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天叢雲剣と草薙剣

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尿出し夢予知と思ったら、煩悩くんフルスロットルさん最新出ましたね。

天叢雲剣と草薙剣
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2892.html
さてさて今回の記事は、前回AOAのミニライブに訪れた際、空き時間に参拝に行った熱田神宮に関する洞察です。

草薙剣、徐福、ニビルに関する洞察研究はオイラのライフワークなのだすが、ここから始皇帝、スサノオ、九尾妖狐、ダーキニー、豊川稲荷、北斗七星&輔星、オリオン3つ星、左三階松家紋、焼津神社、徐福国神都・家基津、熊野権現、蔵王権現、蘇民将来、豊受大神、摩多羅神、天武天皇、金首露王(扶余依羅)、邪馬台国、道教、バアル、フェニックス、蚩尤、兵主神、大魔神、サムソン、ジャッカル、アヌビス、アヌ王、エンキ、エンリル、客家(ペリシテ人)、九鬼家、大本、サンカ、ウシトラノコンジン、北朝&南朝、北イスラエル族&南ユダ国、ダビデ、御嶽山、ドルイド神官団、海の民、マルタ騎士団、アガルタ、ラウドラチャクリン、ビリケン広飲み屋、日月神示、ネオ満州j国、イスラエル第三神殿、鳥居強右衛門、東海三神山、ミドルアース(中つ国)、穂の国、ネルフ、マルドゥク機関、S2機関、チルドレン、AOA、ベビーメタリ、少女時代...等が密接に繋がって1本の線となって来ているのは驚嘆ですらある。

さてさて、伊雑宮遷宮を機に移管すると云われる草薙剣

当然、この話の真偽は分からないが、この話を秘密結社・ヤタガラスから聞いた話しとして飛鳥昭雄氏が声高に主張している。草薙剣といえば、熱田神宮の御神体なので、そんなこと有り得るのか?というのが第一印象ですが、今回、ここに的を絞って洞察してみます。

その一環とも云えるのが、、、、

本殿北西隅の禁則地にある一之御崎神社の創建以来始めての、つまり1900年ぶりの一般参拝開放ですが、この英断の裏にはきっと秘められた何かがありそうです。

熱田神宮の主祭神である熱田大神とは、草薙剣に宿った天照大神の御霊だとされている。そして、明治24年に尾張造りの社殿から唯一神明造りの社に「国費」で立替されるまで、何神剣(草薙剣)は脇の簡素な造りの「土用殿」に安置され祀られていたという。創建年代が正しいとすれば、その期間は1800年にもなって、ほとんどの期間、本殿に祀られていないとなる。

これは非常に奇異なことです。

土用殿
(土用殿)

由緒書きには、熱田神宮は草薙剣を氷高姉子神社から移して安置する為だけに創建されたのですが、草薙剣が御神体なのに本殿に最初から祀られておらず、更にほとんどの期間、本殿で祀られていないのです。しかも、祀られ始めたのが国家神道が勃興した明治期になってからのことであり、これは明らかに皇国史観を盛り上げる為の道具立てに使われたとみるのが妥当であろう。

草薙剣はある理由があって、決して本殿には祀ることが出来なかったのだと見る。その理由が何なのか釈然としないのだが、、、、

また、さらに不思議なことに一の鳥居の脇にエビスさんを祀る社や上知我麻神社と境内を共有した「別宮八剣宮」という社があるが、本殿に準ずる社格があると云われ他の摂社とは違い格段に壮麗。ここには熱田大神と草薙剣のフェイク(偽物)7振の神剣がここに祀られているといわれ、ただ本殿と違い天照大神の御霊だけが存在しない格好になっている。

う~む、普通は御神体の草薙剣を収めた土用殿の方が社格が上になる筈では、、、、?

本殿と八剣宮、、、この二重性はどう理解したらいいのか? 更に、本殿と土用殿の二重性の話も加わり、新羅僧により盗難後の返還...等、草薙剣に関しては謎が満ち満ちているのです。

社伝によると、別宮八剣宮は飛鳥時代末期の和銅元年(708年)、元明天皇の勅命により新しく神剣を作って奉納するために創建されたというが、延喜式神名帳には「愛智郡八剣神社」の小社と記されているだけで、社格の急上昇は平安末期になってからのこと。各時代を通じて武将の信仰が篤かったという。特に鎌倉時代末期の正応四年(1291年)の熱田神宮火災の際に八剣宮に納めて守護したことにより重要性は更に上昇した。

現在は伊勢神宮と同じく唯一神明造りの社殿であるが、かつては尾張造りで、旧社殿は現在、氷上姉子神社の社殿となっている。

八剣宮
(別宮八剣宮)

ここで草薙剣の歴史をざっと振り返ってみよう。

一般的にスサノオが天照大神に奉じた天叢雲剣が「草薙剣」と名前を変えたことになっていますが、この話の出元はこうです。

ニニギの天孫降臨の際、天照大神から与えられ、その後、宮中に安置されていたが、倭姫命によって八咫鏡と供に伊勢内宮に安置されたという。そして、日本武尊の東征の際、この神器を授与されて赴き、東国の地で狩りに道案内された時に周囲に火を付けられ、自分の周りの草を刈って燃やして難を逃れた為に「草薙剣」と呼ばれるようになったという。その後、東征から帰り、鈴鹿に赴く際に熱田に剣を置き戦いに出向いていって亡くなったという。この置いていった剣を安置する為に創建されたのが熱田神宮という。

普通、神宝を貸すだろうか?
戦さに負け、帰ってこなくなるリスクもあるというのに、、、
それも神宝中の神宝である天叢雲剣を!

貸したとすれば、形代(かたしろ)か、他の宝剣であろう。しかも、日本武尊の頃には伊勢内宮など存在していないのです。創建話とは違って内宮が完成したのは持統天皇以降のことで桓武天皇の御世の頃に国家守護の祭祀の場としてイスラエル神殿の形式を取り入れて整備された。

つまり、天叢雲剣と草薙剣は全くの別物であった。いつの頃からか2つの物が同じものとされてしまったが、これは先にも述べた国家神道による天皇のカリスマ化政策に起因していると睨む。実際、古事記、日本書記のどこにも「天叢雲剣=草薙剣」と書かれていないのです。単に神宝の剣を東征の際に授与したとある。剣を奉納して神宝とする例は数多くあり、伊勢内宮にもそのような剣は数多く存在しただろう。

神宝の剣=天叢雲剣というのは、ある勢力の拡大解釈に過ぎない。

「草薙剣=アロンの杖(モーセの杖)=ヤーの剣=八剣」という話もあるが、本殿で一緒に祀れない大きな理由がある為、本当は八剣宮に草薙剣が祀られているのではないだろうか?

確かに、武門の象徴である剣である為、武力介入による簒奪という可能性も他の神器以上に高い為、敢えて2重3重の防御策を施していて、本物の在り処を隠蔽する為に行われているのかもしれないが、あまりにも名前がそのものズバリなのは如何なものか。実際、草薙剣の盗まれないよう本物とは別の7本の剣を作り、一緒に奉納していると云われる。それらが奉納されているのが別宮八剣宮だと云われ、そうなると草薙剣は別宮八剣宮に祀られていることになってしまう。

しかも、この7本の剣と草薙剣の関係は、北斗七星と輔星の関係と全く同じで、参拝当日、オイラがミニライブに参戦したAOAとも同じなのである(爆)。
※あるいは北斗七星と北極星の関係かもしれないが、、、

波動を感じる人によれば、八剣宮の方が明らかに波動が高く清々しいという。

やはり、ここに草薙剣があるのではないか?
本殿とは違い、ここには24時間詰め監視員ボックスが正面に据えられ、非常に物々しいのです。

かつて草薙剣が盗難されたことがあるが、日本書紀には天智天皇7年(668年)に新羅の僧・道行が奪って清雪門から出て行った為、現在でも熱田神宮では清雪門は「開かずの門」にされている。道雪は新羅に向かって逃げたが、途中で風雨に遭ったため迷って帰ってきて天武天皇の宮中に安置されていたが、天武天皇が病を得た際に占いで草薙剣による祟りだと判定され、草薙剣は熱田に送り置いたという。

■草薙剣盗難事件(Wikipedia)

清雪門02

九州筑前の高倉神社社伝には、668年に新羅僧・道行に盗まれた草薙剣は海を渡る前に取り押さえられ、草薙剣を返却するまでの間、高倉神社に別殿を建て、更に7振の同じ剣を作って一緒に安置したとある。この逸話から高倉神社は「八剣宮」と呼ばれるようになったという。北九州に八剣神社が集中して存在する理由でもある。

さらに、七振の神剣と草薙剣を返納した際、熱田に八剣宮を移動したとあるのです。多分、こちらの話が本当のことでしょう。熱田神宮の伝承は嘘ではないが、意図的に詳細を省き敢えて誤謬を起こさせるような書き方をしている。つまり、元明天皇は高倉神社で造られた7振の神剣の保管場所として、最初は宮中に安置していたが、18年後、何らかの理由で熱田の地に別殿建立を勅命していたのです。

清雪門はもともとは本宮の北門で、668年に盗難に合い、故あって皇居に移っていた神剣が686年に熱田神宮に戻ってきて、神剣が二度と動かないようにと門を閉ざしたと云われている。神剣が戻ってきた喜びを表すのが「酔笑人神事」。

境内4箇所を、、、くほほほほほほと高笑して練り歩く神事なのです。

しかし、この清雪門の位置を見れば分かるのだが、本殿とは随分離れている。しかも北側にもない。ここに熱田神宮の古い地図があるのだが、ここでは明確に八剣宮を取り囲む塀の北門として清雪門が描かれているのです。この北門から新羅僧が持って出て行ったのならば、八剣神社(後の八剣宮)に草薙剣があったことになる。
※神剣が7倍になって戻ってきて「八剣宮」と名称が変わった。

八剣宮03
(八剣宮北側に「不明之門」とある。)

余談だが、この地図からは元々の熱田神宮境内はかなり狭かったことが分かる。

また、境内に「宮きしめん」の店があって、神聖な筈の境内では不浄ではないか?とオイラはずっと思っていたが、あれは本来の大神宮境内の外にあたり、千秋氏邸宅跡地であったから問題ないとなるが、現在の参道の両側の深い森はかつて寺院敷地であり、神仏分離で廃寺になった寺の敷地を境内化して拡張しているが、何故この時、宮きしめんを境内外に出さなかったのかは今だ疑問。

別宮八剣宮こそが草薙剣を安置保管の場所だった。それは今現在も変わっていないと思われる。

さてさて、盗難事件では「戻した」のではなく「送り置いた」という表現が引っ掛かる。「送り置いた」のならば、所有権は持っておらず、いづれ返却しないとならない筈ですが、それが伊勢の伊雑宮への神剣移管という話も有り得ないことではなく、本殿に祀られた御神体ではないので問題は生じないのです。しかも別宮八剣宮は新たに作りなおされて新築されたばかり、う~む、この神剣移管話はかなり信憑性がある。

では、土用殿で安置されていた剣は何なのだろうか?

これは多分、日本武尊が携えていた剣を奉納したのであり、天叢雲剣でも草薙剣でも何でもない単なる剣であったと思われる。だからあれ程簡素なのだろう。実は尾張氏側の伝承ではヤマタノオロチの尾から出てきたのは十握剣なのだという話がある。十握剣が本来の尾張氏所有の神剣で本殿に祀られているのがコチラだろう。そして、土用殿には神剣などはなく、単に別の処(八剣宮)に祀ってあるという暗喩t的に示されたものに過ぎないと睨んでいる。

語り部はこの草薙剣盗難事件は百済系の天智天皇が白村江の戦いの際に勝手に持ち出して、負けて逃げ帰って来て戻したのが真相だという。オイラももの説に賛同している。そして、持ち出しされたのは事実であるが、それをそのまま書くわけにもいかず、敵対勢力の新羅派(天武天皇派)のせいにして記述したというのが本当のところだろう。

■八剣(草薙剣)の真実
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n215872

語り部は、この草薙剣とはモーセの杖を模して扶桑樹から作られた「海凪の杖」で海軍の守護神宝であったとバラしている。倭讃(景行天皇)が東三河の徐福国を討伐した際に、接収した海軍は尾張海軍となり、その地に留まっていたが、熱田の地に移され、その時、「蓬莱」の名と古代海軍守護の証「海凪の杖」も熱田に移動。その時に八剣神社が創建されたのだろう。

最初、氷上姉子神社に置かれた草薙剣は実は「十握剣」で、尾張氏の廟である熱田神宮に奉じたのだと思う。また徐福国神都・家基津が焼き払われたが、その逸話が住民と供に静岡の焼津に移された。これが焼津神社の火石・水石の伝承の元となった。

八剣神社は長野・岐阜・愛知・福岡だけに集中しているが、オイラの実家はその分社の氏子だった。ただ、熱田の八剣宮が総本社となってもよさそうなのだが、そうはなっていない。語り部によると、戦地で八剣(モーセの杖)が掲げられた場所が八剣神社なのだという。

一方、天叢雲剣はスサノオが天照大神に奉じたという逸話。またスサノオ=徐福という図式から天叢雲剣は徐福国である東三河にあったのだろう。かつて照山には天叢雲剣が祀られていたという霊的ビジョンを見た人がいて、下記のような「天地主大神璽」の石碑を製作したが、その後、土中に打ち捨てられていたという。

天地主大神璽
(天地主大神璽とは「天叢雲剣」を表す言葉)

この「天叢雲剣」こそ、徐福が始皇帝から託されて列島に持ち込んだものではないかとオイラは睨んでいる。徐福国討伐時後、祀られていた照山から持ち去られ大和に移動。その後、八咫鏡と供に伊勢・内宮に移動安置された。

オイラは天叢雲剣とはネフシュタン(青銅の蛇、モーセの旗竿)ではないかと睨んでいる。「旗竿」故に「秦氏」、、、、まぁ、これはあくまで妄想的な洞察なのだが、、、
※飛鳥昭雄氏によると、旗竿は忌柱や天御柱とは言わずに「天御量柱(あめのみはかりのはしら)」と言うそうで、外宮に安置されているという。多分、外宮創建時に籠神社からカド族継承の「マナ壷」と供に天叢雲剣も内宮から外宮移されたのだろう。

青銅の蛇
(ネフシュタン)

うっ、、、この二重螺旋構造、、、、

これはエヴァの「ロンギスヌの槍」ではないか!!!

エヴァロンギヌス

大海地区の鳥居強右衛門の磔刑地と徐福を祀る新宮市の阿須賀神社を貫通する線上には照山がある(アバウトです)。エヴァ弐号機の左目を貫通し、惣流・アスカ・ラングレーの左目を傷付けたロンギヌスの槍とは実はネフシュタンのことでは無かったのか!? 少なくともネフシュタンのイメージを取り入れていることは確か。

弐号機と石巻山
(弐号機と石巻山)

イエスの磔刑とは人類全ての原罪を背負って賄ったとされる。原罪はカバラの「生命の木」では隠されたセフィロト「ダアト」に相当するが、照山は東海三神山との関係で「ダアト」に位置する場所。ここをロンギヌスの槍が貫通しているが、その先には徐福の阿須賀神社がある。

いづれにせよ、草薙剣と天叢雲剣は別物であり、草薙剣こと「海凪の杖(モーセの杖)」は本殿ではなく八剣宮に安置されており、いづれ返還される可能性は充分にあることが分かってきたのです。

そして、それが移管されるのが2015年
エヴァンゲリオン設定の年でもある。

う~む、いよいよヤタガラスの伊勢での儀式が始まる。
※これはダビデの再来=来臨のイエス=千年王国(世界政府)の王というベルファシ勢力の救世主誕生のことなのか?


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