご参照ください。)
○RAPT×読者対談〈第82弾〉カタカムナこそルシファー信仰の源流である。
ですから、結局のところ、「相対性理論」が普及すれば、「ルシファー信仰」も普及していた可能性大です。
そうすると、当然、「神の存在」の否定へとつながっていたはずですが、今やこのブログで「相対性理論は嘘」とはっきりと暴きましたので、「カタカムナ」も「ルシファー信仰」も広まる危険性はかなり薄まりました。
で、残るはフロイトの「潜在意識」ですが、少しでもフロイトを齧ったことのある方ならお分かりの通り、フロイトの提唱した「リビドー」は余りにも悪魔的な理論です。
何しろ、人間の見る全ての夢が「性欲」から来ているというのですから。
○ジークムント・フロイト – Wikipedia
○リビドー – Wikipedia
こんな理屈を素直に受けいられる人は、現代にはほとんどいないでしょうし、実際にフロイトは今では多くの人たちから無視されています。
で、よくよく調べてみると、フロイトは「アシュケナジー」でした。つまり、偽ユダヤ人であり、悪魔崇拝者です。以下、「フロイト」のウィキペディアの記事です。
----------------(以下、こちらから転載)
1856年、オーストリア帝国・モラヴィアのフライベルク(Freiberg、現チェコ・プシーボル(英語版))でアシュケナジムである毛織物商人ヤーコプ・フロイト(45歳)の息子として生まれる。
母親はブロディ出身のアシュケナジーであるアマーリア・ナータンゾーン(1835年–1930年)で、ユダヤ法学者レブ・ナータン・ハレーヴィの子孫と伝えられている。
同母妹にアンナ、ローザ、ミッチー、アドルフィーネ、パウラがおり、同母弟にアレクサンダーがいる。
このほか、父の前妻にも2人の子がいる。モラヴィアの伝説の王Sigismundとユダヤの賢人王ソロモンにちなんで命名された。
そのため、生まれた時の名はジギスムント・シュローモ・フロイト (Sigismund Schlomo Freud) だが、21歳の時にSigmundと改めた。
----------------(転載ここまで)
ちなみに、今回の対談の中ではお話していませんが、巷にあふれる「夢占い」の源流はフロイトの「夢判断」にあると考えて間違いないと思います。
○夢判断 – Wikipedia
で、その「夢判断」は全ての夢が「性欲」とつながっているとする怪しげな話なので、全ては全く信憑性のないデマだと考えた方がいいでしょう。
で、「フロイト」の後に現れたのが、その弟子である「ユング」ですが、この「ユング」もスイス人。で、スイスといえば「ロスチャイルド」ですね。(詳しくは以下のリンク子をご参照ください。)
○世界を密かに支配するドルイド教の歴史。ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながり。
しかも、ウィキペディアを見ると、「ユング」が影響を受けたとされる人物が「クラフト=エビング」「イマヌエル・カント」「ゲーテ」「アルトゥル・ショーペンハウアー」「フリードリヒ・ニーチェ」「易経」「グノーシス主義」「錬金術・ヘルメス主義」とあります。
「ニーチェ」といえば、ゾロアスター教の教祖を主役とした「ツァラトゥストラはこう語った」という本を書き、「神は死んだ」と言って神の存在を否定した人物です。
「易経」「グノーシス主義」「錬金術・ヘルメス主義」については、言うまでもありません、悪魔崇拝そのものですね。
特に「グノーシス主義」はそのシンボルマークが、ドルイド教と同じ「太陽十字」です。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○グノーシス主義 – Wikipedia
「ヘルメス主義」のシンボルマークもこんな感じです。(出典はこちら)

で、この「ヘルメス主義」のウィキペディアの記事には、こんなことが書かれてありました。
----------------(以下、こちらから転載)
ヘルメス主義(ヘルメスしゅぎ、英: Hermeticism)とは、主として、ヘルメス・トリスメギストスという著者に仮託された古代の神秘主義的な一群の文献ヘルメス文書に基づく、哲学的・宗教的思想の総称。
ヘルメス文書で扱われる、占星術、錬金術、神智学、自然哲学などを含み、日本語では神秘学の名で呼ばれるような概念にも近い。
----------------(転載ここまで)
「神秘学」とは、まさに「オカルト学」のことです。以下、ウィキペディアの記事です。
----------------(以下、こちらから転載)
神秘学(しんぴがく)は、オカルティズムまたはオキュルティスム(仏: occultisme、英: occultism、独: Okkultismus)の日本語訳の一つである。
オカルト主義、隠秘学(おんひがく、いんぴがく)、玄秘学とも。Geheimwissenschaft の日本語訳でもある。
オカルティズムは、本来は占星術、錬金術、魔術などの実践を指し、これらを occult sciences (オカルト学)と総称することもある。
一般的には、オカルティズムの語は近代の西洋神秘思想、秘教的メイソンリーなどのある種の秘密結社、魔術結社などの教義、世界観、知識体系やその実践などに適用される。
事実上、しばしばエソテリシズム(秘教)と同じ意味に用いられる。
オカルティズムを諸実践・諸技法に限定し、その背景にある理論的信念体系をエソテリシズムと呼んで区別したり、エソテリシズムの下位概念とする向きもあるが、一般的には両者の意味・用法は錯綜しており、区別は曖昧である。
----------------(転載ここまで)
「ユング」が影響を受けたのが「グノーシス主義」とか「ヘルメス主義」などの悪魔教……。
そして、その「ユング」から現代の心理学が始まっている……。
これでは当然、この世の中が「うつ病患者」だらけになりますよね。
ちなみに「ユング」が影響を与えた人物(思想)として、ウィキペディアには「ニューエイジ」「精神分析」「ヘルマン・ヘッセ」「R・D・レイン」とあります。
で、「ニューエイジ」といえば、それこそ「スピリチャル系」の源流みたいなものです。
----------------(以下、こちらから転載)
ニューエイジ(New Age)とは、字義どおりには「新しい時代」であるが、神智学を淵源として1960年代にアメリカ合衆国西海岸を中心地とした霊(霊性・スピリチュアリティ)の進化論を唱えた思想のこと。
旧来の物質文明が終焉を迎え、新たな霊的文明が勃興するという「霊的革命論」をその根幹とし、ヒッピーと呼ばれた若者の間で流行した。
ニューエイジ思想の運動は、ニューエイジ・ムーブメント New Age movement・ニューエイジ運動、NAMという。
日本では精神世界の名で広まり、その後「スピリチュアル」と呼ばれるものにほぼ受けつがれた。
----------------(転載ここまで)
つまり、「スピリチャル系」のそもそもの発祥が「ユング」で、その「ユング」が「悪魔崇拝」と深く関係がある。
であれば、当然、「スピリチャル系」には「悪魔崇拝」の要素が数多く散りばめられているに違いありません。そして、実際にその通りです。
で、最近では「自己啓発」もかなり流行していますが、この「自己啓発」もまた「潜在意識」を利用して成功へと導くという思想ですよね。
で、この「自己啓発」のブームを起こした人物に「ジョゼフ・マーフィ」なる人物がいます。(ちなみにこの人は「マーフィの法則」とは関係ありません。)
○ジョセフ・マーフィー – Wikipedia
で、この「ジョゼフ・マーフィ」は「ニューソート思想」なるものを広めた人物ですが、この「ニューソート思想」は一見するとキリスト教的な思想です。
それなのに、この日本で「ニューソート思想」を広めたのが、神道系の「生長の家」の教祖「谷口雅春」です。
要するに、「ニューソート思想」とはキリスト教っぽく見せかけた「悪魔教」というわけです。
----------------(以下、こちらから転載)
ニューソート(New Thought、新思考)は、19世紀アメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつ、一種の異端的宗教・霊性運動で、現世利益の追求を戒めるキリスト教プロテスタント系のカルヴァン主義への反発を背景として生まれ、ラルフ・ワルド・エマーソンの哲学を支えに徐々に社会に浸透した。
アメリカのメスメリスト(催眠治療家)・心理療法家フィニアス・クインビーやクリスチャン・サイエンスの創始者メリー・ベーカー・エディの思想を中心とする。アメリカの対抗文化の流れを汲むニューエイジの源流のひとつである。
ニューソートは、聖書の内容を従来とは違う立場から解釈しようとするもので、「人間の意識は宇宙と繋がっている」と考え、その根拠を聖書に求める思想が主流である。
「そもそも『原罪』は存在せず、あらゆる人々がキリストの力を内包している」「正統的宗教哲学は数百年間過ちを犯し続けてきた」といった主張を展開して異端視されたが、従来の禁欲的キリスト教思想に疑問を抱いていた思想家、労働者、零細農場や工場の経営者らに影響を与えた。
「生長の家」の創設者谷口雅春が光明思想と訳しているように、気持ちを明るく保つことによって運命が開けるというポジティブ・シンキングや、日本でも著作がベストセラーになっているイギリス出身の牧師ジョセフ・マーフィーの成功法則などもニューソートの一環であり、いわゆる成功哲学の著者の多くがこれに属する人々である。
心や思考の性向が健康や経済状態として表れる(思いは現実になる)という考え方は、現代の自己啓発やビジネス書の源流である。
禁欲を説いたカルヴァン主義への反発として19世紀に生まれた運動で、源流として、新教のカルヴァンに火刑にされた16世紀の神学者・医者・人文主義者セルヴェストス(ミシェル・セルヴェ)や、17~8世紀の科学者・神学者・神秘家エマニュエル・スウェデンボルグを認める向きもある。
直接的には、フィニアス・クインビーというメスメリスト(催眠治療家)・心理療法家の治療哲学・病気観が元になっている。彼は、患者の心の在り様が病に影響しており、病気の本質は患者が持つ誤った信念であり、信念を正せば病気が治ると考えた。
ニューソート運動は「ポジティブ・シンキング」という言葉を通して普及し、アメリカの価値観や成功哲学や自己啓発のルーツの一つとされている。
マーチン・A・ラーソンはニューソートの主張を以下のように要約する。
・人間の心情と意識と生命は宇宙と直結している。
・あらゆる病の本質は自己意識に対する無知が原因である。
・原罪は存在せず、万人が「キリスト」の力を内包している。
・全人類に、喜びと成長と発展と幸福の機会が既に与えられている。
・人間は内なる「神」の一部を顕現すべく無限の発展を遂げつつある。
・正統的宗教哲学は数百年間過ちを犯し続けてきた。
・愛の力は神の意志の地上的表現である。
(註:東出融氏の言っていることと似ていますね。結局、彼の言説もまたここら辺から出ているというわけです。)
ニューソートの多くは説得を主な技法としたが、1893年シカゴの世界宗教会議でスワミ・ヴィヴェーカナンダが人気となってから、インドの心身訓練法もアメリカに伝わり、インド人ヨガ行者ラマチャラカを名乗り呼吸法の著作を刊行したウィリアム・ウォーカー・アトキンソン(英語版) (1862 – 1932)のように、ニューソートの中には呼吸法を取り入れたものもあった。
(註:ここでもまた「ヨガ」が出てきました。「ヨガ」と悪魔教の関係については「こちら」をご参照ください。)
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このように「スピリチャル系」も「自己啓発」も、その源流は「ニューソート」思想にあり、その「ニューソート思想」を日本で広めたのが「生長の家」の「谷口雅春」。
で、「谷口雅春」といえば「ルシファー=国常立尊」を神と崇める「大本教」の出口王仁三郎の弟子だった人です。
----------------(以下、こちらから転載)
谷口 雅春(たにぐち まさはる、1893年11月22日 – 1985年6月17日)は、新宗教系教団・生長の家創始者(初代総裁、生長の家では「教祖」「開祖」という名称は用いられない)。
旧名=正治。現在の兵庫県神戸市兵庫区鵯越に生まれ、大阪市港区の大阪府立市岡中学(旧制)出身。早稲田大学文学部英文科中退。同学科には青野季吉、木村毅、坪田譲治らが在学していた。
(中略)
早稲田大学を中退して大本の専従活動家になっていた谷口は、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記を任せられたり、機関紙の編集主幹などを歴任するなど、教団内で嘱望されていたが、1922年(大正11年)の第一次大本事件を期に、浅野和三郎に従って大本から脱退。
浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ねていたが、当時流行のニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。
1929年(昭和4年)12月13日深夜、「今起て!」との神の啓示を受けたとして、当時勤務していたヴァキューム・オイル・カンパニーを辞め、文筆活動でニューソート流の成功哲学を全世界に宣布せんとの志を立て、『生長の家』誌の執筆に着手。
翌1930年(昭和5年)3月1日に、神道、仏教、キリスト教に現代科学を加味して完成したとする、『生長の家』誌1000部を自費出版。教団は、その発行日を立教記念日としている。
雅春は、真理の言葉の力による人類光明化運動の実現を目指し、「言葉こそ真理そのものである」として「声字(しょうじ)即実相」の真理を説き、言葉・文字を用いて「大宇宙の真理」を懸命に書き続けた。 雅春の説いた教えの根本原理は以下の2点である。
・人間はみな神の子であり、無限の愛、無限の知恵、無限の自由、その他あらゆる善きものに満ちた永遠不滅の生命である。
・現象界は心の現れであるから、人間の実相は神の子であるという真理を悟れば、現象世界においても幸福が現れる。
また、神道や仏教、キリスト教など諸宗教は、その根本においては一致しているという「万教帰一」の立場を取っている。
第二次世界大戦期に急速に右傾。国家主義・全体主義・皇国史観・感謝の教えを説いた。
こうした教えを記述した雅春の著作は、信徒間で「愛国聖典」と呼ばれた。
「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど、教団を挙げて戦争に協力した。なお当時の信者には、高級軍人の家族が多くいた。
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「万教帰一」とは、このように「神」と「悪魔」をごちゃ混ぜにしようとする思想です。やはり彼らは、何が何でも「神」と「悪魔」を一緒くたにしたいようです。
で、この「谷口雅春」は見ての通り、「国家主義・全体主義・皇国史観」の教えを説いたとのことで、完全に「天皇崇拝」の人物です。
一方の「大本教」は「出雲族」であり、「出雲族」はどちらかというと「天皇」をこの世の頂点とはしない思想の持ち主です。詳しくは以下の対談をご参照ください。
○RAPT×読者対談〈第63弾〉昭和天皇が人間宣言をした本当の理由。
この「天皇」についての考え方の違いで、「出口王仁三郎」と「谷口雅春」が喧嘩した可能性が大ですね。
で、この「谷口雅春」と一緒に大本教を脱退したのが「浅野和三郎」で、この「浅野和三郎」とは以下のような人物です。
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浅野 和三郎(あさの わさぶろう、1874年(明治7年)8月 – 1937年(昭和12年)2月3日)は、日本の心霊主義運動の父。茨城県出身。筆名は浅野 馮虚(あさの ひょうきょ)、憑虚 とも。
1896年(明治29年)、東京帝国大学に入学、時を同じく小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が英文学担当教師として赴任し、教えを受ける。
(註: ラフカディオ・ハーンもドルイド教徒です。詳しくは「こちら」)
1899年(明治32年)に東京帝国大学英文学科を卒業。海軍に請われて、横須賀にある海軍機関学校の英語教官に赴任する。機関学校の同僚スティーブンソンは神智学会員であった。
(註:「神智学」もまさに「オカルト学」のことですね。詳しくは「こちら」)
1915年(大正4年)の春、三男の三郎が原因不明の熱病になり、多数の医者に見せても回復せず半年を過ぎていたが、三峰山という女行者の言葉通りに快癒した事から、心霊研究に傾倒し、1916年(大正5年)海軍機関学校を退官し、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた大本に入信。
教団内で有力な信者となり、論客として活躍するも、1921年(大正10年)の第一次大本事件による大弾圧の後は教団を離れ、1923年(大正12年)3月、「心霊科学研究会」を創設。伴に大本を離れた人物として宗教右派に属する政治的新興宗教生長の家創始者谷口雅春が居る。
1928年(昭和3年)、ロンドンで開かれた第三回国際スピリチュアリスト会議(世界神霊大会)に出席し、グロートリアン・ホールにて「近代日本における神霊主義」の演題を英語で講演する。
さらにロンドンで霊媒や降霊会を訪ね、パリ、ボストン等を歴訪し、心霊関連の文献を多数持ち帰る。
この実績をもとに、日本国内での心霊主義(スピリチュアリズム)の啓蒙活動によって、1929年(昭和4年)5月に名古屋に「中京心霊協会」が、同年7月に大阪に「大阪心霊科学協会」が、そして12月に東京に「東京心霊科学協会」が相次いで設立されて心霊研究の実行機関が各地に設置された。
「東京心霊科学協会」では、翌1930年(昭和5年)1月15日に設立記念の新年総会を開催して、1月17日に新事務所開きを行って、活動を展開し始めた。
妻の多慶子は三郎の病気が治った翌年から、霊的な能力を見せ始め、1929年(昭和4年)、次男の新樹の死をきっかけに霊言(トランス・トーク)を行うようになり、『新樹の通信』、『小桜姫物語』(ともに霊界見聞録等の内容)を収録し出版した。
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前半 RAPT×読者対談〈第84弾〉自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。
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