この週末に入るや否や、日本経済新聞は、安倍晋三総理大臣が伊勢志摩サミット後に「消費再増税を先送りにすること」を対外発表するとのリーク記事を掲載した。いかにも同紙が使われそうな「観測気球」なわけだが、読む側である私たちにおいてはいよいよ覚悟しなければならないのである。すなわち、これをもって我が国は“デフォルト(国家債務不履行)”へのワン・ウェイ(one way)へと舵を切ったのである。
そもそも消費増税は我が国が自律的に決めたことではないのである。野田佳彦総理大臣(当時)がG8サミットの場で表明し、国際社会に対してコミットしたことなのだ。すなわち「国際公約」だったわけであるが、なぜそうしたのかといえば、そうしないと我が国が”自律的に“、すなわち自分の意思で自分の一番都合の良いタイミングに”デフォルト(国家債務不履行)“宣言を行うことが出来ないからなのである。紙幅の都合もあるので詳細はここでは述べないものの、(1)”デフォルト(国家債務不履行)“宣言を行うためにはあらかじめ「財政調整(fiscal adjustment)」と「債務交換(debt swap)」を行う必要があり、(2)日本国債の9割以上を日本国民自身が保有している現状に鑑みれば、消費増税は前者でもあり、後者でもあるということ、という国際金融のイロハのイをまずは確認しておきたいと思う。
ところが安倍晋三総理大臣は結局のところ、周囲を取り巻く経済産業省マフィアの策に嵌り、こうしたイロハのイをいよいよ無視するという挙に出始めるわけなのだ。これでほくそ笑むのは米欧勢である。なぜならば我が国だけがいわば「抜け駆け」して“デフォルト(国家債務不履行)”に突っ走られてしまっては困るからだ。世界最大級の債権国でありながら、他方で公的債務残高という観点でも群を抜いている我が国が、前者を民間レヴェルで温存しつつ、後者について「無きもの」にするということなど、彼らにとっては絶対に許せないのである。したがって消費増税の先送りという決断が下された旨を彼らは”喧伝“し、表向きは我が国の株価を引き上げることに加担するはずだ。
だが、繰り返しになるが、要するにそれは米欧勢から嵌めて来る「罠」なのである。彼らは我が国がこれまで積み上げてきた公的債務残高を一掃してくれるような国富をもたらすイノヴェーションを自らの意思で貫き、もって世界秩序を一変するようなことがこのままではありえないことを良く知っている。そのため、これまで日銀が暗黙裡に「国際協調」として実質金利のマイナス化のために行って来た量的緩和でばらまき続けていた莫大な量のマネーが、既に始まっている商品価格の反転・上昇の中で我が国における悪性インフレを招く中、我が国はいよいよ立ち往生してしまうのである。文字どおり、究極のスタグフレーション(悪性インフレの急展開+景気の急激な悪化)が生じる中、消費増税などおよそ出来ない状況が続く。その中で件の経済産業省マフィアたちは首相官邸を詐いては、自らの権益拡大のために「補助金行政」を拡大しようとし、実際には「ゼロから1を創り出す」などというアントレプレナーシップの偉業を自らは為したことがないにもかかわらず講釈を垂れては私たち国民を翻弄し続けるのである。そのくせ、彼ら=経済産業省マフィアは原発行政一つとってもそうであるが、既得権益の確保・擁護も行うため、結果としてイノヴェーションは何も進まないのである。当然、国家歳入は急激に減少し、それを目ざとく見つけた米欧系の”越境する投資主体“たち、とりわけ1回に数兆円も動かす能力を持っているグローバル・マクロ系ヘッジファンドが”日本的なるもの(=日本国債、日本円)“をロック・オンする。その瞬間・・・我が国は「逝ってしまう」のである。長期金利が急騰し、実は我が国首相官邸が想定している「6パーセント」の壁をそれが余裕で越える中、我が国は最悪の事態である「他律的な”デフォルト(国家債務不履行)“」へと追い込まれることになる。長期金利が1パーセント上昇すれば、我が国政府の利払いは10兆円ほど増えるのである。我が国は凄まじい勢いで倒れ、それがグローバル社会全体にメガトン級のインパクトを与えることになる・・・。
事ことに及ぶと、私たち国民全員は覚悟しなければならないのである。何を覚悟しなければならないのか。以下のとおりだ:
―一時的であれ「政府」「公的なるもの」が一切機能しない状況を想定し、最低限の生き残りをするための自衛措置を講じておくこと
―もっともそうした状況が生じるのは場合によっては一瞬であり、次の瞬間には確実に「全く新しい世界秩序(New World Order)」へと移行している。それが何であるのかを今から徹底的に要素分析し、そこでの「優位」を確保すべく準備をすること
やや前置きが長くなったが、我が国ではマスメディアが例によってすっかり関心を失ってしまったかのように見える「パナマ文書(Panama papers)」を巡るスキャンダル、あるいはそもそもの「オフショアリークス」を巡る騒動もこうした文脈の中での出来事であると理解すべきなのである。ポイントを書き連ねるならばこうなる:
―米欧勢のいわゆる「根元的な階層」(王族ら)を中心としたリーダーシップが「世界カレンダー」のファイン・チューニングを明らかに図っているのは、太陽活動の激変とそれに伴う気候変動の激化という意味でのクリティカル・モーメントである。太陽黒点が年初から比べると年末には半分になるという異常事態がある瞬間から気候寒冷化を今年(2016年)の冬に招くという事実が誰の目にも明らかになる。そこで生じるパニックを用いて世界秩序の転換を図るのがこれらリーダーシップのやりたいことなのであるが、それは正に「一撃必打」でしか行えないのである。だからこそ慎重にタイミングを見極めてきている
―世界秩序の転換をその意味で行う時、カギを握るのがグローバル・マクロ、すなわち国際的な資金循環のルートの変更である。これが変われば全てが変わる。もっとも自主的に資金主に変えてもらう方が何かと楽なのであって、だからこそ真綿で首を絞めるように、一つ、そしてまた一つ、といった具合で彼らを締め上げている。それ自体としてはインパクトがあっても、個別にスキャンダルが生じたのかというとなかなかそうは言い難かった「オフショアリークス」、あるいはそれに比べれた何人かの愚かな政治家たちが各国で辞任を余儀なくされたものの、やはり我が国では何も起きなかった「パナマ文書」(を巡るこれまでの文書開示)についてはこうした意味での「締め上げ」の一環なのである
―そこで注意しておきたいのは後述するとおり「それでは新しい資金の安全な貯め場所(safe haven)はどこなのか」という点もさることながら、「パナマ文書」については一般市民による調査・分析が推奨されている点なのである。このことは多大なインパクトを持つ。なぜならばこれまで米欧勢の主導により、世界各国では「eGovernment」と称し、すべてのデータをインターネットに載せるべしという大運動が行われてきたからだ。ウィキリークス、あるいはエドワード・スノーデンの例を見れば分かるとおり、ネット上のデータはやがてリークされてしまう。しかもそれが今回の「パナマ文書」の例に倣う形で一般市民による調査・分析に託されてしまうというのが通例になるのだ。「国家」「政府」「当局」の側は徹底して防戦を強いられることになる。東京夏季オリンピックを巡り、舛添要一・東京都知事が血祭にあげられているのはその始まりに過ぎない。官僚たちは自らがシステムとして罠に嵌められたことに気付くがもはや何も出来ないのだ。国内では既得利権層がいかにエゴをむき出しにしてきたかについて執拗なまでに追求を行う一般市民と、これまでの為政者たちとの間で激しい抗争が世界各国で勃発する
―これに対して国家に依存しないビジネス・モデルとそれに応じた立場を意図的に築き上げてきたグローバル・エリートたちが完勝するのかというと全くそうではないのである。「パナマ文書」にその名が掲載されている者たちはいわゆる「グローバル・エリート」、もっといえば「下々の者たちには黙って、自分たちだけはよろしくやってきた連中」なわけであるが、しかし今回このようにいわば”公開処刑“の寸前まで行ったということは、彼・彼女らは当然には次もまたその圧倒的な優位を守られているわけではないのである。そこで次のテストが待っている。いや率直に言えば既にテストはこの段階で終わっているのである。それは要するに「次に新しく資金の安全な貯め場所(safe haven)になるのが何処・何であるのかを知らされているか」という問いかけなのだ。この答えは実のところ既に提示されており、然るべき人々には然るべき形で静かに伝達されている。ところがそうしたメッセージ伝達のチェーンに入れられなかった人々も大勢いるのである。これまでグローバル・エリートとして“よろしく”やって来たとしても全く関係は無い。むしろそうであればあるほど、今度は盛大になぎ倒され、”公開処刑“される役割を担うのである。今やかつての極秘情報を与えられた一般市民たちが蜂の巣をつつくように彼・彼女らを執拗に攻撃するであろう
―「パナマ文書」については騒動がこれで終わったなどとはゆめゆめ想ってはならないのである。かつてウィキリークスの騒動が初めて起きた時、その後、ここまでのことで続くとは誰が想像したであろうか。何せ莫大な資金がその背後には見え隠れするのである。「開かれた社会(open society)」という大義名分で供与されるそれらマネーを用いて、あらかじめ策定された世界シナリオのとおり、一つ、そしてまた一つと、それまでの「極秘事項」が開示されていく。むしろ決定打は、先ほど述べた太陽活動及び気候変動にとって最も重要なタイミングでこの意味でも打たれることになると考えておいた方が良いというのが卑見である。既存の秩序が目の前で打ち崩されるのを前にして、私たちは上から下まで全員が逃げ惑い、同時に餓鬼の様に互いを奪い合うようになる。しかしそういう中だからこそ、「新秩序」を毅然として打ち出し始め、安心を与えてくれる存在には何の批判も加えることなく、包み込まれていってしまうのである。あらかじめ「世界シナリオ」を描いた彼らは必ず、“今起きている騒動”に対するソリューション(解決法)を知っている。それを提示されれば、私たちは哀れなことにあの「ハーメルンの笛吹男」に付き従ったネズミたちと同様、夢遊病者のようにそれに従ってしまうというわけなのだ
「それでは今何を考え、どのように行動すれば良いのか」
この問いに対する私の答えを端的に申し上げるのは、上述のクリティカル・モーメントが訪れた瞬間にしたいと思う。そうすることによって、「今目の前で起きていること(現象)」の中に「程なくして起きること(潜象)」を見て取る能力を残念ながら失ってしまった多くの同胞たちにも最大限理解と行動を促したいと考えているからである。だが、今回の「パナマ文書」の騒動が起きている最中に起きていた様々な事柄が事実を仔細に振り返れば、自ずから「次なる安全な資金の貯め場所」は分かるのである。無論、それもまた実のところ3年半もすればさらにその次へと移されてしまう運命なのではあるのだが。
いずれにせよ、「パナマ文書」や「オフショアリークス」が私たちに突き付けている問題はGHQという名前で我が国を占領してきた米国勢との関係でよろしくやっていれば全てが済んで来たこれまでの既得利権層やその代弁者にすぎない本邦マスメディアが理解出来ず、またその枠組みの中で報じることが出来ないものなのである。したがってこれら本邦マスメディアはあくまでも表層的な解釈を報じるに過ぎず、結局、何が何だか分からないままで事態は推移する。その一方であらかじめ「世界シナリオ」を描いた者たちの攻撃は執拗に続けられるのである。そこで生じ続ける大混乱の中でも生き残るためには、個人であれ、組織であれホリスティックなアプローチが欠かせないのだ。ホリスティック、すなわち「樹を見て森を見ない」ではなく、「森を見て樹を見ない」という態度である。そうすることが出来る者たちだけが、次の時代における「己の役割」に出会うことが出来るのであるから。
2016年5月15日 東京・仙石山にて
原田 武夫記す
UFOを見たり接触した最初の人たちは、皆、無学だったり農夫だったりという様な、社会的地位の低い人ばかりでした。こうしたコンタクト情報が増えるにつれ、ようやく社会的地位の高い人々が接触するようになり、人々はこのような情報を少し真面目に受け止めるようになりました。
宇宙人側がどういう基準で選んでいるのかは、ある程度想像できます。おそらく正直で心の綺麗な人を選んで接触しているのです。そうすると、比較的無学の人が多くなるということなのかも知れません。
この視点から見ると、何故、スフィア・アライアンスが直接コンタクトするのはコーリー・グッド氏だけなのかという質問ですが、これと同様の質問をする人々に直接ブーメランが返って来ます。コーリー・グッド氏はわかっていても、自分からは答えられない質問なのです。