NHKの陰謀論否定、ネットで、7分割ですか。
やはり、印象操作、洗脳ですね。
コブラやコーリーの、黒魔術、シンボル、オカルト的な、分析、無視ですね。
パンツを履いた人類ヒト科ゴイム?だったか、国際情勢の分析と予測さんの、最新も興味深い考察ですが。
朝鮮在日、ユダヤサタニスト傀儡の、満州人説の、ペリマリのプラプラ講義さんに、RAPT説、名無し先生に、ABCDEのマヨ説からすると、真逆かもしれませんが。
しかし、エフライム工房さん最新の、ペン、からも、やはり、ペンシルベニアに、ボストンのキャボット、ペリーとか、E組、ペンタゴンの、五角形、ドル防衛国際秩序維持派、米悪魔の13血族、連想しちゃいますかね。
奥の奥義
http://blog.goo.ne.jp/efraym/e/3a6be21d26fb8ce61c5e3388264ea014
夢に屋根裏部屋のようなアパートが出て来て、隣の大学生2人が勝手に入ってきて、一人は東大で仙台出身と言い、そこから佐藤あり紗さんの話になって目が覚めました。この奇妙な夢には謎解きのヒントがあったのです。2時間も寝ていないけど忘れないうちに書かないと (;´Д`)
まず、屋根裏部屋はペントハウスと呼ばれます。その理由は、五角形を意味するペンタゴンと同じく、家の構造は四角形の上に三角形が乗った五角形構造をしているからです。この三角形の部分が屋根裏となります。
実は、筆記用具のペンも同じ構造をしています。特に万年筆のペン先は五芒星に近い。ここから、ペンの名前の意味は五角形から来ていると分かります。では、なぜ五角形はペンタグラムなどのようにペンが付くのか?ペンタはギリシャ語で5だという常識とは別の奥義の話です (;^ω^)
ヒエログリフでpは天を表します。だから、penは天縁と書いてペンと読めます。天(テン)とはp+enで意味は「天の縁」。もう少し分かりやすく書けば「空のエンド」がペンなのです。日本語のテンはt+enで「頭の上の縁(エンド)」という意味。ここから、縁や最後を表す英語のエンド(end)も、日本語の縁(エン)と同じだと理解できます。今まで何度も書いてきたように、英語の中に日本語(古代エジプト語やヘブライ語)は多いのです。
ペンタゴンは上から見て五角形ですが、今まで説明してきたようにペンは頭の上の天だから地面を表すタが付いて初めて天地という意味のペンタになる。だから、五角形構造は上からではなく横から見て五角形が正しいことになります。
夢に佐藤あり紗さんが出て来たのは、佐藤の意味に三番目の藤が隠されていたからです。ペンタは5。ヘキサは6。という風に数えるなら、藤原氏から出た藤の一族も数に対応しているはず。1は藤原として、2は仁藤、3は佐藤、4は紫藤、5は後藤、6は武藤、7は内藤、8は矢藤、9は工藤や古藤、10は東藤など。
物部氏のモノはギリシャ語でmonoと書いて1を表します。僕は物はモーセの「牛を拝む事勿(なかれ)」が語源だと書いてきましたが、藤原氏の祖先レビ族の代表がモーセであり兄のアロンなのです。だから物部には祭司の元始まりという意味が隠されていたことになります。上で書いた1は物部でも良いのです。
藤原氏はアメノコヤネ(天児屋命)が先祖とされていますが、天児屋は先に書いたように、天がペンタだからペンタ小屋という意味になります。天児屋とはペントハウスという意味で、五角形をシンボルとする陰陽師がその正体。まあよくも堂々と正体を晒していたのに驚きます。
さて、7はラテン語でセプタ、ギリシャ語でヘプタで、ヘプタが訛ったのが青森のねぶた祭り。ねぶた祭りが毎年8月7日に終わるのはヘプタがルーツだからでしょう。
7の次は8ですが、これはラテン語でもギリシャ語でもオクタで8本足の蛸=オクトパスの語源。オクトパスとは8本の路で、タコの足を路に喩えているのです。
このようにオクタは八ですが、十字架に二つの八で構成される米の文字の先端をつなぐと八角形が完成します。ここで奥という文字をとくとご覧あれ。ちゃんと米の字が隠されているでしょう。米=オクタだから、奥はオクと読まれるのです。もっとも、奥の意味は米=イエス・キリストの奥義を隠すという意味ですけど。
バレーボールのチャレンジマッチでJTの奥村選手が目立ったのも、神様がヒントをくれたのかも。本厚木の女神がすぐに奥に隠れるのも同じ。奥村選手はブロックが良いので全日本に入れたい選手です。残るかどうか心配です (´Д`)
というわけで、書いたのでようやく眠れる (=_=)
思い出した orz
6がヘキサというのは、ちょっと面倒な理屈。まず、ヒエログリフでh音は「絞る、撚る」を意味します。針金で作った長方形□を撚ると、△と▽の二つの三角形が頂点で逆向きとなった形が出来上がります。Xはキサとかクサと読まれます。H+キサ=ヘキサ。だから二つの三角形が組み合わさったのが元々のヘキサの意味で、ここから、二つの三角形が仲良く組み合わさった六芒星がヘキサと呼ばれるようになったのだと思います。
今度こそ本当に寝られる (っA`)ネムー
エフライム工房 平御幸
シリウスの都 江戸・東京:家康はなぜ江戸に本拠を置いたか?関ヶ原の戦いの目的は?
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/e19177fa72345ca9791ad36d6b77b8d1
【私のコメント】
今回の記事は前回の「マザー牧場の怪」の続編である。
前回記事やそのコメント欄で靖国神社、京王線、小田急線、成田空港滑走路、羽田空港滑走路など東京ないし首都圏の多くの建造物が聖方位に従って建設されていることに触れた。その過程で私は遥かに重要なある建造物が聖方位で建設されていることに気付いた。それは、皇居東御苑にある江戸城天守閣跡地である天守台、その東にある楽部庁舎、桃華楽堂、書陵部庁舎、そして少し離れた宮内庁庁舎である。宮殿や吹上御所は聖方位では無かった。
また、多くの皇族が住む赤坂御用地の敷地の境界の多くも聖方位に基づいている。皇族の住居のいくつかは建物や進入路が聖方位に基づいているようだ。
栗本慎一郎氏は飛鳥のいくつかの建造物(太子道や法隆寺若草伽藍など)が聖方位に基づいていることから、飛鳥をシリウスの都と名付けており、バビロンやペルセポリスとの関連性を指摘している。江戸城の天守閣を含めた皇居の多くの建造物が聖方位に基づいていることは、江戸・東京もまたシリウスの都であることを示していると思われる。
聖方位に直交する直線(東から北方向に20度傾いた東北東方向)を富士山から引くと本州の最東端は鹿島神宮・息栖神社・香取神宮の東国三社付近となる(諏訪大社は東国三社と同じ北緯に建設されており関連する神社と思われる)。逆の西南西方向に引いた直線は高野山や根来寺付近を通過する。これらの宗教施設は聖方位に基づいて建設されたのだと思われる。そして、富士山から東国三社に向かう直線は皇居=江戸城を通過するのである。徳川家康は聖方位に基づいて江戸城に本拠地を置き、その後聖方位に基づいて天守閣を建設したのだと思われる。聖方位や真言宗僧侶による結界で江戸を防衛するという戦略だったのだろう。明治維新後も楽部庁舎、桃華楽堂、書陵部庁舎、宮内庁庁舎、靖国神社などの多くの施設が聖方位で建設されている。江戸・東京こそは聖方位の都、シリウスの都なのだ。栗本慎一郎氏は恐らくこの事実を示唆するために「シリウスの都飛鳥」を書いたのだと思われる。
安土桃山時代の日本は他の東アジア諸国と同様に国際金融資本=西洋シーパワーの侵略の危機に瀕していた。長崎はローマ教皇に寄付され教皇領となっていたし、九州の多くの大名・住民がキリスト教に改宗して日本の神社や寺院を破壊していた。そして国際金融資本はフィリピンやマラッカ、ジャワ島などを植民地化していた。豊臣秀吉の朝鮮・中国侵攻計画は、国際金融資本の海軍力に包囲され危険な日本本土から大陸に戦略的に撤退し、膨大な中国の人口(人民の海)を武器にして国際金融資本と対決するという戦略であったと思われる。この戦略は帝国陸軍が明治維新後に選択し、その後継者である残置諜者国家北朝鮮が現在も継続中である。豊臣秀吉の戦略眼の確かさには感動を覚えずにはいられない。
一方、徳川家康の戦略は、大陸への戦略的撤退は行わずに日本本土にとどまり、聖方位や真言宗、皇室の力で日本を防衛するというものであったのだと思われる。この戦略は明滅亡後の清の隆盛、日本や清の海禁政策などによって関ヶ原の戦いから少なくともアヘン戦争までの約240年間は有効であったし、現在も国際金融資本占領下で彼らに対抗するとともに日本の文化を維持し続けるという形で継続されているのである。徳川家康の戦略にも私は驚嘆を禁じ得ない。
関ヶ原の戦い、大坂冬の陣・夏の陣という徳川と豊臣の対決は、日本を国際金融資本から守るためにどうすれば良いかという戦略の違いに基づいている。当時の日本にはこの二つの戦略しか無く、日本の国益から見ていずれも正しいものであったと思われる。関ヶ原から4世紀以上過ぎた今も日本にはこの二つの戦略しかないのだ。そして、この二つの戦略を日本は同時並行で継続しているのだ。
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シリウスの都 江戸 ペン E組 米13血族 英語の中に日本語(古代エジプト語やヘブライ語)は多い
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